第137話 『現代の箱根関所:ステルス・キルスイッチ』
横浜・相鉄本社。開発プロジェクト室。
歩車分離と自動運転カート。高見が叩き出した完璧な「ハードウェアの安全網」を前にしても、川島社長の表情は険しかった。
「……高見のインフラで、敷地内の事故は防げる。だがな」
川島は紫煙を吐き出し、図面を鋭く見据えた。
「問題は、自分でスーパーカーを転がしてやってくる『成金ども』だ。あいつらがリゾートでしこたま高い酒を飲んだ後、気まぐれに『ちょっと夜の芦ノ湖をドライブしようぜ』とか『飯は小田原まで下りて食おう』なんて言い出して、車を出そうとしたらどうする?」
「そ、それは……飲酒運転は固くお断りすると引き留めるか、ゲートでチェックを……」
「バカ野郎。何百万も落としてくれる上客に、『息を吐け』だの『外に出るな』だの説教する気か? 金持ちのプライドを傷つければ、それはビジネスの死だ」
川島は灰皿に葉巻を押し付けた。
「いいか。ウチが創るのは独立国家だ。一度ゲートをくぐらせたら、チェックアウトするまで『園から一歩も出させない』。他所のメシ屋や観光地に、1円たりとも金を落とさせねえ。……そのために、波風を立てずに奴らから『車の鍵』を奪い取るんだよ」
「……鍵を奪う? 物理的に取り上げるわけにはいかないでしょう」
「ああ。だから『奪う』んじゃない」
川島はニヤリと笑い、図面の入り口部分――第1層(大衆)と第2層(成金)の動線が交差する、最も目立つエリアを太いペンで囲った。
「……客のほうから、喜んで鍵を『献上』させるんだ」
川島が描いたのは、大衆用の巨大温泉施設へ向かうメイン通路に沿って建てられた、全長100メートルを超える巨大なガラス張りの構造物だった。
「リゾートの入り口に、成金専用のウェルカム・ゲートを創る。奴らが車で乗り付けてきた瞬間、制服をビシッと着たコンシェルジュと整備士が最敬礼で出迎える」
川島は再び新しい葉巻を指に挟み、芝居がかった手つきでコンシェルジュのセリフを口にした。
「『……お客様の素晴らしい愛車は、我々が責任を持ってこちらの空調付きガレージでお預かりし、滞在中にボディの磨き上げを施しておきます。さあ、鍵をお預けになり、ウェルカム・ドリンクをどうぞ』……とな」
若手の目が点になる。
「ただのバレーパーキング(駐車代行)じゃねえ。……このガラス張りの巨大ガレージを、温泉や大食堂に向かう『数千人の大衆』から丸見えの【エキシビション・フロント】にしてやるんだよ」
「大衆に見せる……?」
「そうだ。成金から預かったカウンタックやフェラーリを、ただ裏の車庫にしまうんじゃねえ。世界の名車コレクションとして、一台一台、美術品のようにライトアップして飾ってやる」
川島は悪魔のように目を細めた。
「成金どもは、自分の愛車が大衆から羨望の眼差しで見られ、指を指されることに強烈な優越感を覚える。……『俺の車は、あそこに飾る価値がある』。奴らはそう思い込み、鼻高々で、喜んで鍵を献上するだろうよ」
「……!!」
若手が震える声で呟いた。
「……そして、一度預けた鍵は、客が完全にシラフになってチェックアウトするまで絶対に返さない。滞在中の移動は、高見さんが造った自動運転の専用カートだけ……自分の車がなければ、奴らは敷地から一歩も出られず、園内で遊び、園内で飲み、園内で金を使い続けるしかなくなる」
「その通りだ。規則で縛るのではなく、成金の『見栄と承認欲求』を最大限に利用して、合法的かつ最高に気分良くハンドルから引き剥がす。……そして、園内に完全に囲い込む。これがウチの創る『現代の関所』だ。人間の業ってのは、真正面からぶつかるんじゃなく、利用して転がすんだよ」
川島は図面全体を見渡し、満足げに頷いた。
「大衆を熱狂させるエンタメ。高見が創り上げた、鉄とコンクリの完璧なインフラ網。そして、成金の業を丸呑みにして飼い慣らす見せしめの関所……。これで、箱根の山頂に独立国家を創る『すべての武器』が揃った」
川島が立ち上がり、高見がヘルメットを小脇に抱える。
「……さあ、準備は整った。次は県庁の土木計画課だ」
横浜のドンが、獰猛な笑みを浮かべて言い放つ。
「頭の硬いお役人どもに、ウチの『公共の福祉』ってやつをたっぷりプレゼンしてやろうじゃねえか」
完璧な計画を携え、インフラ屋たちの戦いの舞台は、いよいよ最大の難所「行政(県庁)」との直接対決へと突き進む。




