第3章 星脈の王都 第1話 「残火の帰還」
灰都――アッシュベルク。
乾いた風が城壁を撫で、灰色の砂が石畳を静かに流れていく。
いつもと変わらない朝。
鍛冶場から響く槌の音。
市場に並ぶ野菜と干し肉。
子どもたちの笑い声。
警備兵たちの巡回。
その平和を切り裂くように、見張り台から鐘が鳴った。
「北門だ!」
「輸送隊がきたぞ!」
砂煙の向こうから、一台の大型輸送車と数頭の荷獣がゆっくり姿を現す。
車体は傷だらけ。
荷台には戦いの跡が刻まれている。
門兵が目を見開いた。
「あれは……!」
荷台の先頭に立つ金髪の青年、。
その後ろには、大斧を肩に担ぐ女性。
大きな兎耳を揺らしながら荷台の横を歩く、小柄な少年。
飴を咥えながら端末機械を弄る少女。
白い肌の少女と一緒に歩く白衣姿の治癒師。
「ヴェスパー隊だ!」
歓声が上がる。
灰都を出発してから数週間。
誰もが無事を祈っていた仲間たちが帰ってきた。
白砂診療所。
扉が静かに開く。
中には薬草の香りが満ちていた。
診療所の奥。
椅子に腰掛けた男がゆっくり顔を上げる。
鋭い金色の瞳。
全身には、まだ癒えきっていない包帯。
ガルムだった。
ヴェスパーと目が合う。
数秒。
沈黙。
診療所全体が静まり返る。
レイラは思わず息を止めた。
イリスも口を閉じる。
ノアは木彫りの狼を握る。
やがてガルムが口を開いた。
「……少しはマシな顔になったな。」
ヴェスパーは小さく笑った。
「ただいま。」
ガルムは鼻を鳴らす。
「帰ってきたなら休め。」
少し間を置いて続ける。
「……その後、修行だ。」
レイラが苦笑した。
「やっぱりそれか。」
「当たり前だ。」
「師匠、傷まだ治ってないだろ?」
「問題ない。」
セレスが即座に否定する。
「問題あります。」
診療所の空気が少し和らぐ。
イリスが肩をすくめた。
「五分で修行宣言とはね。」
「甘やかせば弱くなる。」
「その前に診察です。」
セレスはヴェスパーの腕を掴んだ。
「逃げませんよ。」
「……はい。」
レイラが吹き出す。
「ヴェスパー、師匠より先生の方が怖いな。」
「否定できない。」
診療所には久しぶりに笑い声が響いた。
数時間後。
ヴェスパーたちは海底観測炉で回収した資料を机へ並べていた。
イリスが一つずつ説明する。
「器計画の実験記録。」
「海底観測炉の構造。」
「黒い翼の輸送経路。」
「それと……」
一枚の地図を広げる。
王都エリュシオン。
地下深くまで描かれた古い設計図。
「星脈中枢。」
ハルトが腕を組む。
「海底施設の次は王都か。」
「オルディスはそこへ移った。」
ガルムは静かに地図を見つめていた。
「……奴らしい。」
「知ってるの?」
レイラが聞く。
「星脈は世界中の命が流れる道だ。」
ガルムは低く言う。
「そこを支配すれば、人も都市も操れる。」
部屋の空気が重くなる。
ノアが小さく呟いた。
「嫌な音がする。」
「まだ聞こえるのか?」
ヴェスパーが尋ねる。
ノアは頷く。
「遠く。」
耳を押さえる。
「すごく遠くから。」
「たくさんの人が泣いてる。」
全員が黙った。
イリスが地図を見る。
「王都……。」
その日の夕方。
ハルトが一枚の封筒を持って診療所へ入ってきた。
顔色は険しい。
「届いた。」
机へ封筒を置く。
白い封蝋。
金色の紋章。
翼と星を組み合わせた王家の印。
レイラが顔をしかめる。
「王都か。」
「正式な召喚状だ。」
イリスが封を切る。
中には厚い羊皮紙が入っていた。
読み始める。
「王都評議会より――」
部屋が静まり返る。
『海底旧区画における功績を称える。』
『ヴェスパー一行を、王都エリュシオンへ正式に招待する。』
『星脈中枢に発生した異常調査への協力を求める。』
『なお、本要請は王命である。』
『速やかな来訪を望む。』
イリスは最後の一文で眉をひそめた。
『拒否した場合、現在海都で保護されている救助者への支援は再検討される。』
レイラが机を叩く。
「脅しかよ!」
ハルトも苦い顔をした。
「遠回しだが、間違いない。」
セレスの表情も曇る。
「患者さんたちを交渉材料に……。」
ノアは俯いた。
「また選べって言うの……。」
ヴェスパーは羊皮紙を静かに見つめる。
王都。
世界の中心。
黒い翼。
オルディス。
星脈中枢。
診療所を出たヴェスパーは、一人で夕暮れの灰都を歩く。
市場では今日も人々が笑っている。
鍛冶屋では火花が散る。
子どもたちは追いかけっこをしていた。
この景色を守りたい。
その想いは変わらない。
だが、王都ではもっと多くの命が待っている。
守れるのか。
全員を。
答えはまだ見つからない。
その時、背後から低い声がした。
「迷ってるな。」
ガルムだった。
ヴェスパーは振り返る。
「少し。」
ガルムは夕焼けを見上げる。
「迷うのは悪くない。」
「え?」
「迷わなくなった時、人は他人の未来まで勝手に決め始める。」
ヴェスパーは黙って聞いていた。
「迷え。」
「考えろ。」
「その上で、自分で選べ。」
ガルムは歩き出す。
「だから明日から修行だ。」
ヴェスパーは思わず苦笑する。
「結局そこなんですね。」
「当たり前だ。」
珍しくガルムの口元が少しだけ緩んだ。
「王都は……海底より甘くない。」
夕陽が二人の影を長く伸ばす。
その向こうには、世界最大の都市――王都エリュシオンが待っていた。
そこで待つのは歓迎か、それとも新たな試練か。
誰にもまだ分からない。




