第三十九話 「妖精の輪」
次の日には、荘厳な薔薇園の景観を楽しみつつ、なんの問題も発生することなく無事に第二の難所『血染め薔薇庭園』を脱出することに成功できた。
そして、最後の難所『久遠孔雀の丘』は三つの中でもっとも狭く、すぐに抜けられ今日中には聖域の果て、幻のエルフの都に着けるそうなので、薔薇園を抜けた足でそのまま目的地まで進むこととなった。
薔薇の迷路を抜けたあと、ずっと歩いて案内をしてくれていたリズを気遣い、竜車に乗るように言ってみると、意外な事にすんなりと頷き、手綱を引く俺の横に腰を下ろした。
「お疲れさん。長いこと歩かせて悪かったな。こっからは指示してくれればその通りにするから、気軽に言ってくれ」
「了解した」
「で、まだ聞いてなかったんだけど、その孔雀の丘ってのはどんな所なんだ? 孔雀がいっぱい住んでるとか?」
「そうではないのだが……。なんと説明しようか。――マサヒロは、孔雀の習性を知っているか?」
「ああ、あれだろ? 雄は羽を広げて求愛行動をとるとか」
「そうだ。久遠孔雀の丘では似たような光景が見られる。もっとも実際に踊っているのは孔雀ではないが」
「ん? 孔雀じゃないってーと、じゃあ一体なにが躍ってんだ?」
リズが返答しようとしたその時、後ろから俺の背中に重みが掛かった。
「なんの話してるのー? 私も混ーぜて!」
ピサが俺とリズの間に割り込むようにぐいぐいと身体をねじ込ませてくる。
狭いでしょうが、ピサちゃん。
「こらこら、ピサ。いま大事な話してんだから」
「えー! のけものにしないでよぉ!」
「私はかまわない。それにマサヒロ、久遠孔雀の丘になにがいるのかは、自分の目で確かめてみると良い。大丈夫だ。危険なものではないから」
って言われてもなぁ。
レイちゃんも、「まぁ大丈夫なんじゃない?」とか曖昧な返事をしていたが、なにが待ち受けているのかまったくわからないというのはそれはそれで不安である。
少なくとも危険ではないそうなのでこのまま突っ切るしかあるまい。
それから二、三時間ほど竜車を進めると、目の前に小高い丘が広がっているのが見え始めた。
来たか。あれが久遠孔雀の丘。離れて見る分には普通の丘にしか見えない。俺は一旦手綱を引き、ファヴに止まってもらってから、改めてリズに確認を取ってみる。
「リズ。ホントにこのままなんの準備もせずに突っ込んでいって大丈夫なんだよな?」
「問題ない。進め」
しゃあねえ。ちょっぴり不安もあるが、このまま進もう。
俺は手綱を叩き、再び竜車を進ませ最後の難所に「久遠孔雀の丘」の踏み行ってゆく。
しばらく進んだが、目に入ってくるのは小さかったり、ちょっと大きかったりする丘が無数に並ぶ光景のみ。なにかが躍っている以前に生き物の気配すらない。無音。不気味なほどに静まり返っている。
妙な空気に、変な汗をかきながらリズに目配せするが、「問題ない」の一点張り。ホントに大丈夫なんですかね……。
が、その静寂は突如として破られた。大きな破裂音のような音によって――――
ぶぅぅぅぅぅ!!
……。
くせぇ!!
「おい、誰だ?! おえっ! クサ過ぎるぞ!!」
「ひぃ! 目に染みるよぉ~」
「これは……ッ」
「筋肉ダルマめ……殺す気か」
「……」
ピサもブラッドもリズも、そしてファヴさえも悶絶するほどの強烈な臭気。バイオテロ並みの破壊力。
犯人はもちろん、この男。
「てめえ! オルガ! 俺らを殺す気か!!」
「も、申し訳ありません。し、少佐。少しばかり腹の調子が悪いので、大便してきても?」
「頬を染めるなッ!! そして恥じらうんじゃねぇ! てめえは乙女か! さっさと行ってこい! 荷台で漏らされたらかなわん!」
「では、花を摘みに行ってきます。少々お待ちを」
「なるべく離れてからしろよ! ホントに俺たちが死ぬ!」
オルガはそそくさと遠くに走っていく。
つか、花摘みって……。おえっ。また気持ち悪くなっちまった。
「び、ビックリしたね」
「あいつはなんなのだピサータ! 人間の最終兵器か?!」
「お、うまいなリズ。最終屁い器ってか?」
「やめろマサヒロ。いまの私に冗談は通じんぞ」
「あ、すんません」
リズの顔は真っ青になっており、オルガの放屁の激臭さを表していた。
「て、天下無双のオルガ殿は、放屁までもが天下無双なのですよ」
ブラッドの意味不明なフォローが入るが、それ、フォローになってねえから。ブラッドもあまりの臭さに脳にダメージを負ってしまったのかもしれない。
いまだに臭いが残って気がするし……。このままだと気絶しちゃいそうだよボク。
「ファヴ。風を起こしてくれ」
ファヴは首を縦にぶんぶん振って、翼をバタバタと団扇のように仰いだ。
爽やかな風が吹き、立ち込めていた空気を遠くに追いやってくれる。緑香る丘の空気が死ぬほどにうまいと感じた。
「生きてるって素晴らしいな」
「う、うん。そうだね」
ピサの乾いた笑いが虚しく丘に吹いた風に飛ばされていった。
オルガのクソタイムの間は竜車を停め、小休止に入れることにした。皆、顔青いままだからね!
そういう訳で、しばらく思い思いに過ごしてもらい、俺も三本目の煙草を吸い終わろうとする頃、妙な胸騒ぎを覚える。
オルガの野郎、やたらと遅い。そんなに腹の調子が悪いのだろうか? 確かめに行くのも憚られるので、どうしたもんかと悩んでいると、リズが近くに寄ってきて悪びれた様子も見せずに言い放った。
「あのゴリラ。もしかしたら囚われているかもしれない」
「あん? 囚われてるだと? おい、リズ。お前は、この丘には危険はないと言ってなかったか?」
「ないこともない」
「ふざけんな。どういうことだがはっきり説明しろ」
「そう目くじらを立てるな。恐らく、あの辺りだろう……。よし、付いて来い」
それだけ言い残しリズはずかずかとオルガが走って行った方向に歩き始めてしまう。
ここまで来て罠にハメようなんちゃ思ってねえだろうが、心配なのでレイちゃんに確認してみると大丈夫ということらしいので、腹を決めリズの後に着いていくことにした。
休憩を打ち止め、ピサとブラッドを乗り込ませ、ファヴにリズに着いていくように促す。
しばらくリズの後について行くと、目の前に回りより少し大きい丘が見え始め、それを登り始めた頃、無音だった丘に陽気な声が聞こえ始めた。
「マサヒロ……。なんだろ。なにか聞こえる……」
「……ああ。おいブラッド。一応、交戦の準備だ。いつでも抜けるようにしとけ」
「了解です。オルガ殿は大丈夫でしょうか」
「多分大丈夫じゃねえか? あいつはアホだが、簡単にくたばりはしねえ」
「そうですね。ええ、その通りでしょう」
「だろ。……おし、そろそろ丘を越える。気を引き締めろ」
皆、剣の柄をギュっと握り、その時を待った。
そして、丘を乗り越えた先に待ち受けていた光景は――
オルガが綺麗な女性たちと踊り狂っている場面だった。
ピサが緊張を解き、安堵のため息を漏らす。
「なぁーんだ。オルガさん無事みたいだね。それに楽しそう」
「ええ、何事もなくて一安心です」
……いや、違ぇだろ?
あのオルガが女と楽しそうに踊ってるだ? そりゃ、おかしいよな? 男色がどうのとかいう冗談は今は言わねえ。けどよ、あのオルガだぞ。風俗には興味を示さず、武器や戦場にヨダレを垂らす男が、狂ってしまったように踊り続ける姿は異常事態に他ならない。
俺は剣を抜き、竜車から飛び降り、リズに向かい走った。そして、背後に立つとそのまま彼女の背中に剣を突きつける。
慌てた様子で後から付いてきたピサとブラッドは事態を把握できず、固唾を飲んで見守っていることしかできない。
「おい、どういうことだ。あのアホになにをした」
リズは剣を向けられているにも関わらず、涼しい顔で答え始める。
「私はなにも」
「俺たちを、罠にハメたのか……?」
リズは不敵に笑みを浮かべ、くすりと微かに笑った。
嘘だろ? だったら、昨日のお前はなんだったんだ? 少しでも心を許してくれたと思ってた俺が馬鹿みたいじゃねえかよ。……笑えねえよ。
「冗談だ」
「……」
リズはいたずらに成功しのが嬉しくてたまらなかったのか、花が咲いたように顔を綻ばせた。
「おま、え? なに? どういうこと?」
「だから、冗談。私はマサヒロたちを罠になんか嵌めたりしない」
リズは、呆けたままの俺の表情を見てまた笑った。
……勘弁してくれよ。まじで、やられた! って思っちまったじゃんか。喋り方とか雰囲気的に生真面目な奴だと思ってたからまさか冗談かましてくるとは予想できなかった。
どっと疲れが出て、大きくため息を吐く。それを見たリズが再びクスクスと愉快そうに笑う。
ちくしょう、笑った顔初めて見たけど、可愛いじゃねえか。
…………許す!
「おふざけはここまでだ。で、どういうことかちゃんと説明してくれ」
「ああ、そうだな。まず、あのゴリラが一緒になって踊っている者たちについて話そうか」
「そう! それ! よく見ると皆べっぴんさんだよな? あのアホめ! 羨ましい!」
「……無視するぞ。で、あの者たちが先程話した孔雀の正体であり、この丘の住人、『フェアリー』だ」
無視された……。
「その、フェアリーってなんだ?」
「ではその説明を。フェアリー、いわゆる妖精だな。お前たちがいままで旅してきた道中にも出会った、ケットシーやドワーフも妖精の一種だ。それぞれ猫の妖精であったり、土や鉱石の妖精といった風にな。しかし、目の前にいるフェアリーはどの属性も持ち合わせていない。純粋にして、始祖たる妖精。それがフェアリー。女性の容姿をしているけれど、我々のように性別があるわけではない。一応、呼称として彼女たちとしている。それから、好きな事はご覧の通り踊ること。一番特徴的なのが、透き通るように生えている背中の二枚の羽根ね。その羽根が起こした風には癒しの効果があるとされているわ」
「……世の中には俺の知らないもんで満ち溢れてんだな」
「かもな」
「エルフも妖精に属してんのか? 」
「していないわ。エルフはエルフで固有の種族。偉そうな物言いに聞こえるかもしれないけど、妖精たちの上位種という立ち位置らしいわ」
「ほーん。……つか、フェアリーの説明をしてくれたのはありがてえんだが、オルガの状況を教えてくれねえか?」
「そうだったわね。憂さ晴らしではないけれど、もうしばらく踊らせたままにしたかったのよ。でも、今の所危険はないからその点に関しては安心して」
「今の所っつーことは、このままにしてたらヤバいんだろ? はっきり説明してくれ」
「せっかちな奴だ。まぁ、説明するのは簡単だが、せっかくだから体感してくるといい。ほらっ」
リズに背中を押されフェアリーとオルガが踊る輪の中に加えさせられる俺。
前後には陽気に踊る美しい女性の容姿をしたフェアリーたち。おふざけも大概にしろよとリズに文句を言おうとした俺だったが、突如身体の奥底からなにかがこみ上げてくるものがあった。
自然と口角は上がり始め、目尻も下がる。なんの理由もないのに陽気な気分になってくる。そして、フェアリーたちが急に魅力的に見え始めたのだ。
その時の気持ちは決してスケベなものではなく、少年の頃に思いを馳せた初恋のような純粋な好意、ただ好きだという感情だった。
目の前にいるフェアリーたちともっと仲良くなりたい、一緒にいたい、自分の気持ちと同じように好きになってもらいたい。だったら踊って気を惹くしか方法はなかった。俺は一心不乱に踊って見せる。
俺を見て欲しい。俺だけを見つめて欲しい。ただそれだけを思い踊った。
頑張って踊ってはみるが彼女たちは俺に興味を示してくれない。これでは足りない。もっとだ。もっと懸命に踊らなくてわっ。
その時、俺の邪魔をするように何者かに腕を思いっきり引っ張られた。
「マサヒロ! しっかりして! なんか変だよ! 戻ってきて!」
声が聞こえるが、邪魔をしないでほしい。俺は彼女たちに振り向いて欲しいんだ。
腕を振りほどこうと力を入れようとした瞬間、頬に強烈な痛みが走った。
「ピサータ。安心しろ。これで戻って来る。おい、マサヒロ。目を覚ませ」
「……痛ぇ。おい、リズ。急にビンタはねえだろ」
「急ではない。そうだな、ピサータ?」
「う、うん。マサヒロに十分くらい呼び掛けてたんだけど、なんか一向に反応してくれないし、ホントに頭おかしくなっちゃったのかと思って……」
「十分? ……冗談だろ? 俺が躍ってたのはほんの数十秒だ。一瞬だよ、一瞬」
「え? なに言ってるのマサヒロ? 絶対十分は踊ってた。ブラッドさんも見てたから間違いないよ」
「ええ。ピサータ殿言っていることに間違いはありません。確かに、マサヒロ殿はそのくらいの間、なにかに憑りつかれた様に踊っていました」
……まじで? 嘘だろ? 絶対にそんなことはない。ちっとばかしフェアリーたちが綺麗だったもんで、調子良く踊ってただけのはず。そんなことあるわけ……。
「わかったろう? これが最後の難所の秘密。ここに訪れた者はフェアリーに心を奪われ、彼女たちを手に入れたいがために踊り、求愛行動をとる。それは終わりのない久遠のように」
もし先程、ピサやリズが俺を正気に戻してくれなければ、あのまま死ぬまでアホみたいに踊り続けていたということになる……。俺の背に、ジワリと嫌な汗がにじんだ。
俺は畏怖の眼差しを向け、改めて妖精たちを眺める。……オルガまだ踊らされてるし。
妖精とオルガの踊るその足元は、いままで幾度となく踊り続けられた結果が刻まれ、草一つ生えない土がむき出しの土の輪ができていた。
「私はあれを、妖精の輪と呼んでいる。あの輪の中に男が踏み入れるのは危険だ。めんどうだが、あの筋肉ダルマも正気に戻させてきてやる」
リズはそれだけ言い残し、オルガをぶん殴りにいった。その背中に細やかだが、優しくぶん殴ってやれよと念だけを飛ばしておいた。
「マサヒロ大丈夫? どこもおかしくなってないよね?」
「おう。心配ご無用、むしろ元気だ。つか、ピサは平気なのか? さっき俺を正気に戻そうとした時、あの輪に入ってたんじぇねえか?」
「あ、うん。リズちゃんに、ブラッドさんは見てろピサだけ着いて来いって言われたからそうしたんだけど、女の人には影響ないみたいだね」
「ふーん」
そんな話をしていると、ギャーギャーと喚き合いながらリズとオルガが戻って来る。
相変わらず、仲がよろしいようで……。
「少佐! この小娘、我らを罠に嵌めようと……ッ!!」
「助けてやったのにその言い草はなんだ! もう一度あの輪の中に蹴り飛ばしてやろうか?!」
「「ぐぬぬ……ッ!!」」
流石に、ピサもブラッドもやれやれと困ったようにため息を漏らしていた。
かくいう俺も煙草に火を付け、我関せずといきたい所だが、道草食ってる場合でもねえしな。
「はいはい、お二人さん。仲が良いのは素晴らしいが、目的を忘れんなァー。オルガ。俺たちの目的は?」
「は、はい。我々は聖域の果て、幻のエルフの都を目指しています」
「その通り。んでは、リズちゃん。君の役目は?」
「そのエルフの都への案内……」
「ザッツライッ! 大正解だ。だったら、互いに自分の役割をしっかりこなせ。いいな?」
オルガはペコペコと俺に必死に謝罪し、リズの方は「フンッ」とそっぽをむいたかと思えば反省したようにシュンと顔を伏せた。
うし、じゃあ最後の休憩も終わりにして一気にエルフの都まで一気に進むとするか――――
ぷぅぅぅぅぅぅぅ。
横隔膜悲鳴を上げ、呼吸することを拒絶する臭気。
もちろん犯人はあのアホである。
「貴様ァ!! こんのアホオルガ!!」
「ももも、申し訳ありません! クソをしようとした時にフェアリーどもにとらえられてしまって……」
頬をポッと染め恥じらうひげ面の大男とはこれほどまでに殺意を抱かせるとはッッ!!
俺は一人でその場を逃げ出す。
「クソオルガ! クソ済ませてさっさと合流しろ! 俺は先で待つ!」
「あ、マサヒロずるい! リズちゃんも行こっ!」
「……ああ。あの筋肉ダルマめ」
「ははっ……」
オルガ以外の三人と一匹も俺の後に続きそのバイオテロの現場を脱する。
しばらく走り、臭いがしない場所まで来ると、その場に倒れ込むように横になる。俺の横にリズがストンと姿勢良く座る。
「死ぬかと思った……」
「ああ、やばかった。どっかで変なもんでも拾い食いしたんだろ」
「そういう次元の話か? ……まぁ、そんなことはいい。私の役目。エルフの都までの案内。あと一刻もあれば到着する」
「おっ、もうそこまで来てたか。いよいよだな」
「ああ」
そんな話をしていると、丘の向こうからオルガが走ってくる姿が見えた。
さあ、休憩も終わりだ。エルフの住まう幻の都までもう少し。
俺たちはいよいよ、『嘆きの霧谷』『血染め薔薇庭園』そして最後の難所『久遠孔雀の丘』を越え、とうとう目的地に着こうとしていた。




