メイドの土産
冒険者ギルド アランダ支部の二階、村長の執務室に、二人の来訪者があった。
「お初にお目にかかります。
私、魔術師ギルドから派遣されました、カテリーナ・ムルドラクと申します。
こちらは同所属のクヴィス、私の補佐を務めてもらっています」
二十歳前後の女性が、優雅に一礼する。
金色に煌めく長い髪に宝石のような碧眼。
仕立ての良いローブを身にまとっている。
後ろに控えている小柄な青年も、続いて頭を垂れた。
くすんだ赤毛に大きな垂れ目。
人懐こそうな微笑をたたえている。
「ご足労いただき恐縮です。
私はここで村長を務めている者です。
諸事情により名を伏せているため、失礼ですがそのまま村長と呼んでいただけると」
迎えているのはアランダの村長。
相変わらず胡散臭い笑顔での対応だ。
「ええ、ご事情は承知しています」
ルクシャーナの交渉、および魔獣騒ぎから三ヶ月弱が経過した頃。
かねてから話のあった、魔術師ギルドからの教師役が、アランダへと到着していた。
「早速で恐縮ですが、荷物が大量にあるため、早々に片付けたく。
どちらに運べばよろしいでしょうか」
「南側に、以前辺境騎士団が使っていた建物があります。
少し前まで物置としていましたが、片づけを済ませていますので、そちらを使っていただこうかと。
一階の人間に手伝うよう言いつけていますので、そちらにお声がけください」
「ありがとうございます。
クヴィス、お願い」
指示を受け、クヴィスと名乗った男は再び深く頭を下げると、部屋を出て行った。
「それにしても、随分と早くお越しいただけたものですね」
ルクシャーナでの交渉から、妨害を仕掛けていた者への対応に二ヵ月を要した。
そこから一月足らずで、彼女たちが到着したことになる。
「そうなるよう、貴方が手を回していたのでしょう。
それに、私がこちらに派遣される候補だったこと自体は、前々から聞き及んでいました」
「おっと、そうでしたか」
「それと、私に対して敬語を使うことはお止めください」
「は?
いや、しかし……」
「貴族といえど下級、それも末席を汚す身。
それに、この村の貴族に対する印象は芳しくないと聞き及んでいます。
一般の身分として扱ってくださると、こちらとしても助かりますわ。
私の名も、村の皆々様には、ただの『カティ』と紹介してくださるかしら」
「……」
この装い、この振る舞い。
それらはこの後直せばいいのかもしれないが。
彼女はこの村へは上流階級向けの馬車複数台を引き連れてきており、既に大きく目を引いている。
既に企画倒れだと思うが、村長は相手の意見を尊重することにした。
「……わかった、それがお望みならな。
で、そっちの状況は?
現状を見る限りは、順調そうだが」
「ええ。
内通者については粗方見当をつけていて、これから各々精査する予定です。
そちらは?」
「こっちも大体準備はできてる。
言われれば、すぐに動ける状態だ」
「重畳です。
では私は、契約通り教会の孤児たちに魔術の基礎を教えれば?」
「ああ、そうしてもらえると助かる。
エルディナってシスターの婆さんが代表だから、詳細はその人と詰めてくれ」
「承知しました」
そこで会話が途切れる。
この場で話す必要がある事柄については一段落か。
「それじゃ、よければ軽く村を案内させてもらおう」
村長がそう切り出し、席を立とうとするが──。
「お待ちください」
カティが引き留める。
「個人的にお願いしていた件はどうなりました?」
「ん?
ああ、この村の魔術を使える連中に、渡りをつけてほしいって話か」
「はい。
はっきり申し上げますが、このような僻地に派遣されたことに、不満がないわけではありません。
ここの魔術師の皆さんは、独特な魔術をお使いになると耳に挟んでいます。
その深奥まで教えてほしいなどとは言いません。
見せられる範囲、教えられる範囲でお願いできれば、と。
それだけを楽しみに、この地へと足を運んだのです」
よよよ、と泣き崩れる。
「すまんすまん、忘れていたわけじゃない。
説明すると、今村にいる魔術師で儂が口を利けるのは四人。
うち一人は未熟者だが。
一応それぞれに話は付けてある。
後は二人、今は余所に出てるが、そいつらも村に寄り次第、話をしてみる」
話を付けた魔術師には、ロザリーも入っている。
彼女の魔術を見せるべきかは迷ったが、隠しておくことも難しい。
ならあらかじめ見せ方を決めて、それらしく見せた方がいい、という判断だった。
「まあ、ありがとうございます!」
満面の笑顔が眩しい。
まだ腹の底は見えないが、付き合いやすそうな人物ではありそうだ。
「ただ、二つ条件がある。
一つ目は当然、情報を外に漏らさないこと。
どこまで見せるかは本人に任せてはいるが、余計なリスクは避けたいからな。
うちの連中はぶっ飛んでるのが多い。
もしそっちが原因で情報が漏れた場合、その身の安全は保証しかねる」
「当然のことです。
魔術に関わる者として、そのような背信をしないことを誓いますわ」
この忠告は誇張ではなく、むしろ控えめなくらいだが。
本人がこう言っているのだから大丈夫か。
「二つ目は、時間があるときでいいんで、魔術を教えてやってほしい奴がいる。
さっきも言った、未熟な奴だ。
スランプに陥ってるらしい。
余談だが、まじめな奴でな。
他の奴も気にかけてて、そいつに教えてくれるなら自分の術を見せるって言われてる」
「そう言われて断る理由もありませんが……
魔術学校でも、スランプのままその道が断たれる生徒は少なくありません。
私が教えられる範囲であれば、ということでよろしければ」
「もちろんそれで構わん。
それに、さっきのクヴィスという連れに雑用全てを押し付けるのも負担が大きいだろう。
修行ついでに、そいつをこき使って構わない」
「まあ。
そういうことであれば、お言葉に甘えます」
ルカ待望の魔術教師の到着。
それに伴い、本人の知らぬところで仕事が増やされていた。
「ルカです。
魔術の指導役を引き受けてくださり、ありがとうございます!」
腰を曲げ、最敬礼するルカ。
カティたちがアランダへと到着した二日後の午後。
引っ越し作業が一段落したということで、ルカは旧物置へと呼び出されていた。
しばらく前まで物置として使われていた場所。
元は辺境騎士団が会議などの際に使用していた建物だったらしい。
それだけあって、物置扱いだったのが不思議なほど、しっかりとした造りをしている。
遠方からの客に物置を宛がうとは何事かと思っていたが、杞憂だったようだ。
当の本人も、気にしていないように見える。
一週間ほど前に大掃除が行われ、その時に散乱していた荷物は全て撤去されていたのだが。
それが現在、従来以上に所狭しと物が散らばっている。
大量の本棚、それに収まらず積み上げられている本、よくわからない実験道具、その他諸々。
そんな中で小さく確保された空間に座っていたカティも、立ち上がって礼をする。
「カティと申します。
私の補佐も一人いるのだけれど、今は報告のために魔術師ギルドに戻らせています。
そちらの紹介はまた次の機会とさせてください」
「いえ、お気になさらず!」
「そう畏まらず。
そんな調子では、すぐに疲れてしまいますわ」
「は、はい……」
そう言われはするものの。
身なり、そぶり、周囲のお高そうな物品の数々。
魔術師ギルド員が高給取りだとしても、彼女の年齢を踏まえると限度がある。
どう見ても上流階級の人だ。
「ご存じのように、村長さんから貴方のことを任されました。
それではルカさん。
魔術でスランプに陥っていると聞いていますが、まずはその経緯について聞かせていただけるかしら。
もちろん、内容については他言いたしません」
ルカは迷ったが、記憶喪失も含めて全て伝えることにした。
十二歳以前の記憶がないこと。
計二度の事故で意識を失った際、無意識に魔術が発動したこと。
一度目の事故の後、感覚的に魔術を使えるようになったこと。
その後は、以前から母に危険性を言い聞かされていたため、魔術について避けていたこと。
二度目の事故の後から、魔術について修行を始めたこと。
色々と試したが、苦手意識ができ、元のように魔術が使えなくなってしまったこと。
カティは黙ったまま、その一つ一つに頷いていた。
「推測になりますが。
お話を伺った限りでは、貴方は記憶喪失以前に魔術を使えていたのでしょうね。
それをお母様はご存じだったはず。
そして、貴方かお母様、あるいは双方にとって、魔術が使えることで不利益か不都合が生じていた」
「……僕も、そう思います」
その不利益か不都合が、何なのかはわからない。
もしかすると、母の体が弱かった原因も……
知らず、渋い顔をしてしまうルカ。
「気分を害したようでしたら申し訳ありません」
「いえ、答え合わせをしてもらってるようで、むしろありがたいです」
「そうですか。
今は魔術に対する理解も進んでいますが、まだ前時代的な見方の残る地域も多いですからね」
彼女はそう言い、椅子に背を預けて目を瞑った。
「お話の後半、魔術について様々なアプローチ、考察を行ったこと。
それを機にスランプに陥った、と。
多少経緯は異なりますが、これ自体は珍しくないことです」
「え、そうなんですか?」
「ええ。
むしろ私も含め、大半の魔術師が経験しています。
とはいえ、それはほぼ幼少期、それも無意識に起こるもの。
多くの子は、そこで魔術が使えなくなり、そのまま生活していくのです。
自分が使っていた魔術をそれと認識せず、幼少期の思い込みだったと切り捨てて。
貴方くらいの年齢で起こるケースは稀ですが、事例がないわけではありません。
貴方の場合は記憶喪失が関係しているのでしょうけれど、それは私の知見では推し量れませんわね」
そして目を開けて立ち上がる。
「ここからスランプを治せるかは貴方個人の資質にもよるので、何とも言えませんけれど。
まずは、一般的な矯正方法を試すことにしましょう」
「お願いします……!」
多少事情が異なるとはいえ、このスランプが珍しくないケースだということ。
治せるかは不明だが、その対処法自体はカティが知っていることに安堵する。
カティは積み上がった本の山の前で座り込み、何かを探している。
「確かこの辺りにまとめていたはず……
ああ、これですわ」
目的のものを見つけたのか、二冊の本を抱えて立ち上がり、ルカへと手渡してくる。
タイトルを見ると……『はじめての化学』『錬金術入門』。
「文字は読めますわね?
化学の方は丸暗記するまで、錬金術は参考程度に読んでください。
そうしたら、またお声がけくださいな」
魔術に関する本だと思っていたら、全く違うものだった。
少々面食らったものの、専門家の指示だ。
まずは言われた通りにしよう。
「わかりました。
お忙しいところありがとうございました」
「いえいえ、情けは人の為ならず。
ということで、ここの片付けを手伝ってくださるかしら。
補佐の者がおらず、滞っていますの」
「はい、任せてください!」
「助かりますわ、元気があってよろしいわね」
彼女の片付けを手伝うこと三日。
ルカが本に手を付けたのは、渡されてから三日後の夜からだった。
ルカが先日渡された二冊の本を暗記……とまではいかずとも、熟読し終えた翌日。
実際に魔術を使うため、カティと共に村の西にある、木々に囲まれた小さな広場にやって来ていた。
「貴方は火の魔術を使っていたそうですわね。
まずは、これまで通りにそれを実践してください」
指示に従い、右手の人差し指を立て、その先に火が燃えている状態を思い描く。
数秒集中してイメージを膨らませて、溜めた力を解き放つ。
ボボッ……
火は発生したが、不安定に揺らめき、三秒も持たずに消えてしまった。
「すみません、今はこんな状態です……」
「わかりました。
詳細は後程ご説明しますが、今の貴方の魔術の使い方は少数派のもの。
それが貴方に合わなくなりつつあるため、現状に至っています。
ここからは、一般的な方法について実践してみましょう。
まずは、お渡しした本の内容についての確認です。
燃焼の原理については頭に入っているかしら」
「はい。
えっと……燃焼の三要素、可燃物と酸素と熱。
可燃物を加熱して分解されたガスに酸素が反応して、熱と光が出る現象……でしたっけ」
良くできましたと、カティが小さく拍手する。
彼女の言う通り、火の魔術を元々は使えていた。
そのため、興味を引かれたこともあり、燃焼についてはしっかりと記憶に定着していた。
「では……ルカさん、そこの枝を拾っていただけるかしら」
指示された枝を拾い上げる。
何の変哲もない、この辺りに群生しているアルド樹の枯れ枝。
「この時点で貴方の手に、可燃物と酸素が揃ったことになります。
可燃物はその枝、酸素は空気中に散らばっているものですが。
ということで三要素の最後、熱を魔術でその枝に発生させ、枝が燃えることをイメージしてください」
言われた通り、枝の先端に熱を起こすイメージを発現させる。
着火。
今度は可燃物という下地もあり、安定して燃え続け、枝が徐々に炭に変わっていく。
とはいえ、やり方は異なるがこの程度はスランプ後でもできていたことだ。
「よろしい、その火は消してください。
次は少々難しくなりますが、魔術で可燃物を用意してみましょう。
今回は空気中の塵、水蒸気、微粒子を指先に集めるイメージで」
見えないものをイメージしろと言われても、中々難しい。
とりあえずは、当てずっぽうに近い感覚で挑戦してみる。
「……やってみました」
カティが近付き、懐からマッチを取り出して火を点け、それを指先に近づける。
ルカの指先にはなんの反応もない。
「流石に難しかったかしら?
色々と試行錯誤しつつ、続けていきましょうか」
「はい」
目に見えず、存在を知覚できないほど小さな対象を集めることに四苦八苦しつつ。
そこからカティの助言を受けながら、見方と考え方を変えつつ挑戦すること十数分。
「おお」
ようやく、マッチからルカの指先へと火が燃え移った。
マッチの火と同程度の小さなものだが、安定して燃え続けている。
「大丈夫そうですわね。
ではこのまま、同じ要領で酸素を集めてください。
可燃物は維持したまま」
言われた通りにする。
可燃物の集約でコツを掴んだのか、徐々に効果が現れた。
小さかった火が、少しずつ大きく燃え上がっていく。
「はい、解除。
これでパーツは揃いました。
後はそれを組み合わせて、一から火を起こしてください」
可燃物を用意。
酸素を集約。
熱を生み出す。
「うわわ……」
三つの手順を踏むのにかなりの時間は要するものの、その成果として出現した火は大きく、安定していた。
それを見て、カティはにこやかに拍手をする。
「こちらの方法も向き不向きがあるのですが、貴方の性にあっていそうですわね。
今は一つ一つに時間が掛かっていますが、理解と練度を高めれば改善していきますわ」
「あ、ありがとうございます……!」
これまで数ヶ月、足踏みどころか悪化していた魔術の修行。
それが一からやり直しになるとはいえ、一週間程度で解決した。
さらには明確な上達の余地もある。
ルカの心中には、久方ぶりに光明が差していた。
「それで、先ほど言っていた、魔術の使い方の種類?についてなんですけど」
「ええ。
けれど、ここでは解説に集中できませんわ」
「あ、はい。
このまま物置にお邪魔させてもらっても大丈夫でしょうか?」
「……あそこはお借りしている建物ですが、今は物置ではありません。
アトリエとでも呼んでくださるかしら」
「す、すみません、気を付けます……」
「紅茶を淹れていただけるかしら。
貴方の分もね」
「わかりました」
「終わったら、黒板をこちらへ移動させてください」
村の元物置、もといアトリエに帰還。
ルカの三日間に渡る粉骨砕身の働きで、中はすっきり片付いている。
その後も何度か呼び出され、簡単な日常のサポートまで行っていた。
ルカも魔術について看てもらっているため、それを負担とは感じてはいない。
むしろ、新しいことを学べるいい機会だと考えている。
紅茶の淹れ方も、柔らかくも厳しく指導され、ダメ出しされない程度には上達していた。
「どうぞ」
「ありがとう、貴方もお掛けになって」
カティは差し出した紅茶を一口味わい、黒板に向き合う。
「では先ほどのことですが。
貴方は魔術について全く知識がないとのこと。
簡単にでも、一から説明した方がよろしいと思いますが、如何かしら」
「よければ是非、お願いします」
「では、本当に必要なところだけ……
魔術を行使するために必要なステップは三段階。
一つ、空気中に存在する魔素を取り込むこと。
二つ、体内に取り込んだ魔素をエネルギーへと変換すること。
三つ、そのエネルギーを利用して、目的の現象を起こすこと」
口で説明しながら、黒板に簡単な図を描き込んでいく。
「二つ目の変換する力が、魔力と呼ばれます。
体の消化力や吸収力に似たものと考えられ、当然個人ごとに差があります。
ここで言われているエネルギーですが、魔術師ギルドでもあまり原理を解明できておりません。
現状では、生成した主の意思に応じて、都合よく動いてくれるもの、とだけ」
随分と都合のいいエネルギーがあったものだと思いながら。
その説明を受け、以前聞いた話と齟齬があることが気になった。
「あの。
以前に別の人から聞いた話では……
変換したエネルギーのことを魔力と呼んでいたようなんですが」
初めて外界へと潜り、魔獣に遭遇する前後で聞いた話だ。
「あら、世間ではそう認知されているのかしら。
私の説明は、魔術師ギルドでの決まりごとに過ぎません。
どちらが正しいかは置いておくとして、この場では説明した内容で進めますわね」
「わかりました。
すみません、話の腰を折って」
「いいえ、そういった情報は魔術師ギルドとしても役立つものです。
今後も忌憚なく述べてください。
では話を戻して。
生み出したエネルギーの用途は二種類。
新たに何かを『生成』することと、元ある物を『操作』すること。
先ほどの燃焼でいうなら……
火を起こすための熱エネルギーは『生成』、空気中の可燃物や酸素を集めるためには『操作』していたわけですわね。
そうして、通説の『現実に起こりうる現象の再現と操作』を行っていくことになります。
結果だけ見れば、貴方は生成が得意で、操作は苦手なのかしら」
直前に実践した内容になぞえられた解説で、すんなりと頭に入ってくる。
「ここまでが魔術そのものに関する初歩中の初歩、必要最小限となる説明になります。
何かご質問は?」
「大丈夫です」
「では、ここからは魔術で目的の現象を起こす方法について」
ここまで黒板に書いていた内容を消し、新しく書き始める。
「まずは、先ほどの後半。
燃焼の三要素に沿い、それぞれを再現した後に組み合わせて火を起こしました。
これは工程を分け、それぞれ細かくイメージすることにより、精度を向上させる方法になります。
事実に基づいた手順で、それぞれの現象を確実に発生させていく。
何より、自分自身で納得しやすいのがポイントですわね」
事前に渡された二冊の、化学と錬金術に関する本。
言われたように、それを熟読したことにより原理を理解し、そうなることが正解だと思って魔術を使っていた。
「そして前半、貴方が上手くできなかった方法。
これは、結果だけを注視、イメージして現象を発生させようとする方法になります。
すると、省略された過程を埋めるようにエネルギーが動き、結果へと向かって細かく現象を起こしていく。
これは理屈など不要。
必要なエネルギー量と、その現象を起こせるという、確固たる自信とイメージがあれば成立します」
「ちょ、ちょっと待ってください」
ここまでの内容は、何の疑問も沸かずに理解できていた。
だが、今の話は流石にそういうものなのかと流すことが難しい。
「自信とイメージって、それだけで魔術を使えるんですか?」
「現に、貴方は以前、魔術も、化学や錬金術も全く知らない状態で、魔術を使えていたのではなくて?」
「それは、そうですけど……
でもそうだとしたら、何でもありじゃないですか」
「説明した通り、当然限度はあります。
魔力で生み出せるエネルギー量、個人の資質、そして件の自信とイメージ。
例えば、嵐を起こせと言われて、起こせる自信がありますか?
その規模の全てを、鮮明にイメージできるでしょうか?
仮にエネルギーが十分だったとしても、個の人間には限界があるのです」
確かに、以前の自分は何も考えず、結果だけイメージして魔術を使っていた。
そして、それは細部までイメージできる、規模の小さいものだった。
「あなたは魔術と向き合った際、小さくない疑問と不安を抱いてしまったのではないかしら。
魔術を使えるようになった原因がわからないこと。
その何もわからない力を、これから上手く使っていけるのか。
その上達方法も何もわからない。
そういった感情が、貴方の自信とイメージに影を落とし、スランプとなったのでしょう」
当たっている。
何故か使えるようになった力の、バックボーンのなさ。
母から聞かされた危険性、その力を使うことへの抵抗、不安。
使い続けるうちに襲ってくる頭痛。
感情的には納得しきれていない部分もあるが。
「魔術の行使方法について、ここでは便宜上、前者を理論型、後者を感覚型とでも呼びましょうか。
もちろん、その双方に強みと弱みがありますが、今回は割愛します。
さて、私の今回の話はこれまで。
何かご質問は?」
「今回の件とは関係ないんですけど、一つ気になることが。
魔術の詠唱についてなんですけど、必要ないんでしょうか?」
以前、修行の一環で手を出して無駄に終わった経緯がある。
今回の説明でも、一切話が出てこなかったが、それなら魔術学校で見た光景は何だったのか。
「詠唱ですか。
あれは、目的とする現象の詳細を、それらしく文字に起こしたもの。
つまり、基本的には理解の浅い初心者にも原理を連想させ、魔術を使うという雰囲気に浸ってもらうための導線ですわ。
補助的なもので、慣れた方にとっては大きな意味はありません。
副次的な効果もあり、それを目的として用いることはありますが……
それは少々踏み込んだお話になるので割愛させてくださいね」
「そ、そうですか……」
ルカの肩が落ちる。
詠唱を試みた時、効果に疑いの目を向け、その言葉の意味を意識せず、恥ずかしさを堪えていた。
全く効果がなかったのもさもありなん。
「今回の説明については大丈夫です。
長時間、わかりやすいご説明ありがとうございました」
「重畳。
ではこれで、あなたの障害について取り除けたわけですが」
そうだ。
これで、ルカの魔術を看るという約束は終了になる。
あとは自力で進んでいくしかない。
「貴方さえ良ければ、今後も私の元で学んでみませんこと?」
「……え?
いいんですか?」
予想外にして望外の提案に、ルカは目を丸くした。
「貴方は筋が良さそうですし、今回程度のことを教えたくらいで放流するのも気が引けます。
もちろん、時間に余裕のある時にしか看れませんし、代わりとして引き続き雑用をお願いすることになるけれど」
「ありがとうございます、是非お願いします!」
「ええ、こちらこそ。
今日はもういい時間ですし、ここまでにしましょう」
その帰り、ルカは午前の巡回の報告のために冒険者ギルドへと立ち寄る。
その対応したミリィが、ルカの様子に茶々を入れてきた。
「何、ご機嫌じゃない。
またあの人の所に行ってたの?
あんたって、ああいうのがタイプなんだ」
「な、何言ってんの!?
そういうんじゃないって、カティさんに失礼だよ。
修行が順調なだけだし」
全くの見当違いなのだが。
その反応を見て、ミリィはニヤついている。
「ふーん。
その割には、似たタイプのナーシュさんには反応しないよねぇ」
「人の話を全く聞いてる?
それに、性格が違いすぎる。
ナーシュさんは……ちょっと変じゃん」
「だったらレジ姉は?
年上だし、ちゃんとコキ使ってくれるよ」
「もうわかってて言ってるでしょ。
そういう趣味はないし、レジーナは性格がアレすぎ」
「わかった、二人に会ったら言っとくから」
「ミリィさん、勘弁していただけませんか……」
浮かれた顔をミリィに見られないこと。
疲れた状態でミリィの戯言に付き合わないこと。
今後、この二つを徹底しようと心に誓うことにした。
「ごきげんよう、ジャック先生。
急なお願いにもかかわらず、ご対応いただきありがとうございます」
「こんにちは、カティさん。
今日は手が空いているのでお気になさらず」
ルカはカティに同行し、村の診療所を訪れていた。
事前に先触れとしてジャックに都合を聞き、了承を得た上での訪問だ。
ジャックは書き物をする手を止め、来訪者二人に柔らかく応対する。
奥の方にいたロザリーもこちらに気付いて会釈をしてきた。
診療所の中にはその二人だけで、患者は見当たらない。
「むさ苦しいところですみませんが、奥へどうぞ」
そう言い、小さなテーブルへと案内され、席に着く。
目的は、ジャックとロザリーの魔術に関して教えてもらうため。
ルカは自分がそんな話を聞くのもマズいと思い、同席を控えるつもりだった。
だが、これも見識を高めるためと、カティに連れて来られた。
曰く、教えてもらうのは人に話せる範囲のもの。
何食わぬ顔で付いてくればいい、ダメなら追い出されるはずだ、と。
自分を浅ましく感じてしまうが、今のところ拒まれる気配はない。
粗茶ですが、とロザリーが四人分のお茶を差し出し、彼女自身も席に着く。
「我々の魔術が知りたいとのことでしたね。
とは言え、私のものは人様に乞われるほどのものじゃありませんが」
「ご謙遜を。
仮に仰る通りだとしても、その独自の魔術に触れられるだけで僥倖ですわ。
魔術学校でも、枠から外れたようなものを目にする機会は限られているため」
「であれば、やはりがっかりさせてしまいますね。
勿体ぶるのも何ですので単刀直入に言うと、私の魔術は切断と創傷治癒に関するものです」
物を切ることと、傷の修復。
現象としては珍しくない、日常の延長のようなものだ。
「切断については、刃物で生物を切る力の強化になります」
「切断自体を起こすのではなく?
少々特殊な使い方ですわね」
「ええ。
これは魔術を使おうとしていたわけではなく、ひたすら繰り返す内に使えるようになっていただけでして。
とはいえ中々便利なもので、魔族相手でも皮膚や肉くらいなら比較的楽に切れます。
生物相手に限りますが」
以前、蜥蜴の魔獣との戦闘を思い出す。
ランツやレジーナでも、まともなダメージを与えるのに苦労していた。
それを楽に切り裂けるという。
「治癒に関しては、普通に患者の治癒力を強化するものです。
患者自身の回復力と傷口の程度に応じて、接合したり、埋めたり」
「先生は、どの程度の外傷まで対応できるのでしょうか?」
「うーん?
中々難しい質問ですね……
例で言うと、最近ならルカ君の足が脛あたりで両断されているのを接合しましたね」
「……その節はお世話になりました」
今でも思い返すと身震いする。
あの時の痛みと恐怖。
この診療所で診てもらわなければ、自身の足で歩くことはできなかっただろう。
「まあ、素晴らしいお手並みですのね。
そのレベルともなると、上級魔術医免許をお持ちで?」
上級魔術医免許。
どれほどの難関資格なのかはわからないが、魔術と医学双方の深い造詣を要するはず。
この先生ならそのくらいは持っていてもおかしくない。
「いえ、持っていません」
「あら?
では通常の魔術医免許でしょうか」
「そっちも持っていませんね」
「先生!?」
ロザリーが驚愕している。
ここまで完璧に足を治してもらってはいるものの、気持ちはルカも同じだが。
「魔術医免許持ってなかったんですか!?」
「ええ、まあ、そういうことになります。
闇医者みたいでカッコイイでしょう?」
「じゃあ、私、無資格医療に加担してたことになっちゃうじゃないですかぁ……」
「大丈夫、ここの皆さんはそんなこと気にしません。
タレ込みするような人もいませんよ」
闇医者みたいというか、半分闇医者というか。
ルカの胸に、嫌な予感がにじみ出てくる。
まさか、とは思うが。
「あの……普通の医師免許は、持ってるんですよね?」
「あっはっは、それ聞いちゃいます?
もちろんありませんよ」
「先生ー!?」
顔を覆いながら天を仰ぎ、悲鳴に近い声を上げるロザリー。
ルカも、なんだか左足が痛んできたような錯覚に陥る。
半分闇医者どころじゃない、真っ黒だった。
「結果を出せているのであれば、問題ないのでは?
この村の皆さんに加えて、以前は辺境騎士団の方々もお世話になっていたのでしょう。
であれば、その実力は疑う余地もないかと。
免許の件は一旦脇に置かせていただいて。
可能であれば、そのお力を実際に拝見させていただきたいのですが」
逆にカティは落ち着いている。
魔術医の闇医者など珍しくもないのだろうか。
いや、魔術にしか興味がないだけかもしれない。
「そうは言っても、相手がいないことには……
ん?」
気付くと、外が騒がしい。
その音は、段々と診療所に近付いてきて、勢いよく扉が開いた。
中に入って来たのは、村の自警団の一人だ。
「先生、外に出てた冒険者が大怪我して、今こっちに運ばれてる!
診てやってくれ!!」
「わかりました、すぐに準備します。
ほら、ロザリー君も気を取り直して」
「は、はい!」
「お二人共、この話はまた今度……
そうだ、折角なので見学していきますか?」
それまでの抜けた雰囲気は消え失せ、真面目な表情になったと思いきや、とんでもない提案をしてくる。
「あら、渡りに船ですわね。
ではお言葉に甘えて」
そして、それを喜々として受けるカティ。
「流石にそれはマズいんじゃないですか……!?」
「大丈夫、先生のお手伝いをする振りをしていれば、ギャラリーと気付かれることもないでしょう」
運ばれてきた冒険者は、四人の献身的な治療の甲斐あり、一命を取り留めた。
診療所からアトリエへと戻り、カティは一息つく。
急患について、手伝う振りをするはずが、本格的に手伝う羽目になっていた。
「噂とはかけ離れたお方でしたね」
カティは誰に言うでもなく、小さく呟いた。
雑用をこなしていたルカは、その独り言をそうと気付かず聞いてしまい、何気なしに同意する。
「そうですね。
凄腕の医者っていう外面からは想像しづらい人ですよね。
親しみやすい人ではあるんですけど。
闇医者だったとは知りませんでしたけど、実力は確かですし」
実際、先ほどの手並みは見事だった。
診療所に運ばれた冒険者はあちこちに深手の傷を負って意識不明に陥っていた。
それを、手早く消毒、治療し、生命の危機を脱して安定状態にまで持ち直した。
彼女としては、ルカの言うような意味で呟いたわけではなかったのだが。
独り言を聞かれた気まずさから一瞬の間が空くが、そのまま同意する方向で話を合わせる。
「……ええ。
免許はなくとも、正規の知識を修めておらずとも。
積み上げた経験から、あれほどの医療術を練り上げたのでしょう。
ご自身で理論を組み上げ、試行錯誤と反復で自信を固め、確立したはず。
あの魔術は、理論と感覚の中間と見受けられますわね。
切断魔術も似たようなものでしょう。
今回そちらを目にすることが叶わなかったのは残念です。
またの機会にお願いするとしましょう」
「以前先生にも魔術の秘訣を聞いたことあって、反復あるのみって言われました。
やっぱり、そういったやり方で自信をつけることは大事なんですね」
「そういうことです。
貴方は知識も当然ながら、経験も圧倒的に不足しています。
今日のような体験も、勉強になるでしょう?」
「はい、誘っていただいてありがとうございました」
雑用に戻るルカに、今度こそ聞こえないように呟く。
「……貴方は彼のような轍を踏まないようにね」
「ごきげんよう、ロザリーさん」
「あ、こんにちはお二人とも。
今日はどうされたんですか?
先生はちょっと出払っちゃってるんですが」
二人が魔術のことで診療所を訪れたのが昨日のこと。
そこから間を置かずに今日、再び顔を出している。
「忙しい所ゴメン。
ちょっと手を切っちゃって、診てもらいたくて」
「折角なので、差し支えなければロザリーさんのお力を拝見できれば、と」
ルカのこの怪我は、事故によるものではない。
カティはすぐにロザリーの魔術についても実演を求めるだろう。
その際、自身の傷を治してもらうのが最も角が立たないと判断した。
そのため、彼女の負担を小さくするよう自ら掌に小さな切り傷を作り、診療所に駆け込んだわけだ。
「わ、わかりました。
患部を見せてください」
利用するようで申し訳ないが、奥では昨日運び込まれた冒険者が横になっている。
カティもそんな中で、長々と説明を求めるようなことはしないだろう。
ロザリーはまだ慣れていないのか、緊張した手つきでルカの傷を確認する。
念のためと、消毒をした後に傷口に手を当てて集中。
淡い光が漏れ出るのを、カティは身を乗り出してつぶさに観察している。
少しして。
「ふぅ……終わりました」
その手を離すと、ルカの切り傷は見る影もなく治っていた。
カティの反応を気にして、ルカとロザリーが彼女の顔を覗き見ると……
姿勢を変えず、傷があった場所を見つめ続けている。
「あの……」
「……ルカさん、傷の具合は如何?」
「あ、はい。
もう痛みもないです」
「そうですか。
ロザリーさん、素晴らしいものを見せていただき、ありがとうございました。
では、我々はこれで失礼いたしますわね」
ルカも改めて礼を言い、診療所を後にする。
奥に怪我人がいるとはいえ、やけにあっさりと引き下がるものだ。
アトリエに戻ると、カティは傷があった場所を執拗に確認し始めた。
見て、触って、揉んで。
「治療していただいた箇所に、何か違和感は?」
好き勝手に弄られて落ち着かなかったが。
そう聞かれ、ルカは自分の手の感覚に集中する。
「……ん、傷があった場所だけ感覚が薄いような……」
観察に満足したのか、ルカの掌を弄くり回していた手を放して立ち上がった。
どこだったかしらなどと呟きながらあちらこちらと漁り、一つの瓶を持って戻ってくる。
その中身を少量別の皿に移してスポイトで吸い取り、ルカの掌に数滴落とした。
透明に見えていたその液体が、徐々に赤色へと変わっていく。
「ふむ」
そして、そのまま紙とペンを取り、何かを書き始めた。
「あの……」
「え?
ああ、ごめんなさいね!
すっかり周りが見えなくなっていました」
カティは完全に没頭していたようだ。
集中したいというのであれば、ルカは席を外すつもりではある。
だが、とりあえず無言で人の手に垂らしてきたこの液体が何なのかくらいは教えてほしい。
そう思ったが、我に返った彼女は一通り説明してくれるようだ。
「ロザリーさんの魔術跡……
通常の魔術による治癒とは全く異なっているように見えます。
見た目は接合の跡が全く見当たらず、感覚が薄いとのことですわね。
そして、先ほど用いた液体ですが、あれは魔素や、そこから作られたエネルギーの濃さ、強さを調べるためのものです。
強ければ強いほど赤く反応するというように」
ルカの掌の上の液体は、今や真っ赤といっていいほどに染まっている。
指標がないため、これがどれほどの強さなのかはわからないが。
「以上を踏まえて推測いたしますに。
にわかには信じ難いことですが、魔術による治癒力強化ではなく、欠損部分を補完しているのではないかと」
その通りだと思う。
治癒力強化では、内臓破損の回復などできるはずもない。
だが、以前から思っていたが、どうにも納得いかない。
「魔術って、カティさんも言っていたように『現実に起こりうる現象の再現と操作』なんですよね。
こんなこと……現実で起こり得るんでしょうか?」
「貴方がご存じかわかりませんが、実例はあります。
例えば、魔族の身体構造など」
「あ」
そう言われれば、確かにそうだ。
以前魔獣が傷を完全に修復している場面を目の当たりにしたことがある。
それが、魔力による組織の再構成だと。
「じゃあ、これが魔族と同じ……?」
「似たようなものではあるでしょうが、同じではないでしょう。
あくまで、一例を挙げたに過ぎませんので。
とはいえ、これは極めて珍しい種類の魔術ですのよ。
感覚はいずれ回復するのかしら……?」
「回復すると思います。
他の患者さんの話を聞いた限りでは」
これは他の患者の話ではなく、ルカの脇腹の経験談だ。
当時は怪我の後に二日以上意識を失っていたが、起きた時には感覚があった。
この手も、その内感覚が戻るだろう。
「そんな珍しい魔術なのに、ロザリーに対して全然質問しませんでしたね」
「本当はそうしたかったのですけれどね。
あの魔術は感覚型の極みというべき類のもののはず。
安易に掘り下げて、彼女自身の魔術に疑問を抱かせるのは避けるべきですわ」
「そういうことですか。
それにしても、感覚型の魔術ってズルくないですか?
なんというか別格というか、面倒な段取りも踏む必要もないのに」
「魔術が別格かどうかは個人の資質に寄りますけれどね。
理論型でも偉大な魔術師は沢山います。
感覚型も、メリットばかりに目が行くでしょうけれど、当然デメリットもあります」
「自信とかを失くすと使えなくなるかもしれないくらいでしょう」
デメリットとしては特大なのかもしれないが、それさえ避ければいい。
ルカは実際使えなくなってしまった身だが。
「いえ、他にもいくつかあります。
それに関しては、あなたがもう少し魔術に慣れてからにしましょう。
それに、ロザリーさんのような例は極稀です。
魔術を使える子供は大半が感覚型なわけですが、その多くが成長途中で脱落してしまうのです。
例えば、何でも思い通りになると錯覚していた子供が、ふと現実を理解する。
自分が世界の中心ではない、自分より上はいくらでも居る、その他諸々……
または、魔術に対する理解の少ない大人に、魔術で起こした現象などただの夢、気のせいなどと諭されたり。
それでも、際立った才能により揺るがぬ自信を持ち続けた子、あるいは挫折経験のなかった子が、感覚的に特殊な魔術を行使し続けるのです。
もちろん、常に不能になるリスクを孕みながらですけれどね」
「なんだか、ナントカと天才は紙一重みたいな感じですね」
「あら、魔術の世界に於いては、言い得て妙かもしれません。
何はともあれ、事前に聞いていたように、彼女の魔術の規模が小さいことは幸運でしたわね」
「……?
どういうことですか?」
「先ほど言葉を濁した、リスクの一つです。
現実に起りづらい現象に関する魔術を一息で行うほど、何らかの反動を受けたりするのですわ。
とはいえ、小さな傷を治療するレベルであれば影響は小さいでしょう」
血の気が引く。
ロザリーの魔術は、あの程度のものではない。
穴の開いた内臓すらすぐに治してしまうほどの、あるいはそれ以上の。
「傷跡を残さないあの力であれば、女性を対象にした美容外科など適職かもしれませんわね」
「そ、そうですね……
ちなみに、さっきの反動というのは具体的にどういったものなんでしょうか……?」
「それほどの魔術師自体が少ない上に、それぞれ症状が異なるようなので一概には答えられませんが。
私の知るところでは、出力に応じた激痛が走るなど」
ロザリーの様子を見るに、それは違うはず。
であれば、どんな影響が出ているというのか。
それを本人は自覚しているのか。
気付かぬまま、何かを蓄積させてしまっているのか。
「兎も角、彼女の魔術について本人に話すのは避けるべきということになります」
そして何もわからないまま、本人に確認することも、魔術の行使を止めることも避けなければいけない。
本人の体を思えば、魔術を使えなくなっても止めるべきなのかもしれないが。
ルカは頭の整理がつかないまま、アトリエを後にした。
ルカは頭の整理ができないまま、冒険者ギルドを訪れる。
ふと、話し声のする方に目をやると、こんな時間に珍しく村長がいた。
まだ夕刻だが、ランツと酒を飲んでいる。
そうだ、あの二人ならロザリーの事情を知っている。
「あの、よければ相談に乗ってもらいたいんですけど……」
「あ?
なんだルカ、湿気たツラして。
あの女にこき使われて、嫌気が差したか?」
「あー、お前さんに前もって確認取らずに仕事増やしちまったのは悪かったなぁ。
不満があるなら改善するよう儂からもフォローしとくぞ」
何やら勘違いしている二人。
こき使われているのは事実だが、それ以上に世話になっているため、不満などない。
それにしても、この間のミリィといい、何かとカティは勘違いされるようだ。
あのような外面だし、中身を知らない村の人間が警戒するのも已む無しかもしれない。
「いえ、そうじゃなくて……」
「ん、他人に聞かれたらマズい話か?
他の客が来るのはもうちょい後からだし、気を付けて話してくれれば大丈夫だ。
まあ座ってくれ」
無意識に周囲を伺っていたようだ。
できれば二階で相談させてもらいたかったが、仕方がない。
「──はーん。
魔術ってのは結構面倒臭えもんなんだな」
先ほどの内容を一通り話し終える。
村長とランツは酒が回ってきたのか赤ら顔で、受け答えも軽い。
「とりあえず、お前さんはちょいと重く考えすぎだな。
カティだって、そこまでデリケートなもんってつもりで話したんじゃないと思うぞ」
「そもそも、俺らが本人に結構ネガティブなこと言っちまってるしな。
その程度で魔術が使えなくなるわけねえだろ」
言われてみればそうなのかもしれない。
リミエヌルの事件解決時や、ここに来た初日に彼女の魔術について色々と話をした。
それ以降も魔術は使えているようなので、過度な心配は不要だったか。
どうにもルカ自身が魔術を使えなくなった経験から、過敏になっていたようだ。
「じゃあ、あの魔術の反動はどうなんでしょう」
「ランツ、話してなかったのか」
「……そりゃあな。
言ったらこんな感じでしょぼくれるのがわかりきってたからよ」
「何か知ってるの?」
村長に水を向けられ、ランツは頭を掻きながらため息を吐いた。
「お前、あいつの歳いくつだと思う?」
「は?」
「プライバシーとかそういうのはいらねえから」
何を言い出すのか。
ふざけているのかと文句を言おうと思ったが、表情を見るに真面目な質問らしい。
「……二十歳」
「正解は十六だ」
「じゅっ……!?」
小声を心掛けてきたが、思わず大声が出てしまった。
まだ周囲に誰もいなくて助かった。
二十歳というのも、少々気を使っての答えだ。
二十代前半と予想していたところが、ルカより年下とは。
「え、待って。
まさか反動って」
「予想に過ぎねえが、老化が早まるとかそんな感じじゃねえか?
他に似たようなリスクを負ってる奴を知ってるしな。
いや、近頃の若いのはあれくらい育ってるのが平均なのかもしれねえが」
「……それって、ロザリーには?」
「本人にゃ話しちゃいねえよ」
ランツの予想が当たっているなら、腑に落ちる。
外見に比べ、妙に明るく落ち着きのない性格。
それが十六歳のものであるというのなら、納得できる。
同時に、彼女に対する負い目を強く感じてしまう。
「お前が負い目を感じることはねえよ。
大体、教会の時だってお前があいつらを庇わなけりゃ、全員ぺしゃんこだったんだ。
それが一人治すだけで済んだんだから、最善に近い行動だったはずだ」
「それに、無茶して反動が来るのは魔術の専売特許じゃないしな。
肉体労働でも頭脳労働でも、度が過ぎれば体や精神はぶっ壊れるもんさ」
「レジーナの奴が男日照りなのも、その反動とやらかもな」
「おまっ、それ本人に言うなよ!?
氷室の氷作ってくれなくなったらどうすんだ」
二人は大笑いしている。
リミエヌルの件を気にするなと言われて、素直に頷けるわけでもない。
ただ、自分の行動が間違っていたわけではないと言われて、気持ちが救われたのは事実だった。
「聞いてくれてありがとうございます。
落ち着きました」
「そりゃよかった。
一応儂からも診療所の二人には気を付けるよう、それとなく言っとくよ」
ロザリーの件については、この二人も気にしてくれているようだし大丈夫だろう。
ここで気になったのは、もう一人の件。
「そういえば、ジャック先生が無免許医師だったと聞いたんですけど」
「ああ、聞いちまったか……
一応秘密扱いだから、他の連中には黙っててくれ」
やはり、村長は知っていたようだ。
反応を見るに、ランツも。
「詳しくは話せんが、あいつは免許を取れない理由があるんだ。
だが、知識も腕も保証する。
経験も……ちょいと特殊だが、並の医者とは比べ物にならんほど積んでるしな」
腕が良いのはルカも身を以て知っている。
カティとの話で疑われていたが、正しい知識も持っているというのなら何の心配もない。
免許を持っていない理由は気になるが、村長がこう言うからには聞くべきではないだろう。
「しかし、ジャックとロザリーがあの女の道楽に付き合い終わったなら、次はあいつだろ?」
「ああ……」
ランツの言に、村長が微妙な表情になる。
「なあ、ルカ。
もしお前さんがナーシュとの話し合いにも参加する場合。
あいつが何を話したか、後で儂に報告してくれんか。
できれば、余計なこと言わんか注意してもらえると助かる」
「報告は構いませんけど。
あの人相手に僕の注意が意味あるのかは疑問ですね」
村長が何の心配をしているのか知らないが、気になるのなら本人に釘を刺しておけばいいのに。
そして後から思えば、注意しておくべきはナーシュだけではなかったのだが。
「うん、いい香りだ。
こんなに上質な紅茶をいただいたのは、いつぶりだろう」
カティのアトリエにて。
ナーシュの魔術を教えてもらうために彼女を招き、紅茶を振る舞っている。
もちろん淹れたのは、雑事を任されているルカだ。
「ただ、ちょっと後味が悪いね。
少し蒸らしすぎじゃないかな」
「はあ、気を付けます」
「ルカさんには少し前からお手伝いをお願いしていますけれど、飲み込みは良い方ですのよ」
紅茶に詳しいのか、ダメ出しされる。
見ればティーカップを指で挟むように持っており、仕草も上品だ。
今はこんな感じだが、実はいい家の出だったりするのだろうか。
「ふむ、確かにルカの働き振りは様になりつつあるかもね。
もう彼女のメイドにでもなったらどうだい」
全く褒められた気がしない。
それにこの人物の言うことは、冗談に聞こえないから怖い。
「嫌ですよ……
それに、そういうならフットマンとかじゃないですか。
男なんだから」
「いや、一般的には身の回りの世話は同性がするものだよ」
「じゃあ前提からしてダメじゃないですか。
メイド扱いしたって問題は解決しないでしょ」
「あら、それはそれでアリかもしれませんわね」
「……あの、本題に入りませんか?」
カティは見た目や呼び方などに妙な拘りを持っている。
このままでは良くない結果が待っていそうな予感がするため、ズレ始めた流れの修正を試みる。
「やれやれ、世間話程度はこなせた方が身のためだというのに」
小さく肩を竦めながら、ナーシュはティーカップから手を離す。
世間話から最も縁遠そうな人が何を言うのかと思っていると。
ティーカップが独りでに持ち上がり、ナーシュの口元へと運ばれる。
「……」
カップに口を付け、その端から一筋紅茶を零したものの、ティーカップはそのままソーサーへと収まった。
何の違和感もなく異常事態が起こり、反応できずにいると。
「おっと、はしたなくて申し訳ない。
これが私の魔術の基本だ。
一般的には念力とか呼ばれるものだね」
そう補足された。
「……超常現象としては有名な部類ですが、目の当たりにするのは初めてです。
いくつか質問させていただいても?」
「ああ、構わないよ。
答えられないことはお断りするけど」
両手をテーブルの上に置き、緩く指を組むナーシュ。
一方カティは興味津々といった風で少々前傾姿勢になる。
「ありがとうございます。
では、そのお力を扱えるようになった切っ掛けなど覚えておいででしたら」
「お気に召すような話じゃないと思うけど。
小さいころから度々ポルターガイストみたいなものに遭遇していてね。
家族共々鬱陶しく思っていたんだけど、ある日ちょっとした事故に遭ったんだ。
その時に、意図せずこの力を使って解決した。
以降、何となく魔術として使えるようになり、ポルターガイストも収まったというわけだ」
契機としては、ルカと重なる部分がある。
彼女は、子供の頃に見る不可思議現象を自分の力として扱っているタイプか。
今なお使えているのだから、その下地は確かなものだろう。
本人も悩みとは縁が薄そうであるし。
「なるほど。
では、有効な距離や出力はどの程度なのでしょう?」
「うーん、疲れるから程々にしておくけど……」
そう言って周囲を見回す。
視線が止まった数メートル先には、ルカの荷物。
先ほどと同じように、荷物の中から独りでにナイフが引き抜かれ、宙に浮いた状態でピタリと止まった。
程なくして、何かが軋む音が聞こえてくる。
「ちょ、ちょっと……!」
まさかと思い、ルカが制止しようとするも間に合わず。
先端からナイフが折れ曲がってしまった。
「ああああ、何してんですか!?」
「あ、ごめん。
つい興が乗って」
「ちょっと前に買ったばっかりの、そこそこ良い奴だったんですよ!?」
「本当ごめんて……
色を付けて弁償させてもらうから。
いや、思い出の品とかじゃなくてよかった」
「全くですよ……
今後は本当に、マジで気を付けてくださいね」
何を言われても涼しい顔をしていた記憶しかない彼女が、反省の色を浮かべているところを初めて見る。
中身はこんなだが、美少女にこういった表情をされると気勢が削がれてしまう。
二人のやり取りを尻目に、カティはナーシュの意識から離れて落ちたナイフの残骸を見つめている。
刃の厚みは3mm前後。
柄と先端から圧し潰すように力を加えられたようだ。。
結果、先端から中央部にかけて右曲がりに大きく屈折している。
人力では成し得ない芸当だ。
それに、ナーシュ自身の違和感。
いかに熟練した魔術師でも、魔術を行使する際には溜めが要る。
その溜めが、一切感じられなかった。
カップを持ち上げる際も、ましてやナイフを曲げる際にも。
仮に一定の溜めがあったとしても、あの出力は異常だ。
だが、そういったことを可能とする存在には心当たりがある。
不可解な現実に対してある可能性を思い浮かべたカティは、一つの瓶を拾い上げる。
その可能性を確かめずにはいられない。
「ナーシュさん、少々お手をお借りしてもよろしいかしら」
「ん?」
その言葉に、ナーシュとルカが振り向く。
カティの手には、見覚えのある瓶。
数日前に、魔素関連の強さを調べるために使ったものだ。
何のためにそんなものをまた持ち出したのか。
瞬間、ルカの脳裏に嫌な予感がよぎった。
よくわからないが、一線を越えてしまいそうな何かが。
「カティさん、ちょっと待って──」
ナイフの時と同様、今回の制止も間に合わず。
ナーシュの腕に、瓶から液体が掛けられた。
以前のようにスポイト経由ではなく、勢い余って直接ドバっと。
腕に滴り落ちる液体が、全て見る見るうちに深紅に染まっていく。
何故?
ナーシュは眉を顰め、明らかに迷惑だといった顔をしている。
混沌とした状況を整理する前に、その言葉が耳に入ってきた。
「貴女は、もしかして魔族……魔人なのですか?」
何かまずいことを言い出すのでは。
直感でそう警戒したルカだったが、蓋を開けてみれば肩透かしだった。
「あっはは、何を言い出すかと思えば」
きっとカティは、魔族を直接目にしたことがないのだろう。
ルカも一度魔獣と遭遇した程度だが、それが人を殺さずにいるわけがない。
魔人についてはよく知らないが、魔獣と似たようなもののはずだ。
そんな言葉を続けようとしたが……声が出ない。
足元を這い上がってくる悪寒。
迷惑そうにカティを睨みつけていたナーシュの視線が、ルカの方へと向けられた。
フードの下から覗く隻眼に射すくめられ、ようやく気付く。
殺気。
それは微かなものだったが、かつて魔獣に睨まれた瞬間がフラッシュバックする。
殺される。
先程見せられた念力であれば、人間の首など簡単に捩じ切れる。
次の瞬間にも訪れかねない最期を意識したその時。
「……はあ、全くだよ。
人を魔族呼ばわりとは失礼極まりない」
ナーシュがため息を吐くと同時に、張り詰めていた空気が霧散した。
無意識に止まっていた呼吸の再開と同時に、汗が噴き出してくる。
「それに、この液体は何?
不愉快なんだけど」
その手に掛けられた液体は、彼女の衣服まで濡らしていた。
何か拭くものを。
そう思ったが、下半身に力が入らない。
「……軽率な行動、大変申し訳ございません。
それは魔素に関するものに反応するものでして」
カティは平静を装っているが、感じたものは同じだったのだろう。
額に汗が滴っているのが見える。
「ああ、そういう……」
椅子に深く座り直したナーシュは、仕方なくといった渋い顔で語り始めた。
「君の属する組織は、信仰が及ぼす影響について把握しているのかな」
「え、ええ。
実用できる段階には至っておりませんが」
抽象的な話になってきた。
その時、今更村長の言葉を思い出す。
余計なことを言わないよう注意してくれ、と
「あの、ナーシュさん。
それ以上は」
「心配は不要だ。
それに、半端に秘して下手な想像をされる方が困る」
やはり、ルカの注意で抑えられる人物ではない。
それに、彼女の言うことももっともだ。
更にルカ自身、事実を知りたいという思いがあるのも事実。
大人しく、ナーシュの話に耳を傾けることにする。
「ここから西の遠く、辺鄙な場所にある町で私は生を授かった。
今でこそ認知が広まってきているアルビノだけど、当時の田舎には衝撃だったようだ」
ルカも、アルビノという症状をつい最近まで知らなかった。
知識なしにそういった子供が生まれたことは、相当なインパクトだったはず。
「今となっては記憶も朧気だけど。
幸い、両親は裕福な方でね。
遠くから高名な医者を呼んでもらえた」
その医者から、アルビノという症例と、日光への対処を教えてもらったのだろう。
彼女の恰好も、日光対策のため。
日焼け止めの軟膏を常用した上で、黒い外套で日を遮っている。
「ある日、町が流れの傭兵に襲われた。
先ほども話した通り、その時に私の魔術が発現してしまったのさ。
結果、私は町の救世主扱いだ。
加えてこんな見てくれだからね。
信心深い田舎で、不本意にも崇め奉られ、いつしか私は年を取らなくなっていた」
先ほど言われた信仰。
それが、不老という奇跡のような現象を成したという。
「そんな私を見て、恐れや疑問を感じる人間が出てくるのも当然の流れだ。
やれ魔女だ、やれ吸血鬼だと揶揄されるようになった。
その辺りから、私の体はこうなってしまった」
例の液体の反応はそのため。
意図せず、魔族と同じ身体構造になっていた。
「挙句、この体を目当てに、余所から不届き者もやってくるようになった。
その頃にはもう肉親もいなかったから、安住の地を求めて故郷を捨てた。
魔素の濃い境界付近を彷徨い、行きついたのがここさ」
そして現在に至ると。
ルカは妙に自分の過去と重なる点が多く、親近感を覚える。
自分は故郷に何の思い入れもなかったが、彼女の心境はどうだったのだろうと。
「久方ぶりに長話をして疲れてしまったな。
……さて、どうしてこんな話をしたと思う?」
それは、先ほど下手な想像をされる方が困るからと言わなかったか。
「え、まさか……冥途の土産とか……?」
「何を言っているんだ君は」
呆れ顔で否定される。
ルカとて、先ほどの殺気を感じていなければそんな発想は浮かばなかったのだが。
「察するに。
貴女の存在が公にならないよう、陰ながらお手伝いすればよろしいのでしょうか」
そういうことなのか。
ロザリーと同様に、彼女のことが知られれば、本人、ひいては村に要らぬ諍いを起こしかねない。
「言っておくけど、これは強制だ。
守れない、あるいは口外したと見なした場合は、本当に冥途の土産ということになる。
ルカには悪いけど、余計な詮索をした彼女を恨むことだ」
そう、ルカとしては巻き込まれた形になる。
恨みがましくカティの方を見るも、優雅な笑顔で流されてしまった。
「無論、喜んで協力させていただきます。
代わりと言っては恐縮ですが……
その、よろしければ貴方様のお体を詳しく拝見させていただけないでしょうか」
あれだけ脅された上で、まだそんなことが言えるのか。
その厚かましさと余計な探求心に脱帽する。
これまでの彼女のイメージが、音を立てて崩れていく。
少し前までここにいたはずの、理知的な女性を返してほしい。
「断る。
懲りない上に、本当に失礼な人物だね君は。
好奇心は猫を殺すという言葉を知らないのか」
「そして得られた満足は猫を生き返らせた、とも申しますわ」
ナーシュも怒りより呆れが勝っているようだ。
「これ以上私の身の上を晒すつもりはない。
もし魔族に関して知りたいなら、ジャックにでも聞くと良い。
直接対峙から解剖までしたレポート擬きもまとめていたはずだ」
そう言って、もう疲れたとばかりに席を立つ。
「残念です。
ナーシュ様、是非またお茶を召し上がりにいらしてくださいませ」
去り行く背に、カティはあくまで普段と変わらない様子で声を掛ける。
その言葉にナーシュが振り向いた時、再び体が硬直する。
「さっきの件、努々忘れないように。
私は本気だよ」
「はあぁぁ~~~」
椅子からずり落ちるルカ。
こんなに疲れたのは、記憶を失って以来初めてかもしれない。
「生きた心地がしませんでしたわね。
ナーシュ様が人格者で命拾いしました」
「誰のせいだと思ってるんですか……」
カティは優雅に紅茶を口に運ぶ。
しかし、その手は僅かに震えている。
そんな風になる前に、少し自制してほしい。
ルカもカップに手を伸ばした。
冷え切った紅茶が、カラカラに乾いた喉に染みわたる。
「あなたが魔術師ギルドからの客人じゃなかったら、多分僕たち死んでましたよ」
本人が明言しないので口にしないが、彼女が貴族らしいことも利していたと思う。
「いえ、あの御方はそんなことで思い留まる人ではないと思います。
哀れにも巻き添えとなる貴方を慮ってのお慈悲かと」
「そう思うなら、今後は本当に過剰な詮索はやめてくださいね。
結果として僕まで巻き込まれて脅されてるんですから」
「けれど、貴方は事情を知れば、脅されずともあの御方に助力したでしょう?」
そう言って笑いかけてくる。
どうにも反省してなさそうだ。
「ナーシュさん……信仰なんてものであんな体になってしまうものなんですかね」
「極めて稀な例かと。
説明差し上げたいところですけれど、そちら方面には詳しくなくて。
調べておきますので、次の機会としましょう」
彼女に教えを乞い始めて日が浅いが、その口から稀という言葉をもう何回も聞いた気がする。
「それにしても、記憶が朧気などと前置きしながら、その後随分と流暢な説明でしたわね。
それほど昔のことではないのかしら……」
「勘弁してください、そういうとこですよ……」
翌日。
村長への報告義務を思い出したルカは、ナーシュの元を訪れていた。
村長がナーシュの事情をどこまで把握しているのかわからず、確認が必要なため。
昨日のこともあり敷居が高いが、彼女に事情を説明する。
「村長への報告?
いらないよ、そんなの。
あの爺は私の事情を把握してるし」
そうは言うが、カティの存在もある。
どこか焦っているように見えるナーシュには悪いが、村長には伝えておくべきだろう。
「マジか……」
結果を報告すると、村長は頭を抱えた。
それもそうだ、厄介な火種が増えたも同然だろう。
「すみません、僕まで余計な事情を知っちゃって。
注意はしたんですけど」
「いや、それはまあ、あの女史ならいずれ辿り着くと思ってたからいいんだが……
あいつの過去を聞いて、おかしなところはなかったか?」
「は?
いえ、特には。
僕も似たような経験あるんで、聞き入っちゃったのもありますが」
「そうか……
悪い、変なこと聞いたな。
報告助かった、また何かあったらよろしく頼む」
ルカは村長の微妙な反応が何なのかわからないまま、小さく会釈して席を立つ。
「ルカ、気を付けろよ。
お前は被害者みたいなもんだが、次は無いと思うべきだ。
ナーシュがその気になったら止める間もないし、止めようとする奴もいないだろう。
あいつはあんな感じだが、その行動はいつもある程度以上の筋が通っている」
「はい、全くもってその通りだと思います」




