トゥーロン市内サン・アン・トゥーロン軍病院
坂井美春伍長は病室のベッドで目を覚ましていた。身体は鉛のように重く感じられ、弱々しかった。頭はなにかで殴られたように痛み、喉は渇ききっていた。ショックが大きく、自分が誰であり、どうして此処にいるのか記憶を探るのにかなりの時間を費やさなければならなかった。そして、自分があの混乱の中で生き残ったことを思い出して、やっと正気に戻った。
「喉が渇いたわ」
弱々しくしゃがれ声であったが、ひとつの意味を持った言葉として現すことはなんとかできた。若い看護師がモニターを通して心配そうに見下ろしている。
「気がついたのね」
身体のいたるところに貼り付けられたセンサーが坂井伍長の身体に起きているすべての変化をくまなく調べあげ、ベッドの横に置かれたモニターに波形として映し出していた。坂井伍長は無表情な思いでそれに目をやった。
「あの、なにか飲み物が欲しいのだけれど……」
坂井伍長の声は相変わらず擦れていて聞き取りにくい。
「まだ、口になにか入れる程、回復していないわ。今のあなたの身体はひどい虚弱になっていて、激しいおう吐を引き起こす可能性があるわ」
「ああ、それなら鎮静剤をいただけないかしら。頭が痛いの」
「あなたには、その必要もないでしょう」
看護師の声は快く、飽きのない母性的な響きがあった。
「それよりも、軍の関係者の人が会いたがっているわ。三分でいいから会ってくれないかしら? 目を覚ますのをずっと待っていたのよ」
「私が決めていいの?」
「もちろんよ、あなたは患者ですもの。あなたのことは先生の次ぎにあなたがよく知っているのだから。お世辞でも、あなたが元気だなんて言えないわよ」
坂井伍長はしばらく考えたが、彼女にもここの軍関係者に急ぎの用がある。ルテチアに援軍を連れていくという任務があるのだ。疲れているから休みたいというのは、同胞の命が助けられることが決まった後にしなければならない。
「わかったわ」
しばらくして、少尉の階級をつけた軍服姿の女性が入ってきた。服装から憲兵隊であることが分かる。
「どう、気分は?」
相手は無関心な表情を顔色ひとつ変えない。
「ひどいわ」
事実そうだった。こんな自分はあんまり人に見られたくない。
「私はアマンダ・キャンベル少尉です。ポートブリッジ統合軍の憲兵隊で働いています。回復されて心から喜んでいます」
少なくても最後の言葉は彼女の気持ちではないかと感じられた。
「ありがとうございます。でも、憲兵隊の方が私に何の用があるのか、解りかねますが……?」
「心配する必要はありません。本当に、なにもその必要はありません。ただ、伍長がどこから逃げてきて、我々の防衛識別圏内において、たったひとりでなにをしておられたのか教えて頂きたいのです。それが私の仕事ですので、どうか気を悪くなさらないでください」
坂井伍長は自分がなにかの容疑で疑われていることを直感し、ひどく驚いた。それは、あまりにも唐突に、しかも、無遠慮に彼女を襲ったので、目の前の現実を受け入れることができなかった。それほど衝撃的だったのである。キャンベル少尉の造り出す機械的な笑顔の中に、冷ややかな軽蔑心がちらりと見えるような気がした。
「私の所属したデリンジャー分遣隊はルテチア自治委員会から委託された防衛軍司令部により派遣されました。任務は強力な戦力を有する部隊と接触し、ドラゴンとの戦いに援軍を要請することでした。しかし、デリンジャー分遣隊は私を残して全滅し、救助されるまでさ迷っていたのです」
「伍長が所属していた分遣隊は、救援を求めるために来たと言うのですね。それを証明するものがありますか? たとえば、命令書といったようなものですけど……」
キャンベル少尉は、ほっとしているようだった。
「そんなものはありません。最後の戦闘の時、脱出するのが精一杯だったのです。生き残れたのが奇跡なくらいでした。とても命令書を持ち出す余裕なんて、その時にはありませんでした」
「そうでしょうとも」
「私が嘘を言っているとでも言うのですか。そう思うのならば、私が乗っていたランドクルーザーを見てもらえば信じてもらえます。ドラゴンに体当たりされて大破したうえに横転しました。誘爆から逃れるために脱出するのが精一杯でした。指揮官のカーン准尉を含めた全員が戦死したことを知って、私はドラゴンから逃げるために死に物狂いで逃げなければなりませんでした」
「伍長は指揮官の死を確認したのですね。しかしながら、伍長の乗っていたというランドクルーザーは報告されていませんし、今となってはその場所を特定することも不可能でしょう。たとえ、わかったとしても我々の部隊を危険にさらしてまでも調査に向かわせるわけにはいきません」
「なら、私にどうしろというのですか?」
キャンベル少尉は少しばかり自分の権限を越えてしまっているのに気づいた。ただ、病人の健康状態と彼女の身柄を憲兵隊で拘束する必要があるのかを確かめるだけでよかったのである。
「気持ちを害したのでしたら謝ります。少しばかり、配慮が足りなかったようです。ですが、今までの話はとても参考になりました。気分を落ち着かせるためにも、もう一回ぐっすりと眠られた方がよいでしょう。必要なら、睡眠薬を持ってこさせましょう」
「薬はいいわ。それよりも、援軍の話しは?」
「その話しは、今度、伍長が目を覚ました時に新ためて相談しましょう。私にはその権限がありませんので……。しかし、伍長が眠っている間にその話のできるように手を打っておきましょう。約束します。ですから、安心してお休みください」
そう言うと、キャンベル少尉は部屋から出ていった。




