26 青天の霹靂
(ハルト視点)
今日は快晴だ。
雲ひとつない青空の下、皇宮の庭園では薔薇が咲き誇っている。
久々の登城だった。
兄夫婦が亡くなる前、そう、一年前までここは俺の職場だった。
「ハルト、久しぶり」
「……ああ」
護衛騎士の仲間、いや、元同僚に声を掛けられる。
そして重厚な扉をノックして、執務室の中へ入ると――
「お、ハルト、久しぶりだな!」
殿下が声を掛けて下さった。
皇太子のジークフリート殿下。
……俺の主君。
昨年まで、俺は近衛騎士としてこのお方の護衛についていた。
俺の母は皇帝陛下と姉弟だから、殿下は俺の従兄弟でもある。
女神デメテルの加護を受け、歴代最高の魔力量を誇るお方だ。
俺のほうが四つも年上なのに、殿下は昔からとんでもなく落ち着いておられた。
「おーい、ハルト? 相変わらず寡黙が過ぎやしないか?」
「……失礼いたしました」
俺は膝を折り、忠誠の姿勢を取る。
「あー、やめて。今日はそんなの無しで」
主君はいつも通り気さくで、軽口を言って俺を迎えてくださった。
「ほら、こっち来て座れよ。お前も、ゲラルドだったっけ?」
そうして俺とゲラルドは、執務室から応接間へと通された。
ジークフリート殿下は今年で二十歳になられる。
俺は五年間傍でお仕えしたが、殿下は常に冷静で隙がない。
今、正面には殿下が座られ、ローテーブルを挟んだ対面のソファに俺とゲラルドで腰掛けている。
「そういえばさ、昨日フロイラインから抗議文が来てたわ」
「フロイラインから?」
「ああ」
それから殿下は、こちらを探るように見つめられた。
「なんでも、ウッシって名前の女性をうちの国の貴族が攫ったとか。で、今すぐ返せって怒り狂ってる」
ウッシ……?
リリーではなく?
俺はゲラルドと目を合わせて、首を傾げた。
「実は今、我が家にフロイラインで保護した女性を滞在させていますが……」
「やっぱりお前んとこか……もう、めんどくさいからすぐに返そうぜ」
殿下はため息混じりに仰った。
「俺、あの国の連中嫌いなんだよ。話通じねーし……」
頬杖をついて、そう吐き捨てる姿は年相応の青年に見えた。
だが、その表情だけで本心を読めた試しはない。
「あの、殿下、今日はそのことでご報告とお願いがございまして」
隣に座るゲラルドを見て、あれを出すよう促す。
ゲラルドは、まず収納ポケットから昨日リリーが作った“ろーるけーき“を取り出した。
皿に乗ったそれは、もちろん今すぐにでも食べられる状態に保存魔法がかけられている。
「ロールケーキ?」
殿下が、なぜかその名称を当てられた。
「え、ご存知なのですか?」
「あ、うん。まぁな」
少しお言葉を濁されたが、殿下はすぐに顔をあげられた。
「で、これは?」
「はい。実はその、フロイラインで保護した女性はリリーという名前なんです」
「……ウッシじゃなくて?」
「はい、リリーと名乗っていました。で、彼女がこれを作ったのですが、ちょっと鑑定して頂けませんか?」
「なんで?」
「それが、私では開示不可になってしまいまして……」
殿下はそれを聞いて目を見開いた。
「お前が開示不可になるって、それ……」
殿下もさすがにおかしいと思われたのだろう。
小皿ごと手のひらに乗せて、
「鑑定!」
と、魔法をかけられた。
「……リリー、か」
殿下はたしかに、そう呟かれた。
「……あの、効果のところに何とありますか?」
コトン、と小皿をテーブルに戻すと仰った。
「心労回復(中)だと。ってか、心労回復って珍しいな」
「……心労、ですか?」
ゲラルドも少し驚いた顔でこちらを見ていた。
気力か疲労回復だろうなと思っていたが、心労とは……?
「まぁストレスっていうか、心と身体の疲れどっちも取れるってことだろうな」
「……すとれす?」
聞いたことのない単語だった。
ローテーブルには先ほど侍女が入れてくれた紅茶とショートブレッド。
けれど殿下は、ろーるけーきを目の前へ引き寄せられた。
「これ、食ってみていい?」
「もちろんです」
彼女が作った菓子が安全であることは、我が身で実証済みだ。
殿下におすすめするつもりではあったが、ご自分から食べたいとおっしゃったことに正直ちょっと驚いている。
先ほども、まるで昔から知っているような口ぶりだったし……
殿下は、迷いなくフォークを差し込んでは”ろーるけーき”を切り分けて口へ運んだ。
「……うま!」
「ですよね?」
昨日のゲラルドみたいに、俺も言ってしまった。
「ロールケーキとか、久しぶり……」
「……?」
なんでもない、と言うふうに殿下は首を振った。
「あの、実はこちらも見て頂きたいのですが……」
ろーるけーきを完食なさった殿下の前に、ゲラルドが透明の膜に包まれたパンをひとつ取り出した。
可愛らしいクマの顔を模したパン。
ヒューが絶賛していた、あの甘いパンだ。
「……これは!?」
問われる殿下の表情がひどく強張って見えた。
俺はゲラルドに視線を送って説明を促す。
「はい。実は彼女と出会った日に預かったものです。彼女、ニホンという国から来たそうです」
「日本!?」
ゲラルドの言葉に、殿下は勢いよく立ち上がった。
窓の外に見える青空に、一瞬にして雲がかかる。
「……殿下?」
思わず、俺もゲラルドも顔を見合わせた。
この反応……殿下はニホンという国をご存知なのだろうか?
「ちょっと見せてくれ!」
言うなり、クマのパンにも鑑定魔法を掛けられた。
その瞬間。
殿下の表情が凍りついた。
かと思ったら、いきなりーー
ドゴオーーン!!!
と、皇宮を揺らす落雷。
さすがに俺も肩をビクつかせた。
ゲラルドも驚きを隠せないらしく、口を開けたまま窓の外を見ている。
さっきまでの青空から一転、窓を打ち付ける激しい雨にとどろく雷鳴。
だが室内は、水を打ったように静まり返っていた。
「……殿下?」
「……りりたん」
なぜか、殿下の口からこぼれた単語。
「はい?」
「りりは、無事なんだよな!?」
焦りを隠せないその顔は、俺が五年間仕えた中で一度も見たことのないものだった。




