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ドラゴンリング  作者: 半纏ボク
第肆章 坂井美春の憂鬱
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トゥーロン都市要塞沖〈ジャンヌ・ダルク〉艦内

 地中海艦隊旗艦である航空母艦〈ジャンヌ・ダルク〉は母港を離れつつあった。ルシファーに汚染されたトゥーロン都市要塞との接触を物理的に絶つことで、生き残る道を選択したのである。随伴艦はたった一隻の駆逐艦〈リッシュモン〉だけであった。駆逐艦〈リッシュモン〉の艦長は乗せられるだけの人を乗せるために出港をわざと遅らせていたが、ルドルフ・フォン・シュバイツェアー参謀本部長官の命令により、港を離れざるをえなかった。

 もはや、絶望と恐怖の叫びはトゥーロン都市要塞全域に広がっていた。数えきれない程の犠牲者たちの身体から流れる血しぶきによって、市内の下水設備は真っ赤に染まっていた。兵士だけでなく、女性も子供も悲鳴をあげながら蜘蛛の子を散らすように逃げまわっていた。既に防空戦闘指揮室は逃げ出し、組織的な軍事行動が見られなくなっていた。指揮の消失は混乱をさらに増長していった。

 いったいどれほどのルシファーが市内にいるのか全くの不明であり、確認する術はなかった。その数は時間とともに増え、絶望と恐怖の叫びは市内全域に広がり始めていた。航空母艦〈ジャンヌ・ダルク〉の艦橋からは、次第に遠ざかるトゥーロン都市要塞内で未だにいくつかの砲弾が飛び交うようすが見えていた。砲撃の音は市内のいたるところから聞こえてくる。住み慣れた街に砲撃の煙が立ち上り、建物が間引きされるように次々と崩れていった。その様子を航空母艦〈ジャンヌ・ダルク〉の水兵は呆然と見守ることしかできなかった。

 ルシファー。神に背いた天使の名前を与えられた生命体はフェアリーリングという時空のゲートから侵入した全く異質な生き物である。その生命体本体は菌糸の集まりで、そのすべてを殺さなければ復活してしまう。地球の粘菌に近い生態を有しているが、その生態は悪夢そのものであった。神が導いてきた生命の進化にまさしく背いた生物である。

 ルシファーの増殖時は人間などの動物に寄生するとともに爆発的に増殖する。一度でも寄生された動物は、まず助かる見込みはない。宿主の神経系を支配することで宿主の身体を自分の身体のように操り、さらに捕食を続ける。さらに始末が悪いことに、宿主の身体に重大な損傷があると、ルシファーは必要に応じて宿主の組織を再生することができる。その強力な修復機能は、宿主の元の身体の形態には関心がなく、自分の都合のよい形態、すなわち結果的に悪夢としかいいようのない継ぎ接ぎだらけの形態になってしまうのである。

 始めてルシファーの存在が知られたのは十年前である。同じようにフェアリーリングから侵入してきたドラゴンの存在が知られる直前である。いずれも大異変の直前にあたる時期である。

「世界のあらゆる国家は、ドラゴンとルシファーが人類共通の敵であることを認識し、銃を向ける唯一の相手であることを理解した。国際連合総会に参加するあらゆる国家および地域は、国境や人種、そして、宗教の違いを越えて、迫りつつある危機に全世界が一致団結することに合意する」当時の国際連合総会は方針を決定した。そして、その脅威ゆえにルシファーの存在をひたすら隠し、ドラゴンだけを大々的に敵として宣伝する方針を固めた。それは冷戦終結後の民族紛争問題を抱える国際連合総会において、始めて満場一致の賛成投票を得られたのである。

 国際連合総会の議決を受けて、北大西洋条約機構に所属する各国の軍隊を中心とした多国籍軍が フランス北部ル・ルーアン一帯に集結した。参加将兵は二百万人であり、火砲が四万台、戦闘車両に至っては五万台にも及ぶ地球上戦力の総力であった。いわゆるドラゴン包囲網作戦と呼ばれているものである。しかし、その作戦は戦わずして破局が訪れた。大異変に直撃され包囲網は破れることとなってしまったのである。もしもこの作戦さえ成功していれば、ドラゴンだけでも絶滅できたかもしれなかった。だが結果的にドラゴンが西欧を徘徊することを防ぐことはできなかった。

 それから十年たった今では国際連合どころか世界のどことも連絡はとっくの昔に絶えている。ドラゴンとルシファーは確実に人類を崖っぷちに追い込んでいた。そして、トゥーロン都市要塞も同じ運命をたどることとなった。

 トゥーロン都市要塞から遠ざかる原子力航空母艦〈ジャンヌ・ダルク〉は、市内に残る市民を置き去りにする以外に道はなかった。

 安全保障軍のほとんどの戦力とトゥーロン都市要塞に住む市民を置き去りにして作戦は終了した。安全保障軍に残されたのは地中海沖に停泊していた巡洋艦〈シャルル7世〉と港から脱出した二隻だけとなり、三隻の地中海艦隊がすべてとなった。脱出できた要人は、地中海艦隊乗組員以外ではシュバイツァー参謀本部長官とその側近だけであった。

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