最終話 リリタン
兄夫婦……?
ということは、ヒューは公爵様の子供じゃなくて、甥っ子ってこと?
じゃ、じゃあ、亡くなった奥様なんて、最初から存在しなくて。
公爵様は、一度も結婚していないってこと……?
「えええええっ!?」
思わず叫ぶと、私を抱きしめる公爵様の腕にますます力が入った。
「だ、だって、ヒューは公爵様のことを『父様』って呼んでるじゃないですか!」
「俺が引き取り、父親代わりを務めているからだ」
「実のお父上は『父上』、ハルトのことは『父様』と、ヒューは呼び分けていますね」
ゲラルド先生が、気の毒そうな顔で教えてくれた。
「気づかなかったのか?」
「いや、気づきませんよ! 誰も教えてくれないし!」
「たしかに。わかるはずがないな」
「でしょう!?」
ジン君が呆れたように笑い、大きくため息をついた。
それから公爵様と、その腕の中へ収まったままの私を交互に見る。
「……ゲラルド、行こうか」
「ええ。そういたしましょう」
「え、どこ行くの?」
「邪魔者は退散するんだよ」
ジン君は立ち上がると、公爵様に捕まったままの私のおでこを、人差し指でつんと突いた。
「ちゃんと二人で話せよ」
「は、話すって、何を!?」
「それは自分たちで考えろ」
そう言い残し、さっさと扉へ向かってしまう。
ゲラルド先生も軽く頭を下げ、そのあとへ続いた。
応接室に残されたのは、私と公爵様だけ。
「……」
「……」
いつの間にか、雨も止んでいた。
今は、なんの物音も聞こえない。
静かすぎる。
というか、近い。
すっごく近い。
「あ、あの、公爵様……」
「なんだ」
「そろそろ、離していただけると……」
「……ああ!」
公爵様は、言われて初めて気づいたように腕を解いた。
「すまない」
「い、いえ」
私たちは慌てて距離を取り、今度は並んでソファへ座った。
けれど、気まずい。
なんでジン君たち、出ていっちゃうの?
こういう時こそ、いてほしいのに!
ちらりと隣を見る。
公爵様は膝の上で両手を組み、じっと床を見つめていた。
……なんだろう。
もしかして、公爵様も緊張してる?
いつもは堂々としていて、たとえ魔獣が現れたって顔色ひとつ変えそうにないのに。
って、この世界に魔獣がいるかどうかも知らないんだけど。
そんな公爵様が、さっきから何度も口を開きかけては閉じている。
「先ほどの話だが」
「はいっ」
突然話し始めたので、思わず背筋を伸ばした。
「君が俺を好きになるのは、別に駄目なことではない」
「……はい?」
「むしろ、その……」
公爵様の視線が、わずかに泳ぐ。
え。
もしかして、公爵様も少しは私を――
「俺は――」
その時、勢いよく扉が開いた。
「リリー!」
「ヒュー?」
ヒューは部屋へ飛び込んでくると、真っすぐ私のもとへ駆け寄ってきた。
「さっき、急に雨がふったよね! だいじょうぶ!?」
「え? うん。大丈夫だよ?」
「もしかして、父様がリリーを泣かせたの?」
「……泣かせていない」
公爵様が否定する。
でも、その声はほんの少しだけ低かった。
「僕、この前ゲラルドに教えてもらったよ。リリーには女神デメテル様の加護があるから、リリーが悲しむと空から雨が降るんだって」
あ、さっき雨が降ったから、心配して来てくれたの?
やっぱりヒューは優しいなぁ……。
「……大丈夫?」
ヒューが心配そうに私の顔を覗き込んだ。
それから、ぎゅっと私の膝へ抱きつく。
「リリー、やっぱり僕と結婚する?」
「えぇっ!?」
またそんなことを!
ちらりと公爵様をうかがい見ると……
うわぁ……
氷の公爵様、本領発揮してる。
いつもの五割増しで怖い。
ですよねー。
いくら子供の冗談でも、私が相手じゃ笑えないか。
「……結婚は、しないかな」
苦笑いしながら答えると、
「そっかぁ。残念だなぁ……」
とか言いながら、ヒューは全然気にしていなかった。
そのまま私の膝を抱え、頬をすり寄せている。
ふふ。
やっぱり、まだまだ子供なんだ。
結婚の意味なんて、絶対わかってないんだよ。
「でも、ぼくたち、ずっと一緒だよね?」
ヒューの水色の瞳が、急に不安げに私を見上げた。
そう、だった。
ヒューにも、たくさん心配をかけたもんね。
目の前から急に消えたんだもの。
絶対、すごく怖かったはずだ。
私はヒューを抱き上げ、自分の胸へぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫。私はどこにも行かないよ」
「ほんと?」
「うん、本当。これからも、ここでパンを焼かせてもらいたいと思ってる」
「ずっと?」
ずっと、かぁ……。
正直、この先どうなるかは、まだわからない。
でも。
亡くなった奥様の問題は、たった今きれいさっぱり解決したところだから。
「うん。私は、ずっとここにいたいって思ってるよ」
「ほんとう? やったぁ!」
ヒューは小さな両手で、ぎゅっと私を抱きしめ返した。
――そこへ。
「し、失礼いたします!」
開いたままの扉から、ハンナさんが駆け込んできた。
「申し訳ございません! ヒュー様、突然走り出されては危のうございます」
「だって、リリーがどっか行っちゃうかもしれなかったから!」
「リリー様は、どこにも行かれませんよ。ね?」
ハンナさんはそう言って私を見ると、にっこりと微笑んだ。
……あれ?
どうしてハンナさんが、そんなことを?
「さあさあ、参りましょう。お二人には、大切なお話がございますから」
「ぼくもここにいるー」
「いけません」
「どうして?」
「どうしてもです」
ハンナさんはヒューの手を取り、半ば引きずるように連れていく。
「じゃあリリー、あとで一緒におやつ食べようね!」
「うん。あとでね」
ヒューに手を振ると、扉が静かに閉じられた。
そして再び、公爵様と二人きりになる。
しーん、という音が聞こえてきそうなほど、静かな部屋。
公爵様が、小さく息を吐いた。
気のせいかな。
ヒューが飛び込んできて話が中断してから、公爵様がずっと不機嫌そうに見えたのは。
「先ほどの続きだ」
「は、はい」
公爵様が、私の方へ身体を向けた。
アイスブルーの瞳が、真っすぐに私を見つめる。
「俺は、君のことが気になって仕方なかった」
「……え?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
いや、言葉の意味はわかる。わかるんだけど。
「君のことは、この屋敷へ来た時から……いや、フロイラインから帰る馬車の中から、ずっと気になっていた」
「えっ、ほとんど最初から!?」
もしかして、一目――
なぁんて、ちょっと浮かれたんだけど。
「ああ。もちろん最初は、目を離せないという意味だった。怪しい女だと思っていたんだ」
「あっ……」
ですよねー。
知ってた。調子に乗るな、私。
「だが、いつからか。君が笑っていると、嬉しいと思うようになった」
公爵様の声が、少しだけ柔らかくなる。
「君が殿下と親しげに話していると面白くなかったし、ティムと親しげにしているのも腹が立った」
え。
それって……
「公爵様……」
「君に避けられて、ようやくはっきりわかった」
公爵様の大きな手が、膝の上でぎゅっと握られる。
「どうやら俺は、君のことが好きらしい」
「……らしい?」
「すまない。これまで、誰かを好きになったことがなくてな」
公爵様は、少し困ったように眉を寄せた。
「だから、正直なところ、この気持ちに確信を持てなかった」
冷たいと思っていたアイスブルーの瞳が、不安げに揺れている。
「だが、君がいなくなると思うと耐えられない。君が誰かに触れられるのも嫌なんだ」
一度、言葉を切る。
「たとえ、それがヒューだとしても」
「……!」
え。
もしかして。
さっき不機嫌だったのって、ヒューにも嫉妬してたってこと?
「だから、たぶん……いや」
公爵様は一度目を伏せたあと、もう一度、まっすぐ私を見た。
「俺は、君が好きだ」
彼の、まっすぐすぎる言葉が、胸の真ん中へ飛び込んできた。
心臓が、痛いくらいに鳴り始める。
「今すぐ、同じ気持ちを返してほしいとは言わない」
公爵様は、ゆっくりと言葉を続けた。
「ただ、好きになる前から諦めないでほしい」
「……」
「俺に亡くなった妻はいないし、君が入り込んではならない場所など、どこにもない」
そんなことを言われたら、もう逃げられないじゃん。
怖いと思っていたはずなのに。
いつの間にか、公爵様に褒められると嬉しくなって。
目が合うとビビるくせに、その姿ばかり追いかけるようになっていた。
「私、公爵様のことを考えると、心臓がおかしくなるんです」
「……嫌なのか?」
「違います!」
公爵様の表情がほんの少し曇ったので、慌てて否定する。
「違うから、困ってるんです。公爵様はすっごく強くて、格好よくて、優しくて……」
口にすればするほど、顔が熱くなる。
「私なんかが好きになったら駄目だって、ずっと思ってて……」
「なんかと言うな」
公爵様が、きっぱりと遮った。
「俺は、君がいい」
「……っ」
「君でなければ駄目なんだ」
無理。
これ以上は無理。
顔から火が出そう。発火しそう。
「その……私も、公爵様のことを、もっと知りたいです」
「それは、期待してもいいということか?」
「た、たぶん……」
「たぶん?」
「だって、まだ私にもよくわからないんです!」
恥ずかしさに耐えきれず、思わず俯く。
すると、公爵様の腕が再び私の背中へ回った。
「わぁ!」
今度はさっきよりもずっと優しく、胸元へ抱き寄せられる。
「……今は、それで十分だ」
耳元で囁かれ、心臓がまた大きく跳ねた。
顔が近い。
声も近い。
全部、近すぎる!
どうしよう。
さっきまであんなに緊張してたくせに、公爵様、なんで急に余裕そうなの?
抗議しようと顔を上げかけた、その時。
「……リリタン」
耳元へ、低い声が落ちた。
「……っ!」
私は反射的に、公爵様の胸を押した。
けれど、びくともしない。
前にも言ったけど、りりたんは私の小さい頃の愛称だ。
中学へ上がる時、恥ずかしいからやめてって、家族に言ったやつ。
「なんで知って――!?」
「殿下だ」
でしょうね……。
ジン君、許すまじ。
あとで絶対に文句を言う。
「その呼び方はやめてください」
「なら、君もやめろ」
「……何をですか?」
「呼び方だ」
「呼び方……?」
「そうだ。公爵でも”サマ”でもなく、”クン”で呼んでほしい」
「え、無理です! 公爵様って、そんなキャラじゃないですし!」
「きゃらとはなんだ?」
公爵様が、不満げに眉を寄せる。
「クドークンと、俺とで何が違う?」
いや、いつまで引っ張るの、工藤君!
「工藤は名字ですし、同級生の男子はだいたい君呼びですから!」
「ならば……俺も”クン”がいい」
「……」
「君が殿下を呼ぶ時のように」
低い声が、少しだけ拗ねたように落ちる。
「優しくて、親しげな響きが、ずっと羨ましかった」
えー。
なんですか、それ……
そんなことを言われたら、もう断れないし。
「ハルトさんは?」
「”サン”は駄目だ」
「……じゃあ、ハル君で」
苦肉の策だよ……。
「ハル、クン?」
「それなら……呼べそうです」
「そうか」
公爵様は、ほんの少し口元を緩めた。
「ありがとう、リリタン」
「リリタンやめて!」
私が怒ると、
「ハハ!」
公爵様は、見たこともないくらい顔を崩して笑った。
うわ、ちょ、待っ――!!
あまりの眩しさに、胸を撃ち抜かれてしまった。
「む、無理~~っっ!」
思わず両手で顔を覆う。
だって今、絶対変な顔してる。
「どうした!?」
どうしよう。
私、公爵様のこと、かわいいって思ってしまった。
「リリタン?」
「もう!!」
顔を上げて公爵様を睨みつける。
けれど、あんなに怖かったアイスブルーの瞳は、今は蕩けるように私を見つめていた。
なんなのよ……。
だからイケメンは怖いんだよ。
「もう一度、呼んでくれ」
「……ハ、ハル君?」
うわぁ、やばい。
自分で言って、恥ずかしぬ!
「なんだ」
すっごい満面の笑みを向けられた。
氷の……って二つ名、どこ行った?
あぁー、もう無理。
また両手で顔を押さえようとすると、
「リリタ――」
「もう黙って!」
「あははは!」
だってさ。
大笑いしてるよ……。
もういい。
好きなだけ笑うがいいさ。
こうして少しずつ――このイケメンにも慣れていけばいい。
「じゃあ、これからも……よろしくお願いします」
悟りの境地で、ぺこりと頭を下げる。
「……ああ。こちらこそ、よろしくな」
公爵様はそう言って、私の頭へ大きな手を乗せた。
ぽん、ぽん、と優しく撫でてくれる。
あー、なんだこれ。
いいのかな。
私、こんなに浮かれてて。
よーし。
とりあえず厨房に逃げよう。
今すぐ行こう。
そして、これからも焼いていこう。
大切な人たちのために、美味しいパンをいっぱい。
公爵様あらため――ハル君のそばで。
(おわり)
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました!
後日談として数話上げていきますので、そちらも楽しんで頂けるといいなー(*^-^*)




