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TRUE ANGEL  作者: 三九
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3/6

同志




 白い……白い霧が辺りを覆っていて、ここが一体どこなのかまったく判らない。

 ただ、自分が仰向けに寝ていること、自分がひどく軽くなったようで、どこか浮遊感を感じることなら判る。


「…………」


 そして何処か遠くで、誰かが自分を呼んでいるような…………

 ちょっと待て。

 前にもこんなことがあったような気が……

 などと時雨が考えているときだった。


「いつまで寝てんですかさっさと起きてください」


 どぶっ!


「………っっ!!」


 またしても声の主に思いっきり腹を踏ん付けられたことが解った。

 咳き込みながらも、時雨はなんとか身を起こす。


「てっ……てめぇっ! 一度ならず二度までも!

 本気でぶっ飛ばすぞゴルァ!」


 時雨は、腹に二度目の足跡をつけた相手を睨み付けるが、そいつはお構いなしに辺りを見渡し、


「霧が晴れますよ」


 などとほざいている。

 時雨は渋々立ち上がり、同じように辺りを見回した。

 そこは先程までいたカエルスではなかった。

 アスファルトの道路に、等間隔に並んだ電柱。

 コンクリートブロックの塀が並び、その向こうに鮮やかな色をした屋根が見える。

 見覚えのあるその風景は……


「俺の街だ……」


 時雨は呆然と呟いた。

 ほんの数時間離れていただけだというのに、ひどく懐かしく感じる。

 しかし不思議と人の姿は見かけず、街の騒めきもまったく聞こえなかった。

 まるで本物そっくりに作られた、はりぼての街のようだ。

 そのことをルシエルに言うと、簡単に説明してくれた。


「貴方だって、生きてるときに幽霊の姿は見えなかったでしょう? それと同じことですよ」


 解ったような解らないような理屈ではあるが、時雨は納得して頷いた。

 世の中、自分の考えが及ばないことなど、掃いて捨てる程あるのだ。

 それに、あんまり悩むとハゲると言うし。


「それはそうと、早く虫を探しましょう。

 でないと仕事が終わりませんよ」


 ルシエルはそう言うと、辺りを見回しながらすたすたと歩きだす。

 時雨も後に続いた。


 誰もいない街並みは、不気味に静まり返っている。

 その街が、自分が住んでいた街だとしたら、感じるのは不気味さではなく不安である。

 ルシエルの理屈で納得してはいるものの、見慣れた街に人気がないと寂しい。

 聞こえてくるのは風の音と、何かの虫の羽音ぐらいで……

 ……虫の羽音?

 何とはなしに嫌な感じがして空を見上げれば、小さな黒い点がいくつか飛び回っているのが見えた。


「なあ、あれ……」


 何となく声をひそめてルシエルに話し掛けると、ルシエルも上空の気配に気付いていたようで静かに頷いた。


「早速見つかりましたね。あれですよ」


 ルシエルはそう言って振り返ると、ゆったりしたローブの袖から何かを取り出し、時雨に手渡した。

 時雨が手の中のものを見てみると……


「殺虫剤?」


 それは紛れもなく殺虫剤だった。

 こんなものでどうしろと……など、今更聞かなくともこの天使の言いそうなことは解る。


「自分の身は自分で守ってくださいね」


 ほら、やっぱり……

 まあ、相手は虫だし有効手段かもしれないが。

 もうちょっとマシな言い草はないのだろうか。

 と、そのとき。

 上空を旋回していた虫がこちらに気付いたのか、明らかにこちらに向かって飛んできた。

 近付くにつれ、小さな黒い点は大きくなり、次第にシルエットがはっきりしてきた。

 赤と黒の縞模様が何ともグロテスクな蜂。

それが最も近い表現だろうか。

 そんなことを考えている間に、虫たちはどんどんこちらに近付きその影が大きく、大きく……大きく…………


「……ってデカっ!」


 時雨が思わず叫びたくなるほど、その虫は非常識な大きさをしていた。

 体長は1メートルを超し、まるまると太った腹は一抱えはあるだろう。

 有効手段だと思っていた殺虫剤が、今はとてつもなく心細い代物に見える。


「五匹、ですか。

 ちょっと多いですね」


 ルシエルはそう呟くと、背中の羽を大きくはばたかせ、虫を迎え撃つべく宙を舞う。


「時雨はその辺に隠れててくださいね」


 一度振り向いてそう言うと、再び迫り来る虫と対峙した。

 時雨は言われた通りさっさと電柱の陰に隠れる。

 情けないとは言うなかれ。

 こちとらただの一般市民なのだ。

 時雨は頭の中でそうまとめると、うんうん頷いてルシエルの応援を決め込むことにした。

 ルシエルはというと、これまた袖から取り出した大きめのバタフライナイフを構え、自分の周りを囲んで飛び回る虫を睨み付けていた。

 天使がそんな物騒なものを持っていて良いのか、という意見もあるが、こればかりは仕方ない。

 天使にはそれぞれ特殊な力が授けられているのだが、最初からこの能力を使いまくって体力が保たなくなっては意味がない。

 それに、ルシエルの能力には小さな欠点がある。

 相手が複数の場合、この欠点は命取りだ。

 たかが虫ごときに負けたとあっては天使の名がすたる。


 まずはお互い様子見のようだ。

 ルシエルは右手のナイフを構え直し、目標を一匹の虫定め先手を打つ。

 油断しまくっていた虫目がけてナイフを一閃。

 虫は頭から真っ二つに切断され、地に落ちていく。

 しかし地に落ちる寸前で砂のように崩れ、風に吹かれて跡形もなく消え去った。

 まずは、一匹。

 ここからが本番だ。

 仲間が殺されたことで興奮したのか、残った虫が気を張り詰めたのが分かった。

 こいつらは一筋縄ではいかないだろう。

 ルシエルは再びナイフを構え、不規則に飛び回る虫を見据えた。

 さて、どんな反撃があるのやら……


「お手並み拝見といきますか!」


 ルシエルの言葉をきっかけに、虫が一斉にルシエル目がけて飛んでくる。

 奴らの武器は大きく頑丈な身体と強い顎。

 そして何と言っても巨大な針である。

 こんなもので刺されたらひとたまりもない。

 ルシエルは迫り来る針の攻撃を避けつつ、手にしたナイフを振るう。

 切っ先が何度か虫の身体を掠めるものの、大したダメージにもなっていない。

 大きな顎にナイフを突き刺せば、それはあっさり噛み砕かれた。

 ルシエルは旋回して、一度距離をとった。

 虫相手に能力を使うなど、勿体ないような気はするが、そうも言っていられない。

 この距離ならばこちらの有利だ。

 ルシエルは両手を胸の前で合わせ、深く息を吸った。

 掌がほんのりと熱を帯びる。

 少しずつ手を離すと、両手の間に小さな光の球が生まれた。

 虫がルシエル目がけて飛び掛かってくる。

 だが、ルシエルの方が早い。

 ルシエルは先頭の虫に向かって、その光球を打ち出した。

 光球は虫の腹に潜り込み、ボールを破裂させたような音をたてて虫の身体を霧散させた。

 ばらばらになった虫は息絶えて、その死体もやがて風に消える。

 これで残りは三匹。

 迫り来る針と顎の攻撃を避けながら、ルシエルは内心焦っていた。

 まだ三匹も残っているのだ。

 奴らは虫にしては頭が良く、学習能力も高い。

 もうこちらの攻撃も、不意打ちぐらいしか当たらないだろう。

 こうなると、能力の欠点が致命的となってくる。


 天使が神より授けられた力の種類は様々だが、ルシエルの能力は主に攻撃である。

 体内のエネルギーを練り上げ、さながら気孔のような力を操るのだ。

 それなりに威力はあるのだが、欠点もある。

 それは二つ。

 攻撃の際、力をため込む時間が必要であること。

 もう一つは、一撃射つのに結構体力を消耗すること。

 それ故相手が複数の場合、この二つの欠点はかなり不利となる。

 ルシエルの能力は仲間の援護があってこそ、その真価を発揮できるのだ。


 不便な能力を持ったものだ。

 ここにもし、彼が居てくれたら……

 一瞬だけルシエルが、かつての仲間のことを思ったときだった。

 突如天空から一筋の光が飛来した。

 それは物凄い速さでルシエル目がけて落ちてくる。

 神々しくも全てを焼き尽くす光。それはさながら、神のイカヅチ……

 光に気付いて顔を上げたときには、もう手遅れだった。

 雷光はもう、目の前に迫っている。

 ルシエルの目が、驚きで見開かれた。

 轟音とも爆音ともとれる音が辺りに響く。

 ルシエルは逃れることもできず、ただ閃光の中に飲まれていった。




 時雨は電柱の陰からルシエルが戦う様子を見ていた。

 まるで映画か何かを見ているような気分だ。

ああ、これが映画だったらどんなに良かっただろう。

 己に手渡された、とても武器とは言い難い武器は、掌サイズの殺虫剤スプレータイプが一本。

 もし虫がこちらに飛んできたら、これで戦わなくてはならないのだ。

 はっきり言って、そんな恐い真似したくない。

 ここは何とかルシエルに頑張ってもらわねば。

 時雨は少しでもルシエルを応援するべく、電柱の陰からちらりと顔を覗かせた。

 そのときだった。


 遥か上空から、一閃の光が飛来した。

 それは刹那の如き速さで、ルシエルごと周囲の虫を捕らえた。

 時雨は自分でも解らないが、何故か咄嗟に地面に伏せ、耳を塞いで目を閉じた。

 直感的に、そうしなければならないような気がしたのだ。

 目を閉じていても、物凄い光量は視神経を強く刺激する。

 そして轟音は辺りの空気を振動させ、耳を塞いでいてもなお鼓膜を激しく揺さ振った。

 音が鳴り止み、光が消えると時雨は素早く身を起こし、空を見上げた。

 耳はまだ聞こえないし、目もちかちかしていてはっきり見えない。

 しかし、ルシエルが真っ逆さまに地面に落下してくるのだけは見えた。


「……っルシエル!」


 時雨は慌ててルシエルの下へ走りだす。

 ルシエルを受けとめようと手を伸ばすが、間に合わない。

 やけに耳にこびり付く、重いものを床に叩きつけるような音。

 そして、やけにゆっくりと映し出される、目の前の光景。

 ルシエルは頭から地面に叩きつけられた。

 一度バウンドして俯せに倒れる。

 時雨は慌ててルシエルを助け起こそうとするが、その手にはルシエル血が大量に付着していた。

 地面に、時雨の制服に、赤い染みが広がる。

 ルシエルの眼鏡は、壊れてどこかに吹き飛んでいた。


「おい……ルシエル?

 おいってば……! 返事しろよっ!」


 時雨はルシエルを揺さぶりながら声を掛けるが、返事はない。

 人間だったらまず間違いなく死んでいるだろうが、天使はどうなのだろうか。

 ひょっとしたら生きているのではないか。

 そんな思いが頭から離れず、時雨は何度もルシエルを呼んだ。

 しかしどんなに声を掛けようとも、ルシエルからの返事はなかった。

 べつにルシエルとは長い付き合いがあった訳ではない。

 仲が良い訳でもない。

 どちらかと言うと嫌いな方だし、まだルシエルを完全に信用した訳ではない。

 それでも。

 それでも目の前で誰かの死を見つめるというのは、胸が苦しかった。

 こんなにも悲哀に満ちて、こんなにも辛苦に押し潰されてしまうものだったのかと、初めて知った。


 これが映画だったら、もしくは夢だったらどんなに良いだろう。

 これが全部夢だったなら、血の匂いも、腕の中のルシエルの重みも、だんだん冷たくなっていくルシエルの身体も、ともすれば溢れそうになる自身の涙も、全部偽物なのだ。

 しかし、これは現実だ。

 自分の目の前で、この奇妙な天使は死んでしまう。


「嘘だろ……?」


 虚偽ではなく、


「嘘だよな……?」


 目の前の真実。


「ルシエル……」


 緩慢に訪れる、


「死ぬなよっ……!」


 死。


「……ぁ……う……ぁああああああああっ!」


 時雨の悲痛な叫びが、街の中に木霊する。

 その声を聞くことができた人間は、誰一人としていなかった。







「ミカエル」


 大天使ミカエルは自分を呼ぶ声に振り返った。

 そこに立っていたのは、背の高い一人の女性。

 短い髪をヘアピンでまとめ上げ、動きやすい軽装の鎧に身を包んだ、美しくも冷たい印象のある女性だった。


「何でしょう」


 ミカエルは恭しく頭を下げる。

 大天使とはいえ、彼女に逆らうことなどできないのだ。


「ゼウス様から直々に話があるそうだ」


 その女性はそれだけ言うと、「確かに伝えた」と言い、ミカエルに背を向け神殿の奥に消えた。

 訝しげな表情でそれを見送ったミカエルだったが、この世界の最高神の召集ならば行かねばなるまい。

 ミカエルは足早にゼウスの部屋へと急いだ。


 ゼウスの部屋はいつ行っても、堅苦しいほどの重い空気に満ちていた。

 そんな中で二人きりで対峙すること程、居心地の悪いものはない。

 しかしミカエルは涼しい顔でゼウスの前に立った。


「ようやく来たか、大天使ミカエル。

 お主にちと、やってもらいたいことがあってのぅ……」


 ゼウスは長い髭を撫でながら、ゆるゆると話を始めた。


「随分と前に失ってしまった、大天使の魂が現われたのじゃ……」


 その言葉に、滅多に人前で感情の起伏を見せないミカエルが目を見開く。


「まさか……リリスが?」


 ミカエルの漏らした呟きに、ゼウスは深く頷いた。


「しかし今、そやつはあの堕天使と共におる。非常に危険じゃ……」


 ゼウスはそう言うと片手を軽く振った。

 するとゼウスとミカエルの間に大きな鏡が現れ、ガイアの地に降り立ったルシエルと時雨、二人の姿が映し出された。

 ミカエルはそれにちらりと目を遣ると、ゼウスを正面から見据えた。

 その瞳には、凛とした意思が宿っている。


「……特に危険はないと思われます。

 彼はもう問題を起こすようなことはしないと申しておりました」


 そう。確かに彼は言った。

 自分は確かに聞いたのだ。

 大事な部下であり同僚だ。信じてやりたいと思う。

 しかしゼウスは小さく首を振った。


「いや、そうではないのじゃ……ワシはすぐにでもリリスの魂が欲しい。

 今、リリスが必要なのだよ」


 ミカエルは怪訝そうに眉をひそめた。

 今すぐ欲しいとはどういうことだ。

 第一、彼は魔虫の干渉による死のため、魂を身体に戻すはずではなかったのか。

 そしてあのゼウスの目。

 普段とはまるで別人のようだ。

 いつもの温和な雰囲気がまったく感じられない。

 そんなミカエルの戸惑いを見て取ったゼウスは、笑いながら鏡に片手をかざした。


「リリスの魂は本物じゃ。

 証拠を見せてやろうか」


 言うが早いか、かざした掌から一筋の光が鏡に降り注いだ。

 ミカエルが驚愕の表情を浮かべて鏡を見つめると、その光は雷となり、魔虫と戦っていた天使を直撃した。


「な……何を……!」


 驚きと困惑で事態を理解できていないミカエルは、咄嗟に非難の声をゼウスに向けるが、ゼウスは涼しい顔でミカエルの言葉を遮った。


「まあ……黙って見ておれ……」


 ゼウスのその言葉に、ミカエルは再び鏡に目を向けた。

 かつての仲間が、無残にも地に落ちる。

 一緒にいた少年が心配そうに駆け寄るが、もう助からないだろう。

 ミカエルは込み上げてくる、怒りとも憤りともつかない感情を押し込めた。

 こんな気分になるのは久しぶりだ。

 百年前の、ある天使の処刑のとき以来だろうか。

 ミカエルは険しい顔つきで、自分の手を固く握り締めた。


 と、そのときだ。

 鏡に映っていた少年の身体が輝き始めた。

 純粋で暖かな、白い光。

 この光には見覚えがあった。

 懐かしい同僚と同じ光。

 驚きの余りその光景に見入っていると、ゼウスが歓喜の声を上げた。


「おお……やはりじゃ。この力はリリス!」


 その声からは普段の温厚そうな印象は、微塵も感じられない。

 鏡に映る光を見つめ、狂ったように歓喜の声を上げ続けている。

 一体、どうしたと言うのだ。

 見たこともないゼウスの姿を目にしたミカエルには、混乱と困惑しか浮かんでこなかった。

 ミカエルの混乱を余所に、ゼウスは血走った目をミカエルに向ける。


「さあミカエルよ。

 あの者をここに連れてまいれ」


 しかしミカエルは途惑いの表情を浮かべ、中々その場を動こうとしない。

 ゼウスはその様子に怒りを覚えたか、身体ごとミカエルに向き直り、普段からは考えられぬ程低く冷たい声で言った。


「早く行け」


「……っ!」


 その言葉に、ミカエルは本能的に何か恐ろしいものを感じ取った。

 今逆らってはいけない。

 それだけははっきり解った。

 ミカエルは焦ったように部屋を出た。


 何だったんだ、あれは。

 あれが神なのか。

 今まで自分が見てきた神とはまったく違う人物のようだ。

 しかしだからと言って、逆らうことはできない。

 今のミカエルにできることは、命令を実行することだけなのだ。

 ミカエルは神殿を後にすると、地上へと向けて飛び立った。

 ルシエルと時雨、二人の許へと。




 時雨は突然、我に返ったように瞬きをした。

 今まではっきり映らなかった世界に、光が戻ってくる。

 少し混乱しているようで、今自分が何をしていたのかすぐに思い出せなかった。

 順を追って思い返す。

 確か、地上に降りて、虫を探して、でもってルシエルが虫を……


「……っ、ルシエル!」


 やっと思い出したようで、慌てて腕の中の天使に目を遣る。

 ぼろぼろになった白い服は血で赤く染まり、堅く閉ざされた目は開きそうもない。

 時雨は微かに震える声でルシエルに呼び掛けた。


「なあ、ルシエル……嘘だよな?

 シャレになんない冗談やめろよ……聞いてんのかこら……返事くらいしろよ……っ」


 徐々に声が大きくなっていく。

 目に溜まっていた涙が、溢れた。


 その頭の片隅で、何故こんな奴のために泣いてるんだろうと考える、冷静な自分がいた。

 友達でもないし、家族でもない。

 自分と関係ない他人だ。 なのに何故、こんなに悲しいのだろう。

 人の死なんて、テレビの向こうでは毎日のように映し出されている。

 それだって、自分と関係ない他人の死だ。

 なのに今と違って、涙など流したことはない。

 それなのに、何故……


 そこまで考えて気付いた。

 これはきっと、目の前で見ていながら、何もできなかった自分自身が悔しくて泣いてるんだ。

 テレビの向こうとは違う、自分の目の前で起こったことだから。

 もしかしたら何かできたかもしれない。

 それなのに、何もできなかった。

 だから悔しくて、悲しくて……


「死ぬなよっ! ルシエル!」


 叫んで目を閉じると、次から次へと涙が溢れてきて。

 それと同時に理不尽な怒りが沸き上がる。

 天使のくせに、こんな簡単に死ぬな。

 いつもみたいに、勝手に殺すなとか何とかほざいてみせろ。


「……誰が、いつ死んだんですって……?」


 そう、そんな風に………………


「…………へ!?」


 突然聞こえた小さな声に、素っ頓狂な声を上げてがばっと顔を上げると、嫌な性格の天使がうっすらと目を開けて時雨を見ていた。


「な……なん……っ?」


 なんで――と訊こうとしたが、うまく言葉が出てこなかった。

 不自然な音の羅列になってしまう。

 それでもルシエルは、時雨の言いたいことを理解した。


「……そう簡単に……死ねませんよ……」


 力なく呟くと、その天使は小さく笑って見せた。

 時雨はぼろぼろ零れる涙を拭いながら答える。


「て……てめっ……! 生きてやがっ……のかよ!

 お、俺はてっきり……し……死んだ……かと思っ……」


 上手く言葉が出てこない。

 途切れ途切れになりながらも言うと、ルシエルは意地悪く微笑んだ。


「何、泣いてんですか……みっともない。

 僕としては、こういうときは……笑ってほしいですね……」


「う……うるせぇ! テメーが悪りぃんだぞっ!」


 誰かの前でこんなに泣いたのは、初めてだったかもしれない。

 しかし、いつもと変わらないルシエルの口調に安心したのか、時雨は泣きながらも笑みを浮かべてみせた。

 嬉しいときにも泣けるんだということを、実感しながら。




「……そう言えば、ルシエル大丈夫かお前」


 時雨はなんとか涙を拭って訊いた。

 見た限りでは、そんなこと聞くまでもなく大丈夫ではなさそうだ。

 ルシエルはぎこちない笑みを浮かべる。


「……あまり……大丈夫ではなさそうです……

 もうあちこちぼろぼろですよ……」


 予想通りの言葉が返ってくる。

 話すことさえ辛そうで、言葉は途切れ途切れだった。

 時雨は重傷のルシエルを抱えて途方に暮れた。

 これからどうすれば良い。

 先程の光だか雷だかで虫はどこかに行ってしまったようだが……

 怪我した天使を病院に連れていくことなどできない。

 その前に、幽霊の自分が天使を病院に連れていったところで、心霊現象が起こるだけのような気がする。

 そんな時雨の心配を余所に、ルシエルが再び口を開いた。


「生きてるのが……不思議ですよ……

 僕も……あのときは、死んだかと思いました……」


「その人間のお陰だな」


 ルシエルが言葉を切った直後、別の声が現れた。

いつの間にそこにいたのか。

 時雨の目の前に、一人の天使が立っていた。

 神官が着るような白い服を、動きやすいように要所でまとめ、肩下まである金髪が風になびく。

 大きな白い翼はその者の威厳を表しているようだ。

 大天使ミカエル。

 もちろん時雨は知らないが、ルシエルは驚いたように目を見開いた。


「ミカエル……なぜここに?」


 時雨の耳に、ルシエルの呟きが聞こえる。


「ミカエル……」


 時雨は聞こえた名前を口の中で呟き、目の前の天使を見上げた。

 ミカエルはしばらく黙ったまま二人を見下ろしていたが、小さく首を振ると二人の前に膝をついた。


「お前たちに話がある。……立てるか?」


 そう言ってルシエルを見つめる。

 この状態で動けるはずもないとは思うが、一応訊いてみた。


「無理です」


 即答するルシエルに、ミカエルは渋い顔をするが、そう言うのならば仕方ない。

 ミカエルは徐にルシエルを抱き上げ、肩に担いだ。

 細い身体のわりには、力はあるようだ。

 ルシエルが苦痛に顔を歪める。


「……痛いんですけど……もっと優しく扱ってくださいよ……」


「それだけ軽口が叩けるなら問題ない」


「…………」


 そうきっぱり言われてしまっては何も言い返せない。

 ルシエルはぶちぶちと文句を言っていたが、とりあえずミカエルに従うことにした。

 ミカエルは続いて時雨に手を差し出した。 時雨は多少迷ったものの、手を借りて立ち上がった。


「これから上に戻る。

 こいつを休ませてやらなくては」


 ミカエルは時雨の手を掴んだまま、ちらりとルシエルに目を遣り淡々と喋る。

 そしてそのまま羽を広げた。


「……っておい、飛んでく気かよ?」


 二人も連れていては簡単に飛べることはないだろう。

 途中で落ちるのはごめんだ。

 時雨の言葉には、そういったニュアンスがありありと込められていた。

 しかしミカエルは気にした様子もなく、数度羽をはばたかせる。


「掴まっていろ」


 それだけ言うと足が地面から離れ……

 次の瞬間には結構なスピードで飛んでいた。

 このスピードはミカエルの能力によるものだが、決して飛行速度が上がるだけの代物ではない。


「はっ……速えぇーっ!?」


 驚き叫ぶ時雨にわずかに眉を寄せつつも、ミカエルは黙って上を目指し飛んでいく。

 ぎゃあぎゃあとわめく時雨と、ぐったりとしたルシエルを連れて飛ぶことしばし。

 やがて不思議な雲が見えてきた。

 中心部分が台風のように渦巻いている。

 どうやら、これが天国に続く道のようだ。

 先程の大樹と言いこの渦巻き雲と言い、まともな道はないのだろうか。

 時雨は不安そうにミカエルを見上げる。

 だが、ミカエルは時雨の視線も気にせず、迷わずその中に突っ込んだ。

 その後は何がどうなったのか、時雨ははっきりと覚えていない。

 しかし、長いような短いような時間を飛び続けると、いつの間にか目の前には雲も何もなく、うっすらとした霧が漂っていた。

 一番最初に見た、天国の外の風景だ。

 気付くと時雨は地に降ろされ、数歩前をルシエルを担いだミカエルが歩いていた。

 時雨は慌ててミカエルを追う。

 近くまで行くと、二人の会話が聞こえてきた。


「…………酔ったかもしれません」


「私に向かって吐くなよ」


「…………努力します……」


 この妙に笑いを誘う会話に、時雨は心の底から、こいつら実は新手のお笑い芸人か何かじゃないのか……などと考えてしまった。


 そのまましばらく歩き続けた。

 その間特に話すこともなかったので、三人ともただ黙って歩いていた。ルシエルだけは黙って担がれていた。

 時雨はミカエルから数歩下がった位置を保っていたが、その目線は時折心配そうにルシエルへと向けられている。

 どれほど歩いただろうか。

 やがて三人の前に巨大な門が見えてきた。

 カエルスへの門だ。

 時雨は目を凝らして門を見た。

 先程は誰もいなかった門の前に、人影が立っていたような気がしたからだ。

 確かに門の前に誰かがいる。

 近づくにつれ、それはだんだんはっきりと見えてきた。

 時雨の知っている顔だ。

 門番のサダルメリク。

 それを確認すると、時雨は大きく手を振り叫んだ。


「おーいサダルメリク! また会ったな〜!」


 時雨の声を聞いたサダルメリクは、驚いたような顔で時雨たちを見ていた。

 何故ここに再び時雨が現れたのか。

 何故ミカエルがルシエルを連れてここに来たのか。

 解らないことばかりだ。

 そして何より、何故ルシエルが怪我をしているのか。


「すまん、サダルメリク。こいつを休ませたいのだが」


 考えがまったくまとまらないうちに、ミカエルが話し掛けてきた。

 サダルメリクは途惑いながらも、門の脇に建っている小さな小屋を示した。


「では……あちらへ」


 いつも自分が寝泊りしているところだ。

 自分よりもずっと身分の高いミカエルを、狭い小屋に案内するのは多少心苦しいが、この際仕方ない。

 サダルメリクは先頭に立ち、三人を小屋の中へと招き入れた。


 小さな小屋の小さな部屋は、四人も入るとかなり狭い。

 ミカエルはルシエルを奥のベッドに寝かせ、小屋の外に出た。

 時雨は制服が血で汚れてしまったので、サダルメリクの服を借りることにした。

 中世のコスプレのような格好は御免だが、サダルメリクは割と現代風の服を持っていたのでそれを選んだ。

 ルシエルの服も汚れてはいたのだが、生憎サイズが合わないのでそのままだ。

 そこは我慢してもらうしかない。

 外に出たミカエルは小屋の前にしゃがみ込み、雲のような白い地面に右手を付ける。

 時雨とサダルメリクは小屋の中からその様子を窺っていた。

 二人の視線を浴びながら、ミカエルは手の先に力を込める。

 すると、ミカエルの手が触れている地面からうっすらと青白い光がさし、ドーム状に小屋を覆った。

 それを確認すると、ミカエルは小屋の中へと戻ってくる。

 中に入るなり時雨がミカエルに問い掛けてきた。


「いったい、何やったんだ?」


 時雨の純粋な興味からの質問に、ミカエルは無表情で短く答える。


「結界を張った」


 ミカエルはそう答えるとサダルメリクの方に向き直り、


「話がある。

 もしかしたら、お前にも無関係ではないかもしれない」


 そう言いながら奥のテーブルの前に座った。

 時雨とサダルメリクは一瞬顔を見合わせ、ミカエルに続いてテーブルを囲むように座る。

 それを見てから、ミカエルはテーブルに肘をつき、 口元で指を組むと小さく抑えた声で話し始めた。


「私は今、ゼウス様からある司令を受けている」


 その口調は静かで、ミカエルの心を窺うことはできない。

 だが彼の内心では、いつ誰に話を聞かれるか、ゼウスに見つかるのではいか、自分は間違っているのではないか、様々な疑念、懸念が渦巻き焦りを抑えきれないでいた。

 そんな状態のまま、ミカエルの話は続く。


「それは、木高時雨という人間の魂を神のもとへ連れ帰るというものだ」


「俺を? 何で?」


 いきなり自分の名前が出るとは思ってなかったのか、時雨は思わずミカエルに聞き返していた。

 ミカエルはたっぷりと時間をかけて息を吐くと、言葉を続けた。


「それは、木高時雨……きみが、大天使リリスの生まれ変わりだからだ」


 その言葉にサダルメリクは息を呑んだ。

 事情が分かっていない時雨は、ただ眉をひそめるだけだったが。


「これは百年前に起こったある事件が原因だ。

 その事件の中枢となったのが……奴だ」


 ミカエルは目を奥の部屋に向けた。

 ルシエルが寝ている部屋に。

 サダルメリクは痛みを堪えるような表情で黙ったままだ。

 時雨はわずかに首を傾げると訝しげな表情で尋ねた。


「リリス……? 誰だそれ」


 その声を合図に、ミカエルは長い事件の内容を語り始めた。







 それは今から百年前のこと。

 当時、三人の大天使がいた。

 守護の大天使ミカエル。

 治癒の大天使リリス。

 そして破壊の大天使ルシファー。

 大天使とは、数多いる天使たちの上官のようなものである。

 リリスは子供のような外見をしていたが、ミカエルが初めてカエルスに来て天使になったときには、既に大天使の地位にいた。

 天使というのは、そういった種族がいる訳ではない。

 実は、職業のようなものである。

 一度死した魂に、神が仮初めの肉体と新たな名を与え、人々の魂の管理を主な任務とする。

 天使とは、元々は時雨と同じ人間だったのだ。

 ミカエルが大天使となってから数百年後、ルシファーという名を与えられた一人の人間が天使になった。


「この名前、あまり好きじゃないんですよ」


 事ある毎にそう言っていたため、彼と親しい者は彼のことをルシエルと呼んだ。

 ルシエルは、他に類を見ない程の驚くべき早さで、大天使の地位に上り詰めた。

 ルシエルが天使になってから、二年程の年月しか経っていなかった。

 ルシエルは異例の早さで大天使になった訳だが、それ以前にペアで仕事をしていたのがサダルメリクだ。

 新米天使だったルシエルに仕事を教える、先輩と後輩のような関係だった。

 そして、ルシエルが大天使になってから数十年後のこと。

 ある時期から、ルシエルは神殿に姿を見せなくなった。

 その直前に最高神であるゼウスと会っていたという話があったが、本当かどうかは判らない。

 そして彼はとうとうカエルスからも姿を消した。

 だが数年の後、ルシエルは再び姿を現した。

 反逆者として。

 たった一人で、数百人の天使と神を相手に。

 普通に考えれば、結果は明らかだ。

 だが、ルシエルはどうやったのか、神とも互角に渡り合える程の力を身に付けていた。

 それこそ並の天使では太刀打ちできない程の。

 予想外の強さと巧みな戦略で、約一年もの間戦いは続いた。

 その戦いの犠牲者は一人。

 大天使リリスだ。

 他に死者がいなかったのは幸いだったが、仲間を殺されて黙っていられる訳もなく……


 最悪の方法で、戦いは終わった。

 ルシエルと、以前最も親しかった者……サダルメリクを処刑したのだ。

 ルシエルは自ら神の前に赴き、敗北を認めた。

 こうして戦いは終わり、ルシエルはその後百年間、闇の牢獄に監禁。

 そして現在釈放された。

 ルシエルを責めないでほしい、許してやってほしいとの、リリスの遺言を尊重した結果だ。

 しかし、皆がリリスと同じようにルシエルを許した訳ではない。

 だからルシエルは未だ堕天使と言われ、忌み嫌われている。







 ミカエルはそこで話を切った。

 時雨は驚きと怒りが混ざったような顔で黙り込み、サダルメリクは俯いたまま語ろうとはしない。


「何か、質問は……?」


 ミカエルが小さく呟くように言葉を発する。

 少し時間を置いてから、時雨はぽつりと呟いた。


「何で、サダルメリクが処刑されなきゃなんねえんだよ……」


「疑いを持たれた」


 ミカエルは沈痛な面持ちで答える。


「奴を手引きしている者がいるのではないかと。

 悪い噂が広まるのは早い。

 サダルメリクは捕らえられ、皆の見ている目の前で両の翼をもがれた。根拠のない噂のために……」


 それを聞いた瞬間、時雨は感情に任せてテーブルを叩きつけ立ち上がり、目の前のミカエルに詰め寄った。


「何でだよ! 何でたかが噂程度でそんなことすんだよ!

 あんた偉い天使なんだろ!? 何で止めなかったんだよ!」


 つい喧嘩腰で叫ぶ時雨に、ミカエルは静かに言う。


「できることなら、私も止めたかった。

 だが、戦いで負傷し、身動きがとれなかった。

 気付いたときには、もう戦いは終わっていたんだ……」


 その顔には深い苦悩の色が浮かんでいる。

 あのとき、せめて処刑の時間を遅らせるよう、誰かが進言していれば、或いはサダルメリクが翼を失う前に、ルシエルを捕らえることができたのではないか。

 ミカエル自身、サダルメリクの処刑の話を知ったときには、ひどくショックを受けた。

 何故、何の罪もない者が処刑されなければならないのか、と。

 戦いが終わった後でさえ、サダルメリクは堕天使の仲間と言われ、たった一人門の外に追いやられている。

 こんな理不尽なことが許されるのか。

 何度も神にサダルメリクの処遇を改善するよう進言したが、何かと理由をつけて無視されていた。

 守護の大天使と言われながら、同僚一人、部下一人守ることができない。

 ミカエルは、きつく手を握り締めた。

 そんなミカエルを見て、時雨は気まずそうに椅子に座り直す。


「………わりぃ」


 目を逸らし、ぼそりと呟いた。


「いや……」


 それに答えてミカエルが短く言う。

 サダルメリクはというと、俯いたままテーブルの一点を見つめ続けている。

 ただ何となくそこに目線がいったまま、動けなくなっていた。

 背中の……左右の肩甲骨辺りにある古い大きな傷痕が、ずきりと痛んだ気がした。


 そのときだった。

 奥の部屋から小さな物音がした。

 その場にいた全員が、反射的にそちらを見る。

 ルシエルが、ドアの前に立っていた。


「ルシファー……」


「……………」


「もう大丈夫なのか?」


 三人の反応はそれぞれだったが、視線だけは同じ人物を見つめている。

 ルシエルは皆の視線を受けて、困ったような顔で笑った。


「……やだなぁ、そんなに見つめられたら照れるじゃないですか。

 傷はもう塞がっているようです。少し貧血気味でくらくらしますけどね」


 はぐらかすように言いつつ、テーブルの一角の空いているスペースに座る。

 それを見計らって、ミカエルが声を掛けた。


「ルシファー……百年前の事件、何があったんだ。

 いったい、何が原因で戦は始まったのだ。

 真実を……話してくれないか」


 ルシエルは一度ミカエルに視線を送るとテーブルの上に視線を落とし、事件のあらましを途切れ途切れに語りだした。







 事件の発端は、ごく些細なものだった。

 一冊の本。

 そこには、世界が誕生してからのことが、事細かに記してあった。

 その本は、見ようによってはただの歴史書だが、見る人が見れば気付くことができる。

 それがこの世界の歴史書ではないことに。

 その本には、この世界の創世からの歴史が、事細かに記されていた。

 しかし、その本にはある仕掛けがしてあったのだ。

 ゼウスが施した封印術である。

 ある一定の規則に従い読み進めると、本に書かれた文字が変わり、まったく違った内容の書物に変化するものだ。


 どんな偶然が重なったのか、あるいはそれが必然だったのか、ルシエルは神殿の中でその歴史書を見付けた。

 歴史書というよりは、聖書のような内容だったが。

 そしてまた、本の仕掛けにも気付いてしまった。

 それを読み、理解した。

 世界は、一つだけではないことを。

 いや、正確には世界は一つだ。

 自分たちのいるこの世界は、もともとあった一つの世界を模倣して創られたものだったのだ。

 その本によれば、世界を創ったのは一人の女神とされている。

 そして今、その女神は覚めることのない眠りについている、とも。

 ではこの世界で神を名乗る者たちは何なのだ。

 ルシエルは夢中で本を読み返した。

 決められた順番で文字を読み上げ、定められた単語を指でなぞり、時に本を逆さまにして光に当てるなど、ゼウスが仕掛けた様々な封印を解きながら。

 そして何度も読み返すうちに、少しずつ理解していったのだ。


 最初、この世は無だった。

 何もないその世界に、一人の女神が降り立った。

 女神は何もない世界に、一つの世界を創った。

 その世界の覇権を巡り、魔王が姿を現した。

 戦の原因は今となっては解らないが、魔王と女神は世界を賭けて戦い続けた。

 そしてついに、世界はぶつかり合う二つの力に耐えきれず、粉々に砕け散った。

 その瞬間に女神と魔王も力尽き、永遠の眠りについた。

 世界と共に砕け散った魂たちは互いに協力し合い、砕けた世界を元に戻そうと、世界の欠片を繋ぎ始めた。

 しかし神でも何でもない者が世界を元に戻せるはずもなく、小さな世界の欠片があちこちに塊を創り、それぞれの世界として独立を始めた。

 真の統治者である女神のいない世界は、常に不安定だ。

 各地で戦が起こり、天変地異が人々を脅かす。

 不完全な世界に生まれるのは不完全な命。

 世界が元通りにならない限り、安寧は訪れない……


 分厚い歴史書に書かれていた秘密は、そんなお伽話のようなものだった。

 ルシエルがその歴史書を解読して数日後、ゼウスはルシエルを呼び出した。

 その歴史書を読んだのか。

 そこに書かれている内容を理解したのか。

 ルシエルは首を縦に振った。

 ゼウスの話は続く。

 この世界を元通りにしたくないか。

 不完全な偽物の世界ではなく、完全なる世界が欲しくないか。

 ルシエルは、今度は首を横に振った。

 例え偽りの世界であろうとも、自分たちはここで生きている。

 それで充分ではないか。

 世界を元に戻したところで、今更何が変わると言うのか。 しかしゼウスは言う。

 偽りの世界に生きる意味などあるものか。

 何故真実を欲しない。

 この偽りの世界では、お前の命、生きた証さえ偽物かもしれないのだ。

 こんな世界に生きる意味などあるものか、と。


 ルシエルは不思議でならなかった。

 なぜそうまで元の世界を欲するのか。

 その異様なまでの執着は一体何なのか。

 神の真意は解らないままだった。

 しかし心の底から沸き上がる不信感。

 それに突き動かされるままに、ルシエルは独自に神の周辺を調べ始めた。

 今にして思えば、厳重な警備を掻い潜って最高神を調べるなど、容易にできることではない。

 恐らくゼウスに泳がされていたのだろう。

 目的だけならば解っている。世界を元の一つの形に戻すことだと。

 しかし結局のところ、目的は解ったが、手段も理由も調べることはできなかった。

 これ以上の追求は無理だと判断したルシエルは、ある決意をする。

 このカエルスと酷似しながらも正反対の場所、アビスへと旅立つことを。

 或いはアビスでならば、カエルスでは手に入らなかった情報があるかもしれない。

 うまく上層部に入り込めば、力を貸してくれるかもしれない。

 上に取り入るのは得意だ。

 だからこそ短期間で大天使という地位を獲得したのだから。

 果たしてルシエルの読みは的中した。

 やはりアビスの王は、神の目的を知っていたのだ。

 そしてそれに伴う犠牲も。


 世界を元に戻すということは、ばらばらになった無数の世界を一つに集めるということ。

 当然のことながら、数多の世界に住み、増え続けた人々がたった一つの世界に納まりきるはずもない。

 ゼウスはまず無駄な人口を減らそうと考え、他世界の住人を葬るために、特異な能力を持つ天使という生きものを造り上げた。

 そして自分の思想に異を唱える者が現れたときのため、共にこの世界を創り上げた魂たちから理解者を募った。

 それが神だ。

 ルシエルたち天使は、ゼウスにとっては目的のための駒にすぎなかったのだ。

 ルシエルはついに真実を知り、最高神に反旗を翻した。

 そして繰り広げられた一年間の戦は、先程ミカエルが話した通りの幕切れを迎えた。







 ルシエルの語った話に、一同は言葉もなく、ただ黙って座っていた。

 ミカエルやサダルメリクは明らかに動揺し、時雨も困惑したような顔つきになっている。

 特にミカエルの心は他の誰よりも穏やかではなかった。

 数百年もの間信じて仕えてきたものを、根底から覆されたのだ。

 自分が今まで殺人の道具として神に生かされていたと思うと、悲しさと悔しさが溢れてくる。

 その口からは、深く長い溜め息が聞こえた。

 サダルメリクはというと、一人席を立ち小屋の外へと向かった。

 その足取りは重い。

 ドアを押し開けると静かに出ていく。

 小屋の外で壁に寄り掛かると、その場にずるずると崩れ落ち頭を抱えて黙り込んだ。

 時雨はそんな二人を心配そうに見ていたが、この重い沈黙に耐えきれなくなったか、ルシエルに向き直り口を開いた。


「……なあ、それで……あー……何で俺がそのリリスとかいう奴の生まれ変わりだからって、神様とやらに狙われなきゃなんねぇの?」


 中々言葉が見つからず視線が宙を彷徨い、それでも何とか出た言葉は本心からのものではない。

 時雨にとってはどうでも良いことだったのだが、他に言葉が浮かんでこなかった。

 しかしルシエルは困惑したような表情で時雨を見遣り、次いで懺悔するかの如く深く首を垂れた。


「すみません……貴方を巻き込むつもりはなかった。

 しかし、ゼウスは見逃してはくれそうにもありません……

 リリスの治癒能力は、ゼウスにとってはどうしても必要なものだったんです。女神を目覚めさせるために」


 リリスが持っている能力は治癒だった。

 それも瀕死の人間さえ一瞬で復活させる程、強い力だった。

 傷つき眠り続ける女神を癒すために、彼の能力は絶対に必要なものなのだ。

 それを聞いてミカエルが顔色を変える。

 思わず立ち上がり、椅子ががたんと後ろに倒れた。

 ルシエルと時雨が弾かれたようにそちらを見る。

 ミカエルはそんなことには構わず、ルシエルを見据えたまま言う。


「まさか……お前、そのことを知っていたから……だから殺したのか……」


 その口調は静かだった。

 しかし心の動揺を隠しきれていない。

 かたかたと手が震え、非難の目でルシエルを見つめる。

 激昂しなかったのは、自制心が人一倍強かったからだ。

 そうでなければ、親友であるリリスが、同僚に殺されたなどと知って、黙っていられるはずがない。

 ルシエルは黙ってその視線を受けとめると、静かに頷いた。

 それを見たミカエルはルシエルに詰め寄り、その肩を掴んで叫んだ。


「何故だ……! 何故リリスを殺した!

 答えろ! ルシファー!」


 時雨はどうして良いか解らず、黙って二人を見つめていた。

 ルシエルは自分の肩を掴み震える手にちらりと目を向け、真っすぐにミカエルを見つめ重い口を開いた。


「リリスは……全てを知っていました。

 神の目的、自分たちが生み出された理由、そして自分に与えられた役割と、その後に待っているであろう結末……彼も、僕と同じようにこの世界が創られた理由を知っていたのです」


 リリスはルシエルが神に反逆の狼煙を上げたときに、一人誰にも気付かれないようにルシエルを訪ねた。

 そして自分も全てを知っていることを打ち明け、こう言ったのだ。


 自分を殺してほしい、と。


「そ……んな、馬鹿な……リリスが何故……」


 ミカエルは呆然と呟き、ルシエルの肩から手を放した。

 ルシエルは言う。

 リリスが望んだことだったと。

 神に利用されるのはもう嫌だ。だから神の期待を裏切ってやろう。思い通りにさせてたまるか。

 おとなしいリリスからは想像もできなかった言葉に、ルシエルは途惑った。

 それに、仲間であるリリスを殺すなど、正直良い気はしない。

 しかしリリスの心からの願いに、とうとう折れた。

 リリスは満面の笑みで言った。

 ありがとう。

 そして、今は無理だけど、百年くらいしたら必ずきみの力になる、と言い残し去っていった。

 それから暫らくの後、戦場となった神殿前の平地で、リリスは息を引き取った。


「言い訳に聞こえるかもしれません……それでも僕がリリスを撃ったのは事実です。

 許せないことだというのも解っています。

 僕を侮蔑しても罵っても……殺されても構わない……それで貴方の気が済むのなら」


 そう言ってルシエルは席を立った。

 自分よりやや低い位置にあるミカエルの目を見つめる。

 ミカエルは黙ってルシエルの目を見返す。

 そこには動揺はあったが、非難の色はない。

 大事な部下であり同僚の言葉だ。信じないでどうする。

 誰が悪いとか、もう、そんな単純なことではないのだ。

 今ここで、ルシエルを責めることはできない。

 ミカエルの心には、そんな気持が溢れていた。

 しばしの沈黙の中、ルシエルは深々とミカエルに頭を下げ、そしてドアへと向かい小屋の外に出ていった。

 どさりと、今までルシエルが座っていた席にミカエルが腰を落とす。

 時雨は小屋を出ていくルシエルの後ろ姿を黙って見送った。




 一人外に出たサダルメリクは、肩の後ろの傷痕を押さえて座り込んでいた。

 あのときに感じた痛み、恐怖、絶望を、今でも覚えている。

 謂れもなく捕まり、処刑台に上げられたときの気持ちを。

 これはきっと、ルシエルをおびき出すための罠だ。

 本当に処刑されるはずがない。

 そんなかすかな期待と。

 ルシエルが来たら、彼は殺されてしまうかもしれない。

 そんな不安と。

 もし彼が来なかったら、このまま処刑が実行されるのだろうか。

 そんなとてつもない恐怖と。

 それらの感情に押し潰された心さえ切り裂く、剣の閃き。

 それが振り下ろされた瞬間、サダルメリクの内を支配したのは、翼を切り落とされた痛みと……


 サダルメリクが思考の海に沈みかけたとき、少し立て付けの悪い小屋のドアがきしんだ音をたてて開かれる。

 小屋の中からルシエルが出てきた。

 サダルメリクは思考を中断して立ち上がる。

 小屋の横手、窓のない壁の前で、二人は向かい合った。

 ミカエルの結界が張ってあるので、多少声を出しても外に漏れることはない。


「サディン……」


 ルシエルはかつて呼んでいた愛称で、友の名を呼ぶ。

 サダルメリク――サディンは無表情のまま、真っすぐにルシエルを見つめていた。

 その目があまりに真っすぐで、呼び掛けたルシエルの方が目を逸らしてしまう。

 俯いたまま、それ以上何も話せなくなってしまった。

 会って言いたいことが、謝りたいことが沢山あった。

 そしてできることなら、あの頃のように……


「ルシエル」


 澄んだ声が響いた。

 ルシエルははっと息を呑む。

 しかし目線は地を彷徨うままだ。


「人と向き合って話をするときは……」


 サディンは構わず続ける。


「俯くな。前を向け。

 ……俺は、以前にもそう言ったはずだ」


 ルシエルはその声に顔を上げる。

 サディンの目は、真っすぐ前を見ていた。

 視線の先にあるのは、ルシエルの目。

 ルシエルは居た堪れなくなり勢い良く頭を下げた。

 一拍置いて黒髪が顔にかかる。

 しかしそんなことは気にせず声を張り上げた。


「すみませんっ!」


 いきなりのことに、サディンは呆気にとられてルシエルを見下ろした。

 瞬きを一つして、ぽかんと口を開けている。

 そんなサディンの様子には気付かず、ルシエルは言葉を続ける。


「すみません、いえ、許してもらえるなんて思ってません! 僕は取り返しのつかないことをしてしまったんです!」


「おい……」


「僕の所為で……貴方を巻き込んでしまった……!」


「ルシエル」


「どんなに謝ったって許されることじゃないことは解っています。

 でも僕は……サディ」


「聞け」


 ごずん


 話の途中でサディンの鉄拳が、頭を下げた姿勢のままだったルシエルの後頭部に決まった。

 勢いで前のめりに倒れるルシエル。

 慌てて痛む頭を擦りつつ顔を上げる。

 目の前にはサディンの足。

 視線を這わせ順に見上げていくと、哀しげに眉を寄せたサディンの顔があった。


「俺が聞きたいのは、そんな言葉じゃない」


 絞り出すかのような声。


「サディン……」


 ルシエルは相手の名を呼んで静かに立ち上がる。

 ルシエルの方が身長が高いため、今度は必然的にルシエルがサディンを見下ろすかたちになる。

 今はもう俯いてしまっているサディンの表情は、上から見ているルシエルには判らない。

 ああ、それでも、泣いているのだろうと解る。

 サディンはきっと、泣いているのだろう。例え涙を流していなくとも。

 最初は解らなかったサディンの心を、だんだんと思い出してきた。

 長い付き合いだったのだから、互いの心など手に取るように解る。

 ただ、少し忘れていただけだ。

 ようやく思い出した。

 サディンはずっと、ルシエルを待っていたのだ。


「サディン…………た……ただいま……」


 ルシエルがゆっくりと言葉を発する。

 それはサディンがずっと待っていた言葉だった。


「おかえり……ルシエル」


 そう言ってサディンは顔を上げてルシエルを見つめる。

 そしてようやく、微かにではあるが微笑んでみせた。

 そしてルシエルに近寄りそっと手を伸ばし……

 するりと腕を回し背後に立つとルシエルの手足の関節を逆方向にねじ曲げた。


「いっ……!?

 あだだだだだ痛いでだだだっ!」


「お・ま・え・は、なんで何の相談もなしに一人で行動するんだ俺がどれだけ心配したと思ってる反省しろ反省っ!」


「ごっ……ごめんなさいすみませんでした二度としません平にご容赦ください〜っ!」


 ぎりぎりと鳴る関節に悲鳴を上げながら許しを請うルシエル。

 それを聞いてようやっとサディンはルシエルを解放した。

 へなへなと崩れ落ちるルシエルに背を向け、サディンは小屋へと足を向けた。


「行くぞ、ルシエル」


「……はい、サディン」


 苦笑いしながら立ち上がり、ルシエルはサディンの後に続いた。

 翼のないサディンの背を見つめる。

 きっと今でもその背には深い傷痕が残っているだろう。

 その原因となったのは自分だ。

 例えサディンに許してもらおうと、その事実は変わらない。

 それでも構わないと思っていた。

 自分は、許しを請える立場ではないのだから。

 しかしそれは予想以上にルシエルの心の負担となった。

 話ができないというのは、本当に辛いものだ。

 事件の後は暫らく幽閉されていたし、釈放された後もなんとなく気まずいまま声をかけることさえできなかった。

 謝ることもできず、日々大きくなる心の負担。

 それがたった今、静かに溶けて消えていくのが解った。

 それは事情を知らない者から見れば、ひどく些細なことなのだろう。

 ただ、友人との諍いが解消されただけにすぎないのだから。

 しかしルシエルにとっては、この上ない幸せだった。

 ねじ曲げられた関節は痛かったけれど。




 小屋の中では時雨とミカエルが向き合っていた。


「……で、結局のところ、俺がそのリリスとかいうのの生まれ変わりだと、どうだって言うんだよ」


 時雨は眉をひそめミカエルの返答を待つ。

 ミカエルは暫し考え、ゆっくりと口を開いた。


「神が欲しいのはリリスの力だ。

 その治癒力をもって女神を目覚めさせるため。

 そのために、時雨を捕らえて従わせるつもりなのだろう。無理矢理にでも、な」


 現時点で考えられることといえば、それしかなかった。

 丁度そのとき、小屋の扉をサディンが押し開けて中に戻ってきた。

 その後ろにルシエルが続く。


「いつまでもここでこうしていても事態は進展しません。寧ろ悪くなる一方です。

 これからどうするか、少し対策を考えないといけませんね」


 ルシエルは真剣な顔で部屋の中にいる三人を見渡した。

 ルシエルの言うことは最もで、いくら結界が張ってあるとはいえ、ゼウスたちに見つかるのは時間の問題だろう。

 このまま何もせずここに留まる意味はない。

 一刻も早く、どこか安全な場所に逃げなければ。

 しかし考えたところで、神の目から逃れられるような場所は思い浮かばなかった。

 カエルス全土は常に見張られているし、ガイアに戻ったところで、ゼウスにはすぐに見つかるだろう。

 焦る程良い考えは浮かばず……

 皆が皆腕組みして考え込んでいる中、不意に時雨が声を上げた。


「なあ、地獄に逃げるってのは?」


 時雨が挙げた場所の名に、その場にいた全員がはっとしたように顔を上げた。

 地獄……アビスは、ここカエルスと対を成す場所。

 神から逃げるには絶好の場所かもしれない。

 しかし……


「危険ですよ?」


 ルシエルが眉根を寄せて言った。

 広く深いアビス。

 そこは未だ未開の地で、獰猛な化物がうろうろしている。

 アビスの住人たちは、皆一様にカエルスに住む者を恨み、足を踏み入れた瞬間に攻撃される可能性も否めない。

 能力を持つ天使ならともかく、ただの魂である時雨にはとても危険な場所だ。

 しかしそれを聞いても、時雨の顔には恐怖の色など微塵も浮かんでいなかった。

 神に狙われているのだから、どこに居ようと危険であることに変わりはないのだから。

 もはやアビスに行く気まんまんである。

 ひょっとしたら、アビス見物もしてみたいだけかもしれないが。

 時雨がそう言うならばと、ルシエルとサディンは首を縦に振った。

 最後まで渋っていたミカエルも、他に考えが浮かばずに、仕方なくその案に賛成した。

 しかしここに来て問題が生じた。


「……で、アビスに行くのはいいとして、どうやって行くんだ?」


 このミカエルの言葉に、全員が言葉をなくした。

 カエルスとアビスは相反する場所。

 二つの場所を繋ぐ道などあるはずもない。

 一人お気楽な時雨は笑いながらルシエルに尋ねる。


「ルシエル、お前知ってるんだろ?」


 時雨の問い掛けにルシエルはゆっくり首を振る。

 時雨は不思議そうに眉をひそめた。


「なんでだよ。地獄、行ったことあんだろ?

 あ、ひょっとして道忘れたとか? 百年も前だし」


 ルシエルは苦笑して、違いますと首を振る。


「僕が使った道は、もう閉じてますよ」


「どういうことだ?」


 時雨が益々不思議そうに首を傾げると、ミカエルが説明してくれた。


「ここには時折アビスの獣が迷い込むことがある。

 どうやら、不定期に双方に繋がる道があるようなのだが……」


「道の出現に規則性はなく、場所も時間もばらばら。

 道のできる場所を予測することは不可能だ」


 ミカエルの言葉をサディンが引き継いだ。

 どうにも難しい選択をしてしまったようで、皆が皆、地獄行きは諦めかけていた。

 そのときだ。

 サディンが急に険しい顔をして窓の外に目を向けた。

 つられて時雨も外を見るが、変わった様子は何もない。


「どうかしたのか?」


 時雨の問いに答えたのはルシエルだった。


「どうやら、渡りに船らしいですね」


 ルシエルの顔を見ると口元には笑みが浮かんでいた。

 ミカエルとサディンも同様に。

 訳が分からないのは時雨だけだ。


「どういうことだよ」


 三人の天使は小屋の扉へと足を向けた。

 そのまま外に出る。

 訝しげな表情で三人についていく時雨に、ミカエルが振り向き言う。


「道が開いた。

 アビスへの道がな」

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