ポートブリッジ統合軍基地内海上部隊事務局
セリア・ケイ少佐はいつものようにポートブリッジ統合軍海上部隊の事務作業に追われていた。ケイ少佐は十年前に軍に志願してから、見映えが良い女性士官候補生ゆえに、次第に悪化する状況では戦場に立つこともなく、どちらかといえば軍の広報によく駆り出されることが多かった。それから十年の月日が流れると広報に駆り出されることもなくなり、ひたすら事務に追われる日々であった。
ケイ少佐のデスクは、後々に詳細を説明する理由により、データバンク室内のサーバラックを見下ろす中二階にある。二階を利用した吹き抜け構造の下一階と中二階の壁はガラス張りで、中二階からは下一階フロアの整然と並ぶサーバのラックを見渡すことができた。
データバンク室は性格上セキュリティが高くなるために、下一階フロアには窓がなく、しかも下一階フロアの荷物搬入出用の出入り口は常時閉鎖されており、データバンク室に入るには中二階と下一階フロアを接続する階段を使用しなければならなかった。もちろん、中二階に入室するには許可を受けたセキュリティカードが必要である。
ケイ少佐は、いつものように書類の査閲を行っていた。最初に手にした事案は、「アザヒポキサンチン」による食料生産に関する経過報告書である。実のところ、「アザヒポキサンチン」の食料増産はケイ少佐の偶然の功績によるものである。十年前にケイ少佐がトゥーロンに到着した際に来ていた服に付着していた泥から発見されたからである。その泥は、ケイ少佐の故郷に出現したフェアリーリング近くで付着したものである。現在の人類の危機をもたらしているフェアリーリングが、人類に生き残りに恩恵をもたらしている事実は皮肉以外のなにものでもなかった。経過報告書を斜め読みすると、サインをして机の隅に置いた。あとで、上官のディック・クレイグ大佐に責任者の承認をもらうために持っていくためである。
次に手にした事案は、お詫びと再発防止の報告書であった。ポートブリッジ統合軍では、Land-Based Phalanx Weapon Systemを開発中で、基地の敷地内で試射を実施した際の報告である。艦船に搭載する20ミリバルカン機関砲を牽引式低床トレーラーに搭載し、試射したのであるが、その試射音は基地中に響き、大ひんしゅくを買っていた。さらに試射の際に、上空に展開してあった阻害気球を誤って撃ち落としてしまったらしい。その報告書である。ケイ少佐は、ひととおり読み終えると、サインをして先ほどの経過報告書の上に置いた。
三つ目に手にした事案は、時空制御を行う極秘兵器に関する通達であった。時空制御の兵器〈トレッキーダイス〉は実用化され、過去に遡って衝撃を起こし時間の流れを変えるという兵器で関係者に周知されている。その通達によると十年前に発生した大異変は、この〈トレッキーダイス〉が使用された影響ではないかという説もあるが真実は不明とされていた。本当にそんなことが可能かどうかは別として、この世界では時間と天体の動きに関して、過去の延長線上にないことの証拠があがっている。そのひとつに大潮と滿汐の発生時刻が歴史上続いた暦と合わなくなっている。過去は過去、現在は現在と、それぞれの大潮と滿汐の周期が正しく発生しているにもかかわらず、過去と現在のつながりが切れているのである。それ以外の証拠についても、ケイ少佐は聞いたことがあったが、よく理解できなかった。〈トレッキーダイス〉は最高機密でありながら、彼女は立場上その実態を知りうる立場であった。そのため、本当の実態を知ったら、皆がどんな顔をするのか彼女には容易に想像できたが今は話すことができないので、それは将来の楽しみにするしかなかった。この通達もクレイグ大佐に持っていくための書類の上に重ねた。
最後の手にした事案は、久しぶりに外部からの訪問者に関する査問委員会の出席依頼である。査問委員会が開かれるということは、その訪問者が軍関係者ということであろう。査問委員会というつまらない会議が開かれることになり、海上部隊事務局の局長であるクレイグ大佐、あるいは、代理の者に出席を要請する文書である。弱いものいじめとしかいいようのない査問委員会に出席させられるなどクレイグ大佐も災難続きの人だなと、他人ごとのように、中身を見ることなく先ほどの書類の上に重ねた。すると中から1枚の顔写真が書類からはみ出してしまった。おそらく訪問者の顔写真であろうと思い、書類にきちんと綴じ直そうと引っ張り出した。
「この人は…」
ケイ少佐は訪問者の写真を見て、驚きのあまり手が止まってしまった。ある記憶が蘇ったからである。その記憶の女性とこの写真は、顔立ちから間違いなく同一人物であり、歳恰好がほぼ同じだった。しかし、ケイ少佐の記憶の女性は、十年前のことである。まるで鳥肌が立つような思いだった。決して見間違いではない。この訪問者がトゥーロンに来たのは、運命のようなものに引き付けられているのかもしれないとケイ少佐は感じた。
この写真の女性と会う必要がある。この査問委員会の出席者に自分が志願することにした。出席依頼には代理の者とも書かれているから、つまらない会議を交代してくれることに大佐から感謝されることはあり、反対されることはないだろう。
ケイ少佐は、書類の山をすべて持ち、クレイグ大佐に会うために立ち上がった。ケイ少佐はデスクの上の飲みかけのマグカップをそのままにし、上着を着込んでいた。きれい好きの彼女にしてはめったになく急いでいる証拠である。
途中、下一階が見えるガラス越にノックをして、サーバラックの合間で作業中の和田継矢中尉に手振りで席を外すことを伝えた。その際に、あとで話があることも手振りで伝えた。
和田中尉はサーバ作業に没頭しているようで顔すら上げることなく手を振っただけだった。それがいつものことだったので、あとで用件をつたえればいいと思い、彼女はそのまま廊下に出ると局長室に向かった。外部からの訪問者、それも日本人であるなら、十年前に派遣されてきた日本国の自衛隊の消息を知っているかもしれない。訪問者にいっしょに会いに来るように和田中尉に伝えようとしたのである。




