42 休養日とは?
「リリーは殿下と結婚するの?」
ヒューの爆弾発言を、私とジン君はすぐさま否定した。
「いやいやいやいや!」
「ないな」
声が重なり、ヒューはまだ不思議そうに私たちを見比べている。
「あのね、ヒュー。私と殿下は……えっと、その、家族なの」
「え? リリーはやっぱりお姫様だったの!?」
いや、ちがう!
そうじゃなくて……!
説明に困っていると、ジン君が助け船を出してくれた。
「公子。俺たちは二人とも女神デメテルの愛し子だからな。まあ、家族みたいなもんだ」
「え、そうなのですか?」
わかったのか、どうなのか。
ヒューはそれでも納得したように頷いた。
「じゃあ、リリーはどこにも行かないよね?」
まだ少し不安そうに聞かれて、胸がきゅっとなる。
「うん。ここにいさせてもらうつもりだよ」
当分は、と付け加えたいところをぐっと飲み込んだ。
今は甘えさせてもらってるけど、この先も同じとは限らない。
この屋敷には私以外に若い女性がいないし、そのうち問題になるかもしれない。
「あ! じゃあ、リリーはぼくと結婚する?」
「え、なんで?」
どうしたの、ヒュー?
今度はまた、とんでもないことを言い出したよ?
あ、でも、日本で言えばヒューはまだ幼稚園児か……
つまり先生と結婚する、みたいなノリかな。
「だってぼく、リリーのこと大好きだもん。へへ、だから結婚したいなーって」
淡い水色の瞳が私をまっすぐ見つめる。
うそ。
ちょっとキュンってしちゃった。
しかもこれ、私の人生初のプロポーズだよ。
「う、嬉しいかも……」
かわいい冗談に、ジン君と顔を見合わせて笑っていると、
「ダメだ!」
って、公爵様が、けっこう必死な声を出した。
あ、ですよねー。
いくら冗談でも、自分の息子がこんなこと言い出したら焦るよね。
「なんか、すみません……」
申し訳なくなって、ぺこりと頭を下げる。
「いや、違うんだ。俺は……その……」
公爵様はなぜかしどろもどろになった。
「えぇー、ぼくは本気だよ?」
「こら、ヒュー、黙りなさい」
って、焦る公爵様。
最初は無口で無表情な印象だったけど、実はそんなこともないのかな。
公爵様って結構色んな反応を見せてくれるもんね。
――コンコン。
そこにノックがして、ダイニングルームの扉が開いた。
顔をのぞかせたのはゲラルド先生だ。
「殿下、迎えの馬車が来ております」
「もう来たか。早いな……」
ジン君は残念そうにため息をこぼした後、私に向かって日本語で言った。
『そういや、結婚で思い出したけど。お前さ、どんなヤツと付き合ってたの?』
ジン君の声は、いつもの軽さを装っていた。
でも、目が笑ってない。
『え、急になに? なんで日本語?』
『いや、なんとなく。聞かれたくないかなーと思って』
ああ。
たしかに聞かれたくはない。
ここには公爵様もゲラルド先生もヒューもいるし、給仕の使用人だって立っている。
でも、ジン君にも言いたくないんだけど。
『もしかして、工藤ってやつ? なんか姉ちゃんが腐れ縁だって言ってた気がするんだけど』
『え、なんで工藤くん!? ただの同級生だよ。中学卒業してから会ってもないし』
『……じゃあ誰? どんなヤツ?』
急にそんなことを聞かれて、なんか嫌な予感がした。
なんで私の過去を……?
まさか『非処女』とかいう情報をバラされたんだろうか。
『もしかして、フロイラインからなにか言われた?』
そう尋ねた瞬間、部屋の空気が少しだけ緊張した気がした。
『いや、別に』
ジン君はそう言葉を濁し、「まぁいいや。また来る」と言い残して去っていった。
ジン君が去ったあと、ダイニングルームにはなんとも言えない空気だけが残った。
……なんだったんだろう。
っていうか、どっから出てきたの工藤君?
彼、同じクラスになることが多かっただけで、本当にただの同級生だし。
しかも今は結婚して子どももいるって聞いたよ?
そもそも、身内に昔の恋愛話なんてするわけないじゃん。恥ずかしー!
そんなことを考えていると、公爵様から声がかかった。
「今日から二、三日、君は厨房の仕事を休め」
「ふぇっ」
思わず変な声が出た。
「で、でも、パン種の様子を見ないと。水分とか匂いとか、確認しないといけないんです」
「……じゃあ、確認だけだ」
「え?」
「パン種の確認は許可する。だが、作業はするな」
うっ。
逃げ道を塞がれた。
「……ちょっとだけ、こねるのも駄目ですか?」
「駄目だ」
「粉を触るのは」
「駄目だ」
「じゃあ――」
「ゲラルド」
「はい。私が監視いたしましょう」
ゲラルド先生が、ものすごく真面目な顔で頷いた。
……監視?
今、監視って言ったよね。
「休養は必要ですよ。正直、あなたは働きすぎです」
「むぅ……」
確かに早朝から深夜まで厨房にいたのは認める。
でも、パン作りって手がかかるんだよ?
そう思っていると、公爵様が静かにこちらを見た。
「君に倒れられては困る」
その一言に、口をつぐむ。
困る。
そう言われると、なんだか胸がきゅっとする。
「……わかりました。じゃあ、今日、明日とお休みをいただきます」
「そうしてくれ」
公爵様が頷く。
するとゲラルド先生が、待ってましたと言わんばかりに眼鏡を押し上げた。
「では、休養中は私の授業を受けていただきます」
「授業?」
「はい。この世界の常識、魔術、神殿、身分制度、そしてあなた自身の立場について」
……え、それって休養になる?
「座学ですから、身体は休まります」
そ、そういう問題なの……??
私、頭使うの苦手なんだけど……
でも暇よりマシか、なんて考えてたら予想外の話が飛んできたよ。
「ところで、先程殿下とお話しされていた中で、“クドークン”という名前が聞こえましたが……」
……え。
思わず固まった。
日本語で話していても、名前とかは普通に聞こえるってこと?
「先日、殿下から伺った情報によれば、“クン”とは親しい間柄で用いる敬称のひとつ、と考えられます。
実際、あなたは殿下を“ジンクン”と呼んでおられますし……」
「いや、まぁ、そうですけど……」
ちょっと待って。
その分析、なんか嫌な予感しかしない。
「となると、クドークンは――」
「いや、工藤君はただの同級生ですよ?」
「つまり、同じ学び舎に通っていた人物ということでしょうか」
「そうです。卒業してからは会ってもないし」
「想い人ではなく?」
「えぇ!? いやいや、なんの関係もありませんから!」
「……なるほど」
ゲラルド先生は頷いた。
頷いたけど、納得したのか研究対象が増えたのか、正直よくわからない。
っていうか、なんなの工藤君!?
「まあ、続きは後ほど」
「いや、え?」
ちらりと公爵様を見ると、公爵様は無言で紅茶のカップを持ち上げていた。
けれど、なぜかその表情が少しだけ硬い。
……本当に、なんなんだろう。
休養日。
そう聞いたはずなのに、どうやら全然休める気がしなかった。




