第159話 『日常:VIP編(1) 窓のない密室と、見えない「入札」』
昭和54年、初夏。
箱根山頂の独立国家『ハコネ・スカイ・ヴィレッジ』。表層では数万人の大衆が歓声を上げ、第2層のラウンジでは成金たちが自爆の自慢話に花を咲かせている。
だが、その足元深く。何重もの岩盤とコンクリート、そして軍事レベルの電磁波シールドで完全に外界から隔絶された第3層『迎賓館』は、鼓膜が痛くなるほどの静寂に包まれていた。
ガコンッ……。
地下専用のアプト式軌道から、漆黒の防弾セダンが音もなくプラットホームに滑り込む。
降り立ったのは、日本のインフラ整備を牛耳る与党の有力派閥のドンと、大手ゼネコン三社のトップたちだった。彼らは一言も言葉を交わすことなく、相鉄のドン・川島が待つ『特別会議室』へと足を踏み入れた。
「……ようこそ、箱根の『裏側』へ」
川島が深く一礼し、分厚い防音扉が閉ざされる。
その瞬間、この部屋は日本という国家の法律も、警察の捜査網も、マスコミの盗聴器も、一切及ばない完全な「真空地帯」となった。
「……川島くん。ここは本当に『耳』はないのだろうな」
派閥のドンが、重厚な革張りのソファに深く腰掛けながら、鋭い眼光で周囲を見渡した。
「ご安心を、先生。この第3層には、窓一つございません。給仕の人間すら立ち入らせず、飲み物や書類はすべて壁裏の『専用小型軌道(自動搬送機)』で運ばれます。……ここで交わされた言葉は、外の岩盤に吸い込まれ、永遠に消滅いたします」
川島の言葉に、ゼネコンのトップたちが安堵の息を吐く。
「……ならば、始めようか」
ドンが懐から取り出したのは、来年度に発注される予定の『首都圏・巨大環状道路網』の極秘ルート図だった。総工費は数千億円を下らない、国家的な超大型プロジェクトだ。
東京の料亭や、赤坂のホテルでは、いつどこで特捜部やスキャンダル記者のカメラが狙っているか分からない。だからこそ彼らは、川島が用意したこの「完璧なインフラ要塞」に集い、誰も見ていない地下深くで、数千億のパイ(利権)を切り分けているのだ。
「……このA工区は我が社が。B工区とC工区はそちらで……落札額の調整は、これで」
いわゆる「官製談合(見えない入札)」が、淡々と、しかし血を吐くような緊張感の中で進められていく。表の国会で議論される前に、この窓のない密室で、日本の未来の地図が勝手に書き換えられていく。
約一時間後。
すべての調整が終わり、莫大な裏金が動く密約が成立した。ゼネコンのトップたちは汗を拭い、ドンは満足げに最高級のブランデーを煽った。
「……見事なものだ、川島くん。この『密室』のおかげで、我々は誰にも怯えることなく、国益(という名の私益)を最大化できる。まさにここは、我々にとっての『裏の国会議事堂』だな」
ドンが上機嫌で笑う。
「……して、本日の『席料』はいくらだ? いつも通り、相鉄の口座に数千万ほど振り込めばいいか?」
その言葉に対し、川島は静かに首を振った。
「……先生。我々相鉄は、ただのホテルマンではございません。一民間企業として、国家のインフラ整備に『微力ながら貢献』させていただきたいと考えております」
川島が指を鳴らすと、壁の一部がスライドし、一枚の新たな青写真が自動搬送機で運ばれてきた。
それは、先ほど彼らが談合で決定した『首都圏・巨大環状道路網』のルート上に位置する、相鉄沿線の「大規模な新駅開発」と「周辺の商業用地の独占認可」を求める申請書だった。
「……この環状道路が完成すれば、我が相鉄の沿線価値は跳ね上がります。……つきましては、この新駅の認可と、周辺の国定公園の『開発制限解除』のサインを……本日の『席料』として頂戴したく存じます」
ゼネコンのトップたちが息を呑む。
それは、現金数千万円などという端金ではない。将来的に数百億、いや数千億円の利益を相鉄に永続的にもたらす、圧倒的な【国家利権の強奪】だった。
「……お前という男は……底知れぬ強欲だな」
ドンは一瞬顔を強張らせたが、やがて諦めたように低く笑い、申請書にサインをした。
「……よかろう。我々の命綱(密室)を握っているのはお前だ。……その代わり、この部屋の秘密は、お前たちインフラ屋が死ぬまで守り抜けよ」
「……御意に」
川島は、国家の未来を切り取った青写真を恭しく受け取り、深く一礼した。
第2層の成金どもが「200万円」で自爆をステータスと勘違いして喜んでいるその足元で。
本物の権力者たちは、相鉄に「数千億円の利権」を毟り取られながらも、この完璧な密室に依存し、絡め取られていく。
これが、箱根山頂に築かれた完全独立国家の「暗黒面」。
大衆の小銭と成金の大金をカモフラージュにし、国家の心臓をインフラで支配する、川島と高見のえげつない「日常」であった。




