トゥーロン市内市庁舎危機管理室
安全保障隊のフリードリッヒ・エッカーマン副長官は市庁舎危機管理室でオペレータとともにコンピュータのディスプレイをのぞき込んでいた。その顔には苦悩の表情がくっきりと浮かび上がっていた。どんな困難な状況下においても今だかつて部下に動揺を見せたことのない彼は、豊富な経験と冷静な判断力を備え誰もが認める優秀な人物であった。それゆえに副長官に抜てきされたのであるが、その彼に手の余る事態が発生しているのである。
《火災発生、職員は市庁舎より退去せよ》
ディスプレイは単刀直入にメッセージを表示したまま、避難経路を表示して赤く点滅していた。オペレータは試しにキーボードを叩いてみるが何の反応も示さなかった。作戦室の全てのコンピュータ、いや、市庁舎の全てのコンピュータはDRINCSの中核かその末端であり、赤色警報とともに人間の制御を完全に離れ最優先緊急処置プログラムを実行していた。
「私の名前でアクセスしてみろ」
エッカーマン副長官はオペレータが手をこまねいているのがじれったくなり横から催促する。
「だめです。ここからでは無理です。ゲートウェイが閉鎖されているのです」
オペレータはコンピュータのトラブルの真の原因を理解してもらえなくてうんざりしていた。今、市庁舎の全てのコンピュータに起きていることは別に故障ではないのだ。システムは完全に正常なのだ。
「市庁舎に火災など本当に発生していないのだろうな?」
「それは確実です。この警報は誰かがネットワークに介入しているために起きているのです。つまり、なにかのプログラムによってネットワーク上のデータを改ざんし、火災による炎が広がっているようにコンピュータをだましているのです。このコンピュータは市庁舎内部だけで外界との接続を切り離しているローカルなDRINCSのネットワークの一部ですが、DRINCSのような多重分散処理システムともなると、ここのエンジニアだけでは原因を解析するのに何日かかるか検討もつきません」
「それでは遅すぎる。DRINCSが退去命令を市庁舎全館に発し、防煙シャッターにより各区画が閉鎖されるのに十分とかからん。他に方法はないのか?」
考え込むオペレータの前でディスプレイのメッセージがかわった。火災延焼を防ぐために市庁舎内部の隔壁閉鎖までのカウントダウンを開始したのである。
「これはやはり、MLAが妨害してきたと考えるしかあるまい。マクネアーが会談をした相手がケイ少佐という噂がある。MLAはケイ少佐のおひざ元だから十分に考えられる。つい先程に侵入者と戦闘があったという報告があったが、その時に仕掛けられたに違いない」エッカーマン副長官は暗い表情を落とした。もっとも戦いたくない相手を敵に回しているのが気にいらなかったのだ。彼の力をもってしてもネットワークを徘徊する目に見えない敵に対しては無力であった。「やむを得まい。今すぐ、市庁舎のDRINCSの電源を落とすのだ」
「しかし、そんなことをしたら、C4Iシステムも使用できなくなります……」
オペレータは反論した。
「かまわん。このままDRINCSに好き勝手に市庁舎を潰されてはかなわん。今すぐ電源を落とすのだ」
それは安全保障隊の要塞となっていた市庁舎の全神経、全五感、そして、全器官を失うのと同じことを意味していた。巨大な建造物である市庁舎は高度にインテリジェント化を進めたからこそ、あらゆる敵から身を守ることができたのであり、複雑に入り組む通路とありとあらゆる設備は人間が管理しきれるものではなかった。
DRINCSが完全に停止するとともに直ちに予備電源に切り替えられたが極端な電力不足に陥り、制御不能になった下水道設備からあふれ出た水によって地下層ではフロア一面が水浸しとなった。さらに、扉が開かなくなり迂回しなければ通れない通路も現れた。もっとも困ったことは、内線までも不通になり相互の連絡が思うようにとれなくなってしまったことであった。
「各フロアに無線機を設置し、伝令を常に待機させる。さらに、パトロールは各所の弾薬補給の確認もする。これで充分に対処可能なはずだ」
エッカーマン副長官は有能であり、この時も能力を発揮して取り組んでいた。だが、DRINCSの情報解析能力や情報伝達能力を人間の力で補うことなどは到底無理であり、市庁舎は要塞としての機能が確実に失われ、ただのジャングルに成り下がってしまったのである。




