トゥーロン市内市庁舎
ルシファー事件に対するトゥーロン市議会の対応は今までになく早かった。臨時議会を招集し、非常事態宣言を発動するとともに、安全保障理事会に対し、市内の安全回復のために必要と認められる武器使用に関して全面的に許可する特別法が全会一致で決定された。ルシファーの侵入が確認された現在、もはや街の安全を維持するには安全保障隊の警備部隊や国家警察の装備だけでは限界という理由からだった。
これにより議会の承認を得た安全保障理事会は、本格的な治安回復行動のために、警備部隊以外の部隊に対しても安全回復行動に動員することになった。それは事態解決に至るまで無期限であり、従来は危害が加えられる事態に対してのみ最低限の使用が許可されていた武器が、今後は物や部署を守るためであっても積極的に使用が許可されることとなった。すなわち危害射撃が可能となるように大幅に武器使用の裁量が許されることとなった。それは逮捕の権限と捜索令状の執行すらも含む強大な権力の割譲でもあった。
トゥーロン・イエール市内に安全保障隊の第一師団第一機械化歩兵連隊、および、第二機械化歩兵連隊から軽戦車や装甲車の戦闘車輛を擁する八個歩兵中隊が市内各所に出動した。約四百名の兵隊が、市庁舎ビル、放送局等の重要施設の警戒配備に就くためである。
その光景は圧巻だった。VBCI(Véhicule Blindé de Combat 'Infanterie)歩兵戦闘用装甲車約二十輛とこれに随伴するVAB(Véhicule de l'Avant Blindé)装甲兵員輸送車四十輛、さらにこれらを支援するAravis兵員輸送車等を併せるとその数は百輛を越え、幹線道路を走行する車輛はその威容を見せていた。
安全保障隊の歩兵戦闘用装甲車や装甲兵員輸送車からなる一団が、トゥーロン・イエール政府機関が入居する市庁舎ビルに到着すると、ただちに警戒任務に就くため、市庁舎ビルの周囲に配備された。兵隊の駆ける靴音が市庁舎ビル内に次々と消えていくさまは、まるで市庁舎ビルの警備が自分たちの天職であるかのように、驚く程に整然と行われ、大した混乱も起きなかった。
それにしても非常事態宣言は安全保障隊にとって好都合であった。安全保障隊は最初からこの状況を逆に利用することを考えていたのかもしれない。誰が見ても大げさな布陣としか言いようがなかった市庁舎ビルの周囲を取り巻く装甲車は、市庁舎ビルを守るというより逆に包囲していると言った方が状況としては適切であった。市庁舎を外部との接触を絶つことで、職員には抵抗意思を挫き、市民からは中で起きていることを隠すことができた。
ルドルフ・フォン・シュバイツァー参謀本部長官は、フリードリッヒ・エッカーマン副長官を伴って市長室に入った。中で待っていたのは、ニキータ・リトビノフ市長だけではなく、安全保障隊の兵隊たちであった。彼らは自分たちの指揮官の姿を認めると、新しい市の権力者に敬礼して迎えた。
ルシファー事件発生により、その鎮圧部隊の任務を負った安全保障隊の臨時司令部は市庁舎ビルの危機管理室に置かれていた。パニックとなった市民からの護衛という名目で、市内各所には安全保障隊の兵科部隊が駐留し、市庁舎ビル正面玄関には土嚢が山積みにされていた。さらに、建物に至る道路には移動式バリケードが配置されていて、不法侵入車が市庁舎に突入できないようにされていた。
要塞。今の市庁舎には、その言葉がお似合いだった。そもそも非常事態宣言とは、国家等が災害などによって運営の危機となった場合に、緊急事態のために特別法を発動することであるが、安全保障理事会は特別法を事実上の戒厳令に昇格させてしまった。戒厳令とは、通常の警察組織による治安に維持が困難となった場合に、その回復に至る行政・司法の権利を軍に委ねることである。すなわち立法以外の何でも可能としてしまう全権利を軍に一時的に委ねることである。それは決して政権交代という代物ではない。しかしながら、今の安全保障隊には全権利が委ねられているという謙虚な気持ちは全く見当たらなかった。元々自分たちのものであったものをやっと返してもらえたものと誤解しているとしか言いようがなかった。戒厳令が軍事独裁政権を産み出すための土壌に利用されたことは歴史上よく見られたことだった。
安全保障隊の兵隊は行政には全く縁のない地域からは姿を消していた。その反面、警察署、消防署、電話局のような市内の重要施設という重要施設には漏れなく兵隊が入り込んでいた。やはり暴徒からの護衛という名目であったが、行政どころか市民ひとりひとりの活動の自由を奪われてしまったことは誰の目にも明白だった。もちろん、市庁舎においても、その行動は迅速にかつ冷酷に行われていた。
「市庁舎は完全に確保しました。議員を含む有力者も、身柄を拘束してあります」
エッカーマン副長官はシュバイツァー参謀本部長官に報告した。すると、それを聞いていたリトビノフ市長が怒りを爆発寸前まで沸騰されて立ち上がった。
「これは、いったいぜんたい、どういうことだ」
「そいつを黙らせろ」
シュバイツァー参謀本部長官が命じると、近くにいた兵士が銃床でリトビノフ市長を殴りつけた。市長はうめきながらソファーに倒れ込むしかなかった。
「現在、トゥーロン・イエールの治安は安全保障理事会によって維持されている。すぐに通信施設や警察署などの重要施設は我々の手によって護られることになるだろう。依然として避難民からなる暴徒が走り回っている状態だが、これもすみやかに排除される。今から、通信を正常化させるが、これは安全保障理事会が許可した場合によってのみ使用できる。さらに付け加えるならば、トゥーロン・イエールにおいて権限を持つものは、安全保障理事会と安全保障隊にほかならない。私には一万人の武装した将兵がいることを忘れないでもらいたい」
「気が狂っているとしか思えない。ポートブリッジ統合軍が、こんな暴挙を許すはずがないぞ」
リトビノフ市長が再び起き上がって抗議した。その動作にも、市長としての威厳をとることを忘れたりしなかった。
「統合軍の連中は何もできやしないよ。やつらの家族の大半が市内にいる、つまりこちらに人質としているのだからな。かまわん、市長をつまみ出せ」
シュバイツァー参謀本部長官はリトビノフ市長が銃を突き付けられて市長室から追い出されるさまを横目でじっと見つめていた。
「リトビノフ市長の件は、これで終わりだ」
シュバイツァー参謀本部長官は、市内の政権移行が予定どおりに進んでいるか確認することにした。




