大神官は聖女様に会いたい
(ジークフリート視点)
机の上に積まれた書類を見て、俺は深く息を吐いた。
……多い。
いや、多すぎるだろう。
「大神官」
「はい」
「なぜ、俺はこんなに書類を書いているんだ」
「女神様が降臨なさったからです」
「俺が呼んだわけじゃない」
「ですが、降臨されたのは百年ぶりです。記録を残さねばなりません」
記録か……。
目の前に座る大神官は、涼しい顔で次の書類を差し出してきた。
この女性は、魔法大国リッツェンの大神官だ。
もう七十を過ぎているはずだが、背筋はしゃんと伸びているし、白髪をきっちり結い上げた姿には威厳がある。
俺が生まれた頃にはすでに大神官の地位に就いていて、俺が感情をコントロールできない頃から世話になっている人でもある。
俺に前世の記憶があること。
この人には、数年前に打ち明けた。
付き合いも長いため、こちらも向こうも遠慮がない。
さっきも見たような書類を渡され、大神官を睨む。
「これ、さっき書いたぞ?」
「次は、女神アルテミス様についてです」
「はぁっ!? デメテル様のぶんだけでいいだろ!」
「駄目です。貴重な資料となるのですから……」
「資料……」
だよな……。
後世に残る記録だ。
大事なのはわかる。
……仕方なく、ペンを強く握った。
今回の件について、政治的な後処理はほぼ片付いている。
俺がリヒャルト王子をぶっ飛ばした件も、リリーがあっちの聖女を闇落ちから救ってやったってことで相殺された。
……っていうか、父上たちがうまく揉み消した。
つまり、今俺が追われているのは神殿側の後処理だ。
女神が二柱も現れた。
それは歴史上、類を見ない大事件だった。
そりゃ神殿が大騒ぎになるのもわかる。
わかるけど。
だからって、なんで俺がこんなに書類を書かないといけないんだ。
「ところで殿下」
「なんだ」
「聖女様には、いつお会いできます?」
またそれか。
たしかに、りりを呼んで手伝わせるってのもありか?
いや、ダメだ。
あいつはたぶん、日本語しか書けない。
俺は顔を上げて答えた。
「ダメだ」
「なぜです?」
「りりは疲れてる」
「あれからもう何日も経っておりますけれど?」
大神官がじっと俺を見る。
俺も見る。
しばらく無言で睨み合った末、大神官が小さくため息をついた。
「ずいぶん過保護ですこと」
「うるさいな」
「それほど大切になさっているのでしたら――」
大神官は、ふと考えるように顎へ手を添えた。
「いっそ、娶られたら?」
「はぁ!?」
そのときだった。
――コンコン。
「失礼します」
扉を開けて入ってきたのは、ハルトだった。
片手には、見覚えのある大きなバスケットを持っている。
俺は反射的に身を乗り出した。
「お、りりから?」
「はい。差し入れです」
「まぁ、聖女様から!?」
大神官も勢いよく立ち上がった。
さっきまで落ち着き払っていた人と同一人物とは思えない。
「中身は何でしょう? 我らが聖女様は、一体何をお作りになったのです?」
大神官は、待ちきれない様子でバスケットを覗き込もうとしている。
「落ち着け、大神官」
ハルトが咳払いをしながら、バスケットを机へ置く。
蓋を開けると、甘い香りがふわりと広がった。
おおっ、メロンパンじゃん!
バスケットの中には、メロンパンにクロワッサン。
それからクッキーなど、りりからの差し入れがぎっしり詰まっている。
俺は早速、メロンパンを手に取った。
表面には格子状の模様。
こんがり焼けた甘そうな生地が被さっていた。
「そ、それは?」
大神官が目を輝かせている。
「メロンパンだ」
俺は大神官の目の前で、パンをくるくるして見せた。
「はい。たしかにリリーもそう言っていました」
ハルトが大神官に向かって言う。
「メロン、パン? え、メロンが入っているの?」
だよなー。
名前を聞いたら、最初は誰だってそう思うよな。
「いえ、メロンは入っていないそうです」
やはりハルトが、俺に代わって説明してくれる。
「では、なぜメロンと……?」
大神官が俺に聞くが、
「……知らん」
俺は待ちきれず、二十年以上ぶりのメロンパンに齧りついた。
「……う、うますぎる!」
りり……まじで最高。
俺はずっと、食べ物にこだわりがないと思ってたけど、違ったわ。
やっぱり、美味いもんは美味いし、食べられるなら絶対食べたい。
今となっては、りりがこの世界にいる。
あいつにはこの先もっと頑張ってもらって、ぜひとも俺の食生活を豊かにしてもらいたいものだ。
「ほら、大神官も」
俺は、目の前で様子をうかがっている大神官にメロンパンを勧めた。
彼女も恐る恐る一つ取り、一口かじった。
「……」
固まってる。
だが、その目は限界まで見開かれていた。
俺はそんな大神官を放って、先にどんどん食べる。
今度はクロワッサンだ。
外側はさっくりしていて軽い。
中はふわふわだ。
うん。
やっぱりうまい。
「…………殿下」
「ん?」
「聖女様のお住まいを神殿に移しましょう」
「だ、駄目だ!」
大神官の提案に、後ろからハルトが食いついた。
「なぜです!? ほら、彼女は殿下のお気に入りでしょう? 皇宮と大神殿は目と鼻の先ですし、この先一緒になられるなら――」
「な、なんの話だ!? リリーは俺が公爵家で面倒を見ているし、この先も手放すつもりはない!」
「え?」
「おおー」
驚く大神官と、感心する俺。
ハルトは大神官に睨みつけ、噛みつく勢いだ。
「え? ですが卿は女性嫌いで有名では? たしか養子を取られて、この先も結婚なさるつもりはないと宣言されておりましたでしょう?」
そうそう。
ハルトは社交界では女嫌いで有名だもんな。
無表情で、どんな女が誘ってもなびかない。
おまけにヒューを養子にとって縁談を完全に締め出したんだから、大神官からしたら不思議で仕方ないよな。
メロンパンを片手に、大神官は続ける。
「噂では聖女様はかなりの美貌をお持ちだとか。殿下も目に入れても痛くないほど寵愛なさっているのでしょう? でしたら、聖女様は大神殿に――」
「だから、ダメだ! それにリリーは殿下の姪っ子だ! 家族なんだ! 殿下のお相手にはなれない!」
ハルトが叫ぶ。
あの氷の公爵が、女のことでなりふり構わず……。
大神官は呆気に取られている。
「え、姪っ子とは……?」
大神官はハルトの言葉に混乱し、俺とハルトの顔を交互に見るばかりだった。
そういえば、この人に前世の話はしていたが、りりとの関係についてはまだ話していなかったな。
「りりは、俺の姉の子どもだ」
「え……と、それはあちらの世界で?」
「ああ。日本でな」
大神官の表情が、ほんの少し変わった。
この人は、俺が二十四で死んだことも、向こうの世界に家族を残してきたことも知っている。
「……そうでしたの」
「ああ」
「では殿下にとって、本当に大切なご家族なのですね」
「そういうこと」
大神官はしばらく俺を見つめ、それから小さく息を吐いた。
「姪御様なら、さすがにお娶りにはなれませんわね」
「当たり前だ!」
何を残念そうに言ってるんだ。
「それに、ハルトがすでに囲っている」
俺の言葉に、大神官は意外そうにハルトを見た。
彼女も驚いたのだろう。
昔からことごとく女性を拒絶してきたこの男が、今や叔父である俺をも牽制するほど、りりに惚れ込んでいるのだから。
「……あら?」
大神官が、メロンパンにまた齧りついたところで声を上げた。
「どうした」
「なんだか、急に身体が軽くなったような」
「ああ、それか」
そうだな。
だってこれは、りりのパンなのだから。
「まあ、まあ! これが噂の回復魔法ですわね!」
さっきまでの話題などすっかり吹き飛んで、大神官はメロンパンに夢中で齧りついている。
「こんなにおいしい上、気力回復まで……」
俺もすっかり頭が冴えてきた。
疲れが抜けていく感じがする。
それに、さっきまであれだけ嫌だった書類の山が、急にたいしたことないように見えてきた。
大神官は急に席へ戻った。
そして書類のチェックを始める。
「早くこれを終わらせましょう」
「は?」
「聖女様にお会いするためにも、まずは仕事を片付けなくては」
そのまま、ものすごい速さで書類をさばき始めた。
パラパラパラパラ――
「……速っ」
「殿下も」
「お、おう」
俺もペンを取る。
そして書く。
驚くほど頭が回った。
さっきまで読むだけで嫌になっていた文面が、すいすい頭へ入ってくる。
書類の山が、一枚、また一枚と減っていった。
「殿下」
大神官が顔も上げずに声を掛けてくる。
「なんだ」
俺も書類を片づけながら聞く。
「このパン、次のバザーには三百個ほどお願いしましょう」
「はぁ? お前、りりを殺す気か!」
「却下します。無理な要求は聞けません」
ハルトも負けじと口を挟む。
「では二百で」
「そういう問題じゃない!」
「百?」
いや待て。
そもそもバザーでこんなの配ってみろ。町中、大騒ぎになるぞ。
「このパンはバザーには出せんな」
「そうですよ。彼女はうちから出しません」
ハルトが、どさくさにまぎれて変なことを言う。
「いや、待て。りりは出してやれよ」
「俺と一緒なら、まあ」
「いやいや、お前、それは危ない発言だぞ?」
今度は俺がハルトを睨む。
「フロイラインのことも片付いたのに、お前、一体いつまで閉じ込める気だ?」
「別に……閉じ込めてなどいません」
ハルトが不穏だ。
だが、とりあえず手は止めない。
大神官も手を止めていない。
メロンパンのおかげで、二人ともすっかり気力を取り戻してしまったらしい。
山のように積まれていた書類が、ものすごい勢いで減っていく。
りり。
お前、またやばいもん作ったな。
あと、気をつけろ。
ハルトに監禁される前に、やっぱり皇宮に連れてきたほうがいいかもしれん。




