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灰の星  作者: ウルフルマル


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第2章 第6話 「黒い坑道」

主坑道の中は、外の世界とは別の冷たさを持っていた。


白い荒野の風は肌を刺す冷たさだった。


だが、この坑道の冷気は違う。


湿っていて、重く、肺の奥に沈む。


まるで大地そのものの中へ降りていくような感覚だった。


壁には古い支柱が並び、錆びた鉱山灯が青白く点滅している。


足元には、鉱石運搬用の線路が続いていた。


途中で歪み、ところどころ結晶に呑まれている。


ノアはその線路の横を慎重に歩いていた。


大きな耳が何度も動く。


「左の坑道はだめ」


ノアが小さく言った。


「奥で崩れてる。風の音が返ってこない」


イリスが端末の地図を確認する。


「地図だと左が近道だけど」


「だめ。前に近所のおじさんが入って、戻ってこなかった」


レイラが眉をひそめる。


「なら右だな」


ヴェスパーも頷いた。


「ノアの耳を信じる」


ノアは少しだけ驚いた顔をした。


「……本当に?」


「ああ」


「地図より?」


「この場所では、お前の方が正確だ」


ノアは視線を逸らした。


でも、その耳が少しだけ上を向いた。


「じゃあ、右」


六人は右側の坑道へ進んだ。


坑道の奥へ行くほど、青白い結晶は増えていった。


壁の隙間。


天井の梁。


線路の上。


まるで大地の傷口から、異質な鉱石が染み出しているようだった。


セレスは結晶に近付きすぎないよう注意しながら、空気中の粉を確認する。


「濃度が上がっています。マスクを外さないでください」


レイラは面倒そうに頷く。


「分かってる」


「返事が雑です」


「分かってます」


「よろしいです」


イリスが小声で笑った。


「もう完全に隊長よりセレスの方が強いね」


「誰が隊長だ」


ヴェスパーが返す。


「違うの?」


「違う」


レイラが笑う。


「じゃあ誰が隊長なんだ?」


セレスが淡々と言う。


「今のところ、医療判断に関しては私です」


「ほら、隊長だ」


「医療隊長です」


アステルが小さく笑った。


その声は坑道の中にほんの少しだけ温かさを作った。


しかし、その直後。


アステルの笑みが消える。


「……重いです」


ヴェスパーが立ち止まる。


「術式か」


「はい。奥から流れてきています。私を塔に繋いでいたものと、少し似ています」


セレスの表情が険しくなる。


「黒い翼の術式装置ですね」


イリスは端末の感度を上げた。


「奥に動力反応あり。かなり大きい」


ノアが布包みを抱きしめる。


「あそこだ」


「研究施設か」


ノアは頷いた。


「主坑道の奥に、昔の採掘中枢がある。黒い翼はそこを使ってる」


ヴェスパーは坑道の奥を見つめた。


暗闇の先。


青白い光。


そして、その奥に薄く揺れる黒い熱。


黒陽炎の痕跡は、確かに続いている。


しばらく進むと、坑道は広い空間へ出た。


そこは古い採掘場だった。


高い天井。


巨大な支柱。


何層にも分かれた作業足場。


中央には、巨大な穴が開いている。


深い縦坑。


底は見えない。


縦坑の周囲には、古い昇降機が止まっていた。


錆びた鉄の籠。


切れかけたワイヤー。


その周囲に、黒い翼のものと思われる新しいケーブルが張り巡らされている。


イリスが顔をしかめた。


「古代設備を無理やり再起動してる」


「使えるのか?」


レイラが聞く。


「普通は使いたくない。でも黒い翼なら使う」


ノアが縦坑を見下ろす。


「下に行くなら、昇降機を使うしかない」


「落ちないよな?」


レイラが言う。


イリスはワイヤーを見た。


「落ちないとは言い切れないね」


「言い切ってほしかった」


セレスは縦坑の下から吹き上がる空気を調べる。


「結晶粉が多いです。それに……血の匂いがします」


アステルが静かに息を呑む。


ノアの顔も強張った。


ヴェスパーは昇降機の近くへ行き、制御盤を見た。


そこには黒い翼の紋章が刻まれた小型端末が接続されている。


イリスが隣にしゃがんだ。


「解除する。少し待って」


「罠は?」


「あると思ってる」


「なら慎重に」


「もちろん」


イリスは端末を接続した。


数秒後、彼女の表情が変わる。


「……やっぱりあった」


「何だ」


「昇降機を動かした瞬間、警報が鳴る仕組み。あと、下の区画に通知が飛ぶ」


レイラが戦斧を握る。


「じゃあ敵が来るのか」


「動かせばね」


「他の道は?」


ノアが首を横に振る。


「昔は非常階段があった。でも、崩れてる」


ヴェスパーは縦坑を見下ろした。


深い。


下からは青白い光がわずかに漏れている。


ガルムの痕跡も、下へ続いている。


「警報を切れるか」


イリスは端末を操作しながら答える。


「完全には無理。でも、通知先をずらせる」


「ずらす?」


「黒い翼には、別の区画で異常が起きたように見せる。こっちに来るまでの時間を稼げる」


「頼む」


「頼まれた」


イリスの指が素早く動く。


古い制御盤が低く唸り始めた。


昇降機の鉱山灯が一つ、また一つと灯る。


ノアが不安そうに耳を動かした。


「音が大きい」


「動けば気付かれる」


ヴェスパーは剣を抜いた。


「全員、乗れ」


六人は昇降機へ乗り込んだ。


鉄の床が軋む。


レイラが足元を見る。


「本当に大丈夫か、これ」


イリスは笑顔で言った。


「大丈夫だったらいいな」


「今のなしにしてくれ」


昇降機が動き出した。


ゆっくりと。


縦坑の下へ。


鉄の籠が黒い穴へ沈んでいく。


上の光が遠ざかる。


周囲の壁には、結晶が無数に生えていた。


青白い光が、昇降機の鉄格子越しに六人の顔を照らす。


ノアは黙って布包みを抱きしめている。


アステルは手すりを握り、呼吸を整えていた。


セレスが彼女の様子を見て声をかける。


「気分は?」


「少し、重いです。でも、まだ大丈夫です」


「無理はしないでください」


「はい」


レイラが縦坑の壁を見ながら呟く。


「この結晶、全部人に関係あるのか?」


セレスは少し沈黙した。


「すべてではないと思います。ですが、人工的に増殖させた痕跡があります」


イリスが補足する。


「黒い翼は結晶化を利用してる。病気でも災害でもなく、兵器や術式媒体としてね」


ノアの声が震えた。


「みんな、鉱山病だって言われてた」


「鉱山病?」


「最初は、鉱石の粉を吸ったせいだって。だから外の人には言うなって。街が閉鎖されたら仕事がなくなるからって」


セレスの目が細くなる。


「情報を隠したんですね」


ノアは頷いた。


「それから、黒い翼が来た。治療するって言って。でも、治らなかった。治すんじゃなくて……選んでた」


「選んでいた?」


ヴェスパーが聞く。


ノアは小さく言った。


「結晶になっても動ける人。術に耐えられる人。強い人。弱い人は、捨てられた」


昇降機の中が静まり返った。


レイラの拳が震える。


「最低だな」


「はい」


セレスの声は静かだった。


だが、その静けさは怒りの形をしていた。


「必ず記録します。そして、止めます」


ノアはセレスを見た。


その目にはまだ不安があった。


でも、ほんの少しだけ信じたいという光もあった。


昇降機が止まった。


深い地下。


そこには、人工的に広げられた巨大な空間があった。


採掘場の底に作られた、黒い翼の施設。


古代の採掘装置と、黒い翼の術式機械が混ざり合っている。


壁には太いケーブル。


床には結晶の管。


天井からは培養槽のような透明な筒が吊られている。


その中に、人影が浮かんでいた。


レイラが息を呑む。


「……人か?」


セレスが近付こうとする。


ヴェスパーが手で止めた。


「罠かもしれない」


「分かっています。でも確認します」


セレスは慎重に培養槽へ近付いた。


中には、若い鉱山労働者らしき男が入っていた。


体の半分が結晶に覆われている。


胸元には青白い核のようなもの。


しかし、完全に死んでいるわけではない。


微かな熱がある。


「生きています」


セレスの声が震えた。


「まだ、生きています」


ノアが顔を上げた。


「誰……?」


彼は培養槽に近付き、目を見開いた。


「カイルさん……」


知り合いだった。


イリスは端末で槽の制御装置を解析する。


「生命維持と術式安定化。黒い翼はこの人たちを保存してる」


「保存?」


アステルが顔を曇らせる。


その言葉は、彼女自身にも突き刺さった。


術式核として保存されていた過去。


自分の意志を奪われ、機械の部品のように扱われた記憶。


セレスは培養槽を睨む。


「人間を、材料のように」


イリスの端末に文字列が流れる。


「記録が残ってる。読み上げるよ」


彼女の声が硬くなる。


「グランヴェイル被験体群。結晶化適応者、二十七名。術式媒介安定者、九名。黒陽炎因子との融合候補、三名」


ヴェスパーの目が細くなった。


「黒陽炎因子」


「出たね」


イリスはさらに読み進める。


「対象ガルムより抽出された残滓は、不完全ながら高い熱干渉能力を示す。器への移植には、結晶化による肉体補強が必要」


レイラが低く唸る。


「ガルムさんから……抜き取ったってことか」


ヴェスパーは黙っていた。


だが、その手は剣の柄を強く握っている。


イリスは続けた。


「現在、器候補は不安定。黒陽炎残滓単体では定着せず。追加熱源として、弟子個体の反応を確認する必要あり」


空気が止まった。


弟子個体。


それが誰を指すのか、考えるまでもなかった。


ヴェスパー。


彼自身だ。


アステルが小さく息を呑む。


セレスの表情も険しくなる。


レイラが一歩前へ出た。


「つまり、こいつら最初からヴェスパーを狙って……」


「そういうことだろうな」


ヴェスパーの声は低かった。


怒りはある。


だが、それ以上に冷えていた。


黒い翼は、ガルムを素材にした。


そして、今度は自分を使って器を完成させようとしている。


第一章で起きたことも。


旧水路も。


観測塔も。


下層街の襲撃も。


すべて、自分の反応を見るためだったのかもしれない。


ノアが震える声で言った。


「器って、何?」


誰もすぐには答えられなかった。


イリスがさらに記録を読む。


「大災厄再現環境における生存器官。黒陽炎因子、重圧術式核、結晶化媒介、竜熱耐性を統合し――」


そこで、端末にノイズが走った。


文字が乱れる。


イリスが顔をしかめる。


「ロックがかかった。ここから先は上位権限が必要」


「解除できるか」


ヴェスパーが聞く。


「時間があれば。でも今は――」


その時。


施設の奥で、赤い光が灯った。


警報音が鳴る。


低く、重く、地下全体に響く音。


イリスが舌打ちする。


「ずらした警報が戻された」


「敵か」


レイラが戦斧を構える。


「来る」


ノアの耳が震えた。


「足音……多い。でも、それだけじゃない」


アステルが青ざめる。


「奥に、強い術式があります」


ヴェスパーは施設の奥を見る。


暗闇の向こう。


青白い光の中。


黒い影が一つ、揺れた。


人の形。


長い外套。


大剣のような武器。


ヴェスパーの呼吸が止まる。


一瞬、ガルムに見えた。


だが違う。


熱が違う。


荒い。


歪んでいる。


人のものではない。


それでも、その姿はあまりにも似ていた。


レイラが低く言う。


「ヴェスパー」


「分かっている」


影が一歩、光の中へ出た。


黒い外套。


傷だらけの大剣。


顔は仮面で覆われている。


仮面の隙間から、黒く揺れる陽炎のようなものが漏れていた。


イリスが端末を見て、声を失う。


「熱反応……ガルムさんの記録と一致率が高い。でも、本人じゃない」


セレスが険しい顔で言う。


「模造体……」


ノアが怯えて後ずさる。


「それ、地下で見た……黒い火……」


影は大剣を引きずりながら進む。


床に火花が散る。


青白い結晶の光の中で、黒い陽炎だけが異様に揺れていた。


そして、壊れた声が地下に響いた。


「対象……確認」


ヴェスパーは剣を抜いた。


影の仮面が、ゆっくりとこちらを向く。


「黒陽炎因子、反応」


黒い熱が広がる。


空間が歪む。


ヴェスパーの蜃気楼とは違う。


もっと荒く、もっと暗く、視界そのものを焼くような歪み。


ヴェスパーの胸の奥で、記憶が疼いた。


訓練の夜。


砂漠の風。


無口な師。


黒い陽炎。


――目に頼るな。


――熱を読め。


――生きろ。


レイラが叫ぶ。


「惑わされるな! あれはガルムさんじゃない!」


ヴェスパーは奥歯を噛んだ。


分かっている。


分かっているはずだった。


それでも、剣を構える手がわずかに震えた。


模造体が大剣を持ち上げる。


黒い陽炎が刃にまとわりついた。


「弟子個体……回収」


施設の奥から、結晶兵たちの足音が近付いてくる。


背後には培養槽。


中にはまだ生きている人々。


ノアの知り合い。


グランヴェイルの住民。


ここで戦えば、すべてが壊れるかもしれない。


だが、退けば黒い翼に奪われる。


ヴェスパーは息を吸った。


「レイラ、前を押さえろ」


「任せろ」


「イリス、培養槽の制御を探れ」


「了解」


「セレス、救える者を見極めてくれ」


「分かりました」


「アステル、無理はするな。ノアを守れ」


アステルは一瞬だけ不安そうにした。


でも、すぐに頷いた。


「はい」


ノアが震える声で言う。


「僕も……」


ヴェスパーは彼を見た。


「お前は道を聞け」


「道?」


「逃げ道だ。音で探せ」


ノアの耳が立つ。


ヴェスパーは続けた。


「この施設から、生きて出るための道を探せ。それがお前の役目だ」


ノアの目が大きく揺れた。


恐怖の中に、小さな火が灯る。


「……分かった」


模造体が踏み込んだ。


大剣が振り下ろされる。


ヴェスパーは剣で受けた。


重い。


腕が痺れる。


黒い陽炎が視界を焼く。


目の前の影が、一瞬だけガルムに見える。


「っ……!」


レイラが横から戦斧を叩き込む。


「しっかりしろ、ヴェスパー!」


模造体は斧を受け、ほとんど動かない。


その仮面の奥で、黒い炎が揺れた。


「黒陽炎……再現率、上昇」


イリスが叫ぶ。


「長く戦うほど反応が強くなる! ヴェスパーの熱に合わせてる!」


セレスの顔が険しくなる。


「つまり、ヴェスパーさんを使って完成しようとしている……!」


ヴェスパーは模造体を睨んだ。


目の前の敵は、ガルムではない。


だが、ガルムの一部を使われている。


このまま戦えば、黒い翼の思う壺かもしれない。


それでも、止めるしかない。


模造体の大剣が再び上がる。


黒い陽炎が、坑道の闇を揺らした。


ヴェスパーは剣を構える。


「来い」


その声は、低く静かだった。


だが、胸の奥では怒りが燃えていた。


師の影を。


人の命を。


仲間を。


すべて素材として扱う黒い翼を、許すわけにはいかなかった。


黒い坑道の底で、蜃気楼の牙と黒陽炎の模造体が激突する。


地下施設の青白い光が、激しく揺れた。

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