53 適切な距離
翌日の午前中。
私はなぜか、侍女長のハンナさんに応接室へ連行された。
訳もわからぬまま部屋に押し込まれ、今、この状況。
正面にはジン君が座っていて、左のソファではゲラルド先生が怪しい笑みを浮かべている。
そして右側には、なんだか思い詰めたような顔の公爵様。
……なんなの、これ。
「あの。私、これから食事の準備を……」
「今、朝食を終えたばかりだろう」
公爵様に即座に却下された。
「あ、パン種の様子が――」
「先ほど、ティムに確認をお願いしておきました」
ゲラルド先生が、にっこりと微笑む。
え、いつの間に!?
「では、お昼のパンの準備を……」
「マルクに任せてある」
逃げ道が、全部塞がれている。
私は助けを求めるようにジン君を見た。
「りり、諦めろ」
「ジン君まで……」
「俺も気になってたんだよ。お前、ハルトに何かされたのか?」
「えぇ?」
思わず、公爵様を見る。
薄氷色の瞳が、真っ直ぐに私へ向けられていた。
「何もされてないよ?」
「だったら、なんで避けてるんだ?」
「避けてない!」
反射的に否定したけれど、みんながジト目で私を見てる。
正面で、ジン君がハァと大きなため息をついた。
「……昨日の撮影でも、わざとハルトから離れてただろ?」
「あ、あれは、ヒューを真ん中にしたかっただけで……」
ここ、尋問室なのかな。
なんかみんな、怖いんだけど。
「会えば、挨拶だけしてすぐ逃げるし」
「に、逃げてません!」
「昨日は目を合わせもしなかった」
「一秒は見ました!」
公爵様の目が、さらに険しくなる。
落ち着かなくてジン君を見たけど、ニヤッとされるだけだった。
左のゲラルド先生に至っては、終始怪しい笑みを貼り付けたまんまだ。
「神殿から戻った夜までは、普通だった。だが、翌朝から急に俺を避けるようになった」
「だから、避けているわけでは……」
「では、なんだ?」
公爵様の声が、少し切羽詰まっている。
なんだか、だんだん申し訳なくなってきた。
「……て、適切な距離を取ろうと思いまして」
「適切……?」
ジン君が呟く。
私はもう、視線をさまよわせるしかない。
なんなの、この圧迫面接みたいなの。
「なぜ、急に?」
困った。
一体どう説明すればいいの?
公爵様が悪いわけじゃない。
私が、勝手に意識しちゃってるだけ。
だから、これ以上好きにならないように、少し離れようとしているだけなのに。
「リリー」
公爵様が、私の名前を呼ぶ。
「俺が、君の肩を抱いたことが嫌だったのか?」
「違います!」
嫌なわけない。
あんなふうに守ってもらって、嫌なわけがない。
「では、なぜ避ける」
「だから、避けてませんってば!」
公爵様が、困り果てたように眉根を寄せた。
「……今までどおりでは、ダメなのか?」
「ダメです!」
思わず声を上げると、三人の視線が一斉に私へ集まった。
……どうしよう。
なんだか、泣きそうなんだけど。
なんで私、責められてるの?
私、なんにも悪くないよ?
公爵様は体格だっていいし、めちゃくちゃイケメンだし。
おまけに強いんだよ。
あんなふうに守ってもらったら、誰だって勘違いしちゃうよ?
「なぜダメなんだ?」
「それは……」
言えるわけがない。
公爵様のことを好きになりそうだから、これ以上優しくしないでほしいなんて。
「りり、この先も長い付き合いになるんだ。ちゃんと理由を言ったほうがいいぞ」
「そうですよ。ハルトはこの数日、ずっとあなたのことで悩んでいましたから」
「ゲラルド!」
公爵様が止めたけれど、もう遅い。
「悩んでたんですか?」
「……君に嫌われた理由が、わからなかっただけだ」
「嫌ってません!」
「ならば、なぜそんな態度なのか、理由を言ってくれ」
公爵様が、少し身を乗り出す。
私もその分だけ身を引いたけど、背中がすぐに背もたれへぶつかった。
「公爵様は何も悪くないんです。本当に……私の問題なので」
「その問題がなんなのかを聞いている」
「……言いたくありません」
「なぜ?」
「い、言えないからです!」
「俺には……理由を聞くことすら許されないのか?」
公爵様の声には、焦りが滲んでいた。
その表情も、怒っているというより――傷ついているように見える。
どうして、そんな顔をするの?
私がちょっと距離を置いたくらいで。
公爵様はもっと自分のビジュアルを自覚したほうがいい。
じゃなきゃ、私みたいな勘違いする女が後を絶たないはずだ。
こんなに素敵な人。
私なんかが釣り合うわけないよ。
私なんて、パンを焼くくらいしかできないし……
貴族でもなければ、とりわけ美人なわけでもない。
おまけに異世界人だし。
なんかだんだん、情けなくなってきた。
「……だって、だって、仕方ないじゃないですか!」
とうとう我慢できず、声を上げた。
窓の外、空は一瞬で雲に覆われ部屋が一気に暗くなる。
「公爵様には、亡くなった奥様がいらっしゃるんですよ!?」
私の声と同時に、部屋の空気が止まった。
公爵様が目を見開く。
ジン君も固まっている。
ゲラルド先生は、口を半分開けたまま動かない。
だけど、ここまで言ったら、もう止められなかった。
「まだ亡くなられて一年しか経っていないのに、私があんなふうに甘えるなんて、奥様に申し訳ないでしょう!?」
「……」
「それに、ヒューのお母様でもあるんですよ? 私なんかが、その場所に入り込むようなことをしたらダメじゃないですか!」
「……待て。君は、いったい何を――」
「だから、身の程をわきまえてるんです。私が公爵様を好きになったりしたら、どうするんですか!!」
……あ。
今、私。
なにを口走った?
三人の視線が、一斉に私へ集まる。
窓ガラスに、ザーッと雨の打ちつける音がした。
雨足は、どんどん強くなっていく。
公爵様は、呆然としたまま私を見つめていた。
誰も、一言も発しない。
今すぐ逃げたい。
床に穴を掘ってでも隠れてしまいたい。
私は、すっくと立ち上がった。
もう知らない。
全部バレた。
もうイヤだ。
……猛ダッシュで逃げるしかない。
けれど、一歩も踏み出さないうちに、公爵様に捕獲された。
「わっ」
長い腕にからめとられ、私の体はあっという間に公爵様の胸へ抱き寄せられる。
「待て。俺は結婚などしていない」
「……え?」
私は訳がわからなくなって、ジン君とゲラルド先生を見た。
二人は、残念な子を見るような目で私を見ている。
え、なんで?
「だって、ヒューが……」
アイスブルーの瞳が私を捕らえる。
公爵様はすっごく真剣な顔をして言った。
「ヒューは、亡くなった兄夫婦の子だ」
「……へ?」
兄夫婦……?
窓の外、私の驚きと同時に雨音も止んでいた。




