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ドラゴンリング  作者: 半纏ボク
第三章 ルシファー
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トゥーロン郊外モン・ファロン

 坂井美春はトゥーロンの北側に位置するモン・ファロンの頂上に向かっていた。頂上に到着するとトゥーロンの街並みを見下ろしながら、彼女は自分が置かれた現実を冷静に受け止めていた。トゥーロンは自分のいる場所ではない。ルテチアに帰りたい。そう考えた時に、ルテチアに戻るためには車両を手に入れる必要があった。だからといって、不正な手段で手に入れる気にはなれなかった。一般乗用車であれば市内で販売されているが、購入するにしてもドラゴン戦争前に比べて高額になっており、ルテチアから戦闘任務で来ているために現金などの貴重品を持ち合わせているわけもなかった。

 そんな時に、モン・ファロンの頂上にあるドラグーン軍事博物館には使用されなくなった旧式の車両が廃棄されている情報を入手したのである。戦争博物館に展示されている車両は第二次世界大戦時代のものであるため、古すぎてドラゴンとの戦いでも徴用されることがなかった。観光客も来なくなった現在はまるで車両の墓場のようになっており、結果的に旧式化された車両や修理不能に大破した車両の廃棄場として利用されていたのである。

 モン・ファロンは584メートルの山であり、現在は統合軍によって高射砲がハリネズミのように設置された要塞と化していた。以前はケーブルカーによって頂上まで容易にいくことができたが、現在は運転が休止されていた。頂上には戦争博物館以外にも動物園があったが、戦闘で動物が逃げ出した場合に危険ということで動物園は閉鎖されていた。

 坂井は廃棄されている車両から使えそうなものがないかと一縷の望みにすがって戦争博物館に来たのである。すると戦争博物館の前で偶然にも和田継矢中尉を見かけた。同じ日本人であるため、ルテチアに戻るための手段について相談することを思いつき、声をかけることにした。

「もう終わったわ。なにもかもね」

 坂井はそう言い張ったが、心の中ではまだなにも解決していないことを気づかれないようにしていた。

「もう、かれこれ五日もたったのですよね。まだ、精神的な治療を受けているという報告を見ましたが、ルテチアが忘れられないのですか?」

 和田中尉は戦争博物館の奥へ坂井を案内し、片隅に置かれていた車両を見せた。その車両には日の丸が国籍として描かれており、日本陸上自衛隊の82式指揮通信車や16式機動戦闘車などの最近の車両であった。控えめに見てもスクラップではないことが明白であり、なによりも車体の保管の状態が良いことは、外見からでも容易に想像できた。

 十年前に日本の海上自衛隊の輸送艦<おおすみ>は、ドラゴン包囲殲滅戦に派遣された陸上自衛隊部隊が使用する車両をフランスまで輸送してきた。しかし、ルシファーによる世界の混乱により、民間機により移動していた陸上自衛隊の隊員は行方不明となり、車両だけが到着することになったのである。和田中尉は、行方不明になっている陸上自衛隊の隊員が見つかることを信じて、輸送艦<おおすみ>から車両を預かり、モン・ファロンの頂上の戦争博物館の一角で十年間、保管し続けてきたのである。そのため、これらの車両だけは周囲の廃棄された車両と違って整備が行き届いており、今でも良好な状態で保管されていた。

 すぐにでも使用可能なこれらの車両の1台でもあれば坂井はルテチアに戻れると考えたが、和田中尉が今までどんな思いでこれらの車両を預かってきたかと思うと、自分の都合を押し通す気になれなかった。

「軍に戻るのでしょう?」

 和田中尉が素直にこの先を心配してくれている。

「いいえ、もう二度と軍には入る気はないわ」

 理由は明らかだ。あんなことは、もうこりごりというのだろう。当然といえば、当然である。

「では、これからどうするのですか?」

「帰りたいわ」

 坂井は別に今の境遇を非難したわけではなく、希望を淡々と吐き出しているに過ぎなかった。彼女の本心であるが、どこに帰りたいのかは自分でもわからなくなってきていた。ルテチアに帰りたい? 最近までいっしょにいた友人の元に帰りたい? それもそうであるが、日本に帰りたい? 日本にいる家族の元に帰りたいのかもしれない。それとも、戦争が始まる前に帰りたい? これでは現実から逃げることばかりを考えていて、まるで子供である。

「でも、ケイ少佐は、坂井さんがきっと軍に戻ると言っていました」

「どうして、あの人はそんなことを言うの?」

 坂井にはまったくそんな気はなかった。それは自分がもっともよく知っていた。ケイ少佐がどうしてそんなことを言うのか理解できなかった。

「きっと、いつか分かると思いますよ」

 どうやら、彼もそう信じているようだった。結局、スクラップとしか言いようのない車両がいくらあったところで、二人に名案など出るわけもなかった。しばらく沈黙の時間が流れた。

「ルテチアのことは忘れたほうがいいかもしれないね」

 今までの和田中尉の親切な言動が、急に嘘であったように思えた。問題を無責任に投げ出そうとしているように思えた。

「和田中尉がそんなことを言うとは思ってもいなかったわ。はっきり言って失望したわね」

 坂井はむっとしたようだった。そこで和田中尉は話題を変えることにした。

「実は坂井さんに話さなければいけないことがあるのです」話を続けてもいいものかと和田中尉は坂井の表情をちらっと見た。「坂井さんの部隊に所属していたと思われる人物が、もうひとり救助されていることがわかったのです」

「どういうこと? もうひとりと言ったように聞こえたけど?」

 坂井には思い当たる節が全くなかった。

「命に関わる危険状態で発見され、助かることはないだろうと思われていたようです。生きているのが不思議なくらいという話です。このため医療関係者が仲間の死を再び知ることで、現在の精神的な治療に悪影響を与えることになるかもしれないために黙っていたようです。私自身は後から聞いたのですが、別になんの影響もないだろうと考えていました」

「いえ、違うのよ。私が言いたいのは、それはなにかの間違いではないかということなのよ。私の覚えている限り、生き残れた仲間がいるとは思えないわ」

 坂井は忘れたい記憶にできるだけ触れないように努めた。

「なんて名前だったかな。ドックタグに書かれていた名前はアルバート・ワイマンでした。部隊でいっしょにいた人ではないのですか? サント・ミュス病院に収容されていると聞きました」

「ワイマン伍長ですって、そんな、そんなことは、決してありえないわ」

 坂井は突然身体を震わせ、ひとりでなにかに耐えているような感じだった。坂井の脳裏の中でワイマン伍長の最期の姿の記憶が蘇り、その時に感じた恐怖心すらも蘇った。

「嬉しくないのですか?」

 坂井は明らかに動揺しているようだった。そのただならぬ気配に、和田中尉は十年間忘れ続けていた不吉な予感を蘇らせた。

「話してください。なにが起こったのですか?」

「でも、でも、きっと信じてもらえないわ」

 坂井の動揺は一向に収まらなかった。その表情を見て、和田中尉の予感は核心に変わった。それほどに怯える事態に心当たりがあるのである。

「話してください。デリンジャー分遣隊にいったい何が起こったのですか?」和田中尉は坂井の肩を力の限り揺すった。少しは、落ち着きを取り戻すことができるかもしれないと考えたからである。「坂井さんが考えている以上に大変なことなのかもしれないのです。これから言うことに、きっと心あたりがあるはずです。一度しか言わないからよく聞いてください」和田中尉が緊張のあまりにつばをのみこんでいる。そして、ゆっくりと口を開いた。「化け物を見たのではないですか? 人間が人間でなくなることに心当たりがあるのではないですか?」

 一見謎かけのようにも思える説明だが、坂井にはずばり当たっていることがわかった。ワイマン伍長の最期の姿には、化け物という言葉しか思いつかないのである。

「どうして、それを? でも、……。でも、きっとこの話を信じてもらえないわ」

「話があまりにも現実離れしているから他人には信じてもらえないと思いましたか? 本当は自分自身がおかしく思われるのではないかと恐れているのではないですか? しかし、その話には私は心当たりがあると言ったら、起きたことを話してくれますか?」

 それはずばり的をついていた。

「わかったわ。話すわ」坂井はワイマン伍長に向かって発砲したことを思い出した。はっきりと覚えている。坂井にとっては非常に辛い思い出である。誇らしげな活躍でなく、仲間を失っていく逃避行である。気がすすまなかったが相談にのってくれた感謝もあり、坂井はトゥーロン・イエールに来て始めてその話をする気になった。

「デリンジャー分遣隊にはアルバート・ワイマン伍長という人がいたわ。でも、部隊が全滅する直前に、彼は人間ではなくなったのよ。そう、なにかに憑かれてしまったみたいに化け物になってしまったのよ。まるで映画に出てくるゾンビ、いえ違うわ、もっとおぞましいものになってしまったのよ」

 あの時は、とっさのことで何が起きたのかわからなかった。常識的に信じられないことだけに、今まで考えようとしなかっただけである。しかし、今落ち着いて思い出してみると、とても考えられない行動をワイマン伍長がとっていたことを思い出した。その時、彼女の本能はただならぬ気配を感じとり、彼がワイマン伍長でなくなっていることに気づいていたのかもしれない。

「私の考えでは、たちの悪い生き物に襲われたとしか考えようがないわ。結局正体はわからなかったけれども、何人もの仲間がその生き物の毒にやられたのだと思う。原因不明の昏睡状態に陥って、その毒が次々と感染していったわ。口にできないような悲惨な最期を迎えた人もいたわ……」坂井はしばらく想いにふけり、それをどう表現したものかと考えているようだった。結局自分なりの感想をつけることで、少しでも雰囲気を理解してもらおうと考えた。「今考えても身震いするわ。だって、私、彼を撃ったのよ。この手で撃ったのよ。はっきりと、覚えているわ。あの、勘違いしないで欲しいのだけれど、とても信じられないことが起こって、危険を感じたから自分を守るために撃たなければならなくなったのよ」

 話を聞き終えた和田中尉の顔が見たことのないほどに硬張っていた。彼は体を震わせ、ひとりでなにかについて考えているようだった。本来であれば辛い話をしている坂井の方が体を震わせるのであるが、和田中尉のあまりの変化に呆然とするばかりで、いつしか見守る側になっていた。

「実は敵性生物はドラゴン系の生物だけではないことがわかっています。ドラゴン以外にも、もっと厄介な敵がいるのです。十年前のある任務に関わる時に少し聞いただけで、私も詳しいことは知らされていません。知っていることは、当時の国際連合の安全保障理事会が対抗策を必死に探していたということです。トゥーロン・イエールの上層部は、厄介な敵が存在する事実をひたすら隠し続けていますが、確かにそれは存在するのです。それがワイマン伍長に起きたことと関係があるのでしょう。坂井さんが生き残れたのは、よっぽど運がよかったと思います。せっかく助かった命をなにも粗末にすることはないでしょう。少なくとも、その時が来るまでは、真実を知らない方がいいかもしれない」

 その後は、坂井が質問責めにするにもかかわらず、和田中尉はそれ以上に決して何も語ろうとしなかった。


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