ポートブリッジ統合軍基地内兵舎
坂井美春伍長は基地内の兵舎に移されていた。ビジネスホテル並みの最低限の設備すら整っているとはお世辞でも言えないような個室で、彼女にとっては独房を想像させるほどのものであった。そもそも、外界との接触が完全に不可能にされた部屋で、装飾性とか娯楽性とかいったものは皆無で極端な機能性重視のコンクリートの部屋であれば誰でもそう思うだろう。宿舎とは名ばかりで、軟禁されていることは明白であった。これでは、査問会は単なる通過儀式であって、最初から有罪であることを相手に意識させようとしているとしか思えなかった。
彼女は固定された窓から外を見ようと背筋を伸ばした。丁寧にも窓のすぐ外側にも塀がそびえ立っていた。幸いにもすぐに査問会への出頭命令が届いた。出迎えたのはアルテア・アルテミス少尉だった。
査問会が開かれる階に上がるまで、少尉は何も喋らなかった。実弾を装備した憲兵隊の兵士を従えて現れたのでは、坂井伍長にも余計な体力を使ってまでもおしゃべりをしようという気になれなかった。
「査問官に何を言うつもりなのです?」
沈黙を先に破ったのはアルテミス少尉だった。どことなく以前の尋問の時と接し方が違っていた。
「私は嘘なんて言ってないわ」
「いいですか? ここでは外の世界の脅威を忘れようとしています。外の世界を見ない、外の世界を聞かない、外の世界を話さないが半ば常識になっています。都合の悪いことには蓋をします。私個人はそれが完全な間違いとは思っていませんが、少なくとも査問官は今の偽りの平和を守ることにしがみつくでしょうから、査問会はかなりきついものになります。貴官の証言を隅から隅まで突っつき回し、突き崩そうとしてきます。でも、これだけは忘れないでください。もう、強力な味方を持っているのですよ」
「なんのこと?」
「最初に会った時に、いっしょにいた少佐を覚えていますか? そのケイ少佐があなたのことに強い関心を持っているようなのです。査問会という誰もやりたくないような仕事に志願してきたのですから」
「それが?」
「まだ、気がついていませんか。階級こそ海上部隊の少佐ですが、ケイ少佐はある特別な軍事作戦に対する権限を持っているのです。ですが、少佐はキャリアウーマンというようなタイプではありません。人を魅了するカリスマのようなものもあるわけでもありません。なんて言うか、もしも周囲の人たちに対し影響力をもつことが素質であるとするならば、それにもっとも当てはまる人なのです。トゥーロン・イエールが組織する安全保障理事会なんていうのはただの飾りですし、ここには地中海艦隊の司令部がありましたが、フランスの海軍基地にしか過ぎませんでした。陸海空軍と憲兵隊の四軍の参謀とか将軍というような上級将校は、十年前に他の基地からやって来て、そのままドラゴンとの実戦を経験することもなく居座っているだけです。前線部隊の兵士は、マニュアルどおりの将軍連中なんか、もちろん信頼していません。少佐が軍に入る前のことでしたが、少佐は英仏海峡トンネルで行われた軍事行動で状況に合った優れた判断力と行動力を見せて生き延びた経験をもっています。ですから、容姿から単なるアイドル的な将校に見られがちですが、実際には将軍達からも一目置かれているのです。信念を持たない将軍連中などに、まっしぐらに進み始めた少佐を押さえられるものではありません。もしも、現在の世界を救える人がいるとすればケイ少佐しかいないと自分は信じているのです」
「そんなことは、私にはどうでもいいことだわ」
「お願いだから、もっと自分を大切にしなさい。誰も貴官が憎いなんて考えていません。それどころか、ケイ少佐の根回しによって非常に便宜が図られているのですよ。トゥーロンでもイエールでも、不法侵入者はタルタロスとも呼ばれる劣悪な環境のイエール旧キャンプ場へ入れられてしまうのですからね」
「私は、不法侵入者ではないわ。援軍を求めに来ただけよ。いつまでも、ここにいようなんて考えてないわ」
「いったいどこへ行くというのです。まさか、他の場所で生存者がいるなんて考えていないでしょうね。ルテチアが生き残り続けていたのは別格だったのです。ルテチアが陥落したのであれば、ここで生きていくしかないのですよ」
二人は会議室に着いた。坂井伍長は憲兵隊の兵士に連れられて被告人席についた。既に関係者は集まっている。坂井伍長はアルテミス少尉の言った最後の言葉の意味を心の中で繰り返そうとしたが、ルテチアの思いが断ち切れるはずもなかった。
まず、フランクリン・シナトラ少将が自己紹介を行ない、この査問会がポートブリッジ統合軍の軍旗の権威と秩序の維持が目的であることを付け加えた。そして、自分が港湾防衛隊司令官であることを名乗ると、続けてジョルジュ・ジェラール航空部隊少将、ポーロ・モラン憲兵隊対外治安総局大佐、ルドルフ・フォン・シュバイツァー安全保障理事会委員長、ピエール・ルッキーニ衛生部サン・アン・トゥーロン軍病院院長、そして、セリア・ケイ海上部隊後方担当少佐と、査問官を次々と紹介していった。
最初の一時間は、坂井伍長の履歴の確認だけに費やされた。生年月日から始まって、家族の姓名、性格、学業の成績、軍の経歴などが詳細に報告された。そして、過去が洗いざらいに掘りつくされると、最後の作戦となったルテチア脱出の経緯が続いた。
不思議なことに供述書は好意的なものであった。ルテチアの壊滅、部隊の全滅を強調したものである。しかも、焼け落ちてはいるものの間違いえようもない〈デリンジャー〉の残骸が映った航空写真まで用意されていた。アルテミス少尉は、確かに残骸捜しに部隊を危険にさらせないと言っていた。今の世界では当然のことである。航空写真とはいえ、もしケイ少佐がそれを実行させたのなら、底無しの楽天家か天上知らずの慈善家である。しかし間に合わなかったという事実の前には、坂井伍長にはそんなことなどどうでもよいことであった。
坂井伍長は感情を現さずクールに聞いていた。友達も、ランドクルーザーの仲間も、みんな死んでしまっては無感動にならざるをえない。
供述書読み上げの後は、同じ質問の繰り返し、馬鹿げた推論、本筋そっちのけの言葉遊びが続き、坂井伍長は次第に飽き飽きしてきた。さらに、デリンジャー派遣部隊の話になると、坂井伍長は聞いていることも我慢できなくなってきた。我々はこんなことをしてもらうために危険を顧みず任務を遂行してきたわけではない。
「あなたがたの耳には栓でもしてあるのですか? 私を脱走兵に仕立てたいというのなら、それとも、私の仲間を侮辱したいのならあなたたちだけでやってください」
発言を求められていたわけでもないのに、坂井伍長は勝手に身体が動いてしまった。大声を上げたために査問会の進行が中断する結果となってしまった。集まっていた将軍たちは眉をひそめた。彼らの表情は好意のかけらもなく、微妙な政治的な駆け引きとつきあうほうに熱心なのだ。こんな連中を納得させることは、坂井伍長の手に負えるものではない。彼女は苦々しい思いをかみしめていた。
「坂井伍長、そこまで」
一人の女性将校が突然に立ち上がって、坂井伍長を制した。彼女は、ゆっくりとビデオ・スクリーンの前まで進んだ。その優雅なしぐさには覚えがある。最初の尋問の時に居合わせた女性将校に間違いはない。
「あの人がセリア・ケイ少佐?」
坂井伍長は黙ったままケイ少佐の一挙一足を見守った。
「私は彼女が嘘を言っていないと確信しています。いかがでしょうか、皆さん?」
将軍たちは苛立たしげな視線を彼女に向けた。
「黙れ!我々に命令する気なのか? 我々はすべきことはわかっているのだ」
「そうかもしれませんが、あなたがたは貴重な人材をつぶそうとしているではないですか? 坂井伍長の行動にはひとつのやましいところもありません。それどころか外界の貴重な情報を私たちにもたらしてくれました。ここに到着するには、彼女とその仲間の人たちは並ならぬ努力が必要だったと想像されます。ポートブリッジにたどり着いたのは彼女だけでしたけれども、賞賛さんに値こそする行動であり、責められるのは理にかなっているとは言えないでしょう。立場上とはいえ、このような査問会に参加している自分が恥ずかしいくらいです。むしろ今は、彼女のもたらしてくれた貴重な情報から今後の対策を検討すべき時でしょう」
室内が沈黙に包まれた。ケイ少佐は、将軍連中をちらりと見た。彼らは心の中で量りにかけているのだ。なにもなかったように帳尻を合わせるか、坂井伍長の貴重な情報を取って生き残る方法を見つけるか、である。
「いかがでしょうか? 裁定を下すのに必要な資料はすべて集まったと思います。査問会を閉会にして審議に入るべきだと考えますが……」
全員が暗黙でうなずいた。坂井伍長もなりゆきに安堵していた。特に、仲間のことをかばってくれたのが嬉しかった。
坂井伍長は憲兵隊の兵士に連れられて退室し、審議が終わるまでホールで待つように命令された。しばらくして、ホールにアルテミス少尉が入ってくるのを見つけて声をかけた。
「少佐に礼を言いたいのだけれど」
「それは、しないほうがいいですよ。賄賂を使おうとしたと思われて貴官の印象が悪くなるかもしれません」
「構わないわ。言いたい人には言わせておけばいいのよ」
アルテミス少尉は突然笑いだした。
「その必要もないのですよ。少佐には貴官のことがわかっているのですから。以前に会ったことがあるのではないですか? そんな気がしますよ。ただ、いずれ、あなたが直接礼を言う機会が訪れるような気がするのですよ」
「でも、驚いたわ。ケイ少佐の見かけって以外と少女の面影を残しているのね。だから、そのしぐさもあか抜けしていない可憐さがあったわ。それに、あの場には不似合いで一人馴染む気などなかったように見えたわ」
「そこが少佐の魅力なのですよ。彼女は駆け引きが下手で、世渡りも下手で損ばかりしていて、まるで汚れた大人の世界を知らない子供みたいな瞳をしているのですよ。することはまさしくそうなのですけど……。おっと、これは内緒にしておいてください」
その後、坂井伍長は自動販売機で買ったコーヒーを飲みながらアルテミス少尉に元気を出すように力づけられた。その試みが成功とはいえなかったけれども、そんな相手の心遣いには素直に感謝した。彼女は少尉に怒りをぶつけるような筋違いなことはしたりしなかった。
審議に時間はかからなかった。最後のよい流れが続いたのなら、時間がかかるはずもない。
「被告人、坂井美春は無罪。無罪とする。当査問会は審議の結果、ルテチア防衛軍伍長の坂井美春の行動を正当なものと確認し、なんら責任も問わないこととする」
坂井伍長は、声に出さないため息をもらした。
「被告人は、本人の希望があればポートブリッジ統合軍への編入を認める。ただし、被告人の精神は長期にわたる苛酷な状況下によって衰弱しているため、一週間の猶予期間を与えることとする」




