ポートブリッジ統合軍憲兵隊本部
代日時間が始まったばかりで憲兵隊本部の建物には人がまばらにしかいないが、統合軍の規則によって、将官クラスの少なくとも一人は待機していることになっていた。今日はポーロ・モラン大佐が当番になっていた。彼は頻繁にかかってくる電話から決して逃げる気はなかったのであるが、自分の仕事を優先して片付ける決心をしていたので、会議室に隠れるようにひとりで仕事をしていた。もしも本当に緊急な用事が発生すれば、探しにくるに違いないから問題はないと考えていたのである。
トゥーロン市内から湧き起こる地鳴りのようなどよめきが聞こえ始めた時、それはポートブリッジ統合軍基地の憲兵隊本部でもよく聞こえていた。さらに市内に鳴り響く警報も加わり、基地にいる者にもただならぬ事態が起きていることを感じさせるには充分だった。
問題の重要性を充分に気づいていない当直のコンラッド・リンドバーグ憲兵隊軍曹は、トゥーロン・イエールの異常を上官に報告する必要があるのかどうか判断しかねていた。モラン大佐の姿がデスクに見えないのは、自分の仕事を優先するために雲隠れしていることを知っていたから、邪魔をするのは気の毒に思っていたのである。しかしながら、彼は当直のルールに従うことにした。
「市内で警報が鳴っていますが、防空戦闘指揮室は何も知らないと言っています。いったい、この警報はどういうことでしょうか? 安全保障隊が市内で演習でもしているのでしょうか?」
居場所を簡単に突き止められてしまったモラン大佐は、結局、当直が手に負えない事態の対応に時間をとられることとなった。
「警察本部は何か言ってきたか? トゥーロンの警察本部、消防署、なんでもいいから治安を維持できそうな場所と連絡をとることに全力を向けるのだ。まだ、警察が機能していればいいのだが……。とにかく、警告するのだ」
モラン大佐はある程度予測していたことだった。それは彼の危惧が現実のものになろうとしていることを意味していた、避難民の暴動、そして、安全保障隊の戒厳令、その行きつく先は安全保障理事会による無制期の独裁体制が続く悪夢である。そんな彼の洞察力とは比べものにならないほどに鈍感な基地の警報が、やっとのことで異常に気づき鳴り始めていた。
モラン大佐は募る不安が思い過ごしであればいいと思いながら、市内との連絡が取れるのを待った。
「返事がありません。正確に言えば連絡が取れません」
それで充分だった。彼はついに起こるべきことが起こってしまったことを理解した。警察本部と連絡がとれない事態はそうそうあることではない。彼がもっとも恐れていた予感が現実になりつつあるのだ。
シュバイツァー参謀本部長官の筋書きであるところの序章であるキャンプ場の暴動である。それもキャンプ場の避難民の純粋な暴動なら救いようがあるが、安全保障隊が自らの権力を固めるために用意された舞台で踊らされる大暴動である。
安全保障隊の計画には簡単なところで計算間違いをしている。抑圧された者たちの怒りを過少評価しすぎているのだ。必死になった人間の力、それも集団の力というものを解っていない。実権を掌握してから避難民を抑えるつもりらしいが、それでは遅すぎる。そのうち怒りの頂点に達した避難民が市内の警備部隊を圧倒して、銃を奪い取るだろう。数にものをいわせて襲撃してくるのだから、防ぐことは不可能に近い。だが、それだけは絶対にあってはならない。武器を一度手に入れられたら、すべてを取り上げるのは不可能である。そうなったら、武器を隠し持った暴徒が市内をうろつき回ることになる。それだけは避けなければならない。
まだ彼の憶測にしか過ぎないが、どろどろとした権力争いに形も見える前から嫌悪感が込み上げてきた。彼は根っからの潔癖症なので、不思議とこの嫌悪感はよく当たるのである。
暴動、そして、クーデター。血で血を洗い、人間が人間を傷つけ合う、そして、最後には直接関係のない子供や女性たちの血までも流されるのである。当事者が勝手に自滅するのは構わないが、理由はなんであれ結局立場の弱いものが一番の被害を受けるのである。そんなことを彼が許せるはずがない。
「市内のあちらこちらで銃声が聞こえています。どうやら小型火器のようですが、先程から一向に止みません」
基地のゲートを警備している憲兵隊からの報告が入ったのだろう。どうやら、トゥーロン市内の街中の到る場所で銃声がしているらしいのである。その銃声はポートブリッジ統合軍基地内まで聞こえきていた。
「市内の様子はどうなっている?」
「なにが起きているのかわかりません。安全保障隊が市内のそこら中で発砲しています。それは広がるばかりです。警備部隊は指揮を取っているのが誰なのか知らないようです。指揮官は持ち場を守ることしか命令を受けていないようです。どうやら、どことも連絡が取れなくなっているようです。回線が、不通というわけでもないのですが……」
「おそらく大規模な暴動が発生したのだ。キャンプ場の避難民がトゥーロン市内の中心部に流れ込んだに違いない」
「暴動ですか?」
リンドバーグ軍曹には今までの日常が壊れつつある事態が飲み込めないようであった。
市内を巡回中のアルテア・アルテミス少尉が戻ってきた。その軍服には、催涙弾に使用されるクロルピクリン・クロルアセトフェノンのガスが滲み込んでしまっていた。市内は予想以上に状況が悪化していることが誰で目にも明白であった。
「キャンプ場で発生した暴徒が市内の奥深くまで入り込んでいます。暴徒だけを分離することができないために、安全保障隊は人が集まっていると構わずに発砲しているため、市民にもかなりの犠牲者が出ていると思われます」
「既に暴徒によって市内は蹂躙されてしまったと考えるべきだな。それで市庁舎の状況で何か知っていることはないか?」
モラン大佐は市庁舎が機能を維持していることに一縷の望みをつなぐ。そうでなければ、市内は無法地帯と化してしまう。
「はっきりとわかりませんが、安全保障隊の装甲車輛群が市庁舎や警察本部に集結しているようです。そのため暴徒の多くが市庁舎方面を避けて、他の地区に広範囲に拡散しています」
警備にあたっている部隊の数が絶対数で少なすぎるのだ。安全保障隊の本体ともいうべき兵科部隊は暴動の鎮圧にあたっていないのは明白である。おかげで、まじめに治安維持任務に就いている警備部隊が苦戦を強いられているのである。市民を巻き込んで銃撃戦が行われている始末である。
トゥーロン市内を警備する部隊は全体としては大きな力には違いないが、個々の部隊では小さな存在でしかない。それが個別に暴徒に対処しようとしているため混乱が生じているのだ。
情報が不足していた。情報の不足は、基地内のこちら側にも深刻な問題を生みつつあった。予備役の兵員とも連絡が取れないばかりか、家族をトゥーロン市内に残す者は浮き足だつに違いない。
「まさか。安全保障隊の警備部隊がいるのですよ。キャンプ場は完全な監視下にあるはずです」
モラン大佐が突然に黙り込んでしまったので、リンドバーグ軍曹は不安になった。
「だから、その安全保障隊が裏で操っているのだ」
「……? 言っていることがわかりません。どうして監視していた者が暴動をそそのかすのです。逆ではないですか?」
リンドバーグ軍曹には事態が飲み込めないようだった。
「いいから、連絡の取れる限りの総員を呼び出して、待機させておくようにしてくれ。休暇中の者も含めてだぞ」
モラン大佐はなかば強引に命令を伝えると、大きくため息をした。




