2 ウッシって何?
そもそもの話。
今日は定時で店を閉めた後、試し焼きしたパンを持って家に帰る途中だった。
週末の夜は賑やかで、信号待ちの交差点は仕事帰りのサラリーマンや学生たちで溢れてた。
私はあの時、スクランブルの歩行者用信号が青になるのを最前列で待っていたんだけど、右隣りの女子高生が急に飛び出して――
あっ!
と思った瞬間、なぜか私の身体も前に引っ張られた。
え?
見れば、女子高生のバッグに付けられたぬいぐるみのクマちゃんが、私の手提げに引っかかってた。
慌てて体勢を整えたんだけど――
大音量のクラクションとヘッドライトの眩しさに驚いて、もう怖くって、思わず目を閉じたんだ。
◇◆◇
応接間のソファで、私はさっき大神官と呼ばれていたおじさんと向かい合っている。
その周囲を囲むように四人、さっきもいた若い男達(たぶん神官?)が立っている。
「大変申し上げにくいことですが、聖女ではない以上、この神殿でお引き受けするわけには参りません」
大神官と呼ばれるだけあって、このおじさんは露骨にイヤな視線を向けたりはしなかった。
でも、周りの若い神官たちは違う。あなた達、神職者なんでしょ?
さっきから、ゴミを見るような目でずっと私を見てくるの、何なの?
正直、すっごい不愉快なんだけど。
処女ではない以上、という別の意味を含んで聞こえるのは、私の気のせいじゃないよね?
「あの、元の世界には?」
なんとなく口にしてみたけれど、
「残念ながら……」
やっぱりか。
なんかそんな気はしてた。
そもそも巻き込まれたとは言え、車道に飛び出した時点で私の人生詰んでた。
あの、聖女とか呼ばれて連れていかれた女子高生、あの娘のせいだよ。
ふらっと飛び出してさ……
「はぁ……」
思わずため息が溢れた。
「聖女でないとはいえ、貴女を異世界より召還してしまったのは私どもです。
そのお詫びと申しますか、こちらをご用意致しました。どうぞ」
目の前のテーブルにじゃらっと音を立てて巾着袋が置かれる。
音からして……お金だよね?
それから見た事のない文字が書かれた銀色のプレート。
不思議なことにその文字は一瞬にして、日本語に変換された。
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身分 : 平民
名前 : ウッシ
性別 : 女性
生年 : 王国歴435年
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文字が読めるのはありがたい。
……でもねぇ、なんで名前がウッシなの??
いや待って。
ウッシって何???
牛?
……いや、なんで?
しばらく呆然とそれを眺めてると、
「これは貴女の身元を保証する身分証です。それに、生活するために必要な当面の資金も。そしてこちらもどうぞ」
おじさんは、矢継ぎ早に説明を続けた。
そして最後に、大袈裟に封蝋のなされた白い封筒を手渡される。
「こちらは、リヒャルト殿下のお計らいで特別にご用意させて頂きました。お仕事の推薦状です」
いや、待って待って。まだそこまで頭がついていけてない。
なんで私の名前がウッシなの?
なんで人の名前、勝手に決めるの?
そりゃ、丑年だけど……って、関係ないし!
私が頭の中で一人ツッコミしてるのを良いことに、おじさんは淡々と続ける。
「貴女でも、問題なく従事できる職を用意しております。どうぞ」
えー、問題なくって何??
食べ物屋さんとかならいいけど……
それにしても勝手に呼んどいて、勝手に人の名前付けて……
オマケに、王国歴435年生まれって一体何歳なのよ?
歳まで勝手に決めるわけ?!
とはいえ、受け取らない訳にはいかないもんなぁ、特にお金……
「じゃあ、こちらは有難く頂戴します」
ジャラっと音を立て巾着袋を持ち上げると、
『ふっ、やはり受け取るか。卑しい女め』
って、聞こえよがしに誰かが言った。
……ほんと、しょーもない!!
なんで私が、一文無しで異世界に放り出されなきゃいけないのよ!
あんた達が勝手に呼んだんでしょう?
遠慮するわけないじゃん......
イライラしつつも、あちらの世界からそのまま持ってきた仕事バッグに、その巾着袋と身分証らしきプレート、推薦状の封筒を入れる。
そして私は、おじさんにペコりと頭を下げた。
一応、礼儀としてね。
あんた達とは違うもんね!
部屋を出ても、建物を出るまで若い神官が二人ついてきた。
どうせ、私がちゃんと出ていくか心配なんでしょ?
「......まっずぐ行けば職業紹介所だ。絶対、戻ってくるなよ!」
「お前のような女には似合いの職場だ。せいぜい励むがいい!」
二人は、吐き捨てるように言った。
私は無言で睨み返し、そのまま数歩駆け出した。
一度だけ振り返って建物を見上げる。
古くて、やけに立派な建物だった。
――ふん。
二度と来るもんか、こんな場所。




