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ドラゴンリング  作者: 半纏ボク
第二章 トゥーロン・イエール
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ポートブリッジ統合軍基地内海上部隊事務局

 査問会で坂井美春伍長に好意的であったセリア・ケイ少佐は、フェアリーリングに接触したことのある唯一の人間であった。十年前に起きたとされる大異変直前、フェアリーリングが出現した直後という時期に、彼女の身辺である事件が起きた。その事件にフェアリーリングが関係していたのである。ところが彼女はその話に触れられると決まって心を閉ざし、そのことについては誰にも話そうとしなかった。実は、その事件が今後の彼女の行動に影響を与え、ポートブリッジ統合軍やトゥーロン・イエールの人々の運命さえも変えることになるのである。

 ケイ少佐は誰にもその事を話そうとしなかったため、いったい何が起きたのかを知る者は一人の例外を除いて誰もいなかった。その例外とされているのは、彼女の部下の下士官である和田継矢中尉、アルテア・アルテミス少尉、さらに、マールス・グラディウス少尉の中の一人である和田中尉である。

 和田中尉はケイ少佐に特に信頼されていた。彼は海上部隊における中隊の中でも特異な存在だった。軍事行動には参加することはなく、軍の情報処理が主な仕事としていた。それはケイ少佐の現在の主な仕事ともなっていた。

「お疲れ様です」

 ケイ少佐は仕事に向かうため、いつものように基地警備の憲兵隊の兵士に挨拶してから統合軍海上部隊の事務局の入口を通った。いつも銃を構えた憲兵隊の兵士が敬礼で待ち構えているからである。基地内統合軍の全施設がそうであるように海上部隊事務局も軍施設の一般的な警備体制を取っていた。正面玄関で入局者の照会がされている。これらは軍の中で規律が大切にされているというよりも単なる儀式化した仕事だった。

 とりわけ事務局の正面玄関は、軍施設にありがちな周囲を威圧するような印象はない。和田中尉が勝手に植えた大きな桜<セイヨウミザクラ>の木があるからである。その木は最初に花を満開した時にケイ少佐にえらく気に入れられることになり、それ以来というもの大切に保護され続けていた。今では、しっかりと風景の一部と化していると言っても過言ではない。その傘状の枝の下には緊急出動に備えた二台のプジョーP4小型四輪駆動車が待機しているのだが、まるで車庫と車のように相性のあった風景でどちらが欠けても不自然に見えてしまうくらいであった。

 桜の木の実質上の守護者となってしまったケイ少佐は、仕事上でも守護しなければならないものが存在していた。彼女のデスクはデータバンク室内のサーバラックを見下ろせる中二階のMLA部門の一室にある。MLAとは、Military Laboratory Automation のことで軍事のための兵器や戦略を研究するためのプロセスを自動化させていくのに必要となるコンピュータシステムを開発保守する技術部門である。和田中尉は彼女の直属の部下で、プロジェクトMLAのリーダであった。

ポートブリッジ統合軍基地内、さらには、オランピア内の主要なコンピュータシステムは、すべて、MLAによって開発されたDRINCSの主要部かその末端の一部を形成していた。すなわち、Database Reasoned Intelligent and Networked Computer Systemである。このシステムは、基地内の統合管理を分散処理で行なっているほか、大異変後の世界について抽象化されたデータベースを持ち、統合軍の兵器研究支援、および、戦略決定支援に使用されていた。

 ケイ少佐はポートブリッジ統合軍の神経とも言えるDRINCSの開発保守を行うMLAの責任者という立場にあった。本来は彼女の仕事はそれだけのはずであるのであるが、現実にはそういうわけにはいかなかった。ポートブリッジ統合軍基地はもともと地中海艦隊の海軍基地であったという事情もあって、海上部隊事務局は陸海空および憲兵隊を含む基地内統合軍の行政と司法業務を行っていた。そのため、その海上部隊事務局が管轄する後方勤務の女性将校であり、担当次官でもある彼女は他の仕事もこなさなければならないのが常であった。誰が言い出したのかわからないが、ケイ少佐の憂鬱といわれている仕事がそれである。

 DRINCSが産声をあげて以来、データバンク室はポートブリッジ統合軍のありとあらゆる情報が集中することとなった。中には各個人の給料とか保険証番号とかいうような些細な情報もあるが、難しく言えばDRINCSは味方と敵のあらゆる情報をリアルタイムで管理し、もっとも効果的に戦闘を実行するために必要となる様々な要因、各部隊の所在位置・攻撃力・耐久力・移動能力などの情報をファジー化して管理している。これにより各部隊は常に攻撃しやすい目標だけと戦えばよいのであり、一つの敵に対し連係して攻撃が可能なのである。それは早い話、シミュレーション性が強い現実そっくりのロールプレインゲームができるシステムということである。

 コンピュータに記憶されている地図の中では、ルシファーという怪物が現れ、ドラゴンが徘徊しているのだからロールプレインゲームだと言われても仕方がないといえば仕方がなかった。なにしろ噂によれば、その地図の中では究極兵器がドラゴンソードになっているらしいのである。もちろん、これらは設計者が遊びで入れてしまった架空の兵器で現実には存在するはずもない。ケイ少佐は性格に少々真面目過ぎるところがあるので、公のシステムにそのような遊びがあると知って困った顔をしたが、MLAの技術者たちは技術力に関しては飛び抜けているので、巧みに隠されてしまっては彼女にはどうしようもないのが実情だった。

 ところが問題は他にもあった。良くできているとはいえゲームを創るにしてはあまりにも超高価過ぎるサーバコンピュータを使用しているのである。海上部隊事務局の予算を考えればとても使用料を払い切れるはずもない二台のスーパコンピュータ〈Cray CX1〉を使用しているのである。もっとも、クレイ社の十年分のスーパコンピュータのレンタル料を支払うべきリース会社が大異変後の人類後退とともになくなってしまったのだから、高価というのは実のところ意味がなくなっていたのかもしれない。もちろん、あとで請求されなければの話である。

 ただ、ゲームのロールプレイゲームでは怪物を倒しながら経験を積み重ねていき、最後にドラゴンを倒すことで、お姫様を助けるというハッピーエンドが待っているというのが筋であるが、どうやらこれはそうではないようである。怪物はグロテスクなわりに強すぎるし、倒すべきドラゴンはあまりにも多すぎる。何万頭といるのだ。なによりも、怪物ばかり相手にしていると、本当のお姫様からよけいに遠ざかってしまうのがMLAの技術者の大問題であった

 それでも、MLAの技術者たちは、いつもようにプログラムリストの山に囲まれながら帰る間も惜しんでデータバンク室に閉じこもって仕事をしていた。もっとも、MLAの総括を行なっているのがケイ少佐であるため、それほど悲惨な状態というわけではなかった。ある意味では優遇され、規律正しい軍にあって唯一フレックスタイム勤務を認められ、服装も節度あるものなら自由にラフなものを着ていても文句は言われなかった。

 この無秩序とも言える状態は彼女の整然としたデスクの上とは対照的なのではあるが、信頼しているからこそ認めている無礼講みたいなものであった。なにしろ、一見散らかり放題に見えるデータバンク室ではあるが、全員が誰の机のリスト上に何のマニュアルがあるのか、あるいは一見ちらかり放題に見えるプログラムリストでさえ正確に何がどこにあるのか知っているのである。ケイ少佐は口には出さないが、そのことについて非常に感嘆していて、半分諦め気味に「技術屋というものは、こういうものなのよ」と考えて納得するようにしていたようである。それでも用事があるとは思えないにも関わらず頻繁にデータバンク室に来るところを見ると、心のどこかで「危ない?」と考えているようで姉さん的存在の彼女にとっては心配になのであろう。

 肝心のスタッフの方はといえば、自分たちには恋人と金に縁などあるわけがないと悟りきってしまっているためにケイ少佐の気遣いにまったく気づいていないありさまだった。そんな自分たちの置かれた境遇に満足しているわけでもないのだが、それはそれで不思議とバランス的に安定しているようだった。

 そのようなわけで、ただ一人を除いてMLAの関係者はそれなりに落ち着くところに落ち着き、ポートブリッジ統合軍のコンピュータシステムは常時安泰だった。もちろん残る一人とはオランダ系の血筋をもつケイ少佐のことである。年間二千時間をはるかに越える労働時間に健康上良いわけがあるはずもないと一人で危惧していたのである。

 もっとも、MLAは最初からうまく事が運んでいたわけではなかった。MLAの名前が付けられる以前、大異変直後のまだMLというプロジェクト名の頃にポートブリッジ統合軍は民間に作戦決定支援システムを発注した。その時に提案者であったケイ少佐は当時士官学校卒業したばかりの少尉の卵で、導入のための競争入札により市内のあるメーカを選んだ。とっくに人類の生存地域は限られていたので、市内からしか選ぶことができなかったのである。結果は惨惨たるもので、1年たっても完成することなく失敗に終わった。そして、もう一度の入札により市内の別のメーカを選んだ。だが、結果は同じだった。世界はドラゴンやルシファーによって崩壊しつつあり、一地域のメーカにそんな力は残されていなかったのである。

 ケイ少佐は諦めかけていた。二度の失敗により予算は大幅に削減され、世界の後退はさらに進み、もう入札はできるわけもなかった。そんな時に彼女は和田継矢に再会した。和田には日本国海上自衛艦の輸送艦〈おおすみ〉に拾われて、トゥーロンに連れてきてもらって以来であった。

 和田は輸送艦〈おおすみ〉とともにドラゴン包囲殲滅戦に参加する陸上自衛隊の装備や車両を輸送してきたが、民間機で移動していた隊員が行方不明になったため、その捜索と車両の引き渡しのために日本に帰れなくなることを承知でトゥーロンに残っていたのである。

 ケイ少佐は二度の失敗に落ち込んでいる時で、コンピュータシステムに詳しいという和田にちょっと意地悪をしてみたくなった。自分の二度の失敗におよんだ問題を突然に彼に質問として浴びせかけてみたのである。今までのメーカの担当者であれば即答は得られずに持ち帰って検討してもらっていたのであるが、彼はその場でケイ少尉のノートに走り書きを始めるとそのまま答えてくれた。それは、正解だった。テクニカルマニュアルを広げて右往左往するわけではなく、彼は自分の記憶している知識だけで考えて答えたのだ。それも、パズルを解くように面白そうに答えていたのである。その様子を見て彼女は彼に興味を持った。今までの人とは違うことを感じていたのである。

 和田の頭の中はコンピュータのことでいっぱいだった。二人でまだ見ぬコンピュータシステムのことを話し合った。それはDRINCSと名づけられ、彼女のノートにはぎっしりとDRINCSの詳細なメモが書き込まれることとなった。その時である。彼女は彼が必要だと直感した。彼女は今まで独占欲など持ったことはなかったが、どうしても彼が必要であると考えたのである。

 それから何度か会って話を続け、彼女は確信を持つに至った。二度の失敗は、MLAの為の勉強だったと考えればいい。彼女は上司に直談判して、MLからMLAへ移行し、和田を迎えた。二度の失敗の後でもあり、最初は小さな汚い部屋で始まったMLAは、DRINCSの完成、さらに浸透とともに急成長をとげていったのである。そして、ケイ少尉は昇進を続け、いつしか少佐になり事務局内部でも注目される存在になったのである。それは彼女の影で目立たない存在であったが、和田の技術とその能力のおかげでもあった。だが、それは彼が充分に力を発揮できるように彼女自身走り回って根回しに骨を折ってきたおかげでもあった。おそらく、そのどちらが欠けても二人の今の地位はなかったに違いない。


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