第158話 『日常:成金編(6) クズへの特効薬と、アホどもの牧場』
昭和54年、初夏。
箱根山頂の独立国家『ハコネ・スカイ・ヴィレッジ』。第2層を統括する地下の司令室で、現場監督の高見と相鉄のドン・川島は、今月の『特殊回収金(砂場からの売上)』の帳簿を見下ろしていた。
「……凄まじいな。たった1ヶ月で、砂場の清掃代と称した回収金が、数千万円を突破したぞ」
高見が、呆れたようにタバコの煙を吐き出す。
「ただの『安全装置』として造った砂場が、ウチのどのレストランよりも利益率の高いドル箱になるとはな」
モニターには、朝のプレミアム・ラウンジの光景が映し出されていた。
そこにいる成金たちは、大きく二つの種類に分類され、インフラ屋の完璧な管理下に置かれていた。
一つは、シラフで自ら砂場に突っ込みに行った**『アホな成金』**たちだ。
彼らは、朝から最高級のシャンパンを傾け、周囲の連中に向かって声高にホラを吹いている。
『昨夜のVIP専用・隠しコースは最高だったぜ! あの極限のカーブ、俺の腕じゃなきゃ曲がりきれなかったな! お前らも100万払って、自分の車の限界を試してみろよ!』と。
自分が砂に埋まり、無様に引き摺り出されたことなど完全に棚に上げ、彼らは相鉄の『宣伝塔』として、次なる挑戦者を嬉々として勧誘している。彼らにとって100万円は、このラウンジでマウントを取るための「最高のステータス(入場券)」なのだ。
そしてもう一つ。
ラウンジの隅のテーブルで、ペリエ(炭酸水)をチビチビと啜りながら、背中を丸めている男たちがいた。彼らこそが、数日前に泥酔状態で車を出し、問答無用の直角カーブで砂場に叩き込まれた**『クズの飲酒運転野郎』**たちだ。
「……おい、あそこのテーブルの奴ら、随分と大人しいじゃねえか。数日前にラウンジで暴れてたのと同一人物とは思えねえな」
高見がニヤリと笑う。
モニターの中の「クズ」の男に、コンシェルジュが近づき、コーヒーのお代わりを勧めた。
すると男は、ビクッと肩を震わせ、かつての横柄な態度は見る影もなく、ペコペコと愛想笑いを浮かべて頭を下げたのだ。
「……ふふふ。劇薬が効いているな」
川島社長が、腹の底から愉快そうに笑い声を上げた。
「彼らは『200万円の請求書』を払わされただけではない。……『泥酔状態で事故を起こした』という、警察に知られれば社会的地位が完全に吹き飛ぶ致命的な弱みを、我々相鉄に完全に握られているのだ」
それが、川島の突きつけた「いい薬」だった。
クズな成金にとって、一番恐ろしいのは死ではない。会社や世間での「破滅」だ。
相鉄は彼らを警察に突き出すことはしない。ただ、「我々はすべてを知っているが、恩情で黙っていてやっている」という圧倒的な優位性を保ち続ける。
「警察に突き出せば、彼らの免許は取り消され、二度と箱根には来なくなる。……そんなもったいない事をしてどうする?」
川島が葉巻の灰を落とす。
「生かさず殺さず、恐怖という首輪をつけ、二度と飲酒運転などの『我々のインフラを脅かす規律違反』を起こさせないよう完璧に調教する。……そして、大人しい羊となった彼らから、正規の宿泊代と飲食代を、死ぬまで合法的に搾り取り続けるのだ」
アホには「見栄」という餌を与えて、自発的に大金を落とさせる。
クズには「恐怖」という鞭を打ち、ルールに従順な金づるとして飼い慣らす。
どちらも、インフラ屋が箱根の岩盤に造り上げた「物理的な罠」が起点となっている。
「……第1層の『大衆』は、無知ゆえに安全な回廊で小銭を落とし続ける」
「……第2層の『成金』は、見栄と恐怖ゆえに、この箱庭から一生逃げられず大金を献上し続ける」
高見が、三階層の断面図が描かれたブループリントを見上げる。
「……インフラの設計は、完璧に回ってるぜ。社長」
「ああ。……だが、これらはあくまで『表の収益』に過ぎない」
川島はゆっくりと立ち上がり、モニターの視点を第2層から、さらに深く、暗く、分厚い岩盤に守られた地下数十メートルの【絶対聖域】へと切り替えた。
「……大衆の小銭も、成金の大金も、所詮は『事業の維持費』だ。……我々相鉄が、この箱根の山頂に独立国家を築き上げた真の目的。……それは、この地下で蠢く『国家の心臓(利権)』を直接鷲掴みにすることだ」
モニターの向こう。アプト式軌道でしか辿り着けない第3層『迎賓館』の奥深くでは、日本の未来を決める本物のバケモノたちが、音のない密室で分厚い札束と青写真を交差させていた。
「……さあ、いよいよだ。……インフラ屋の『暗黒面』の日常を、たっぷりとお見せしようじゃないか」
箱根山頂。狂乱と搾取の第2層の足元で、底知れぬ「闇の取引」が、今日も静かに脈打っていた――。
【次回更新予定】
159話〜 3月7日(土曜日)




