第166話 『日常:番外編(4) 現場の咆哮と、高見の「鋼鉄の円舞曲」』
昭和54年、深夜。
川島社長がハイエースで完璧な「秩序」を刻み、砂場の向こうで静かにタバコに火をつけた、その時だった。
「……社長。あんたの走りは、綺麗すぎますぜ」
ブルドーザーの影から、高見がゆっくりと姿を現した。
その手には、使い古された「重機の鍵」が握られていた。
「……高見。お前も、自分のインフラに『答え』を出したいか」
川島が、煙の向こうで目を細める。
「……当たり前だ。専務に軽トラで踏み荒らされ、社長にハイエースで嘲笑われた。……このまま砂を均して終わりじゃ、俺のエンジニアとしての魂が、小田原の海に沈んじまう」
高見が向かったのは、彼がいつも砂場を均すために使っているブルドーザー……ではなかった。
その奥の資材置き場に鎮座していた、相鉄・工務部が誇る「最終兵器」。
【相鉄・軌陸両用クレーン付き重トラック:通称『鉄人』】
線路も公道も走れる、巨大な鉄輪とゴムタイヤを併せ持つ「化け物」だ。
総重量はハイエースの数倍。重心は高く、およそ「コーナリング」なんて言葉からは最も遠い、無骨な鋼鉄の塊。
ヴォォォォォォォォォンッ!!!!!
地響きが起きた。高見がエンジンを始動させた瞬間、第2層の豪華客船のような建物が、微かに震えた。
「……おい、高見。正気か。その重量で、あのループを回れば……」
高見の無謀な挑戦に、初めて川島の顔に緊張が走った。
「……見てな。インフラは、速さだけじゃねえ。……『質量』だ!!」
ガガガガガッ!!
高見は、クレーンのアームをわざと斜め後ろに展開し、重心を極限まで「歪」にした。
そして、咆哮を上げる重トラックを、時速80キロという死の速度で、あの「物理的に曲がれない急カーブ」へと叩き込んだ。
キィィィィィィィィィィィッッッ!!!!!
激しい金属音。アスファルトが重圧に耐えかね、火花を散らす。
巨体が外側へと倒れそうになったその瞬間――高見は、クレーンのアームを「バランサー」として、猛烈な勢いで逆方向へと旋回させた。
「……振り回せッ!!」
慣性の法則を、力技でねじ伏せる。
重トラックは、二輪を浮かせながら、まるで巨大なコマのように、カーブの内側を「えぐる」ように回った。
それはコーナリングではない。道という名の「敵」を、鋼鉄の重みで叩き伏せる、現場の暴力だった。
ズドォォォォォォォンッ!!!!!
着地の衝撃で、コースの端のアスファルトが粉砕される。
高見の「鉄人」は、五代専務の軽トラが刻んだ轍を、文字通り「物理的に消滅」させながら、社長のハイエースが止まった白線の、さらに1ミリ先でピタリと止まった。
「…………」
川島社長は、手元の懐中時計を閉じた。
「……高見。お前、コースを壊したな」
高見は、油にまみれた顔で運転席から降り、自分の足跡でグシャグシャになった砂場を親指で指した。
「……へい。専務が遊んだ跡も、社長が気取ったラインも、俺の『重み』で全部更地にしておきましたよ」
高見は、再びタバコに火をつけた。
「……これが俺のやり方だ。……砂を均すのは、誰かが走った後じゃねえ。……俺が走った後に、道が出来るんだよ」
箱根の深夜。
京急の王者に屈せず、社長の秩序に甘んじない。
一人の現場監督の「狂気」が、相鉄という名のインフラに、新たな血を流し込んだ瞬間であった。




