急な仕事
森の中、ルカが中腰でゆっくりと後ずさっていた。
その額にはじっとりとした汗が滴っている。
今が雨季ということもあるが、最大の原因は目の前の存在。
彼の前方には2メートル超という大きさの熊。
息を荒げ、ゆっくりと旋回しながら距離を詰めてくる。
熊の歩みが速まり、目の前の獲物に襲い掛かろうと走り出した瞬間。
頭上から一人の男が飛び降り、手に持っている武器を熊の眉間へと叩き付けた。
その一撃で鮮血が飛び散るものの、頭蓋を砕くには至らない。
熊は乱入者の攻撃にひるんだが、すぐに立ち直り、男に向かって右前足を振り下ろす。
男はそれを潜るように避けつつ熊の懐に入り、すれ違いざまにその喉元を切り裂いた。
暴れ狂う熊。
だがその動きも徐々に弱まり、やがて地に倒れ伏した。
男がルカの方に振り返った。
浅黒い肌に長めの銀髪、彫刻のように整った顔立ちと体格。
肌の露出している左半身の所々に、幾何学的なタトゥーが彫られている。
「はぁー、しんどい。
ルカ、だいじょぶ?」
両手に握った二本の内反り刀──ククリを、それぞれの鞘へと納めながら話しかけてくる。
外見と比べると少々軽い口調。
ルカは現在この男、イビアドゥンと外界を探索していた。
「大丈夫です。
心臓に悪かったですけど」
「鬼気迫る見事な囮役だったよー。
こうなる前にコイツが逃げてくれたらよかったんだけど」
探索中、早い段階で熊の存在に気付いた。
逃走することに期待して大きな音を立てたが、近付いてきてしまった。
先程の流れはその後の対応。
初撃で軽い傷を負わせて撤退させようと試みた。
結果としては徹底抗戦の構えを取られてしまったが。
「やけに興奮してましたね」
「それな。
殺す必要はなかったけど、そろそろ目的地だろうし邪魔されても困るし」
そう言って死骸に向かって合掌している。
今回の目的は、この周辺で目撃されたゴブリンの調査、そして可能であれば掃討。
ゴブリン自体は比較的どこにでも生息している敵性亜人で、珍しい相手ではない。
だが、この辺りは魔族の生息域であり、ゴブリンを見掛けることは少ない。
魔族を退けるほどの集落が形成されたのではないかと懸念された。
「それにしても、村に着いて早々ゴブリン退治に駆り出されるとかツイてないっしょ…」
イビーの言う通り、彼が村に着いてすぐに村長からこの仕事を振られた。
そしてルカと軽い顔合わせをし、そのまま彼と同行して現在に至る。
つまり、ルカとしても寝耳に水の仕事だった。
「そういやキミはゴブリン殺したことある?」
「…いえ、自分でやったことはないですね」
「そっか。
あんなんでも人の形してるから、結構抵抗あるかも。
数次第じゃ全部オレがやってもいいけど、今後を考えると慣れといた方がいいね。
まあ覚悟しとくべし」
初対面も同然の状態だったため少々不安だったが、その手際は流石の一言である。
特に警戒する様子もなく先に進む割に、ルカよりも早く正確に周囲の存在を感知する。
避けられる戦闘は避け、そうでなければルカに射撃を指示するか自身で対処。
先ほどの熊についても、その気であれば初撃で命を絶っていただろう。
「んじゃ行こっか。
ここからは少し気を付けていこう」
「はい、イビーさん」
軽い足取りで歩きだすイビーの後にルカが続く。
相手の人となりがわからず気まずさを感じていたルカだが、対するイビーは気楽なものだ。
緩い態度で話しかけてくれるため、徐々に緊張も解れてくる。
空が曇っていることもあり、森の中はいっそう鬱蒼として見えている。
足元と周囲に気を配りながら歩くこと少々。
「あれっぽいかなー」
イビーの声に顔を上げる。
視線の先には開けた空間があり、そこに焚火の跡を囲っている三体のゴブリンがいた。
その奥の崖には洞窟のような穴が開いている。
「あ…
イビーさん、あれ…」
「ん?」
ルカが指を差したのは、彼らから見てゴブリンたちの奥。
そこにはむごたらしく食い散らかされた生物の残骸が散らばっている。
「あー…
もしかして、サイズ的にさっきの熊の子供だったり…?」
「多分そうじゃないですかね…
だからあんなに興奮してたんじゃないかと」
イビーは頭を掻きながら大きなため息を吐く。
ルカも、後味の悪さから胃の奥が少し重くなった。
「もしそうなら可哀そうなことしたなぁ。
せめて仇を取ってやるとしよっか。
親の方の仇はオマエだろって突っ込みはナシね」
小さく笑いながら、見つからないように木陰に身を隠し、距離を詰めていく。
ルカも戦闘に備え、装備を握りしめた。




