第2章 第8話 「器の記録」
排水口から出た先は、グランヴェイルの北外れだった。
崩れた鉱山施設の裏手。
雪と灰に埋もれた配管。
倒れた鉄塔。
半壊した管理小屋。
風は強く、遠くの廃坑都市からはまだ低い振動が響いている。
地下で何かが崩れている音だった。
それでも、完全には崩れていない。
まだ、あの下には人がいる。
ノアは排水口の前に立ち尽くしていた。
小さな手で布包みを握りしめ、震える唇を噛んでいる。
「戻らなきゃ」
その声は小さかった。
けれど、必死だった。
「カイルさんたち、まだ下にいる。早く戻らないと」
セレスが静かに歩み寄る。
「今すぐ戻れば、私たちも捕まります」
「でも!」
ノアは顔を上げた。
目には涙が浮かんでいる。
「また置いていくの? 兄ちゃんも、カイルさんたちも、みんな……!」
言葉の途中で、声が詰まった。
レイラが拳を握る。
言い返すことはできなかった。
ノアにとって、それは置き去りだった。
助けたい人を残して逃げることだった。
どれだけ理由があっても、痛みは消えない。
ヴェスパーはノアの前に膝をついた。
「戻る」
ノアは睨むように彼を見た。
「今じゃないって言うんでしょ」
「ああ」
「だったら……!」
「戻るために、今は生きて出る」
ノアの言葉が止まる。
ヴェスパーは続けた。
「無理に戻って全員が倒れれば、誰も助からない。お前が聞いた道も、イリスが抜いた記録も、セレスが見た生体反応も、全部無駄になる」
ノアは唇を噛んだ。
「……分かってる」
「分かっていても、納得できないか」
「できない」
「それでいい」
ノアが目を見開く。
ヴェスパーは静かに言った。
「納得しなくていい。怒っていい。悔しがっていい。ただ、足は止めるな」
その言葉に、ノアの肩が震えた。
アステルがそっと隣に立つ。
「私も、戻りたいです」
ノアは彼女を見る。
「でも、今戻ると……きっと助けられません」
アステルの声も震えていた。
だが、逃げてはいなかった。
「だから、助ける方法を探しましょう」
ノアは黙った。
そして、小さく頷いた。
「……うん」
セレスはノアの肩に外套をかけ直した。
「まずは全員の処置です。それから記録を確認します」
「記録?」
イリスが端末を持ち上げた。
「黒い翼の施設から抜いたデータ。全部じゃないけど、使えるものはある」
レイラが戦斧を担ぎ直す。
「じゃあ、どこか隠れられる場所を探すか」
ノアは廃坑都市の北側を見た。
「古い信号所がある」
「信号所?」
「鉱山列車の行き先を切り替える場所。今は使われてない。黒い翼も、たぶん使ってないと思う」
イリスが端末で地形を確認する。
「北側の小高い岩場にあるね。街も見えるし、隠れるには悪くない」
ヴェスパーは頷いた。
「そこへ向かう」
信号所は、グランヴェイル北側の岩場に建っていた。
半分崩れた二階建ての建物。
外壁には錆びた鉄板が貼られ、屋根には古い信号灯が残っている。
建物の周囲には、使われなくなった鉱山列車の線路が何本も走っていた。
雪に埋もれ、ところどころ結晶に呑まれている。
ノアが扉の前で耳を澄ませる。
「中には誰もいない」
「罠は?」
イリスが聞く。
ノアは少し考えた。
「機械の音はしない。でも、床が弱いところがある」
「十分助かる」
イリスが先に入り、端末で中を確認した。
「熱反応なし。罠も今のところなし」
レイラが扉を押し開ける。
中は冷え切っていた。
古い机。
壊れた制御盤。
壁に貼られた線路図。
床には埃と雪が入り込んでいる。
だが、風は防げる。
一時的に身を隠すには十分だった。
セレスはすぐに荷物を下ろした。
「処置をします。ヴェスパーさん、そこへ座ってください」
「俺よりアステルとノアを」
「全員です。順番に診ます」
「俺は後でいい」
「座ってください」
「……分かった」
レイラがにやりと笑う。
「完全に負けてるな」
「合理的判断だ」
「便利な言葉だな」
アステルは壁際に座り、静かに呼吸を整えていた。
ノアはその隣で、布包みを膝の上に置いている。
中には兄が作った木彫りの狼が入っている。
セレスはノアの手を見た。
小さな擦り傷。
凍傷になりかけた指先。
長くまともに休めていなかったことが分かる。
「少し痛みます」
「大丈夫」
ノアはすぐに言った。
セレスの眉がわずかに動く。
ノアはそれに気付き、慌てて言い直した。
「……痛い。でも、我慢できる」
セレスは少しだけ表情を和らげた。
「それでいいです」
アステルが小さく笑った。
ノアは照れたように顔を背ける。
「何」
「いえ。私も同じことを言いました」
「大丈夫って?」
「はい。そして怒られました」
「怒ってはいません」
セレスが淡々と言う。
「休ませただけです」
レイラが小声で言う。
「それが怖いんだよな」
「聞こえています」
「はい」
信号所の中に、ほんの少しだけ空気が和らいだ。
だが、それも長くは続かなかった。
イリスが古い机の上に端末を置く。
「さて」
彼女の顔から笑みが消える。
「黒い翼の記録を見るよ」
ヴェスパーは立ち上がろうとしたが、セレスに肩を押さえられた。
「座ったままです」
「……分かった」
イリスは端末から小型投影機を出し、壁に映像を映した。
青白い文字列が浮かび上がる。
ノイズが混じっている。
ところどころ欠けている。
それでも、読める部分はあった。
【黒翼研究記録 グランヴェイル地下採掘中枢 器計画・第二区画】
レイラが低く呟く。
「器計画……」
イリスは画面を進めた。
「記録は断片的。でも、かなり重要」
表示が切り替わる。
そこには、いくつもの項目が並んでいた。
【・黒陽炎因子
・結晶化媒介
・術式核
・竜熱耐性
・弟子個体反応
・器候補
・灰災環境適応試験】
アステルの顔が強張る。
「術式核……」
セレスが彼女の手に触れる。
「今は記録です。あなた自身ではありません」
「……はい」
イリスは深く息を吸った。
「読むね」
彼女の声が、信号所の冷たい空気に響いた。
「器とは、灰の大災厄後の環境に完全適応するための生体術式容器である。結晶化により肉体を補強し、黒陽炎因子により熱干渉能力を得て、重圧術式核により空間負荷に耐え、竜熱耐性によって高熱環境下での崩壊を防ぐ」
レイラが眉をひそめた。
「要するに何だ?」
イリスは画面を見たまま答える。
「黒い翼は、人間を作り替えようとしてる」
セレスが静かに続ける。
「病気に耐えるためではなく、災厄そのものに耐える身体へ」
「それだけなら、まだ治療に見える」
イリスが言う。
「でも問題は、その材料」
画面が切り替わる。
そこには被験体の一覧があった。
名前。
年齢。
種族。
適性。
状態。
多くの欄に、赤い文字で「失敗」「崩壊」「廃棄」と記されていた。
ノアが息を止めた。
「……街の人たちだ」
セレスの手がわずかに震えた。
「全員、記録されています」
ノアは画面を見つめる。
見たことのある名前が並んでいる。
パン屋。
鉱夫。
隣の家の老人。
市場で果物を売っていた女性。
兄の名前も、そこにあった。
ノアの兄。
リッツ・ユアン。
状態欄には、こう記されていた。
【追跡兵化___ノア・リッツ回収任務中に反応消失】
ノアの顔から血の気が引いた。
アステルがそっと彼の肩に手を置く。
ノアは震えながらも、画面から目を逸らさなかった。
「兄ちゃん……任務って……」
セレスが苦しそうに言う。
「彼らは、人を任務の道具として扱っています」
ノアは拳を握った。
「許せない」
その声は、涙よりも強かった。
レイラが低く頷く。
「私もだ」
ヴェスパーは黙って記録を見ていた。
怒りはある。
だが、今は燃やさない。
燃やせば、黒い翼の思う壺だ。
模造体は、自分の熱に反応して強くなった。
怒りさえも利用される。
だから、今は冷たく見る。
すべて覚える。
すべて刻む。
イリスが次の記録を開く。
「これ、ガルムさんの項目」
壁に新しい文字が映る。
【素体G-00
通称:黒陽炎
種族:ループス系
状態:拘束中
因子抽出率:不安定
抵抗値:極めて高い】
レイラが息を呑む。
「拘束中……」
「この時点では、ね」
イリスは画面の端にある日付を拡大する。
「記録は三週間前」
ヴェスパーの目が細くなる。
三週間前。
ガルムはその時点で、黒い翼に拘束されていた。
つまり、生きていた。
少なくとも、その時は。
イリスは続ける。
「抵抗により因子抽出は完全には成功せず。残滓を複数個体へ分散移植。模造体による戦闘記録再現実験を実施」
レイラが歯を食いしばる。
「さっきのやつか」
「うん」
「ひどい」
アステルが呟いた。
「死んでいない人の術式を、剥がして、別の体へ入れるなんて……」
セレスの声は低かった。
「人の尊厳を完全に無視しています」
ヴェスパーは拳を握りしめる。
指先に爪が食い込む。
だが、声は冷静だった。
「ガルムはどこに移された」
イリスは画面を探る。
「そこが欠けてる。ただ、移送記録がある」
表示が切り替わる。
【素体G-00、第一研究区画へ移送予定
護送責任者:ドラグニル
搬送経路:北部坑道深層
目的:器候補との適合再試験】
ヴェスパーの背中に冷たいものが走った。
ドラグニル。
第一研究区画。
器候補。
ガルムはさらに奥へ運ばれた。
ここにはもういない可能性が高い。
だが、痕跡は残っている。
そして、黒い翼はまだこの街を捨てていない。
「第一研究区画ってどこ?」
レイラが聞く。
イリスは首を横に振る。
「この地図にはない。グランヴェイルより北、もしくは地下深層の別施設かも」
ノアが突然、顔を上げた。
「北部坑道深層なら……知ってる」
全員がノアを見る。
ノアは少し怯えたように肩を縮めたが、続けた。
「街の北に、古い封鎖坑道がある。昔、深すぎて危ないから閉じられた場所。父さんが言ってた。あそこは、山の下をずっと北へ続いてるって」
イリスが端末を操作する。
「古い地図だと、北部坑道深層は途中で記録が消えてる。なるほど、黒い翼が使うにはちょうどいいね」
ヴェスパーは言った。
「そこへ行く」
セレスが即座に返す。
「今すぐではありません」
「分かっている」
その答えに、セレスは少しだけ驚いた。
レイラが嬉しそうに笑う。
「お、ちゃんと分かってる」
ヴェスパーは目を逸らす。
「戻る準備が必要だ。培養槽の人々も助ける」
ノアが顔を上げた。
「本当に?」
「ああ」
「ガルムさんを追う方が大事なんじゃないの」
その問いに、信号所の中が静かになった。
ノアは慌てたように視線を落とす。
「ごめん。変なこと言った」
「変じゃない」
ヴェスパーは答えた。
「少し前の俺なら、そうしていたかもしれない」
レイラは黙って彼を見た。
イリスも、セレスも、アステルも。
ヴェスパーは続ける。
「だが、ガルムは言った。追うなら、仲間を捨てるなと」
黒い金属片を手に取る。
そこには、まだわずかに黒い熱が残っている。
「なら、ここで助けられる者を置いていくわけにはいかない」
ノアの目が揺れた。
「……ありがとう」
ヴェスパーは短く頷いた。
「礼は、助けてからでいい」
ノアは涙を拭いて頷く。
「うん」
イリスはさらに記録を進めた。
「もう一つ、見てほしいものがある」
壁の映像が乱れる。
ノイズの奥から、録画映像が浮かび上がった。
白い研究室。
冷たい光。
中央には、仮面の男とは違う人物が立っていた。
白銀の髪。
細い眼鏡。
黒い翼の紋章が入った白い研究衣。
穏やかな表情。
だが、その目には温度がない。
映像の人物は、こちらに向けて軽く頭を下げた。
『記録番号、G-17。グランヴェイル器計画、進捗報告』
レイラが眉をひそめる。
「誰だ、こいつ」
イリスが答える。
「記録名は、オルディス」
セレスの表情が硬くなる。
「研究責任者……でしょうね」
映像の男――オルディスは、淡々と話し続ける。
『黒陽炎因子は、予想以上に扱いが難しい。素体G-00の抵抗により完全抽出は困難。だが、弟子個体の熱反応を用いることで、残滓の再活性化が可能であることが確認された』
ヴェスパーの目が細くなる。
映像の中のオルディスは、まるで医療記録でも読むように穏やかだった。
『弟子個体は、黒陽炎因子との親和性が高い。本人は自覚していないが、その熱操作は黒陽炎の初期形と酷似している』
アステルがヴェスパーを見る。
「酷似……」
レイラが低く言う。
「師弟だから似てるだけじゃないのか」
イリスの顔は険しい。
「そう思いたいけど、黒い翼はそれ以上の意味で見てる」
映像が続く。
『興味深いのは、弟子個体が単独行動時よりも、仲間を守る状況下で高い熱出力を示す点である。怒り、喪失、庇護対象の存在。これらは反応を大きく高める』
セレスが拳を握った。
「だから、ミロ君やノア君を……」
イリスが頷く。
「ヴェスパーを怒らせるため。守らせるため。反応を見るため」
レイラの声が低くなる。
「ふざけるなよ……」
映像のオルディスは穏やかなままだった。
『次段階では、弟子個体に選択負荷を与える。師を救うか、仲間を守るか。その分岐において、最大反応が得られると推測される』
信号所の空気が凍った。
選択負荷。
師を救うか。
仲間を守るか。
第一章の終わりから、すでに仕組まれていた。
いや、もっと前からかもしれない。
ヴェスパーは壁の映像を睨んだ。
オルディスは最後に、微笑みに近い表情を浮かべる。
『彼は良い器になる。黒陽炎の弟子としてではなく、灰の大災厄を越えるための、新たな核として』
映像が途切れた。
沈黙。
風が壊れた窓から入り込み、古い書類を揺らす。
ノアは震える声で言った。
「ヴェスパーを……作り替えるつもりなの?」
イリスは答えなかった。
セレスが代わりに言う。
「そうさせません」
短い言葉だった。
だが、強かった。
レイラは戦斧の柄を握りしめた。
「当たり前だ。誰がそんなことさせるか」
アステルも静かに頷く。
「道具にされる苦しさは、知っています。だから、止めます」
ノアは木彫りの狼を握った。
「僕も……手伝う」
ヴェスパーは仲間たちを見た。
自分を狙う計画。
自分を器にする計画。
それを聞いても、誰も離れようとしなかった。
むしろ、近くに立っている。
それが、少しだけ苦しかった。
そして、温かかった。
「巻き込むことになる」
ヴェスパーは言った。
レイラが即答する。
「もう巻き込まれてる」
イリスも肩をすくめる。
「今さらだね」
セレスが静かに言う。
「患者を放置する医者はいません」
アステルも続ける。
「私がここにいると決めました」
ノアは少し遅れて、小さく言った。
「僕は、街を助けたい。そのために、一緒に行く」
ヴェスパーはしばらく黙った。
そして、黒い金属片を握りしめる。
「分かった」
その一言だけだった。
だが、それで十分だった。
作戦はすぐに組まれた。
イリスが地図を広げ、ノアが音で知っている道を補足する。
セレスは培養槽の人々を救出するために必要な薬品と手順を確認する。
アステルは施設内で使える術式を最小限に絞る。
レイラは脱出路の確保を担当する。
ヴェスパーは黒い翼の巡回と模造体の残存反応に備える。
救出対象は、少なくとも九人。
全員を一度に運び出すのは難しい。
だから、まずは生体維持装置を安定させる。
次に、動ける者から排水路へ出す。
動けない者は、旧信号所近くの鉱山列車庫へ運ぶ。
そこなら一時的に隠せる。
ノアは線路図を見ながら言った。
「昔の救護車両が残ってるかも。父さんが、事故の時に使うって言ってた」
イリスが頷く。
「それが使えれば搬送できる」
セレスが言う。
「薬品が足りません。最低限の処置ならできますが、結晶化を止めるには灰都の診療所か、白砂都市ルミナ級の設備が必要です」
レイラが腕を組む。
「つまり、助け出しても終わりじゃないってことか」
「はい」
「なら、そこまで運ぶ」
レイラの答えは単純だった。
だが、迷いはなかった。
その時、ノアの耳がぴくりと動いた。
彼は窓の外を見る。
「……音がする」
全員が動きを止める。
ヴェスパーが剣に手をかける。
「敵か」
ノアは耳を澄ませる。
「街の方から。車輪の音……いや、鉱山列車」
イリスが端末を確認する。
「まずい。地下から地上へ搬送路が動いてる」
「搬送?」
セレスの顔が強張る。
「培養槽の人たちですか」
イリスは画面を見て、舌打ちした。
「記録にタイマーが残ってる。今夜、被験体を移送する予定だったみたい」
ノアの顔が青ざめる。
「どこへ?」
イリスは表示を拡大する。
「北部坑道深層。第一研究区画方面」
ヴェスパーは立ち上がった。
「今夜まで待てない」
セレスも頷く。
「移送されれば、追跡も救出も難しくなります」
レイラが戦斧を担ぐ。
「なら、予定変更だな」
イリスは地図に印をつけた。
「搬送用の鉱山列車は、中央鉱区から北側の線路を通る。信号所を経由する可能性が高い」
ノアが線路図を見て、目を見開いた。
「ここを通る」
全員の視線が、足元の古い線路へ向いた。
信号所。
それは隠れ家であると同時に、搬送路の要所だった。
黒い翼は、被験体をここを通して北へ運ぶ。
ならば。
ここで止められる。
ヴェスパーは言った。
「列車を止める」
イリスが頷く。
「信号制御を乗っ取れば、減速させられるかも」
レイラが笑う。
「止まらなかったら?」
「力ずくで止める」
ヴェスパーが答えた。
レイラの笑みが深くなる。
「いいね。分かりやすい」
セレスは薬品をまとめ始める。
「列車内に被験者がいるなら、戦闘時の衝撃を最小限にしてください」
「難しい注文だな」
「必要な注文です」
「はい」
アステルは静かに手を握った。
「私は、車両が脱線しないよう重圧で支えます」
セレスがすぐに見る。
「無理は」
「短く、必要な時だけ」
アステルは先に言った。
セレスは少しだけ驚き、それから頷いた。
「なら、許可します」
ノアは震えていた。
だが、逃げ出しはしなかった。
「僕、線路の切り替えを知ってる」
イリスが驚く。
「扱えるの?」
「少しだけ。父さんが教えてくれた。非常時に使うなって言われてたけど」
レイラが笑う。
「今が非常時だ」
ノアは強く頷いた。
「うん」
ヴェスパーは窓の外を見た。
白い荒野の向こう、廃坑都市の地下から低い音が響いている。
遠く。
しかし、確実に近付いてくる。
鉱山列車の車輪の音。
黒い翼の搬送隊。
被験体。
グランヴェイルの生き残り。
ガルムへ繋がる道。
すべてが、この信号所へ向かっている。
イリスが端末を起動する。
レイラが戦斧を握る。
セレスが薬品を整える。
アステルが深く息を吸う。
ノアが古い線路切替機へ手を伸ばす。
ヴェスパーは剣を抜いた。
「ここで止める」
冷たい風が、壊れた窓から吹き込んだ。
遠くで、列車の警笛が鳴る。
それは、獣の咆哮のように白い荒野へ響き渡った。
黒い翼の移送列車が、灰雪を裂いて近付いてくる。




