第250話 :深紅のキメラ 〜狂速の遺伝子と、資本の防波堤〜
幕張新都心、山側(内陸部)。
かつて「外れクジ」と目されていたJR海浜幕張駅の北側は今、異様な熱気と、おびただしい数の「人間」で埋め尽くされていた。
「……見ろ。これが『マルス(JR旅客販売総合システム)』という、国鉄が遺した最強の集客インフラだ」
冷徹なる外資のエリート・ジョウカは、採算度外視で建てさせた超高層ホテルのスイートルームから、眼下で蠢く群衆を見下ろしていた。
地方から押し寄せるキャリーケースの波。彼らは皆、全国の「みどりの窓口」で発券された『新幹線・幕張ホテル宿泊・メッセイベント券』の超格安パッケージを握りしめている。
「どんなに京急が赤いレールを海側に敷こうとも、奴らの集客網は関東という『コップの中』を出られない。だが、我々は違う。この日本列島に張り巡らされた数万キロの鉄路から、毎日何十万人という人間を、我がファンドのホテル群へと『強制給水』できるのだ」
ジョウカの戦略は、明確にして残酷だった。
海側の「真の目的地」へ向かう客を、JR駅という関所でせき止め、自らが築き上げた山側の商業施設とホテルという【巨大な資本の防波堤】で絡め取り、カネを落とさせる。
大局で負けたジョウカは、その圧倒的な「量(全国からの動員力)」を使って、五代の海辺の城を完全に兵糧攻めにしようとしていた。
***
「……チッ。外資のモヤシ野郎め。田舎者どもを搔き集めて、駅前で人間の渋滞を作りやがったか」
同じ頃。海側にそびえ立つ京急系列の巨大ショッピングモール。
その最上階の社長室で、五代は葉巻を噛み千切りながら、眼下の惨状を睨みつけていた。
ジョウカの思惑通り、JR駅からの動線は数万人の宿泊客で物理的に目詰まりを起こし、海側の京急モールへと客がスムーズに流れてこない。圧倒的な「量」による戦術的妨害。
「専務、このままでは海側のテナントの売り上げが……!」
悲鳴を上げる部下たち。しかし、五代の顔に焦りはなかった。
むしろ、その目はドス黒い歓喜に満ちていた。
「慌てるな。……JRが『日本中の田舎者(数)』で勝負してくるなら、俺たちは『関東の金持ち(質)』を根こそぎ一本釣りしてやる」
五代は懐から、一枚の鍵を取り出した。
「金沢八景の工場から、ついに『アレ』が仕上がったと連絡があった。……成田の若造が、自分の首と引き換えに俺に売り渡した『悪魔の心臓』を積んだ、最強の弾丸がな」
***
深夜。神奈川県・金沢八景、京急電鉄・極秘車両基地。
水銀灯に照らされた建屋の奥底に、一台の真新しい車両が鎮座していた。
それは、見る者すべてに畏怖を抱かせる、暴力的なまでの『赤』だった。
「……五代専務。完成しました。我々技術部の、いや……日本の鉄道史における最大の禁忌です」
技術主任が、震える声で図面を差し出した。
「我が京急が誇る、駅間の短さを力でねじ伏せる『超高トルクモーター(スプリンターの筋肉)』。……そこに、京成電鉄から極秘裏に手に入れた『スカイライナーの160km/h巡航空力データと、超高速対応台車(長距離ランナーの足)』を、完全に移植・融合させました」
五代は、その美しい深紅の車体を愛おしそうに撫でた。
「加速力は世界一。そして一度トップスピードに乗れば、風の抵抗を無力化し、160km/hでどこまでも滑るように巡航し続ける。……まさに、インフラの常識を覆す『深紅のキメラ』だ」
五代がこのバケモノを造り上げた理由はただ一つ。
ジョウカが「JRという既存の線路」を使ってノロノロと地方客を運んでいる間に。
東京のド真ん中から、品川、横浜に住む【圧倒的な購買力を持つ関東圏の富裕層】を、このキメラに乗せて、一瞬にして幕張の「海側」へとワープさせるためだ。
「ジョウカの野郎が駅前で作っている人間の渋滞など、空気を切り裂いて『幕張』をカッ飛べば関係ねえ」
数日後。
幕張新都心の別線、大理石造りの巨大な『VIPターミナル』。
そこに、けたたましいインバータの咆哮とともに、深紅のキメラが滑り込んできた。
車内から吐き出されたのは、疲れた顔の地方客ではない。快適な160km/hの特別座席でワインを傾けながらやってきた、関東の富裕層たちだった。
彼らは地上のJR駅前の混雑(ジョウカの防波堤)を完全にスルーし、幕張のターミナルから直結の専用エレベーターで、京急の巨大モールとメッセのVIPルームへと直接吸い込まれていく。
『……どうやら、お前の用意した防波堤は、低すぎたようだな』
ジョウカの携帯電話に、五代からの嘲笑うようなメッセージが届く。
「……ヤクザ風情が、どこでこれほどの車両技術を……ッ!」
ジョウカは、自らのホテルの窓から見えない「地下の動線」を想像し、ギリッと万年筆を握り潰した。
JRの「量(全国ネットワーク)」で地上を埋め尽くすジョウカの銀。
私鉄連合のタブー技術「質と速度(キメラ車両)」で颯爽に突き抜ける五代の赤。
幕張の地は、決して交わることのない二つの巨大なインフラ哲学が、互いの首を絞め合いながら無限にカネを吸い上げる、最悪で最高の【底なし沼】へと完成を見ようとしていた。




