トゥーロン市内市庁舎危機管理室
市庁舎前のセリア・ケイ少佐の行動は、ルドルフ・フォン・シュバイツァー参謀本部長官のいる市庁舎地下の危機管理室で保安監視モニターによって中継されていた。それと同様に、ポートブリッジ統合軍の監視部隊からも、このニュースが自軍の司令部に中継されていた。そればかりではなく市庁舎の噂はトゥーロン市内にも様々な手段で市民によって広がっていた。
「閣下、まだ、お気づきになりませんか?」
目を閉じて考え込んでいる安全保障委員会特務警察省のシュバイツァー参謀本部長官にフリードリッヒ・エッカーマン副長官は後ろから声をかけた。彼は暴動発生以来というもの、正確には安全保障隊が市長舎などの主要行政機関を占拠して以来というもの、休むこともできずに作戦室とした庁内の危機管理室に詰めっぱなしだった。だが、それは、シュバイツァー参謀本部長官も同様な状態だった。
フリードリッヒ・エッカーマン副長官の心の奥底ではひとつの確信が芽生えつつあった。ルシファーの件は確かに不運な出来事のように思える。だが、事件を解決に至った行動は驚嘆に値するものがあった。ルドルフ・フォン・シュバイツァー参謀本部長官は解決に至る経緯など気にもしなかったが、ケイ少佐だからこそ警察本部署長さえも味方につけたのは不思議ではなかった。噂によれば、彼女は私物化した安全保障理事会の権力に冷淡であるということである。おそらく、権力争いを嫌う純粋さを持っているために、安全保障隊とは相いれないものがあるのだろう。噂が事実であるかどうかは別にしても、つい一昔前までは、事務局の技術部隊を率いる程度で知る人もいない存在に過ぎなかった。ならば、これから先にポートブリッジ統合軍の全軍を率いることにならないと誰が言い切れるだろうか?
「なんのことだ?」
「彼女が言っているのは、市民の考えを代表しているに過ぎません。それは暫定政府の考えに他なりません。彼女に危害を与えれることにでもなれば、統合軍や暫定政府と戦わなければならない事態は避けられないでしょう。それは我々にとって得策とはいえません。もちろん、それには理由があります。彼女は統合軍の兵士たちに信頼されています。英仏海峡トンネルにおいて、彼女の行なった英雄的な行為を覚えている人は、今なお大勢います」
「暫定政府だと?」
シュバイツァー参謀本部長官が眉をつりあげて不愉快な顔をすると、階級の低い者は身を強張らせて災難が自分に降りかからないように祈った。
「彼らは自分たちでは、そのように名乗っていませんが、市民のほとんどはそのように考えているはずです。身柄確保に失敗したトゥーロン市議会の議員も参加しているようですが、マクネアーを中心とした連中によって組織されています。しかし、法律的になんら正当なものではありません」
「あたりまえだ。我々が唯一の正当な政府だ。暫定政府などと、たわけたことは言わせん」
「その通りです。暫定政府はただの自治組織の寄り合い所帯に過ぎません。現在の事態に解決する手段を全く持ち合わせていません。解決能力のない集団よりも無視できないのは、モニターの女性です。人によっては何かに守られているような不思議なものを感じるという言う人もいます。そう、なにか時代を導いていくようなものを感じるようです。彼女は、そういう人物なのです。それに比べて、我々の舞台は既に過去のものとなりました。後は、舞台裏での仕事しか残っていません。無理に表舞台に上がろうとすれば、戦いになります。今が引き際です。この時をやり過ごしてしまえば、我々安全保障隊の存続も危うくなります。そのようにしたのは我々自身の行動が原因になって引き起こしたことであり、それを認める勇気が必要です。市閣僚やポートブリッジ統合軍による責任糾弾に関しては、決して閣下に迷惑をおかけいたしません。閣下、決断してください。彼女が誰のことを意味しているかは、閣下は御承知なはずです」
エッカーマン副長官は知らないうちに演説を始めていた。
「なんて、いまいましい雌狐なのだ。俺をこけにしやがって……。時代を導いていくだと……。ふん。ギリシア神話でもあるまいにアテーナー女神を気取っているつもりなのか知らんが、こちらには市長をはじめ、高官を人質に取ってあるのだ。ポートブリッジ統合軍に手出しはできん」
シュバイツァー参謀本部長官は、顔を真っ赤にして激怒していた。彼が激怒しているのは、実は的を射ていて反論できないからである。
「希望どおりに、狙撃してやろうではないか」
エッカーマン副長官は、悪態をつくシュバイツァー参謀本部長官を必死になだめようとしていた。
「閣下、それはいけません。そんなことをしたら、統合軍に攻撃の口実を与えるだけです。モニターをご覧ください。どのモニターにも、あらゆる人が集まっているのが見えます。今、彼女はポートブリッジ統合軍だけでなく、トゥーロン市民やキャンプル住民さえも味方にしています。この数は、もっと膨れ上がるでしょう。今、彼女になにかあればこちらの違法行為の証拠となって、糾弾されることになります。その末路は統合軍正規部隊の集中砲火を浴びることになるでしょう。我々に勝ち目はありません。我々の死体は切り刻まれて野ざらしにされるでしょう。その意味がおわかりですか? ケイ少佐は自分の身を挺してトゥーロンを浄化しようとしているのです」エッカーマンは続けた。「我々はパンドラの箱を開けてしまったのです。マクネアーの暗殺計画は、まったくの誤算でした。彼女を巻き込むとは予想外でした。彼女は我々には関心がなかったにもかかわらず、敵対する側になってしまいました。彼女は挫折や失敗までも経験を重ねる度に自分の糧として成長していきます。そして、知らず知らずのうちに周りからの信望を集めてしまうのです。ここは勇気ある行動が必要です。どうか、私におまかせください」
エッカーマン副長官は白い旗を持って正面玄関に現れた。実のところ、彼には既に覚悟ができていた。だが、その前にどうしてもケイ少佐に会ってみたくなったのである。年下の女性でありながら、勇気があり、また、聡明でもある。敵とはいえ名のある指揮官に武人として会ってみたくなったのである。もし、自分が彼女の側の将校だったら? そんな考えがよぎったが、自分が忠誠をちかったのはシュバイツァー参謀本部長官なのだと言い聞かせなければならなかった。
ケイ少佐は市庁舎の正面ゲートに現れたのがシュバイツァー参謀本部長官だとばかり考えていたため、エッカーマン副長官を見た時につい嫌そうな顔をしてしまった。彼女はシュバイツァーに無視されたと思ったのである。
「自分はフリードリッヒ・エッカーマンというものである。特務警察省参謀本部の副長官を拝命している者といえば自分の立場を理解していただけると思う。自分には現在市庁舎を占拠している反乱軍の全権を委任されているものと考えてもらいたい」
「反乱軍ですって……。どういうつもり?」
彼女は意外な展開に驚いた。自ら国賊であることを認めるというのである。
「そう反乱軍だ。今のトゥーロンの政策は生ぬるすぎる。このままでは自滅の道を歩むばかりであり、我々は不信感と危機感を拭いさることができない。そこで、我々の強い決意を示すため、実力でトゥーロンの全権を奪取することを目的として行動を起こした。市庁舎を占拠したのはそのためであり、目的の一部を成し遂げ、我々の決意を示すことに成功した。我々は降伏することを潔しとしない。あくまでも、この市庁舎を死守するつもりである。しかしながら、我々の同胞にも家族がいるものがいるため、その者たちの投降する時間を頂きたい。その完了をもって安全保障隊は、ポートブリッジ統合軍に基地の引き渡し要求のために実力を行使する」
これは戦線布告である。ポートブリッジ統合軍はトゥーロンの内政には干渉しないことになっているため、原則は少数民族などに対する迫害や外圧からの被害があった時だけに干渉することができる。したがって、戦闘状態を造り出すことは、すなわち外圧からの被害が及ぶため、自らの判断により内政干渉ができる。エッカーマン副長官はわざわざ宣戦布告してきたのである。
「なんのことか解らないわ。どうして、まだ戦う必要があるというのです。私はドラゴンとルシファーの恐怖さえ追い払うことができれば、他のことに興味ありません。トゥーロンの未来、つまり、トゥーロンの再出発は、トゥーロンの住民どうしで話し合って決めてください」
「そうはいかないのです。今必要とされている人物こそ、再出発に必要とされている人物でもあるのです。どうやら、それは貴女の方らしい」
「私は反乱軍などということは認めません。安全保障隊は、すみやかに初期の任務に戻ることを再度要請します」
「結果がどうであれ、我々が未来を真剣に憂慮し、我々が考え抜いた末の結論である。これからの世界に二つの勢力は必要ない」
「どうしても、戦うというのですか? 失礼ながら、今の安全保障隊の力では勝ち目がありません。市庁舎は既に要塞としての力を失ったのですよ。戦争といえるような戦闘すらないでしょう。勝負は見えているのに血が流されるなんて、ばかげているわ」
ケイ少佐には信じられなかった。最悪な事態になろうとしている。今まさに、血が流されようとしている。まったく意味のない流血である。
「繰り返し投降者の受け入れをお願いする。休戦は一時間もあれば十分であり、ご協力していただけると信じている。ケイ少佐、後はお互いに自分の職務を忠実に遂行に最善を尽くしましょう」
エッカーマン副長官はケイ少佐の瞳が潤んでいることに気づいた。
「死ぬことになる安全保障隊の兵士のために泣いているのか? なるほど、噂どおりの人物だな。部下の痛みが分かるならば、いずれ本物の指揮官にもなれよう」
危機管理室ではシュバイツァー参謀本部長官はこめかみに血管を浮き上がらせて激怒した。
「反乱軍とは、どういうことなのだ。そんな話をしろとは言ってはいないぞ。それに話をまとめるどころか、命ごいをしてきただけではないか。戦争ならば望むところ、それならばいっそのこと、あの雌狐を地獄に落としておけばよかったのだ」
「閣下、どうか我々の名誉をお守りくださいますようお願いします。我々は軍人であって、決して無法者の集まりではありません」
「ええい、うるさい。おまえの顔など二度と見たくはない。一兵卒に格下げだ。我々は降伏など断じてしない。最後の一人まで戦うのだ」
シュバイツァー参謀本部長官は我を忘れて叫んだが、耳を貸す者は、ごくわずかであった。




