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非処女は聖女にあらず?~追放された私、隣国では聖女として溺愛されてます~  作者: コトリちゃん
本編

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48 最終防衛線Ⅱ

(ハルト視点)


 ダイニングの扉が開き、バスケットを腕にかけたリリーが入ってきた。

 と思ったら、彼女の足元に銀色の召喚陣が浮かび上がった。


 おかしい。


 この屋敷には、悪意に対する防御陣が張ってあるはずだ。

 このような魔法は、すべて遮断されるはずなのに――


「リリー!」


 俺は瞬時に立ち上がり、固まる彼女を胸に抱いた。


 足元の召喚陣には、三日月と弓矢。

 これは――女神アルテミスの紋様だ。


 くそ!

 神性干渉か――


「ヒュー、ゲラルドに伝えろ。フロイラインだ!」


 言い終える前に、空間が歪んだ。


 目を開けていられないほどの青白い光。

 地面が揺れるような感覚。

 だが、それらはすぐにおさまった。


 足元の召喚陣はまだ、ゆらゆらと光の残滓を放っている。

 おそらくここは、フロイラインの神殿なのだろう。


 腕の中のリリーは、肩を震わせている。


「大丈夫だ。俺がいる」


 俺はその細い肩を抱き、自分の胸へと抱き寄せた。


 そこへ――


「なんと、なんと。突発的な召喚にもついてくるとは。貴殿が噂の公爵か」


 人を小馬鹿にしたような声が響いた。

 尊大な態度でこちらに声を掛けたのは、フロイラインの王子、リヒャルトだった。


 その隣には、おそらく大神官だろう、年配の男が立っている。


 ほかに護衛騎士が数人。

 若い神官らも控えていた。

 そして、女神アルテミス像のそばには、異様な雰囲気でこちらを睨みつけてくる黒髪の女もいる。


「貴殿はあれか。片時も離さず、その女を抱いているのか?」


 王子リヒャルトは、俺の腕の中の彼女へ、あからさまな視線を投げてきた。


 その女。


 顎でそう示した王子の態度から、彼女がここでどんな目にあったのか、容易に想像できた。


 喉の奥に、冷たい怒りが込み上げる。

 だが、今はそれをぶつける時ではない。


 俺は王子の言葉に答えず、周囲を見渡した。


 天井が高く、広い聖堂。

 正面には王子と大神官。

 左右には護衛騎士が控え、その手前には神官らが立っている。


 俺とリリーの背後には何もない。

 つまり、このままでは囲まれる。


 試しに身体の奥で魔力を練ってみる。

 だが、いつもなら即座に応じるはずの魔力が、まるで薄い膜に阻まれるかのように散った。


 やはりな。

 この聖堂には、魔法を封じる陣が張られているようだ。


 ならば魔法は使えない。

 連絡も、防御も、転移も無理だ。


 よし。連中がまだ、こちらの意図を測りかねている今しかない。

 俺はじりりと一歩下がった。


「公爵様……?」


 彼女は不安げに俺を見上げた。


「大丈夫だ。俺の後ろにいればいい」


 囁くように告げ、すばやく彼女を抱き上げる。


「なっ!」


 近くにいた神官が慌てて手を伸ばすが、触れさせない。

 俺は一気に、聖堂後方の角へ走った。

 そこにリリーを下ろすと、角に押し込むように立たせ、自分の背で彼女を隠した。


 右も左も石壁。

 ここなら背後を取られない。


「ここから動くな」


 前を向いたまま伝える。


 リリーが小さく息を呑む気配がした。


 怖いのだろう。

 当然だ。


 背後からかすかに、バスケットの籠が軋む音がした。

 

 かつて俺は、彼女を警戒する側にいた。


 ヒューも使用人たちも、ゲラルドさえも、すぐに彼女への警戒を解いていく中、俺だけは気を抜いてはならないと思っていた。


 ヒューを守るため。

 公爵家を守るため。


 最後まで彼女を疑い、最後まで見極める。


 リリーという怪しい女から皆を守る。

 それが俺の役目だと、あの時は本気で思っていた。


 だが、今は違う。

 俺が守るべきものは、背中にある。


 リリーは、怪しい女などではなかった。

 彼女はヒューにとっても、公爵家にとっても、もはやいなくてはならない存在だ。


 そしておそらく、俺にとっても……


 ならば、俺が最後の防衛線になる。


 ヒューは必ずゲラルドへ伝える。

 ゲラルドから報せを受ければ、殿下は必ず来てくださる。


 持ち堪えろ。

 この線だけは、誰にも越えさせない。


「その女性をこちらへ」


 白い法衣の神官が、当然のように近づいてきた。

 とっさに手を腰の剣へ伸ばす。


 だが、そうだった。


 俺はもう騎士ではない。

 帯剣などしていなかった。


 それでも、近づけるつもりはない。

 神官の手が、背後のリリーへ伸びた。


「触るな」


 俺はその手首を払った。

 神官がよろめく。


 それでもなお踏み込んできたため、俺は肩でその身体を弾き飛ばした。

 白い法衣が石床に転がると、聖堂内に短い悲鳴が上がった。


「貴様、神殿で何を!」


「彼女に触れるな」


 俺は短く返す。


「もう一度手を伸ばせば、その腕を折る」


 神官たちが一斉に息を呑んだ。


 王子リヒャルトだけが、愉快そうに口元を歪めている。


「ほう、ほう。なんと粗暴な……」


 その声音には、明らかな嘲りが混じっていた。


「公爵よ、勘違いするな。その女は我が国が召喚した異世界人なのだ。神殿より逃げ出した以上、こちらには取り戻す権利がある」


「……権利?」


「そうだ。召喚に費やしたのは我が国の魔力と国費。そいつの所有権はこちらにある」


 その言葉を聞いた瞬間、背後でリリーが息を呑んだ。


「……彼女は、物ではない」


 静かに告げると、王子は鼻で笑った。


「ハッ。ならば何だ? 

 聖女にもなれぬ穢れた女を、貴殿はなぜそこまで庇う?」


 背後で、リリーの指が俺の服を強く掴んだ。


「どうやら貴殿も皇太子も、その穢れた女を大層気に入っているようだ」


 穢れた女。

 王子はそう繰り返す。


 俺はぐっと奥歯を噛み締めた。

 だが、一歩も動かない。

 ここで飛びかかれば、彼女の前が空く。


 だから堪える。

 挑発には乗らない。


「口を慎め」


「ほう、ほう。ずいぶんとご執心だな。どれ、私にもよく見せてみろ」


 歩み寄るリヒャルトの視線が、俺の背後へ向かう。


「一体、どのようにして貴殿らを誑し込んだ? なるほど、なるほど。顔は悪くない」


 背後で、リリーの身体が小さく震えた。

 俺は拳を握り締める。


 絶対に守る。

 俺は彼女を守るために、ここにいる。


「取り押さえろ」


 王子の命令に、ついに護衛騎士達が動いた。


 一人。

 二人。

 三人。


 やつらは皆、剣に手をかけながら距離を詰めてくる。

 だが、まだ剣は抜かなかった。


 俺は半身になる。


 背後にリリーを隠したまま、正面の騎士を見据えた。

 最初の騎士が踏み込んでくる。


 すかさず腕を取る。

 足を払って、重心を崩すと石床へ叩きつけた。


 次に来た騎士の手首を払い、鳩尾へと膝を入れる。


 その隙を狙ってリリーへ伸びた別の手を、瞬時に左手で弾いた。


 息を整える暇はない。


 正面を塞ぎ、横を潰し、背後へは通さない。

 それだけを考えた。


「何をやっている! 相手はたかが公爵だろう!」


 王子が怒り狂ったように叫んだ。


 だが、俺はただの公爵ではない。

 魔法など使えなくとも戦える。

 俺は、ジークフリート殿下の筆頭護衛騎士だったのだから。


「たった一人に何を手こずっておるのだ! 貴様ら、その腰の剣は飾りか!? それを使え!」


 王子の言葉に、騎士の一人がとうとう剣を抜いた。


 だが俺はすかさずその手首を払い、騎士から剣を奪い取った。

 二人目の攻撃に、その剣で応戦する。


 狙うのは命ではない。


 手首。

 膝。

 剣を持つ腕。


 相手を止める。

 進ませない。


 そのためだけに剣を振るう。


 聖堂の床に、騎士達の呻き声が落ちる。

 それでも、まだ数人が控えていた。


 退いたと思っていた神官らも、祈具のようなものを手に取り囲もうとする。


 こちらは俺一人。

 背後には守るべきリリー。


 正面から来た騎士を相手にしていると、左から来た騎士が剣を突き出した。


 避ければ、剣先は背後のリリーへ届く。

 だから退かなかった。


 上着が裂け、肩に焼けるような痛みが走った。


「公爵様!?」


 背後で、リリーが震える声を上げた。


「下がっていろ」


 前に飛び出しそうになるリリーを、声だけで制する。

 左の騎士を押し返した瞬間、視界の右端で白い法衣が動いた。


 わずかな隙をついて、神官の手がリリーへ伸びる。

 俺はすかさず叩き落とした。


 だが、今度は反対側から騎士が進み出る。


「リリー!!」


 とっさに血の滲む腕で彼女を抱き寄せる。

 せめて、この身体を盾に――


「ダメ――ッッ!!」


 腕の中でリリーが叫んだ。

 その瞬間、聖堂の空気が弾けた。


 轟音。


 複数の雷光が天井から落ち、こちらへ伸びていた騎士や神官らの足元を穿った。

 石床が砕け、数人が悲鳴を上げて後ろへ倒れ込む。


 直後、冷え切った聖堂へ、眩い金色の光が降り注いだ。

 足元には、新たな紋様が浮かび上がっていく。


 黄金の麦の穂と、それを抱く収穫の鎌。

 女神デメテルの紋様だ。


 聖堂中に、陽だまりにも似た柔らかな魔力が満ちていく。


「神性干渉……」


 大神官の掠れた声が響いた。

 神官らは一斉に膝をつく。


 攻撃してきた騎士たちも、息を呑んで動きを止めた。


 俺はリリーを胸に抱いたまま、光の中心を見る。


 そこには、複数の人影。

 中心に立っていたのは――


「我が国の聖女に、一体何をしている」


 低く、怒りを押し殺した声が響いた。


 我が主君、ジークフリート殿下だった。



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