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第五十一話 「煙草と涙と」

 

 フィヨンド軍を一時撤退させ、ファヴに乗ってその場から飛び立つ。

 上空から見下ろすとフィヨンドと思しき人物を救出する敵軍の姿を確認できた。四騎士と呼ばれる男だ、これくらいじゃくたばったりはしてねぇだろうが恐らくはこの戦いに参加出来ない程の怪我は負わせられているだろう。大将不在。このアドバンテージは果てしなくデカい。指揮系統の再編、戦略の再考など立て直しには少なくとも一日は擁すると考えられる。

 俺の考えている作戦にもっとも必要な『時間』は十分確保できそうだな。

 状況を咀嚼していると、ロメリアが背中越しに大きめの声で提案を持ちかけてくる。


「とりあえずリカルド公国に向かってくれないかい? スーの治療を早くしてあげたい」


「ああ、まずはそれが先だな」


 俺の胸の中で縮こまっているシトラスーに視線を移すと、じっと上目遣いで見つめていた彼女と目が合う。

 どうした? と首を傾げる。


「お名前……」


 そういやドタバタしてて互いに名乗ってなかった。


「俺はシルフヘイム王国少佐のマサヒロだ。シルフヘイムの人間はあんま気に入らねぇだろうが、まぁよろしく頼む」


「私はリカルド公国大公、あとリベンタ連合総統のシトラスー。……気に入らないなんてないよ。だって、あなたは私を助けてくれた人だもの。あなたは私の英雄だから……」


 すんごい見つめられてむず痒いのだが……。

 とりあえずリカルド公国に急ぐとするか。


「シトラスーには治療を受けてもらってゆっくり休んでもらうから。なんなら寝ててもいいぞ」


「あなたがそう言うならそうする。なにか私の力が必要な時は言ってね。ちょっと……うん、眠かったの。だから、少しだけ眠る……ね」


 糸が切れたように俺の胸にしな垂れ寝息を立て始める。疲弊してるのは傍から見ても明らかだった。直接現場を見たわけじゃないが、相当に非道い扱いをされていたのだろう。こんなかわい子ちゃんをここまでぼろぼろにした一部の降伏派には心の底から怒りが込み上げてくる。

 ……絶対に、報いは受けさせてやる。

 俺は寝息を立てるシトラスーの頭を撫でてやりながら報復を誓った。


「ありがとね。スーのために怒ってくれて」


 ロメリアが俺の様子に優しげな声で語りかけてくる。


「当たりめえだろ。外道に生きる価値はねぇ。フィヨンドとの戦いが終わったらシトラスーを傷付けた奴は必ず全員首を刎ねる。逃げようが隠れようが、地の果てまで追いかけて草の根かきわけてでもな」


「くくっ! 大賛成だよそれ! あたいにも手伝わせておくれ」


「おう! もちろんだぜ! ギッタギタにしてやろう!」


「うんうん! アソコちょん切ってやるのも良さそう!」


「お、おう!」


 男としては玉が縮み上がる提案だったが、まあそのくらいされても文句は言えまい。


 それからリカルド公国までロメリアに案内してもらい、開けた場所に降り立つとワラワラと人が集まり、ドラゴンに跨る姿に驚かれ、続けて俺が胸にシトラスーを抱いていることに更に驚きすぐさまその場は大騒ぎになってしまった。

 ロメリアが先に降りて周りに事情を説明する。まあ包み欠かさず全部は言うことはないだろうが、とにかくシトラスーが非道い目に遭わされたとかを説明してるのだろう。

 ロメリアの話を聞いた人々はシトラスーの身に降りかかった不幸に悲壮と怒り半々といったような反応だった。

 いつの間にやら手配したのか、医者を名乗る老年の男が近付いてきて俺に声を掛けてきた。シトラスーを預かるからドラゴンから降りてくれとの事。

 すやすやと眠るシトラスーを起こすのは忍びないが、なるべく丁寧に揺さぶり声をかける。


「シトラスー、起きろ。医者が来てくれたぞ」


「……ん。着いた? 医者どこ……あっ」


 老年の医者を見るなりガタガタと震えじっとり汗が滲む。明らかに様子がおかしい。


「大丈夫か?」


 ぎゅっと胸にしがみつかれ首を横に振るう。

 シトラスーは所謂、男性恐怖症のような状態なのかもしれない。


「安心しろ。ここにはお前を害そうなんて奴はいねぇ。つっても簡単には乗り越えられるもんでもねぇか……」


 俺は老年の医者に向き直り指示をだす。


「すまない、医者のじいさん。女の医者を連れてきてくれるか?」


 医者は素直に応じ、違う医者を呼びに行ってくれた。

 すると、恐る恐るな声でシトラスーが尋ねてくる。


「ねえ、あなたもいっしょに来てくれるよね? 一人にしないよね?」


「え、あ、いやどうだろうな。俺がついていってもなんもやることねぇし、一緒に行かなくても……へっ?」


 俺が茶を濁すと、滝のように涙が溢れだし泣き出してしまうシトラスー。


「やだ、やだよ、一人は怖い。お願いついてきて。一緒にいて」


 こりゃあれか、一種の幼児退行みたいなもんか? 丸っきり子供の駄々だ。

 どうしたもんかと悩む隙も与えてくれず、周りから訝しむ声がひそひそと聞こえ始める。


「おい、見ろ。泣いてらっしゃるぞ大公様」

「本当だ。あの立派な鎧着た人が泣かせたのか?」

「お可哀想に。きっと酷い事を言ったに違いない」


 待て待て、そこらの愚民ども。俺はなんも悪くねぇぞ。必要ないと判断したから付き添わないと言っただけで、俺にだって他にやることは山ほどある。直近だと、連合評議会に乗り込んで軍を動かすように促したり、協力関係を結ぶこととか。

 しかし、そんなこと知る由もないリカルド公国の民たちの視線はちくちくと俺の良心を刺激してきやがる。針の筵状態に流石の俺も居た堪れなくなり、しどろもどろでシトラスーに笑いかけながら


「う、うそうそ。一緒にいるから! めっちゃ付き添ってやるから安心しろ! だから泣き止め! なっ?」


「ほんと? 良かったー。ちゃんとそばにいてね」


 ぱぁっと笑顔になり涙もどこかに消し飛んでいた。

 なんとも現金な奴だが、これはこれで可愛げがあるってもんか……。

 そうと決まれば、ロメリアに話を通しておくか。色々と段取りも進めてもらわにゃならんしな。


「おいロメリア! ちょっとカモン! 話がある」


 住民たちに説明して回っていたのを一端止め走り寄ってくる。


「どうしたのマサヒロ? それに医者はまだ来てないんだ?」


「そのことなんだが、どうも男の医者は無理っぽくてな。女の医者に頼むことになったからもう少し時間がかかる」


「そう……。うん、確かにそうだね。怖いよね。ごめんよスー、気が回らなくて」


 シトラスーはロメリアの声に反応を示さず俺の胸に顔をうずめてしまう。

 少し寂しそうなロメリアの表情が印象的だった。


「で、ちっとばかし俺もシトラスーの付き添いで抜けるから、評議会の招集かけといてくれねぇか? 色々話し合わねえとやべえだろ」


「あいさ、任されたよ。評議会が招集でき次第使いの者をやるから。またあとで合流ね」


「おう、頼むな」


 走り去っていくロメリアの背中を見送っていると、ちょうど女医が現れ診療所まで案内されることになった。

 診療所に着くとすぐさまシトラスーは診断を受け、治療を受けた。しばらくすると、先程の女医とベッドに横たわるシトラスーの二人がいる部屋に通される。

 女医は診断書をめくりながら、淡々と事務的に俺に説明を始めた。


「本来なら大公様お抱えの専属医に診せる所ですが、男性はお嫌だということで僭越ながら私が診させていただきました。まず、身体の方ですが暴力を振るわれた形跡があります。全治ひと月程ですね。こちらは安静にしていればすぐ回復するでしょう。問題は……こほん」


 あまりシトラスーには聞かれたくないのか口を寄せ、潜めた声で続ける。


「性的な暴行も受けていたようで、膣内に裂傷も見られます……。その時の恐怖の影響かは不明ですが、記憶の不一致、幼児退行などの症状も見られます。いまはまだ判別できませんが、妊娠の恐れも十分ありえるでしょう……」


 ぐっと拳を握りしめるが、顔には出さない。不安げにシトラスーがこちらを伺っているからだ。これ以上不安定な気持ちにさせるのは忍びない。

 俺は女医の肩に手を置き、労いの言葉を掛けた。


「ご苦労だった。今後は経過観察を頼む。もう下がっていい」


 一礼し、部屋を去る女医。

 おどおどと視線を彷徨わせるシトラスーを落ち着かせるため、ベッドに腰を降ろす。


「とりあえずは回復に努めろ。いまはゆっくり休むんだ。わかったな?」


 こくこくと頷く姿は本当に幼児のようだった。


「あなたがそう言うならそうする! ねぇ、他には? 他には何かない? なにすればいい?」


「別になんもないぞ? ゆっくり休む。それが最優先事項だ」


「……そう。なんか不安だな。寝てるだけなんて」


 じっとしてるのが苦手なのだろうか。

 一応、なにかやれそうなことは考えてみるが……。


「お、そうだ。お前な、ちゃんと礼を言ったか? さっきの女医然り、ロメリアにもだ。俺にはありがとうって言えたんだから、なにかしてもらったら他の人にもちゃんと礼を言え」


「う、うん。わかった。さっきの女医さんには言っておく。でも……ロメリアには」


「なんだよ。ロメリアには言えないのか?」


「なんて言っていいかわからない。ひどい事言っちゃったし私。どんな顔でどんな風に話せばいいかわからないの。ついこの間まで普通に喋ってたんだけど……」


 ……あの時のか。

 なんとも思ってなかったとか、助けたのは私じゃないとか。訳のわからねえことを言ってると思ってたが、確かリカルドの声に従ってとかも言ってたっけ。

 女医が言ってた記憶の不一致。話には聞いたことはあるが、一人の人間の中に二つの人格を宿しちまう奴がいるってのを昔に聞いた事がある。もしかすると、こいつもその症状に苛まれている?

 ……ってアホらしいわな。医者でもねぇ俺にそんなこと考えたってわかるわけもねぇのに。

 なんの気なしに煙草を取り出し、火をつける。

 興味ありげにシトラスーが食いついてきた。


「ねぇ、それおいしい?」


「おう、うんまいぞ。ふわぁって感じだ」


「いいなー! いいなー! ねぇ、私にもちょうだい!」


「お前、歳いくつ?」


「二十三」


 二十歳超えてんならまあいいか。

 俺は一本煙草を取り出し、シトラスーに咥えさせる。マッチの箱を開け取り出そうとするが、中は空だった。

 しゃあねぇ。


「ほら、ここにくっつけてゆっくり吸い込んでみな」


 俺は自分の咥える火のついた煙草をシトラスーに近付けた。

 ソロソロと咥え煙草を近付け、ゆっくり吸い込み、ゆっくり吐き出す。


「お、すげえ。最初は誰でもむせるもんなんだけど、平気みたいだな。で、味はどうだ?」


「よくわかんない。でも、ふわぁってして嫌な事忘れられそう。あ……なんかいまのすごくダメな人みたいじゃなかった?」


「あん? なにがだよ?」


「だって、ほら、なんかね。げんじつとうひ? みたいな気がして良くないかもって」


「ばっきゃろう。世の中嫌な事だらけだ。酒と煙草やってる時くらい逃げ出したっていいじゃねぇか」


 目から鱗とも言いたげにシトラスーはぽかーんと呆気にとられ、すーっと頬に涙が伝う。


「あ、あれ? なんだろ。おかしいね。なんかわかんないけど、止まんないの」


 俺は無言で言葉を待つ。


「わた……、わた……、私ね。頑張ってきたの。お父様の言いつけを守っていっぱい褒めてもらえるように。たくさんの人が笑顔になれるように一生懸命だったの。でもいろいろダメで、それでもがんばりたくて自分がどうしようもない凡人だってわかっちゃっても、胸の中にいるリカルドに頼って、ずっとここまできたの。ロメリアにもひどいこといっちゃった。もうわけわかんないよ……これからどうすればいいの? わかんないよ……」


 紫煙を吐き出しながら、それに答える。


「いいかシトラスー。お前の中にいるリカルドって奴はもう一人のお前だ。お前自身だ。いくら否定しようが、それはお前が作り出した代弁者なんだよ。わからないで終わらすな。これからはシトラスーが考えて、シトラスーがそれを言葉にしろ。確かにしんどいかもしんねぇ。お前がリカルドとやらに頼ったのは怖くて逃げたからだ。いままで以上にキツイことが待ってる。でも、もうなにかに縛られるのはやめろ。ひな鳥はいずれ飛び立つために親鳥から飛び方を教わる。飛び方は教わってるはずだ。巣にしがみつくの今日までだ。巣立ちの時だ、シトラ」


 はじめて呼ばれた愛称にシトラスーは顔を上げ、じっと目を見つめる。

 不安げに――


「いまでもいっぱいいっぱいなのに、これ以上がんばれるのかな私……」


「それでも頑張るんだよ。疲れてへとへとになったら、煙草吸って酒かッ喰らって寝ろ。そうすりゃ、世は事もなしってな。今度は酒の飲み方を教えてやる」


 ぽろぽろと涙こそ流れるが、彼女の顔は真っ青な夏空のように快晴だった。


「……まだ頑張ってみる。なんだか、力が湧いてくる気がするよ。でもなんでだろ、涙が止まんない」


「煙草の煙が染みたのかもな」



 

 



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