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第五十話  「はじめての選択」

 

 シトラスーの人生を簡潔に説明するならば、それは重圧と模倣だと言えた。


 二十三年前の事。

 フロイド=リカルド・ロイネルという男がいた。

 リカルド公国の大公を務め、リベンタ連合総統を務めあげる偉大な大商人の血を受け継ぐ最後の後継者である。彼はその偉大な血を存分に受け継ぎ、立派にお役目を果たしていた。民からの人望も厚く、誰からも尊敬される偉大な人物だったのだ。

 しかし、そんな彼と民には一つだけ気掛かりな事があった。それは、世継ぎがいない事。フロイド大公には八人の妻がいたが、還暦を迎えたにも関わらず、ずっと子宝に恵まれなかった。偉大な血もこの代で途切れてしまうのでは? と民から心配され、自身も焦りを過ぎもはや絶望視していた。

 フロイドにのしかかる重圧と責任。偉大な大商人の血を自分の代で途切れさせてしまうかもしれないという恐怖。日を重ねるごとに圧迫されていく心身。彼に掛かる負担は想像を絶していた……。


 ところが、その日は唐突に訪れることになった。第三夫人の懐妊である。

 その報は瞬く間にリベンタに知れ渡り、民からの祝福の数々や加盟する各国からもたくさんの贈り物が届けられた。もちろん、誰よりも懐妊を喜んでいたのはフロイド本人だったのは言うまでもない。

 そうして、溢れんばかりの祝福に包まれながら誕生したのが、シトラスー=リカルド・ロイネルだった。


 フロイドは生まれた我が子を溺愛し、またリカルド家の将来を託すため徹底的な教育を施すようになる。

 彼女が五歳になった頃、母親が急死した。葬儀は執り行われたが、娘のシトラスーは参加しなかった。できなかった。一日十時間に及ぶ勉強を課せられ、部屋に縛り付けられていたからだ。その内容は商人の心得から始まり、経済学・経営学・心理学・社会学など様々なことを叩きこまれていった。

 母の死はとても悲しかったがそれも歳を重ねる毎に薄れる。大事なのは、父の期待に応えることだから。唯一残る肉親のために幼い子供は必死に毎日を越えていく。

 実際、彼女にとって毎日山のように課せられる課題は然程苦ではなかった。課題を終え、父に報告するといつも頭を優しく撫でてくれる。それがとても嬉しかったし、励みにもなった。寝る前はいつも添い寝をしてくれる。枕元で聴かされるのは、子守歌ではなく商人の心構えやリカルドの逸話や伝説だったが、そんな時間も彼女にとっては父親との少ないふれあいの一つだったのだ。

 彼女が十三歳になった時、初めて仕事を任された。結果から言えば、初仕事は大失敗に終わった。

 父は叱責することはなかったが、心底がっかりした眼差しを彼女に向けた。その視線が、怖かった。十時間を超える勉強よりも、同年代の子と遊べないよりも、なによりその視線が怖かった。

 その夜、父は添い寝をしてくれなかった。毛布にくるまり、ガタガタと震え眠ることができない永遠かと思われるほど長く孤独な夜。

 嫌だ。嫌われたくない。見放されたくない。たった一人の家族に見限られてしまったら自分はなんの為に生まれてきたのかわからなくなる。頑張らないと。もっと。もっともっと。

 時を置き、挽回の機会が巡ってきた。今回は期待の表れか大きな取引を任された。結果……立て続けとなる失敗。その日は父に会う事さえ許されなかった。

 ベッドの上に呆然と腰掛けたまま、至った。自分には大商人の才能は受け継がれていなかった。どうしようもなく、凡人。終わってしまう。期待し、将来を有望視される彼女にとっては死の宣告も同然の結果だったのである。

 どうしよう。父に頭を撫でてもらえない。一緒に寝てくれることもなくなってしまう。嫌だ。そんなのは絶対に嫌だ。でも、自分には才能がなくて、期待に応えることなんて出来やしない。

 絶望に打ちひしがれていたその時、どこからか声が聞こえた。キョロキョロと辺りを見渡すが、部屋にいるのは自分だけ。どこから声が? 耳を澄ませる。また聞こえた。それは、自分の中から聞こえていた。

 毎晩のように寝る前に聞かせてくれた商人としての心得とリカルドの逸話や伝説。寝耳に聞いていた数々の言葉が今形をもって彼女の中で囁き始めた。彼女の中にリカルドの幻影が生まれた瞬間だった。

 簡単な事だったのだ。何をすればいいか考えるのではダメだ。自分は凡人なのだから。だったら、最初から偉大な大商人に答えを聞けば良かったんだ。かつて存在し、数々の偉業を打ち立て、新たな基軸を生み出してきた手本を良く知っているのだから、その模倣をすればいい。

 リカルドならこうしただろう。リカルドならこういう選択をするだろう。彼女は胸の内から聞こえる声に身を任せた。

 十五歳の夏。とうとう頭角を現し、大商人の血脈は復活を遂げた。

 それからさらに五年。その異才は父であるフロイドを越え、史上最高の『リカルドの末裔』が完成に至る。

 フロイドはその事を心の底から喜んだ。それと同時に自分の時代が終わったことを理解した。

 ――我が子が自分を超えるのは本望。彼は程なくして眠るように商談の席で生涯の幕を閉じることになる。


 フロイドの葬儀はリベンタを挙げての壮大なものだった。

 しかし、シトラスーは挨拶周りだけ済ませると早々に自室に帰っていってしまう。翌日に大きな取引が控えているからだ。いくら準備をしても時間は足りない。万全を期すため使える時間があるなら、父の葬儀に割く時間だって惜しい。だって、それが教わってきたことだから。そう、胸の中のリカルドが囁くから。

 無意識に涙が零れた。けれど、彼女自身はその涙に気付くことはない。必要のないものだから。涙はいずれ乾きその痕跡を消し去ってしまうだろう。彼女に残る記憶は商談の準備をしていたという時間だけ。


 更に三年経ち、時は現在にまで戻る。

 リカルド公国ならびに、リベンタ連合は歴史上最高の発展を遂げていた。その立役者となったのはやはり、シトラスーという傑物あってこそだった。

 民からの惜しみない羨望と崇拝。彼女は神の如く崇められた。彼女の周りには常に人がいて笑顔が溢れていた。

 まさに才色兼備。今となっては本物の彼女は胸の隅っこで小さくうずくまるだけの存在に成り下がっていたが、それでもこれで良かったと思えるのだ。ちゃんと務めを果たすことができたから。リカルドの声に従っていれば間違うことはない。自分が責任を負うこともない。だって全部リカルドの言葉だから……。


 最盛期を迎えたリベンタ連合だったが、ある時その時代が唐突に終わりを告げる。

 アークガルド帝国からの降伏勧告だった。恐るべき事に、かの大国シルフヘイムがアークガルドによって憂き目にあった。

 早急に連合評議会が開かれ、議論に臨むことになった。

 シトラスーはまたしても、リカルドの声に耳を傾ける。


 ――戦え、戦え、戦え。


 リカルドはそう言い続けた。わかってる。戦えばいいんだ。シトラスーが徹底抗戦を説くと、半数が同意し評議会は燃え上がるように沸き立ったが、その影で半数は降伏をするべきだと頑なに抗戦派を拒み続けた。

 なかなか過半数の同意が得られず、評議会は毎日開かれたがついに降伏派が強硬手段に出た。自室で休むシトラスーを拉致し、勝手にアークガルドに降伏を申し出たのだ。理由を説明し、シトラスーの引き渡しは自由都市近郊の平原で行われる所まで話は進められた。


 その間、拉致されたシトラスーは壮絶な凌辱を受けた。深い理由は特にない。ただ美しい女がいたから、慰み者にでも使ってみよう。どうせアークガルドに引き渡せば命はないのだから。それだけの理由だった。

 地下牢から引きずり出され、行為を行う部屋に押し込まれるとすぐに衣服を剥かれ、組み敷かれる。代わる代わる跨り自分の上で身体を激しく揺さぶる男達。部屋の前には途切れることなく列が続いている。

 はじめこそ抵抗し、泣いて懇願したがその願いが聞き届けられる事はなく永遠かと思われる程の苦痛と絶望の日々が続く。

 その日のノルマをこなすと、体液まみれの身体に水を掛けられ再びかび臭い地下牢にぶち込まれる。もう流れる涙すら枯れてしまった。何故自分がこんな目に合わなくてはいけないのか。そればかりが頭の中をぐるぐると回る。


 どうして――。

 どうして――。

 どうして――。


 私はリカルドの声に従ってきたんだ。だから間違える事なんて絶対ないはずなのに。

 どうして私がこんな痛くて苦しくて辛い目に合わなくちゃならない。

 自分の中から聞こえていたはずのリカルドの声もいつの間にか聞こえなくなってしまった。

 もう…………疲れた。

 なにもかもどうでもいい。リベンタ総統? クソ喰らえだ。自由の象徴? ふざけるな。自由を掲げるその本質は全責任を負うという事。なんの庇護もなく、常に危険と隣り合わせのような国の構造。呆れかえる程の平和ボケ。

 そんなものの総統を引き継がせたリカルド家は過去類を見ない悪党に違いない。そうだ。全部、リカルドが悪い。自らの血が汚らわしい。醜く汚い呪われた忌むべき血。シトラスーはリカルドの血統に呪詛の言葉を吐きかけながら今日も眠りにつく。明日も続く凌辱に絶望しながら――。


 数日が経ち、ついにアークガルドとの交渉の日が訪れる。

 物々しい警備の中、近郊の平原まで連行される彼女に降り注がれたのはたくさんの懺悔の言葉だった。降伏派に属する民たちが大挙して押し寄せ、自らが助かるためにシトラスーを犠牲にすることを許してくれと涙ながらに訴えていた。

 シトラスーは心の中で呪詛を吐く。なにも知らない愚民ども。お前らが呑気に自由を謳歌している間も凌辱の限りを受けていたことすら知らずに懺悔の言葉を吐くその醜悪な姿。口に出して罵詈雑言でも浴びせられれば良かったのだが、日々受けていた凌辱により身体は発声する気力すらも削いでしまっていた。睨みつけたくても瞼が思い通りに動いてくれない……。シトラスーは、ただ亡霊のように平原に連行されていくのだった。

 一部では抗戦派が行動に移りシトラスー奪還のために動いていたようだったが意外にもその規模は小さなもので、すでに鎮圧済み。引き渡しは問題なく万全の状態で執り行われる事になる。

 すでにして、平原に布陣し待ち構えるアークガルド軍。単なる引き渡しだが、その全容は三万規模。率いる旗印は彼の四騎士の一人『ニエルド・フィヨンド』。もっとも得意とするのは海上での戦闘で、彼に海上で勝てる者はいないというのは、ウォークリウス=ガグン・オージンの言葉だ。『波の騎士』の異名を持つ。

 更に、四騎士に加えそれに同行するのは若手騎士の筆頭であるあの男も従軍していた。

 『疾雷の貴公子』の異名を持ち、大陸最強の一人に数えられるギルガハート・トールギルに師事する、その名を『イーグヴァルディ・シフ』。かつて、マサヒロ達からヘイムダルの角笛を奪い取った因縁の敵である。

 これ程大規模な戦力を揃えたのは、アークガルドがそれだけ自由都市を危険視しているためだと予測できた。


 平原に千程の護衛を従え待つ降伏派。降伏派の王たちもがん首を揃え、自ら赴くことで反乱の意志はない、偽装ではないという誠意を示す。

 フィヨンドも千程の護衛を引き連れ降伏派の待つ平原に赴いた。

 斯くして役者は揃い、平原のど真ん中、双方並び立つ。


 まず、動いたのは降伏派の代表だった。

 数名護衛を連れ、対面する中央に進む。同じくフィヨンドも数名を連れて中央に進む。

 互いに声の届く距離まで歩くと、降伏派が声を上げた。


「ご足労感謝致しますぞ。ここに降伏のための書状がある。どうか受け取っていただきたい」


 フィヨンドはゆっくりと口を開く。


「確か、降伏にあたりリベンタ総統の引き渡しがあると聞いておりましたが?」


「……うむ。いま連れてくる。おい、誰か! ロイネル総統をこちらに」


 数名に連れら、憔悴しきったシトラスーが中央に連れてこられる。


「このお方が総統で在らせられるシトラスー=リカルド・ロイネル様だ。これでいいのだろう?」


 フィヨンドはシトラスーの様子にある程度はなにがあったかを察しながら――


「……ああ、結構だ。降伏を受け入れよう。では、書状と総統の引き渡しを済ませてしまおう」


 降伏派から安堵のため息が漏れた。これで無事にこの場は収まる。隷属という形ではあるが、何に置いても生きていてこそだ。どのような屈辱でも受け入れ、生き延びねば。

 互いに歩み寄り、降伏派の代表は書状とシトラスーをフィヨンドに引き渡した。

 これにて、自由を謳い鳥のように縛られることなく生きてきた都市リベンタはアークガルドの隷属国と成り下がる事になる。

 となれば、自由都市の者たちに与えられた権限はただ媚びることだけ。

 降伏派代表の男は下手に出ながら、フィヨンドに話を持ち掛ける。


「フィヨンド殿。よろしければ宴の席でも参加されていきませぬか? もてなしの準備を進めておりましてですな……はい」


「そうでしたか。それはありがたい。ただ、降伏にあたり一つやり残したことがありましてな」


「えっ?! こちらになにか不手際がありま」


 ボトリ。

 今の今まで話をしていた代表の首が地面に転がった。

 唖然としながらも控えていたリベンタの護衛・軍が動き出そうとする瞬間、フィヨンド怒りの咆哮が轟いた。


「主君と崇める人物にこの仕打ちとは何事だこの外道共がッッッ! 貴様らのような腐った国が栄光のアークガルドの隷属国など笑わせるでないわッッッ! 降伏などこちらから願い下げだッ! 皆殺しにするッッ!」


 水を打ったように静まり返る。

 微動だにできないリベンタ軍。ガタガタと震え一歩も踏み出すことができない。これが四騎士。これこそが最強アークガルドの覇気。もはや、この時に勝負はついていた……。

 フィヨンドは片手を挙げ、後ろの軍に合図を送る。動き出すフィヨンド軍。一歩一歩ゆっくりだが、その遅さがリベンタを震え上がらせた。じわじわと迫る大軍。気が触れ失禁していることすら気付かないリベンタ兵もいる程だった。

 フィヨンドは呆然と跪くシトラスーに歩み寄り、首に剣を添える。


「これも戦国の常とは言え、君のような子供が過酷な目に合うのは見るに堪えん。せめてもの情けだ。苦しまぬよう殺してやる」


 僅かに首に触れる剣がとても冷たかった。

 初夏の生ぬるい風が吹き抜け、頬を撫でるがそれとは対照的な冷ややか切っ先。

 これでいいのかもしれない。だって、これでも頑張ってきたんだ。リカルドの言葉に従ってきたけど、それも仕方なくて。色々工夫してリベンタのために、父の期待に応えるためにここまでやってきた。にも関わらずあの仕打ち。なにがなんだか、もうわからない。

 殺してやると目の前の男に言われた。正直どうすればいいかわからないよ。今一度、胸の中のリカルドに問いかけてみる。


 ねえ、どうすればいい――?


 なにも、答えてはくれなかった。

 うん、わかってた。だったら答えは出てる。流れに身を任せるんだ。死ねば、本当の自由が手に入るかもしれない。

 シトラスーは身じろぐ事も瞬きする事もせずただ跪いたままだった。


「……何度経験してもこういう時は慣れんものだ。俺にも娘がいてな。君くらいの歳なんだ」


 さっさと首を刎ねてしまえばいいものを、フィヨンドは中々剣を振る事ができない。

 目の前の子供と自分の娘が重なって見えてしまう。余りにも哀れな姿。仮にここでフィヨンドが見逃し落ち延びる事ができたとしても、まともに生きていくのは困難を極めるだろう。

 やはりここは、一思いに休ませてやるべきだ。生に絶望したこの子供を。

 覚悟を決め、フィヨンドは剣を振り上げた。


「次は平和な時代に生まれて来い。さらばだ……」


 シトラスーは空を見上げた。

 さようなら、世界。さようなら、くそったれな自由。


 綺麗な剣筋を描き、首に迫る刃。シトラスーの首が身体から離れた――かと思われた寸前。


 影が落ちる。

 迫る風切り音。我々は知っている。黄金の風に乗り、駆け付けるその男を。

 次の瞬間には炸裂音が弾け、辺り一帯を砂埃が覆う。

 とてつもない衝撃にシトラスーもフィヨンドも吹き飛ばされ、地面に打ち付けられた。

 身体を起こしながらシトラスーは辺りを見渡す。砂埃のせいで視界が悪い。全身を打ち付けられたにも関わらず痛みはあまり感じなかった。


 なにが起こったの? 死ぬはずだった。でも、多分まだ生きてる。なんで? どうして?

 混乱していると唐突に砂埃の中から声が上がった。


「このあんぽんたん! スーになにかあったらどうするつもりなのさ!」


「いや、わりぃわりぃ。つい勢い余って。つか、あそこに転がってるのがシトラスーお嬢ちゃんじゃね?」


「えっ? どこ?! あっ! スー! 大丈夫? 生きてるわよね?!」


 ロメリア?

 それに知らない男の人。えらく豪奢な鎧を着ている。


「ぼろぼろじゃないかスー……! それにあんた……」


 シトラスーの濁った目。ぼろぼろの髪や肌。ロメリアは瞬時に理解した。降伏派の奴らが、酷い事をしたんだ。

 悔し涙が零れる。守ってやれなかった。


「ごめんね、ごめんねスー。遅くなっちゃって。ごめんね」


 シトラスーはロメリアの頭を撫でてやりながら、言葉を放つ。


「気にしないで。それにもう……放っておいて。疲れちゃったよ私」


 砂埃も晴れ、シトラスーの顔がはっきりと鮮明に浮かび上がる。

 その顔は諦観だった。

 ロメリアは泣きじゃくりながら、それを否定する。


「ダメ! そんな事言わないでおくれよ! あんたはあたいを救ってくれた恩人なんだ! これからも生きていて欲しい! それで恩返しがしたいんだよ! だから諦めたようなことだけは言わないでよ!」


「あぁ、そんなこと気にしてたの。だったら忘れていいよ。それ、全部嘘。虚構。私はリカルドがそうしろって言ったからあなたを助けただけ。なんとも思ってなかったし、正直めんどうだった。わかったでしょ? そんなに恩を感じる人間じゃないよ私」


 こうまで人は変わってしまうものなのか。

 圧倒的カリスマで人心を掴み先導してきた偉大な大商人の末裔。それがこんな姿になってしまうなんて。

 遠くからフィヨンド軍が速度を上げ迫ってくる。突然の炸裂音にフィヨンドの安否を確かめるべく殺到してくる大軍。猶予はない。

 その時、パァンと弾ける音が響いた。

 ロメリアが連れてきた男がシトラスーの頬に思い切り平手をお見舞いしたのだ。


「なにすんのさマサヒロ! この子をこれ以上傷つけないで!」


 ある意味、裏切りを突きつけてきたシトラスーをそれでも庇うロメリア。とても痛々しかった。


「どけロメリア。甘やかすな。いまここで動きださなきゃそいつは本当にダメになる」


 抱きしめて離そうとしないロメリアを引き剥がし、今度はマサヒロがシトラスーの首に剣を添える。


「死にたいみたいだな」


「ええ、そうよ。もう疲れたの。だから死んで終わりにしたかったのに。あなたたちが邪魔をした。あぁ、そうだわ、責任取ってあなたが殺してよ。解放してよ。お願い。死んだ後でいいなら私の身体を好きに使っていいからさ。腰を振るなり、弄ぶなりなんでもしていい。ねえ、だから早く殺し――」


 ヒュン。

 話している最中に鋭く剣が舞う。マサヒロはシトラスーの頬を切り裂き、鮮血が流れる。

 頬から伝い顎からぽたぽたと滴り落ちる。零れていく命の雫。掌で受け止めてみる。

 熱い。血は――熱い。


「感じるだろ? 真っ赤な血が流れて、命が身体から逃げていく。次は動脈を斬る。三十分もあれば眠るように死ねる。どうする?」


 どうする?

 どうするとはどういうことだ。自分にとっては流れに身を任せるだけなのに、聞かれたってわかるわけない。頭の中がぐちゃぐちゃで、なにを言えば……。


「リカルド……リカルド……。私、どうすればいいの……」


 うわ言のようにボソボソと呟くシトラスー。

 近付く踏破音と地響き。フィヨンド軍は目と鼻の先まで迫っている。

 顔面を蒼白にしながら、ロメリアが叫ぶ。


「そんな問答どうだっていい! いまはとにかく逃げるの! 二人とも早く!」


 それでも頑なに動かないマサヒロ。

 真っ直ぐにシトラスーを見つめ最後の機会を与える。

 感情を剥き出しに怒鳴るように問いかけた。


「リカルドだかなんだか知らねえが、てめえはどうなんだ! お前がどうしたいか、どうされたいか! これはお前の生きる道だ! だったら自分で考えて、自分で選択してみせろシトラスーッッ!!」


 震える唇で、か細い声で、彼女は言った。

 はじめて選択した、彼女自身の言葉を。



「……助けて。まだ生きていたい」



 それはシトラスーを縛り上げる重圧と模倣からの解放の言葉だった。


 マサヒロは満足げに頷き、シトラスーの頭を乱暴に撫でた。

 その手に撫でられながら、彼女は不思議な気分を味わっていた。父フロイドが撫でてくれたのとはまた別物な荒々しい手付き。でも、なんだか安心する手。

 

 マサヒロは矢継ぎ早にロメリアに指示を飛ばす。


「ロメリア! シトラスーを連れてファヴの陰に隠れてろ! 早くしろ!」


「隠れるって……。このドラゴンに乗って逃げるんじゃないの?!」


「おいおい、難聴かお前? さっきの声が聞こえなかったのか? シトラスーは助けてって言ったんだ。だったら、逃げる前に迫る敵を蹴散らすのが先だろうが。ここはいいからさっさと身を隠せ」


 目前まで迫る騎馬。

 衝突まで十数秒。もうやけくそだ。ロメリアはシトラスーを抱え、ファヴの陰に身体を押し込む。

 できることは祈ることだけだった。お願い神様。どうか――救いの手を。


 迫る騎馬集団に一人の男が立ちはだかった。

 ゆったりとだが確実にガントレットに魔神のクリスタルを込める。

 掌から赤い光が溢れだし、いまにも弾けそうな程に眩く輝く。

 

 こんなとこで切り札を使うのはもったいないかもしんねえ。

 けどよ、助けを求めてる奴にあんな熱い言葉で頼まれたんじゃあ、ぶちかますしかねえよな?

 シトラスーは俺と少し似ている。『諦観』。俺もそうだった。だから余計に思う。あいつを助けて、生き延びた先になにかを掲げ強く生きて欲しいと。

 助ける理由なんざ、それだけで十分だ。


 ガントレットは臨界に達す。


「あいつの生きる道を開きやがれッ! 爆ぜろッ! 魔人の灼熱(バルグ・レーヴァ)ッ!!」

 

 爆音と熱風が吹き荒れ、迫っていた数百のフィヨンド兵と辺り一帯を一掃した。


 

 立ち込める熱気と砂埃に混乱しながらも、身を屈めじっと隠れていたシトラスーに声が掛かる。


「よう、生きてるか?」


 優し気な笑みを浮かべながら手を差し伸べられた。

 目に涙をいっぱい溜めながらその手を握る。


「うん、生きてる。生きてるよ」


 手を引かれ立ち上がる。

 また乱暴に頭を撫でられた。


「良かったな」


 万感の思いを乗せ、はじける笑顔を浮かべながらシトラスーは自分の意思で言葉を選び、それを伝えるのだった。


「助けてくれて、ありがとう」



 

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