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非処女は聖女にあらず?~追放された私、隣国では聖女として溺愛されてます~  作者: コトリちゃん
本編

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43 距離感

(ハルト視点)


 午後。

 ゲラルドの行う授業を見に来た。


「私だけでも大丈夫ですよ?」


 ゲラルドにはそう言われたが、なんとなく二人きりにはしたくなかった。

 ヒューは今日、実戦剣術の日でどうしても同席できない。


 殿下から彼女を任された手前、未婚の男女が二人きりというのはよろしくないだろう。

 

 彼女に圧をかけないよう、俺は少し離れた場所に座ることにした。

 さながら、授業参観の保護者のように。


「あの、ゲラルド先生」


「はい」


「……私、実は確認しておきたいことがありまして」


 彼女は少し言いにくそうに切り出した。


「なんでしょう?」


「あの、水晶玉を割ってしまった件なんですけど……弁償って、どうすればいいですか?」


 そう言って彼女は、俺の方にも目を向けた。

 すごく申し訳なさそうに、眉尻を下げている。


「私、お金を持っていないので、こちらで働いて少しずつ返すしかないのかなと思っていて。

 厨房で働かせてもらっているのも、その分に充ててもらえたらと……」


「リリー」


 思わず、名前を呼んでしまった。


 彼女は俺の声にぴくりと肩を震わせた。

 俺の声が、少し低くなってしまったからかもしれない。


「弁償は不要だ」


「えっ」


 驚く彼女に、ゲラルドが代わって説明してくれる。


「あなたの魔力量が、測定上限を大きく超えていた。つまり、道具の想定外だったのです」


「でも、壊れましたよね?」


「壊れましたね」


 ゲラルドはあっさり認めた。


「ですが、故意ではありません。ましてや、あなたはこの世界の魔道具の扱いを十分に説明されていたわけでもない」


「でも……」


「さらに言えば」


 ゲラルドの眼鏡が、きらりと光った。


「測定球を壊すほどの魔力量を持つ人物を、ただの使用人として扱っていることの方が問題ですから」


「……え?」


 またこちらに視線を向ける彼女に、俺も小さく頷いた。


「リリー。君は自分を普通の女性だと思っているかもしれないが、そうではない」


 一度名前を呼べば、次からは案外自然に口をついて出るものらしい。


 これまで、彼女の名を呼ぶことをあえて避けてきた。

 無用な期待をされては困ると思ったからだ。


 だが、今ならわかる。

 彼女は、俺にもゲラルドにも全然興味がなさそうだ。そういう意味で。


 本来なら安心すべきところなのに、それはそれで引っ掛かる。

 なんなんだ、このモヤモヤは。


「え、でも私、パンやお菓子を作ってるだけですし……」


 彼女が遠慮がちに話すので、俺はただ事実を伝えた。


「それを食べた者の疲労が回復し、心が軽くなる。ヒューも、俺も、そして屋敷の者たちも、皆がそれを実感している」


 でも、とまだ納得のいかない様子で、彼女は続ける。


「それはたぶん……女神デメテル様の加護で、料理に効果がついているだけで」


「だけ、ではありません」


 ゲラルドがすぐに否定した。


「女神の加護を受け、異常な魔力量を持ち、作った食べ物に回復効果を付与する。

 これを聖女と呼ばずして、何と呼ぶのでしょう」


 ゲラルドの勢いに、彼女は言葉を失った。

 ハッと息を呑み、胸元を押さえる。


 聖女。


 その言葉が、彼女にとってどう響いたのか正確にはわからない。


 だが、あのフロイラインで彼女がどんなことを言われたかは容易に想像できる。

 冷たい神殿で、勝手にステータスを暴かれ、聖女ではないと切り捨てられたのだから。


「でも、私、フロイラインで……」


 彼女の声が震えた。


 聖女でないと言われた。

 おそらく、そう言おうとしたのだろう。


 けれど彼女は、最後まで言えなかった。

 唇を噛み、必死に何かを堪えている。


 ゲラルドの声が、少しだけ柔らかくなった。


「ご存じないかもしれませんが、女神の加護を持つということ、それ自体がつまり聖女の証明なのです」


「え?」


「だからあなたは聖女で、殿下は聖人なのですよ」


「……え?」


 彼女は瞬きを繰り返した。

 どうやら、理解が追いつかないのだろう。


 俺は静かに口を開いた。


「たしかに君はフロイラインの聖女ではない」


 彼女の黒い瞳が、こちらを向く。

 不安げで、傷ついた目だった。


 その目を見て、胸の奥が鈍く痛む。

 この言葉だけで終わらせてはいけない。


「リリー。なぜなら君は、我が国の大切な聖女なのだから」


 大切な。


 口にしてから、自分でも少し強すぎたかと思った。だが、取り消す気にはならなかった。


 彼女は何か言おうとして、結局、何も言わなかった。

 ただ唇をきゅっと噛み、俯く。


 泣くのを耐えているように見えて、俺まで少し苦しくなった。


 どう声をかけるべきか迷っていると、ゲラルドがこほんと咳払いをした。


「というわけで、弁償の話は不要です」


「で、でも」


「不要です」


 にこりともせず、二回言う。

 こういう時のゲラルドは容赦がない。


 彼女はしばらく迷っていたが、やがて小さく頷いた。

 納得したというより、これ以上言っても無駄だと悟った顔だった。


「その代わり、まずはご自身の立場を理解していただきます」


「立場……」


「はい。あなたは女神デメテルの愛し子、つまり聖女であり、皇太子殿下の庇護対象でもある。そしてここ、リンデンバウム公爵家が正式に保護している女性なのです。

 聖女やデメテルの加護については、今から説明していきますね」


 よし。

 ここから、やっと授業が始まるのかと思った。


 だが、ゲラルドはなぜか眼鏡を中指で押し上げた。


「ですがその前に、どうしても気になることがありまして……」


 なんだか、嫌な予感がした。


「いくつか質問してもよろしいでしょうか?」


「あ、はい。なんでしょうか……?」


 彼女は不安げな表情を見せている。


「もしヒューを、ニホンゴの敬称をつけて呼ぶとしたら?」


 また、始まった……

 彼女も同じことを思ったのだろう。

 ぽかんとした顔をしている。


「……え、ヒュークン、ですけど」


「なるほど、“クン”ですか」


 ゲラルドは真剣な顔で頷いた。

 真剣な顔をしているが、ヤツは絶対に楽しんでいる。


「では、ハルトは?」


 ゲラルドがこちらを見る。


 なぜ俺を例に出す。


 彼女もつられるように俺を見た。

 黒い瞳と視線が合う。


 ほんの一瞬だった。

 彼女はすぐに慌てたように目を逸らした。


「……ハ、ハルトサマですかね」


「……“サマ”ですか。なるほど」


 サマ、とはなんだ?

 なぜ、クンではない?


 胸の奥に小さな引っかかりが残った。


「“サマ”という敬称は目上の方向けですか? もしくはフォーマルというか、少々距離がある関係に使うという認識で合ってます?」


「あ、はい」


 彼女は素直に頷いた。


 目上?

 距離がある関係?


 俺は公爵で、彼女を保護している立場にある。


 なるほど……まあ、そうだろう。

 そうでなければならない。


――ンンッ


 なのに、思わず咳払いをしてしまった。


「ちなみに――」


「まだ続くんですか??」


「もちろんです。もし今後、ハルトと親しくなった場合、敬称は“クン”になりますか?」


 だから、なぜ俺を例に出す。


 ゲラルドを睨みつけると、奴は実に楽しそうな顔をしていた。

 これはもはや授業ではない。


 だが、この答えは正直俺も聞いてみたいと思ってしまった……


 彼女はしばらく困ったように視線を泳がせたあと、観念したように口を開いた。


「……いいえ。もし親しくなっても、やっぱりハルトサマか、ハルトサンでしょうね」


 ハルト、サマ。

 もしくはハルト、サン。

 彼女にそう呼ばれるところを、思わず想像してしまった。


 それにしても”サン”とは一体何なんだ?


 “サマ”より近く、“クン”ほど親しくない。

 つまり”サン”とは、その中間なのか。


 表情を崩さないよう、紅茶のカップに手を伸ばす。

 一口飲み込んで、なんとか心を落ち着けた。


 はぁ……なぜ俺はこんなに振り回されているんだ。


「なるほど、なるほど」


 ゲラルドは、ひどく満足そうだった。

 その表情を見ていると、余計に腹が立った。


 今日は、彼女に自分の立場を理解してもらうための授業だったはずだ。


 だが俺は今日、余計なことまで知ってしまった。


 どうやら俺は、彼女に“サマ”と呼ばれることを、少しだけ不満に思っているようだ。


 ……ほんの少しだけ、な。



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