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第三十三話 「いざ、嘆きの霧谷へ」

 

 翌日の早朝。

 まだ陽の登っていない空には、雲一つ見当たらず、本日は快晴になりそうな空模様である。

 霧谷の霧も少しは落ち着いてくれるとありがたいが。


「お早いですね、マサヒロ殿」


「――おう、ブラッドか。さっき起きた所だよ」


 町長が用意してくれていた宿のベランダに出て一服している所にブラッドが声をかけてきた。

 出発の時間はまだ先なはずだが。


「やけに早いな。ちゃんと寝られたのか?」


「ええ、もちろんです。昨日はオルガ殿の相手が大変でしたよ」


「そりゃご苦労さん。あいつもなかなか酒癖悪いからなあ。……つか、お前どうした? 汗だくじゃん」


「あぁ、日課の鍛錬を」


「まじかよ。遅くまでどんちゃん騒ぎしてたのに良くやるな。……まっ、そういうたゆまぬ努力のおかげで剣聖とまで呼ばれるようになったんだろうが」


「私などまだまだです。オルガ殿のような方がいまだに曹長の位で燻っているこの世の中。世界にはまだ見ぬ強き者たちが潜んでいるに違いませんから」


「剣聖とまで呼ばれるブラッドにそう言わしめるとかオルガすげえな。俺にもあいつがとんでもない化物だってのはなんとなくわかるんだが、お前の経験からしてあいつの強さってどんなもんなのよ。大陸で五指に入る実力者からの目線で聞いてみてえな」


「間違いなく大陸の五指には入るかと。少なくとも、私はオルガ殿とはやり合いたくないです。勝てる算段が立ちません」


「でも、やり合ったことないだろ? そんなのわかんのか?」


「え? はい。マサヒロ殿は感じませんか? オルガ殿から溢れる尋常ならざる闘気。私はとある戦場でアークガルドの大英雄オージンに相対したことがあるのですが、それに匹敵するやもしれませんね……」


 達人は相手の気が見えると聞いたことがあるけども、実際そんなことマジであるんか……。

 つか、こういう場合、俺も見えてなきゃおかしなことになりそうなので、さもわかってましたよオーラを出しながら――


「さ、流石ブラッド! 良くわかってんじゃん! オルガは確かにやべえけど、お前も負けてないぞ。励めよ!!」


「ハッ! ありがたく。精進してまいります」



 この時、ブラッドは静かに戦慄した。

 マサヒロからはオルガの纏っているような闘気、武の(にお)いがまったくしないのだ。

 しかし、昨夜、あのオルガが大真面目にマサヒロの伝説を語っていた。手始めに黄金竜を打ち果たしたこと。それだけでも、歴史に刻まれる様な偉業であるのは間違いないだろう。だが、さらには禁断の地と呼ばれる魔界の森と宝花の園を立て続けに踏覇したという。人類未開の危険な場所を制覇した。が、まだ偉業は終わらない。死の王(ドラウグル)と呼ばれる魔界の森の支配者を、オルガとその部下二人がかりでも勝てなかった怪物を、マサヒロは倒した。しかも、黄金竜ファフニールまで仲間に加えて。

 続いて、旧世界の魔神と呼ばれる宝花の園に住まう炎の巨人バルログ。それすらもマサヒロが倒したと言う。

 もし、そのすべてが事実だとするなら、過去も含め現在に至るまでの、どの偉人よりも大業を成したことになる。

 清廉潔白、質実剛健、単純で豪快な男オルガが語るのだから嘘を吐くはずはないと思うが、それにしては、マサヒロは普通過ぎた(・・・・・)。ブラッドにとってそれはあまりにも不気味なことだった。

 マサヒロには、自分では感じられないほど、とてつもなく大きく、得体の知れない力を隠している。ブラッドは興奮と恐怖が入り混じったような、不可思議な感情に身体をブルリと震わせるしかできなかった。



 ブラッドが震えてるが、クソでも我慢してるんだろうか? 朝って出るよね。アレ。昨日はモリモリ飯を食っただろうから、ぶっといのが出てくるだろうな。……って、他人のクソ事情とかどうでもいいわな。

 時間もちょうど良い頃合いだ。そろそろ準備でもしよう。


「ブラッド。お喋りタイムは終わりだ。早く行って来い。あとついでにオルガも叩き起こしてやれ。三十分後に集合場所の中央広場に整列して待つように。いいな」


「ハッ! かしこまりました」


 さて。じゃあ、俺はピサに寝起きドッキリでも仕掛けてやるか。グヘヘ。

 きしむ音で起こさないように廊下を慎重に歩いて行き、ピサの部屋の前までやってくる。こぼれそうになるヨダレを抑えつつ、いざ参らん!

 ではでは、お邪魔しま〜す。ドアノブの音が鳴らないようゆっくりと回し、盗っ人よろしく忍び足でピサの部屋に侵入する。

 中はランプが灯されており、視界は良好。これなら隅々までボディチェックしてやれるぜぇ!!

 ……て、待て待て待て。視界は良好? ランプに火が灯されている? そこから導き出される結論は――


「……」


「……」


 絶賛お着替え中でした。

 冷や汗をかきながら、クルリと回れ右する。


「部屋を間違えたようだ! バカ! 俺ちゃんのバカ! うっかりさん!」


「そんなわけないでしょぉーがァァ!!」


「へぶぁッッ!!」


 背中に強烈な回し蹴りを受け、ドアを破壊しながら吹き飛ばされ、向かいの壁まで叩きつけられた。

 俺が床に倒れピクピクしていると、着替え終えたピサが出てきて、手を差し伸べてくる。


「まだ、踊りたい?」


 完全に怒ってますね。うん。


「ピサ誤解だ! 覗こうと思ったわけじゃない! ただ呼びに来たんだよ! ほら、そろそろ集合時間だろ? だから、もし寝てたら起こしてやろうと思ってよ!」


「それはどうもありがとう。でも、残念。起きてたし、見ての通り準備も万端です」


「そ、そのようで。じゃ、早速集合場所に行くぞ! お先ッ!!」


「あ、待て! まだお説教終わってなーい!」


 ピサに追いかけられながら、オルガとブラッドが待つ場所に走った。朝からバタバタと騒がしい、我ながら慌ただしい一日になりそうである。


 宿の裏の牛舎に寝かせていたファヴもしっかり回収し、集合場所の昨日宴が行われていた中央広場に着く。そこにはすでにオルガにブラッド、それから町長、あと何故かミミまでもが待っていた。

 町長には早朝に出発する旨を伝えておいたので、見送りに来てくれたのは理解できるのだが、どうしてミミまでいるのだろうか……。

 まぁ、いい。とりあえず今日の進軍内容の説明だ。


「おはよう、お前ら。昨晩の宴で英気は養えたか?」


 全員コクリと頷いた。


「よし。では、今日の作戦概要を説明する。本日、とうとう霧の谷に突入する。町長、霧の侵食はどんなもんだった?」


「はい。昨日の侵食などなかったように晴れています。昇降機までは安全に進めるでしょう」


「よろしい。霧の谷は視界が効かないのは承知してるな。だから、全員竜車に乗り込んでもらう。俺が手綱を握るから、乗っているだけでいい。つか、霧の中じゃなにもできないだろうが」


「ま、待ってくださいマサヒロ殿! 視界が効かないのにどうやって進むのですか?」


 まぁ、こういう疑問が出てくるのは先刻承知。レイちゃんの事はまだ秘密なため、誤魔化すために一つ案があった。昨日、ピサに見せた手品の要領で、掌から薔薇を一本取り出す。これも町長に頼んで用意してもらったものだ。


「これを使う。お前もミルドラード王から聞いたろ? 嘆きの霧谷の次の難所」


「……血染め薔薇庭園です。しかし、そんな薔薇一本がなにかの役に立つのですか?」


「おうよ。これをな、こうしてファヴに嗅がせる。すると、猟犬みたいに薔薇の香りが強いほうに自然と連れてってくれるという寸法だ!」


「おお……!!」


 ブラッドが関心したように驚いてくれたけど、もちろん嘘。ハッタリである。ファヴにそんな特技なんてない。フェイクとしてはこれで十分だろう。実際の所はレイちゃんに道案内を頼んである。霧谷は問題ないそうだが、庭園の方が問題らしい。……ま、それは霧谷を抜けてからでいいか。

 つか、ピサもオルガも一緒になって驚いてるし……。純粋か! お前ら。ちょっとは疑う心を持って欲しいよ、まったく。全幅の信頼を寄せてくれてるのはわかってんだが、心配しちゃうよ? ボク。悪い大人に騙されないように俺がしっかり面倒を見てやらんと。


「うし。説明終わり。さっさと出発するぞ! 陽が沈む前に霧谷を抜けるためにも。んじゃ、とりあえず昇降機まで移動する」


「「「おお!」」」


 昨晩のお祭り騒ぎで町の人間は皆疲れ果てているのか、ひと人っ子一人歩いてる者はいなかった。

 早朝のエルインガングはひんやりとして、空気が美味い。一晩だけだったけど、良い町だった。色々落ち着いたら、今度はゆっくりと立ち寄りたいもんだ。まぁ、滞在できるのは最高三日らしいが……。

 しばらく閑散とした早朝の町中(まちなか)を進むと、昨日は霧が立ち込めて見ることができなかったエリアまで来ていた。さらに進んで行くと、地面が途切れ、とうとう嘆きの霧谷とご対面。


 それはまるで、雲海のような、深い霧の海がずっとさきまで広がっていた。

 目の当たりにすると、あの中に入るのが恐ろしすぎる。例えるなら、サメがウヨウヨひそむ海域に素っ裸で潜るような心地と言うか……。思わず、ゴクリと生唾を飲み込む。――緊張してきたぜ。


「じゃあ、竜車に乗り込め。あと、念のため全員の身体にロープを巻いておくぞ。竜車に乗ってるだけだから、大丈夫だとは思うが」


「了解であります。少佐!」


 イソイソと下降の準備を始めようとしたその時、一人の人物が声をあげた。


「お待ちください! マサヒロ様!」


 中央広場からくっ付いて来てたミミだ。

 緊張してるのか、軍隊の行進のように手足をピーンと伸ばしカチコチになって歩く様はちょっと面白い。俺の前まで来ると、少しの間だけ俯き、覚悟を決めたように俺の顔を見上げてくる。ミミの目は、うるうると涙がこぼれそうになっており、まるで何かに怯える子犬に見えた。


「霧の中に入ってしまった人は二度と帰ってきませんでした。私のお父さんも霧の中に消えて、それを追っていったお母さんも……。こんなこと言いたくはないんですけど、マサヒロ様が『やっぱり霧超えるのは無理だった』って、すぐ引き返してくればいいのにって……。私そんなことを考えてしまって……」


 それからミミは行かないで欲しいということを遠回しに伝えようとしていたが、最後には涙と鼻水でなにを言ってるかわからないまでになっていた。


 ミミが求めていたのは父性だったのだ。

 話を聞く限り、ミミは天涯孤独の身。友人や町の人たちが寄り添ってくれてはいるのだろうが、それでも根っこの部分は満たされない。

 ――寂しいんだよな。わかるぜ。俺にはわかる。俺も同じように天涯孤独だ。たまに、年にほんの一二回程度だが、ふと、どうしようもなく孤独に(さい)なまれる日がきたりするんだよな。

 こういうのはいくら考えたって、なにをしてやれるかなんて、わからない。だから、いっそ自分が子供の頃にして欲しかったことをしてあげればいいと思った。俺はミミの頭を丁寧に、真心を込めて撫でてやる。すると、ミミは俺の胸に飛び込んできて、声にならない声でシクシクと、しばらく泣いた。



 ミミが落ち着いた頃を見計らい、身体を離す。それから、じっと待ってくれていたピサたちの元に戻り、身体にロープを巻き付け、竜車に乗り込んだ。そして、竜車を昇降機の上まで移動させ、下降の準備をすべて完了させた。あとは、片手を上げ町長に合図を送ればいいだけ。

 最後に、ミミへ別れの挨拶でもしておくか。町長以外だと唯一見送りにきてくれたわけだし。


「ミミ。見送りありがとな」


「……ごめんなさい。引き止めちゃって。こんなつもりじゃなかったんだけどな……」


「気にすんな。誰だってそういう日はある。んじゃ、俺らはもうそろそろ行くからよ」


「マサヒロ様! 約束! 帰ってくるって! 約束してください!」


 俺は不敵に笑い、手を掲げ町長に合図を送る。

 ガコン! となにかがハマる音がして、昇降機が下がり始めた。


「バカ野郎。ミミ。俺を誰だと思ってやがる? 俺は英雄になる男。こんなとこでくたばるわけがねえ。生きて必ず帰る。せいぜい身体をピカピカに磨いとけ! 帰ってきたらたっぷり可愛がってやる!」


「待ってます! 待ってますから!」


 ミミの顔は涙と鼻水でくしゃくしゃだけど、いい笑顔だった。

 しかし、その笑顔を見ていられたの一瞬の事。俺たちはあっという間に霧の中に消えていった。







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