第五話 愛狂いの保護者
ーー熱い。身体が、内側から焼き切れそうだ。
三十二人の役人を消し去った代償か、漣世の意識はどす黒い沼に沈んでいくようだった。
すぐ横で、溟那が泣き疲れて気を失った気配がする。守らなきゃいけないのに、指一本動かない。
意識が一歩ずつ遠くへ去っていく。そんな中、伸びのない弦楽器のような足音が聞こえてきた。一人の男が場違いにもこちらに来る音のようだ。
漣世にはよく聞こえていなかった。ただ溟那が倒れているという情報だけが脳の中で回り続けていた。
男は、血だまりの中に倒れる漣世と、怯える溟那の前に静かに膝をつく。
漣世の血で汚れた髪を軽く払う。手つきは丁寧で、優しさすら感じられた。
「ははっ。派手にやったなあ。」
「……よく耐えたな、二人とも。」
漣世と溟那の頭を撫でた。
覆面の奥から響いたのは、低く、しかし耳に心地よい、酷く落ち着いた大人の声。
遠のいていく意識の境界線で、カツン、カツンと、硬い足音が近づいてくるのが聞こえた。
『おい! あそこに忌字のガキどもが倒れてるぞ!』
『囲め! 抵抗するならその場で斬り捨てろ!』
門の奥から、さらに数十人の幕府の増援がなだれ込んでくる怒声が響く。まだ遠い。でも、確実に近づいている。
……だめだ、もう、動けない。
漣世が絶望に目を閉じかけた、その時だった。
ーーバサァッ、と。
絶望に目を閉じかけた漣世の視界に、漆黒の布地がひるがえった。先ほどの男だ。
着物の外側から、膝下まで丈のある漆黒のインバネスコートを羽織った男。深く被った兵帽の影から覗く目元は、冷徹なまでに凛々しい。
『おい! 誰かいるぞ! 侵入者だ、捕え――』
男は、なだれ込んできた幕府の増援たちを一瞥すらしない。
懐から抜いた手の甲で、黄金色の言紋が静かに明滅する。
ーー【導】。
男が心の中でその二文字をなぞった瞬間、彼の足元からアジトへと続く最短の『逃走経路』が、男の足元から出現した。彼にしか通れない道。その道はどこに繋がっているのだろう。彼にしかわからない。
「……よく耐えたな、二人とも」
覆面の奥から響いたのは、地を這うように低い、けれど奇妙なほどに優しい声音。
男は大きな両腕で、気絶した漣世と、泣き疲れて意識の薄い溟那を、壊れ物を扱うかのように優しく、同時に軽々と抱え上げた。
『待てっ! 逃がすなーー』
武官たちが一斉に槍を突き出す。
だが、それよりも早く。男の身体が、まるで最初からそこに存在しなかったかのように、夜の闇へと溶けるように掻き消えた。
【導】の作った道に入ったのだ。何人たりとも追いかけることができない。
その中はひたすらに真っ白だった。いや、こちらからはそう見える。この男にはしっかりと先のある道に見えるようだ。確信を持って闊歩していく。
追手のどよめきが、またたく間に遠ざかっていく。
激しい揺れの中でも、漣世を包む男の腕の中だけは、酷くあたたかくて安心できた。
ーーこれで、いい。
張り詰めていた糸が切れ、漣世の意識は完全に深い闇へと落ちていった。
何時間ほど寝ていただろうか。
「...い!漣世!漣世!」
目を開けた先には、また泣きじゃくって必死に漣世の袖を掴んでいる溟那が全面に映っていた。
漣世がはっと起き上がった。溟那の悲観におぼれたような名前を叫ぶ声が体を震わせている。
「め、溟那...?俺...何して...」
「漣世、私の事守ってくれたんでしょ...?」
溟那の声には自己暗示に近い錯綜が見えた。漣世がそれに気付くような余裕は持ち合わせていないようだが。
「え...あ...」
思い出した。
ーーそうだ、俺...人を...
「ぅぐっ...おぉえぇぅ」
えずく。何も出なかった。それがやけに苦しい。
「漣世、大丈夫。落ち着いて...もう怖い人はいないの。」
溟那は優しく抱きしめて、甘く言葉をかける。それはまるで乾いた喉に甘露水を注がれたようだった。
「溟那...っ、俺...何を...」
分かっていた。わかりたくなかった。
「いいの。私を守ってくれたんでしょ?嬉しかった。」
「溟那...俺...ちゃんと守れたか?怪我は?...無事か?夢じゃないよな...?」
「大丈夫。夢じゃないよ、私は無事。」
優しい手つきで頭を撫でた。その手には血汚れ一つ、シミ一つなかった。純白の透き通る肌が乾いた血のカスがついた髪をなんのけなしに撫でている。
「漣世...落ち着いたか。」
妙に聞き覚えのある声。なんだ、誰だ、敵か、味方か。
着物の外側から、膝下まで丈のある漆黒のインバネスコートを羽織った男。兵帽を深くかぶった下には、黒い覆面がつけられている。
先ほど助けてくれた男であるが、漣世にそれを処理できる程の容量は残されていなかった。
「だ、誰だ...。」
溟那を庇うように前に出た。頭がクラつく。
「はは、忘れちゃったのか?俺だよ、俺。」
そう言って、覆面を外した。
「う...と、父さん...?」




