37 凍る皇宮
(皇太子ジークフリート視点)
ハルトと従者のゲラルドを皇宮に呼んだ。
今日は俺の執務室にて、りりの今後について話し合う予定だ。
前回同様、俺の対面にハルトとゲラルドが腰かけている。
今日は快晴。
庭園では急ピッチで青や紫のデルフィニウムが植えられている。
先日、俺のせいで天候が荒れに荒れ、庭園の薔薇をすっかり散らしてしまったからな……
庭師たちには申し訳なく思うが、さすがに今後あれほどの衝撃を受けることはないだろう。
少しの雑談を経て、ハルトが早速切り出した。
「殿下はその、彼女とは一体……?」
ハルトの言葉に、ゲラルドも視線を俺の方へ向けた。
そうか。
そういえばまだ、俺たちの関係をきちんと説明していなかったな。
「……どう思う?」
面白くなって問い返すと、ハルトは困ったような顔を見せた。
「大切な方、ということはわかっています。ですが……」
そこで口をつぐんでしまった。
公爵家の屋敷で見た時も思ったが、あの無口で無表情だったハルトがずいぶん色んな顔を見せるようになったもんだ。
「ゲラルド。お前はどう考える?」
こいつの有能さは、以前から俺の耳にも届いていた。
ハルトと同様、元は皇宮で働いていた人材だ。魔術院の上級研究官として。
「私の考えを申し上げますと……
お二人がどこで知り合ったかという疑問は置いておくとしまして、お二人の関係にはいわゆるご兄妹というか、家族の愛を感じます」
「……ふむ」
俺はゲラルドを見据える。
ハルトは正解が気になるらしく、視線が俺とゲラルドの間をずっと行ったり来たりしていた。
「……姪だ」
「「え?」」
俺の答えに、二人が声を揃えた。
「め、姪、ですか?」
ハルトはそう言って、ゲラルドと顔を見合わせている。そして――
「姪……」
と呟きつつ、なぜか安堵するように大きく息を吐いた。
「ニホン、という異世界において……ということでしょうか?」
少し呆けているハルトと違い、ゲラルドが直球で聞いてくる。
この二人はあの時、りりの説明を一緒に聞いていたわけだが、最初の方は日本語だったしな。
肝心なところが何もわからず、ずっと気になっていたはずだ。
「そうだ。俺には、この国に生まれる前の記憶がある」
そう告げると、二人がハッと息を呑むのがわかった。
「俺は前世、日本でりりの叔父だった。年は十歳差。りりは姉の子だ」
そこからは、りりの菓子を食べながら日本のことを話してやる。
そう。この、幸福付与(微)のクッキーを食べながら。
ハルトは日本どころか、こことは違う世界が存在していることに驚いていた。
だがゲラルドは、古い書物に異世界からの聖女召喚に関する記録があることを知っていた。
事実、隣国フロイラインにおいて召喚術を成功させているわけだし、信じざるをえないだろう。
「どうりで、殿下は幼い頃から落ち着いておられたわけですね」
ハルトが、りりのクッキーをかじりながら言う。
「まあな、二度目の人生だからな」
「ところで殿下」
と、ゲラルドが眼鏡をくいと上げながら聞いてきた。
「彼女はなぜ殿下を今の愛称で呼ぶのでしょうか?」
ん?
ああ、もしかしてりりの呼ぶ“ジン君”がこちらでいう“ジーク”に聞こえているのか?
「日本での俺の名前は仁だ。りりは俺のことを“ジン君”と呼んでいるんだ」
「「ジンクン……」」
二人が真顔で繰り返す。
なんか、やめてくれ。
恥ずかしいわ。
「あの、殿下」
ゲラルドが、再び中指で眼鏡を押し上げながら聞いてくる。
かなり、食い気味に。
「もしかして、その“クン”というのは敬称かなにかでしょうか?」
「あ? ああ、そうだな。日本語には様とか、さんとか、君とか、ちゃんとか……まぁ、色々あるな」
「え、ちょっと待ってください。今、書き留めるので……」
そう言って、ゲラルドは取り出した手帳にサラサラとメモをとりだした。
「ゲラルド……」
ハルトが呆れたように声をかけるが、没頭するゲラルドにその声は届かなかった。
こうして穏やかに時は流れていた。
それなのに――
――コンコン!
少々落ち着きのないノックのあと、側近がフロイラインからの外交文書を携えて入ってきた。
「殿下、フロイラインより再度、抗議文が届いております」
その言葉に、執務室の空気がわずかに変わる。
ハルトがクッキーを持つ手を止め、ゲラルドがすっと表情を引き締めた。
「またか」
俺は小さく息を吐き、側近から文書を受け取った。
さすがに、今度は多少まともな文面になっているだろう。
少なくとも、先日のような的外れな抗議ではないはずだ。
そう思いながら封蝋を割り、文面に目を落とす。
数行、読み進めたところで――
指先が止まった。
黒眼黒髪、二十歳前後。
そこまではいい。
りりの特徴としては、間違っていない。
だが、その次に続く一文を見た瞬間、俺の頭から音が消えた。
『女はすでに純潔を失っている』
何だ、これは……
一体何を書いている。
俺の手の中で、紙の端が音を立てて歪んだ。
誰のことだ?
いや、りりのことだ。
こいつらは、りりのことを書いている。
「殿下?」
ハルトの声が遠く聞こえる。
俺はもう一度、その一文を見た。
純潔を失っている?
記憶の中、まだ幼かったりりの顔が浮かぶ。
俺の大事なりりたんに……!?
召喚されたあと、あの国で。
りりは一体何をされたんだ――!?
「……こいつら」
喉の奥から、自分でも聞いたことのない声が漏れた。
「りりに、一体何をした!?」
その瞬間、執務室の窓が白く曇った。
空気が軋む。
ハルトが立ち上がった。
「殿下!」
ゲラルドも同時に腰を浮かせる。
だが、俺は止まれなかった。
怒りが、血ではなく氷となって全身を巡る。
窓の外で、庭師たちの悲鳴が上がった。
さっきまで植えられていた青と紫のデルフィニウムが、白い霜に覆われていく。
薔薇を散らしただけでは済まなかった。
今度は、皇宮そのものが凍りつこうとしていた。




