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第三十五話 「嘆きは霧に消ゆ」

 

 トロールに強烈な一撃をお見舞いした俺は、すぐさま前に移動しピサから手綱を受け取って、とにかくレイちゃんが誘導する先へ無我夢中で走り抜けた。


 無我夢中で走り続け、心臓の鼓動が収まってきた頃、ようやく手綱を引き竜車を停車させる。あまりのパニック状態に気が付かなかったが、すでにタイムリミットは目前まで迫っていた。辺り一帯に霧だけではなく暗い夜の闇がそこまでやってきていたのだ。このままでは身動きが取れなくなってしまう……。

 レイちゃんとて万能という訳ではない。霧の中では視界が利いても、夜の闇ばかりは並みの人間と変わりがないのだ。


(……夜営するしかないわね。危険だけど)


 レイちゃんがそう漏らす。

 …………手応えは、あった。しかし、確信は持てずにいた。ファフニールにも躊躇なく襲い掛かる霧の怪物トロール。あの一撃で倒せたとは……思えない。

 俺の危惧は、レイちゃんの言葉によって決定的なものになる。


(トロールはまだ生きてる、と思う。アイツは体の頑丈さと回復力はホントに化け物だから。でも、軽傷ってわけでもないと思うのよね。絶対とは言い切れないんだけど、多分一晩は回復に充てるしかないくらいのダメージは与えられてる……はず)


 流石のトロールとはいえ、魔神の灼熱(バルグ・レーヴァ)の前ではそれなりのダメージを受けてくれたようで良かった。レイちゃんの予想通りにいってくれるなら、今晩はひとまず安心して休めそうだ。油断できない状況ではあるが……。

 となれば、休む場所の確保をしなくてはならない。

 こんな霧の中でそんな都合良く安全なスポットが見つかるとは到底思えねえけど、それをやってのけるとんでもない子がいるんですよ、うちに。


「マサヒロ! なんか、あっちのほう……光ってない?」


 魔界の森の時も、似たような場面があった。確か、あの時はピサが光るキノコの群生地を発見したんだった。

 ピサの観察眼はなかなか信頼できる。未開の土地では非常に助かる能力だ。まぁ、半分は抑えきれない好奇心からくるものだろうけど。

 あっちと言われたが、どっちの方向かわからないので俺もキョロキョロと辺りを見回す。


(あっちよ。マサヒロくん。私も案内しようと思ってたけど、先にピサちゃんが見つけちゃったわね)


 レイちゃんの指差す方向に目をやると、ぼんやりと霧の中に明かりが灯っている。こんな場所に明かり? と思いつつ、竜車を進めていく。次第に明かりが強くなっていき、視界もはっきりとしてきた。そして、明かりの正体にご対面。


「な、なんじゃこりゃ? 霧が晴れてる? ……つか、これは……」


 そこは、深い霧をくり抜いたかのように霧が晴れていて、金銀財宝を積み上げた大小様々な山がそびえ立ち、夜の闇を照らす光源となっていた。


「わぁー。ここなに。宝物いっぱいあるし、夜なのに昼間みたいに明るい」

「奇々怪々ですな、これは。何故こんな霧の中にお宝が?」

「ここは一体なんなんだ……」


 ピサたちも驚きを隠せない様子だった。

 かく言う俺も驚きを隠せない。宝の山に近付き、乱雑に積まれたお宝から一枚金貨を手に取る。

 この通貨は……、初めて見るものだ。この大陸のものではないのか? それにこの質感や光沢。かなりの値打ちもの。


 ……じゅるり。


 おっといけねぇ。金目のものに目がない俺はヨダレもんの宝の山。これだけの財宝、子孫十代まで遊んで暮らしてもお釣りがくる。

 なんでこんなもんが霧の谷に?

 いや、それよりもこの場所だ。霧が立ち込める嘆きの霧谷にあって、視界が利いた財宝が眠る謎の空間。見上げてみると謎の空間に沿う形で丸く切り取った星空を望むことができた。光り輝くものに溢れ、そこはまるで、砂漠に揺らめくオアシスのような――


(私は『財宝の寝床』って呼んでるんだけど、ここは万年霧唯一の霧が晴れる場所。夜になると財宝の山々が輝きを放ち、旅人や遭難者を吸い寄せるの。――火に飛び込む虫のように)


 財宝を物色していた俺は手をピタリと止める。

 あまりにも不穏な言葉に首からギギギッと音がしそうなほどぎこちなく、レイちゃんのほうに首を曲げる。

 アイコンタクトで「お前、いまなんて言った?」と再確認。


(だから~、ここはトロールの住処なのだ! デデン!)


 ……は? ……いやいやいや。それ、やばくね?

 俺は手に持つ財宝を放り投げ一目散に竜車に乗り込もうとするのだが――――


(わぁー! ストップストーップ! ちょーっと待って! 大丈夫! 大丈夫だから! 思い出して! いまトロールは傷を癒すためにどこかで体を休ませてる! 仮にここに帰ってきても視界が利くから霧の中で戦うよりはマシになるでしょ? 休むならここがベストなの! だから、ねっ?)


 お、おぅ……。そういやそうだった。

 つか、最初はこんな場所あるんならこのルート通れば良かったじゃねえかと思ったが、トロールの住処とあっちゃあレイちゃんも案内はできんわな。


「少佐、どうしますか? ここは休むには適しています。なにより、視界が利く。なにが来ようとこのオルガがめがミンチにしてやりますぞ!」


 ピサとブラッドも頷き、オルガと同意見。

 レイちゃんも言っていた通り、もし仮にトロールが早めに回復し再び襲い掛かってくるとしたらここで迎撃するのがベスト。なにより視界が利くというのはそれだけでストレスが減って、俺たちの消耗を抑えられる。

 決まりだな。


「うっし。ここで朝までの時間を過ごすとするか。オルガとブラッド! お前らは交代で哨戒に当たるように。なにかあればすぐに俺を叩き起こせ。俺とピサは夜営と飯の準備だ。ピサ手伝いを頼む。オルガとブラッドは哨戒の段取り。以上、速やかに行動開始」


「はーい」

「「ハッ!」」


 テキパキと作業を進め、準備はすぐに整った。

 火を囲み、飯を食いながら先程起こったことの確認とこれからの予定について打合せを始める。


「とんだ災難だったぜ。安全に抜けられそうかと思えば、落石にトロールの襲撃。今日中にはこの霧谷を脱出してるはずだったんだがな」


「なかなかうまくいかないもんだよね。あ、オルガさんこれ美味しいよ。食べてみて!」


「怪物トロールなど姿が見えればワシがぶちのめしてやれたのですが。あぁ、それは姫様が食べてくだされ。育ち盛りでしょうからたくさん食べて大きくなってください」


「それより、マサヒロ殿はトロールをご存知だったのですね。ミルドラードの伝承に登場する怪物なのですが、まさかシルフヘイムの方が知っているとは思いませんでした」


「あー、確かに! 私もトロールって初めて聞いた。最初は、なに? 甘いお菓子かなにか? とか思っちゃったし。ていうか、マサヒロって物知りだよね。魔物についてすっごい詳しいイメージある」


「武だけではなく、知までをも極めているのですよ、少佐は。まさに文武両道! 騎士の中の騎士ですな!」


「おいおい、よせやいオルガ。事実だからってあんまりそう褒めんなよ。ガハハ!」


「流石、マサヒロ殿ですね。あ、それともう一つ。あの爆炎はなんなのですか? もはや人間の領域を遥かに凌ぐ力。あれは一体どのようなものなので?」


「あー……」


 ブラッドが俺の秘密に踏み込んできた。

 ピサたちは魔神の灼熱(バルグ・レーヴァ)を見てなんとなく察しただろうが、改めて説明するのは初めてである。

 言ってしまえば、クリスタルとガントレットは俺の『奥の手』。奥の手とは秘匿されればされるほど、いざという時に威力を発揮してくれる。

 ブラッドに教えてもかまわないのだが、知っている者が増えれば増えるほど、秘匿性というものは損なわれていく。ガントレットのからくりが露見し、アークガルドや他の敵に情報を盗られた場合、色々とめんどう事になるのは明白。そんな状況は避けたい所。間者を探したり、奥の手の対策をされたりと情報の漏洩は勘弁なのだ。


 ここはお得意の、ハッタリ・嘘方便で乗り切るッ!

 俺は悲壮感を滲ませた声で、左腕に装備するガントレットを撫でながら話す。


「これは……(ごう)なのさブラッド」


「業……ですか?」


「そうさブラッド。さっきトロールにぶち込んだのは魔神バルログの力。およそ人が扱える力じゃないのはわかるよな? 人には過ぎる代物なんだよコイツぁ。お前は……、この禁忌の力を知らない方がいい。闇にのまれたくは、ないだろう……? ふっ……」


 乾いた笑いを漏らし、迫真の演技をかます。どっからどう見てもヤバい奴にしか見えないだろうけど、ブラッドには効果てきめん。

 禁忌の力を使っているため、正気と狂気を行き来する男の役はばっちりと決まり、そのあまりの迫力に剣聖のブラッドでさえ喉をゴクリと鳴らし、しり込みしている。


「触らぬ神に祟りなしだぜ、ブラッド。お天道様拝んで生きていきたいなら、こっち(・・・)には、来るな」


「は、はい」


 完全に止めを刺し、これにて一件落着。つか、俺の寸劇なんぞどうでもいいんだよ。

 大事なのはこれからどうするかだ。


「和気藹々と飯を楽しむのも良いが、今後の話をするぞ。まずは俺の考えから話す。ひとまず夜はここで過ごして、陽が昇り始めたくらいにここを発ち、一気にこの霧を抜ける。……あと実はもう一つ案があったんだが、これはあんまりおすすめしない。つか、俺としてはなし」


「自分で考えたのに?! とりあえずどんな案か聞かせてよ。聞くだけ聞いてみたい!」


「いや、簡単な話だ。危険な相手をここで待ち伏せて、眠った所を一斉に襲い掛かって殺す」


「トロールを待ち伏せるのですな?!」


 オルガの野郎……、目をキラキラさせちまってまぁ。おもちゃを与えられた子供じゃあるめぇし。


「この案はなしっつったろ。まだまだエルフの住まう聖域とやらに至る道の序盤だし、こんな所で消耗したくない。時間だって悠長に使えるわけじゃねえんだ。戦わないで済む方法があるんだから、そっちを選択する。もし異論があるやつは遠慮なく言ってくれ」


 異論の声は上がらないようなので、これで決まりだ。

 休める時に休んでおかないとこの先もたなくなっちまうからな。それに、トロール以外にも心配事があったり。落石を引き起こしたかもしれないエルフ。そいつが気掛かりだ。

 敵対してんのか、もしくはこれより奥には立ち入るなという警告のつもりなのか。目的はわからないが、こちらも警戒しておくしかあるまい。

 そんなことを考えつつ、サクッと晩飯を終わらせ、早々に床に就いたのだった。



 まどろむ意識の中、身体を揺さぶられているのがわかる。徐々に意識を覚醒させ、目をこすりながらまぶたを開くとまだ暗い空が目に入った。


「マサヒロ殿。おはようございます。そろそろ出発の時間です。他のお二人もすでに起きて準備をはじめていますので、マサヒロ殿も準備を」


「ん、おうぅ。おはようさん、ブラッド。ふあ~ぁあ。……どうやら、トロールは回復しきらなかったようだな」


「ええ。夜間、なんの問題もありませんでした。朝食の用意もできていますので、お急ぎください。では」


「おう。あんがとさん。っさて。シャキッとするかい」


 立ち上がり、パキポキと小気味良い音をならしながら全身の筋肉を伸ばす。うむ。なかなか身体が軽い。トロールの襲撃もなくたっぷりと休むことができた。万全とまでいかなくても十分な気の充実。申し分ない。

 てきぱきと武器や鎧を身に纏い身支度を済ませ、朝飯が用意されている場所に向かう。

 すでに全員揃っていて、俺のことをまっていてくれた。


「うーす。おはようさん」


「マサヒロおはよう~。案外ゆっくり休めたね」

「おはようございます少佐。哨戒の任、無事完遂しました!」

「マサヒロ殿、どうぞ」


 ピサとオルガと軽く挨拶を交わし、ブラッドから食事を受け取りもそもそと食べ始める。

 食べながら、今日の進軍の再確認。


「飯終わったらすぐに出発な。さっさと抜けるためにも少しファヴに速足で進んでもらうからそのつもりで。つっても俺らは乗ってるだけだがよ。あー、それと昨日も言ったが、トロールは音に敏感だからデカい音は立てないように」


「はーい、了解」

「了解であります」

「承知しました」


「うし。じゃあ、とっとと朝飯食っちまうぞ」


 俺はそばでふよふよ浮いているレイちゃんに視線を投げかける。


(このくらいの暗さならなんとか見えるよ。霧谷脱出までもうひと踏ん張り! 頑張っちゃいます! めずらしく!)


 そこは自覚あるんだな。

 こちらの用意は万事問題なし。あとはトロール次第。俺たちは全力で取り組むのみだ。

 飯を食い終え、いよいよ出発の時間。全員竜車に乗り込ませ、点呼確認。全員しっかり乗っている。ロープを身体に巻き付けるのも忘れない。

 財宝ちゃんたちとお別れするのはちょいと寂しいが、旅に別れはつきもの。またいつか相見える時がくるさ!


「んじゃ、行くぞ」


 俺の号令と共に再び霧の中に竜車が進み始める。先頭で竜車を引くファヴの姿は飲み込まれるように霧に消え、俺たちもあっという間に霧に包まれていった。

 宣言通り、多少速足でファヴには進んでもらい、レイちゃんも調子良さそうに指をさし進路を教えてくれる。至って順調に進み、夜の暗闇もずいぶんと薄らいできた。

 辺りの暗さ加減を見るにだいたい一時間くらいたっただろうか、太陽が昇るのはもうすぐ――


(マサヒロくん! マサヒロくん! 出口! 出口あっち!)


 レイちゃんの指差す先を見ると、霧が薄くなってるような部分があった。あの先が出口か。思ったよりも早く抜けられそうである。昨日も無理をすれば、イケたきもするがまぁ、安全を優先してくれたんだろう。

 俺も出口がもうすぐだとわかると、駆け出したい気持ちに駆られるが、それを抑えピサたちに出口が近いことを教えてやる。


「おい、お前ら! 正面! 霧、薄くなってる気がしねぇか?」


「え、嘘? んー? ……あ、ホントだ! もしかして!」


「そのまさかですぞ姫様! ありゃ出口じゃありませんか!」


「思っより早く抜けられそうで良かった。すぐにでもこの不自由な霧谷を抜けましょう」


 全員安堵のため息を漏らしていた。


「最後まで気を抜くなよー。霧を抜けるまでは集中していくぞ!」


 緊張感を保たせたまま竜車を進ませ、そしてついに――


「出口ィー!」


 ピサの歓喜の叫びと同時に霧を突き抜けた。


「やったねマサヒロ! まずは第一関門突破だよ! イェーイ!」


 ピサは嬉しさのあまり、俺に抱きつき激しく喜びを表現していた。


「わかったわかった。わかったから落ち着け。あんまりはしゃいでっと……、って、言わんこっちゃない」


 俺の愛用しているスキットルがカランカラァン! と音を立て、竜車の横の地面に落ちてしまった。


「わっ! ご、ごめん! 私取りに行くよ!」


 ピサは慌てて竜車から飛び降り、地面に転がったスキットルを拾いあげる。


「任務完了〜♪ ――うん、うん! 大丈夫! ヘコんだりはしてないみたい! 問題な――っ?!」


(マサヒロくんダメ!! すぐピサちゃんを呼び戻して!!)


 レイちゃんの叫びに反応しバッと振り返ると、そこには大きな手に掴まれたピサの姿があった。


「っツ!! 全員ロープを切って交戦準備ッ! トロールの野郎だ! ピサが捕まったッッ!!」


 すぐさま飛び降り、気色の悪い巨大な手に掴みかかるッ。ミシリと嫌な音を立て、ピサの鎧が軋んでいるのがわかる。


「っあ……! か、はっ……! マ、マサヒロ……」


「ピサ大丈夫だ! いま助けてやる! オルガァ!! この気色悪い手を叩き斬れッッ!!」


「応ッッ!!」


 すでに粉竜砕を抜き、斬りかかる構えを整えていたオルガは、渾身の力で醜い腕に振り下ろすッ。


「なっ?!」


 叩き斬るかと思われたオルガの斬撃は、トロールの腕に弾かれ、虚空に舞い戻らされる。

 なんだ今の弾かれ方は?! あの感じ、硬くて弾かれたわけじゃない?! 分厚い脂肪の弾力で弾き返された?!

 俺は懐からバルログのクリスタルを取り出し、ガントレットに嵌め込もうとするが、迷いが生まれる。

 このまま、魔神の灼熱(バルグ・レーヴァ)を叩きこんだら、ピサを巻き添えにしてしまうかもしれない。

 クソがッッ!! 他に打つ手は?! オルガの一撃を無効にしてしまう皮膚に対抗できそうなのは魔神の灼熱以外思いつかねえ……。

 俺の焦りとは裏腹に、トロールは畳み掛けるように次の行動に移り始める。なんと、腕が霧の中に引っ込みはじめたのだ。


「まずいッ!! オルガッ!! お前も引け!! 引き摺り込まれちまうッッ!!」


「はいッ!!」


 オルガも加わり、一進一退の引っ張り合い。オルガの怪力でなんとか持ち堪えていたが、手の中のピサの意識はすでに朦朧としていて、このままだと最悪の事態を招いてしまう。


「ちぃッ!! こうなったら仕方ねぇ! ファヴをけしかける! オルガ! そのまま引っ張り続けろッ!!」


 その時、チンッ! と剣を鞘に収める音が、凛と響いた。

 音のあるじを探すと、その先にはブラッドが剣を収め、脱力したような緩い構えを保ちつつ、柄に手をかけている姿があった。


「マサヒロ殿、オルガ殿。そのまま維持してください。私が、やります」


 武に関して、俺はオルガに絶対の信頼を寄せている。そのオルガができなかったことをブラッドにできるのか? なにをする気が問い正そうとした刹那。その場の空気がピーンと張り詰める。

 ブラッドから溢れ出る闘気。凄まじい集中力。ピリピリと肌がチリつく感覚。なにか、とてつもないものが来る。

 そして、瞑想するように閉じられていたブラッドの瞼が開く同時に、鞘から解き放たれるは紫電の一閃。

 気付いた時には剣は鞘から抜かれ、ふり抜かれていた。いや、はっきりと見えたわけではない。俺が見れたのは紫電の光のみ。

 ブラッドは剣を再び鞘に収める。チンッ! と音が鳴り、鞘に収まったのを合図にしたかのようにトロールの腕はパックリと綺麗な断面を見せた。

 引っ張り続けていた俺とオルガは、反対側からの力が失われたことにより、後ろに大きくすっぽ抜け盛大に地面に尻もちをついてしまう。

 すぐに立ち上がり、ピサを握り潰そうとしていたトロールの太い指を引き剥がしていき、ピサを解放してやる。辛そうにしてはいるが、幸い大きな怪我はないように見える。

 ピサの無事がわかれば、とっととここを離れる! トロールはまだ霧のすぐ向こうにいるはず。ピサをお姫様抱っこして急いで竜車に戻ろうとするが、時すでに遅かった……。

 目前にはトロールのもう片方の腕が伸びてきていて、もう避けられないッ! と感じた俺は、ピサだけでも放り投げようとした、その寸前。掴みかかろうとしていたトロールの手がピタリと動きを止めた。オルガでもブラッドでもない。自然に止まったかのように目の前で静止し続ける巨大な掌。

 次の瞬間、ゴトっという鈍い音をたて崩れるように地面へ腕が落ちた。続けて、ドスドスッ! というなにかが走り去っていく足音……。

 両腕を失ったトロールは、流石に逃げて行ってくれたようだった。絶叫のような、でも、悲しげで泣いてるかのような嘆きと共に足音は遠ざかっていく。

 緊張の糸は限界を迎え、ピサを抱えたままヘナヘナと座り込む。ピサを地面に降ろしてやって、安否確認。


「おい、ピサ。平気か?」


「う、うん。ただ息ができなくて苦しかっただけだから。身体はどこも怪我ないよ」


「そうか。良かった。オルガとブラッドも特に怪我はねぇな?」


「「はいっ!」」


「つーか、ブラッドお前ビビったぞ! あの技はなんだよ! 半端じゃねえ切れ味だったじゃねえか!」


「いえ、私などまだまだです。気を練るのに時間を要してしまい助けに入るのが遅れてしまいました。ですが、お誉めの言葉はありがたく頂いておきます」


 安堵のため息を漏らしながら、改めてブラッドが斬り落とした腕とひとりでに千切れた腕を交互に見る。

 ブラッドの一閃……。ありゃとんでもねぇ剣技だ。まさに紫電の如し。太刀筋なんて最初から最後までひとっつも見えなかった。オルガの剣は斬るというよりはなぎ倒すもの。トロールとの相性がすこぶる悪かったのだろう。しかし、ブラッドは逆。オルガを力の剣とするなら、ブラッドは鋭さの剣。一刀のもとに敵を真っ二つにすることを極意とした剣術、『居合い』。まさに芸術だった。

 安らぎの剣聖……か。強力な柱がオルガに続き、もう一本。ミルドラード王は最高の贈り物を俺にくれていた。


「マサヒロー。こっちの腕なんか変。カチコチで、まるで石みたいになってる」


「はぁ? そんなわけねぇだろ。トロールの弾力のある肌のせいで攻撃が通じなかったってのに。なあ、オルガ」


「悔しいですッッ!!」


 まじで悔しそうだ。ま、今回は完全にブラッドが良いとこ持ってったからな。気持ちはわからんでもない。

 っとそれよりもだ。俺もピサがちょんちょん触っているトロールの腕に触れてみる。


「うおっ!? まじだ! コイツまじで石だ!」


 オルガが攻撃した時は、確かに軟らかそう肌質だったはずなのに。


(それはね、太陽のおかげ。必死で気付いてないみたいだから。もう陽が昇ってるよ)


 めずらしくレイちゃんが真面目な雰囲気だ。

 ピサたちと適当に話を合わせながら、レイちゃんに続きを話すよう肩をすくめ促す。


(トロールは陽の光を浴びると石化しちゃって死んじゃうの。だから霧から腕しか出せなかった。……ねえ、トロールが逃げていく時、聞いたよね? あの泣いてるみたいな嘆きの声。……仮説なんだけどさ、トロールってどの生物の進化からも外れてるみたいなの。それこそ、突然霧の中に発生しちゃったみたいな感じでさ。じゃあ、トロールってなんなのよって。財宝を集めて寝床に積み上げる習性とか、私たちをこんな霧の外まで追いかけてくる執念とか、あの泣いてるみたいな声。……なんかさぁ、嫌な結末しか見えてこなくってさ……。私いまからすっごく最悪なこと言うよ? 言っちゃうからね? ……ふぅ。あのね、トロールの正体って……)


 パンッ! と手を叩き、全員の注目を集める。


「おっし。んじゃあ、さっさと次に進むか。全員すぐ竜車に乗り込め! ピサ! ちょいと手綱を頼む。俺は少し、歩きたい」


「え、うん。それはいいけど。大丈夫かな?」


「一回ファヴが許したんだから、もう大丈夫だろう。オルガとブラッドは警戒を怠るな。じゃ、進め」


 ガラガラと車輪が回り、竜車は動き始める。

 少し遅れて俺も歩き始め、レイちゃんも横に並ぶ。煙草に火を付けながら――


「どうにもならねえことなんてのは世の中にはいくらでも転がってるわな。あんまり考えすぎんなよ、レイちゃん」


(でも! トロールは……!)


「いい。もうやめとこう。……そんな結末、誰も救われねぇ」


 嘆きの霧谷。そして、天空の町に蔓延る呪い。その呪いにかかった男は惑わされ、霧の中に消えていくという。愛する者を探しに霧谷へ向かった女は、数知れないだろう。

 無事に見つけ、帰ってきた者はいないそうだ。彼女たちの無念が嘆きとなり、幾星霜の時が積み重なり、形なき嘆きが形を成していたとしたら……。

 それはあまりにも……悲しく、やりきれないものだ。

 吸いかけの煙草の煙が目に染みる。ガシガシと頭を掻き、火を消す。


「――行こうぜ。まだ先はなげえんだからよ」


(気持ち悪いとか言ってごめんなさい~! 許してトロール~!)


「だぁ! いつまでもめそめそすんな! おらッ! 行くぞッ!」


 無理矢理レイちゃんの腕を掴み、引きずっていく。

 


 遠くから、物悲しい嘆きが聞こえた気がしたが、俺は振り返ることもなく、第一の難所、嘆きの霧谷を後にした。






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