31 十年と二十年
使用人食堂から場所を移して、ここは公爵家の応接室。
格調高いソファとローテーブル。
そのマーブル調のローテーブルには、私が昨日焼き上げたクッキーが紅茶と共に置かれてる。
私、桜乃川りり。
そして正面には、ジン君こと桜乃川仁である私の叔父が座ってる。
いや、正確にはもう叔父ではないよね。
さっきは再会した喜びで全部吹っ飛んでたけど。
ジン君……
十年前に亡くなってるんだ。
『ほんとに、ジン君なんだよね?』
『だからそうだって』
『……ここって、天国?』
思わず口からこぼれた言葉に、
『んなわけあるか』
対面からすかさずツッコミが入った。
うん、間違いなくジン君だ。
今話している言語はやっぱり日本語で。
どうやら、意識すれば使い分けできるみたい。
『お前、今、何歳?』
『24歳。あれからちょうど、十年になるよ……』
『……十年か』
そう言って、ジン君は視線を落とすと指先をいじりだした。
ああ。その仕草……
ジン君って何か考え込んだり、叱られた時とか、いつもそうやって指先をいじってた記憶がある。
『ジン君は……今、何歳?』
『俺はもうすぐ二十歳になる。この世界に生まれ変わって、二十年だ……』
『二十年!?』
思わず聞き返すと、ジン君はただ黙って頷いた。
そっか……時間が、違うんだね。
あっちとこっちで、時間の流れみたいなものが……
『……みんな、相変わらずだよ?』
私がそう言うと、ジン君の指先がぴたりと止まった。
『おじいちゃんも、おばあちゃんも元気。あと、お母さんも……』
そしたら、
『……そっか』
って、今度はジン君、顔を上げて少し笑った。
その顔からはもう、迷いとか憂いとかそういうものは読み取れなかった。
そのまま私は、ジン君のすぐ後ろに立っている公爵様に視線を向ける。
ていうか。
実はさっきから気になってたんだけど……
『ジン君? その、公爵様を立たせてるのは……』
私が気遣って言うと、ジン君は振り返って聞く。
この世界の言語で。
「ほら、ハルトも座れば? りりが気にしてる」
ジン君が自分の隣をポンポンと軽く叩いて着席を促す、けど……
「自分はここで大丈夫です」
だって。
「ま、いいんだよ。こいつはここが定位置みたいなもんだから」
って、ジン君。
え、いいの? かえって私、緊張するんだけど。
『なに? ハルトのこと気になるの?』
おおっと、ジン君。
ここで再び日本語に切り替えてきましたよ?
『違うから。ただ、申し訳なかっただけ』
「ふーん……」
姿は変わっても、声と喋り方、そして雰囲気は相変わらずだった。
応接室の中には私たち三人と、離れたデスクに記録係のように控えるゲラルド先生。
あと、扉の両脇に騎士の方が二人立ってるのがちょっと物々しい。
「これ、お前が焼いたの?」
ジン君が目の前のクッキーを一枚手に取り、しげしげと見つめてる。
どうやら、こっちの言語で話すことにしたみたい。
「うん、昨日ね」
と、答えると同時に、
「鑑定!」
とか言って、例の魔法をかけられてしまった。
「ちょっ、別に怪しいもんじゃ……」
「幸福付与だと。(微)だけどな」
「……!?」
ジン君の言葉に、後ろに立つ公爵様が息を呑むのがわかった。
いや、私も通知で知ってたけど。
やっぱりびっくりだよね?!
「そ、そうなの! なんかピコンって通知音が鳴ってさ、私――」
「りり。お前、どうしてこっちの世界に?」
ジン君が、私の言葉に被せてそう聞いてきた。
思わず、その美しすぎる顔を見つめる。
日本人の時も、ジン君は我が叔父ながらちょっとカッコよかった。
性格も、意地悪なとこはあったけど活発で面倒見も良くて……
「……仕事の帰りにさ、信号待ちしてたら巻き込まれたの」
「……何に?」
少し緊張する。
でもこの際、後ろに立つ公爵様やゲラルド先生にもちゃんと説明したほうがきっといいんだ。
「……異世界、召喚ってやつ?」
「は?」
呆気に取られるジン君。
だけど、見た目は美術品みたいに整ってる。
私はそこから順を追って説明した。
サブバッグに女子高生のぬいぐるみが引っ掛かって聖女召喚に巻き込まれたこと。
鑑定したら、私のステータスだけ全部伏字でなんにもわからなかったってこと。
(ていうか、そういうことにしといて。非処女とか、誰にも言いたくないから!)
で、聖女でないなら出ていけって神殿を追い出されたこと。
勝手にウッシと名付けられた身分証とお金。
そして仕事の推薦状を持たされて。
「……推薦状?」
ジン君が聞いてくるから教えてあげた。
「うん、娼館のね」
「なんだと!?」
――ガラガラッピシャーン!!
さっきまで、晴れ間がのぞいていた空からいきなりの落雷!
思わず身をひそめると、
「……悪い、つい」
と、なぜか気まずそうに咳払いをするジン君。
ん??
ってか、女神様のご機嫌って、ほんと急に変わるんだね……
とりあえず、気を取り直してその先を説明する。
娼館に行く前に、ヒューと出会ったこと。
そしてここ、公爵家に保護してもらえたこと。
でも。
「一週間で出ていく約束なの。だから――」
「いや、それは!」
ティムに仕事を紹介してもらったと言うつもりが、なぜか側に立つ公爵様に口を挟まれた。
「……ハルト?」
「あ、大変失礼いたしました」
ジン君がソファから公爵様を見上げる。
なんだか公爵様、すごく申し訳なさそうなお顔で項垂れてる。
二人で公爵様の出方を待ったけど、どうやらその先を言うつもりはないみたい。
はぁ、とひとつため息をついて、ジン君が話し始めた。
「りり。実は、フロイラインからお前を引き渡せと言われてるんだ」
「え……?」
うそ、やっぱりここに居るのバレたんだ……
私の不安な気持ちとリンクするかのように、窓の外でまた雷鳴が轟きはじめる。
パラパラと降り出した雨はすぐに横殴りの雨へと変わった。
対面のジン君が、そっと立ち上がる。
私はその姿をまじまじと見つめた。
あの王子みたいな煌びやかな服。
金髪に碧眼。
でもジン君の方がカッコいい。
と思ってしまうのは、身内贔屓なのかな。
っていうか、この人を味方だと思ってて本当に良いんだろうか……
中身がジン君であることは疑いようもないけど、この世界で二十年だよ。
しかも皇太子として生きてるジン君にも、立場ってものがあるのでは――??
そんなことを考えていると、ジン君が私のすぐ隣に腰を下ろした。
そして、私の頭にまた大きな手を乗せる。
「怖がるな、りり。あいつらにお前を渡すことはない」
「……ほんとに?」
ああ、と言いながら、ジン君は私の髪を撫でる。
顔を上げると、目の前に立つ公爵様が少し呆気にとられたような顔をしていた。
なんか、恥ずかしい。
思わず、窓の外を見る。
「な、なんかまたひどく降り出したね」
お天気の話で、気まずさを誤魔化したつもりだったけど。
「ああ。俺とお前のせいでな」
「へ?」
ジン君と私のせい、とは?
よくわからなくてジン君を見つめる。
その吸い込まれそうな青い瞳が、じっと私の瞳の奥を捉えていた。
「お前は瞳に紋様が出たんだな」
え、紋様?
……たしかに、星みたいな模様が黒目の奥に見えるけど……?
「気づいてたか? それ、女神デメテルの加護の印だから」
「「え!?」」
と、答えた私の声に、公爵様の声も重なっていた。
ほら、とか言ってジン君は自分の襟元をはだけさせて鎖骨を見せてくる。
ちょっと、やめてー。
ジン君とわかってても、見知らぬイケメンの素肌とか急に見せないでほしい。
ちらっと横目で盗み見る。
うん。たしかに同じ模様みたいだけど……
「ハルトも見てみな、これ」
ジン君は公爵様を手招きして呼び寄せると、近づいてきた彼が見やすいよう私の顎をとった。
「ほら」
――!!??
ほら、じゃないから!
超絶イケメンが、ジン君に言われるまま私の目を覗き込んでくるじゃん!
思わず視線が泳いでしまう。
窓を打つ雨の音が途端に激しくなった。
「……見えた?」
「はい。たしかに」
二人はそんな言葉を交わした。
「なら。わかるな?」
「はい」
はい、ってなにが?
私だけついていけてないんですけど。
「りり。お前は俺にとって大切な存在だ。そしてこの国にとっても……」
「へ?」
待って。
この国にとっても、って?
「だから、来い」
「ど、どこに?」
ジン君は立ち上がると私に手を差し伸べる。
「俺と一緒に、皇宮に住もう」
はい!?
一瞬、何がどうなったか分からず固まる。
側に立つ公爵様もさすがに驚いたのか、少し焦った表情に見えた。
そういえば、今日の公爵様って全然無表情じゃないよね。
とりあえず、差し出された手を掴もうとした瞬間――
――バタン!!
「ダメーー!!」
必死な叫び声とともに、ヒューが泣き顔で乱入してきた。




