表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

160/251

第160話 『日常:VIP編(2) 安心という名の「はした金」と、闇のバイパス』

 昭和54年、初夏。

 箱根山頂の独立国家『ハコネ・スカイ・ヴィレッジ』。その最深部、第3層『迎賓館』。

 電磁波シールドに守られた窓のない密室では、日本の国防を司る大蔵・防衛の有力官僚と、黒いスーツに身を包んだ海外の軍需産業(武器商人)のエージェントが対峙していた。

 数千億円規模の次期主力戦闘機導入プロジェクト。その「裏のキックバック」の配分。

 東京のどんな高級料亭でも、特捜部の影に怯えなければならないこの商談も、地下数百メートルの岩盤に守られたこの「真空地帯」では、ただの事務的な作業へと変わる。

「……ミスター長官。我々の提示する『特別な協力金』は、1000万ドル。これで貴殿の派閥を潤し、我々の機体を選定していただきたい」

 エージェントが提示した額に、長官はブランデーのグラスを傾けながら、薄く笑った。

「……よかろう。だが、この金の動きは絶対に捕捉されてはならない。この『箱根の沈黙』こそが、我々が貴殿と会う唯一の条件だ」

 商談はわずか三十分で妥結した。

 誰の目にも触れず、誰の耳にも届かない。この「絶対的な安心」こそが、相鉄が提供する最大の商品だった。

 商談の終了を告げるチャイムが鳴ると、壁の一部が音もなく開き、相鉄のドン・川島が「一枚の書類」を携えて姿を現した。

「……長官。本日の『席料ルームチャージ』でございます」

 川島が差し出したのは、現金での請求書ではない。

 それは、相鉄沿線の地下を貫く、**「国家所有の緊急時・通信および物流専用トンネル(地図に載らない軍用バイパス)」**の、民間開放と一括管理権を相鉄に委任する特例申請書だった。

 近隣の京急や東急といった他社が、いかに政治家に献金を積み、地上の利権を奪い合おうとも、この「国家機密に直結する地下インフラ」だけは、彼らには手出しができない。川島は、その聖域を狙い撃ちにしたのだ。

「……ほう。このトンネルを、相鉄の『私有財産』のように扱わせろと言うのか。……川島くん、君の要求は、国家の安全保障の根幹に関わるぞ」

 長官は、書類をチラリと見て鼻で笑った。

「……お言葉ですが、長官。この『密室』を維持し、先生方の秘密を永遠に埋葬し続けるための、いわば『管理代』でございます」

 川島は表情を変えず、深々と頭を下げる。

「……フフフ、よかろう。どうせ国が維持費を垂れ流しているだけの古いトンネルだ。……お前が勝手に磨き上げ、勝手に商売に使えばいい」

 長官は一瞬の躊躇もなく、純金製の万年筆を走らせた。

「長官、よろしいのですか? その認可一つで、将来的に相鉄が手にする利益は、今回のキックバックどころではない数千億の価値になりますが……」

 エージェントの通訳が、驚きを隠せずに尋ねた。

 だが、長官は万年筆を置き、冷酷な笑みを浮かべた。

「……構わんさ。この書類にハンコを一つ押したところで、私の『個人の財布』からは一円も減らん。……すべては国の持ち物であり、国民の税金だ」

 長官の目が、昏く、澱んだ光を放つ。

「……それに比べれば、ここで『特捜部に絶対にバレないという安心感』と『手付かずの1000万ドル』が手に入るのだ。……相鉄にくれてやる地下の利権など、私に言わせれば、自分の身を守るための、極めて安上がりな**『はした金』**に過ぎんよ」

「…………」

 川島は、サインのされた書類を恭しく受け取った。

 これこそが、第3層における「真の経済学」だった。

 第2層の成金は、自分の懐から出る現金を惜しみ、見栄でそれを誤魔化す。

 だが、第3層のバケモノたちは、自分の財布が痛まない「国家の財産」を切り売りしているため、相鉄への支払いに一切の苦痛を感じない。

 彼らにとって、川島に渡す利権は、自分の安全と欲望を担保するための、この上なく「安いコスト(はした金)」なのだ。

「……毎度、ありがとうございます。先生」

 川島は、国家の血肉を啜るようなその書類を懐に仕舞い込んだ。

 地下の密室で、誰にも知られぬまま、日本のインフラの根幹が次々と相鉄の「私物」へと書き換えられていく。

 長官たちが地下アプト式軌道の漆黒の客車に乗り込み、闇の中へ消えていくのを見送りながら、川島は一人、音のない笑みを浮かべた。

「……国民も、成金も、そしてこの権力者たちも。……誰もが、自分の見ている『財布』の価値しか分かっていない」

 川島は、手元に残った「国家のバイパス」の図面を愛おしそうに撫でた。

「……安心を買うために、国を売るのが一番安い。……彼らがそう信じている限り、我が独立国家は、永遠に肥え太り続けるだろう」

 箱根山頂。

 大衆の歓声と成金の虚飾に隠されたその足元で、相鉄という巨大なガン細胞は、国家の富を吸い上げながら、音もなく増殖を続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ