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ドラゴンリング  作者: 半纏ボク
第参章 安全保障軍
32/154

トゥーロン都市要塞内内サント・ミュス病院

 安全保障軍の親衛隊から構成された特殊部隊は優秀であり、決して無能な連中の集まりではない。少なくとも、通報を受けてただちに出動し、サント・ミュス病院のすぐ近くでターゲットを捕捉している。市内に紛れ込まれる前に間に合ったのである。これこそ日ごろの訓練の成果であった。

 親衛隊はその敵に対して日々訓練を重ねていた。いつかは会敵することが予想されていた敵に備えて、いくつもの対策を想定していた。しかしながら実戦は初めてであり、想定した作戦がどこまで有効であるかどうかはわからなかった。少なくとも、狭い場所や入り組んだ場所、あるいは、人込みに入り込まれる前に捕捉し、殲滅しなければならない。

 ターゲットの名前はルシファー、神に背いた天使の名前をつけられた生き物は、人間世界を侵食し、留まるところを知らない勢いで爆発的に繁殖し続けている。動物に寄生する粘菌のような生き物と考えられているが、生態については研究対象としても危険であるため、全くわかっていない。

 宿主を操り、自らに都合の良い行動をとらせる寄生虫は地球にも存在するが、宿主は昆虫程度の小型生物に限られていた。ルシファーは宿主に大型生物を好み、脳内に都合よい神経発達を起こさせながら、捕食の新しい仕方を教え込み、他の生物に近づいたら仮捕捉手を開放するというような、2ステップで行動操作を巧みにしてると推測されている。さらに、ルシファーは誘引分子を分泌して互いにコミュニケーションしていることがわかっており、その誘引分子は光をほとんど反射しない特性があり、結果的に闇に紛れることがわかっている。十年前に国際連合の安全保障理事会が、閉鎖地域を設定し、戦力を温存した本当の理由は、ルシファーの脅威に対抗するためであった。

 ルシファーとの戦闘で効果のあったとされる報告は、十年前にカレーの英仏海峡トンネルでフランス共和国陸軍が遭遇した時の戦闘報告だけであった。民間人の協力により、ルシファーの生態を見切って脱出することに成功している。

 ここで対峙するふたつの生き物で有利なのはルシファーの方であった。カレーの戦闘では脱出するのが精いっぱいであったとされているが、今回は人が住む市内であるため完全に滅菌しなければならない。既にさまざまな武器と装備が試されていた。何百発もの弾、手投げ弾と続けて試してみたが、結果はどれもにたりよったりで何の役にも立たなかった。ルシファーはさらにおぞましい姿になり、あたり一帯に肉の腐る悪臭を充満させた。

「軍曹、我々はどうすればいいのでしょうか?」

 浮き足だっている兵卒が尋ねた。

「親衛隊に選ばれた誇りを忘れるな。援軍が来るまで、あいつを足止めにしておかなければならん」

 正直言って、軍曹は今指揮をとるくらいなら銃殺された方がましかもしれないと考え始めていた。

「動きがあります。こっちへ来る気です」

「散開してネットを使う。たとえ武器が効かなくても、動きなら封じ込めることができるはずだ」

 軍曹は部下に手で前進するように合図をした。親衛隊の兵士が慎重に接近し、大きくネットを前に広げて身構えた。このネットは強靭な繊維でできており、相手の行動を束縛することができる。もし必要なら特殊な膜で完全に覆ってしまうこともできる。彼らはルシファーをネットの中に追い込もうとじっと身構えた。

 「シゥーッ、シゥーッ」と音をたてながら近づくルシファーにネットを支えている兵士の手は汗ばんだ。息を殺してじっと相手の様子をうかがう。そして、ネットに手ごたえがあった。

「今だ、引っぱれ!」

 親衛隊によってネットが勢いよく両端に引っ張れ、その直後に別のネットが包み込むように広げられた。ルシファーが危険を本能で悟り、金切り声とも思える高い声を発しながら暴れまわった。すさまじい力で引きずりこまれそうになり、思わず何人かが手を放してしまった。

 ルシファーはネットを引きずりながらも力任せに動こうとしている。ネットの上からルシファーに銃撃が浴びせられる。銃撃はなんの効果もなかったが、ネットがなにかの障害物に引っかかったようである。身動きが取れなくなったルシファーが再び悲鳴のような甲高い声をあげて、駄々っ子のように激しく暴れ始めた。それにつれてネットがものすごい勢いでのたうち回る。最後までネットの端をつかんでいる兵士がつんのめった。

「巻き込まれるぞ、ネットを放棄。くそっ! ネットなどなんの役にもたたん。こんなもので対処しろと考えた奴を銃殺してやる」

 軍曹が毒づく。ネットの繊維が引き裂かれる音がいくどとなく聞こえてくるのだ。ネットはあくまでも机上で考え出された対ルシファー用の武器である。ルシファーは粘菌のような生物であるため、餌がなくなると移動体に変異し、いずれ子実体とよばれる植物に似た形態になる。子実体であれば危険は少ない。つまり、ネットで覆い尽くし、餌を断つことで子実体になるまで封じ込めようという発想で造られているのである。効果の出るまでなんとも時間のかかる武器であるが、それ以外に有効な手段がみつからなかったのである。

 念のために補足しておくが、子実体は胞子を飛散させるための形態であるため、胞子が生き物に付着し、発芽したとたんに捕食を始めるので、再び危険な存在になる。しかも、飛散した胞子の数だけ、ルシファーが生まれるから、これはこれで非常にやっかいである。

「次は、焼夷手榴弾を試そう」

 軍曹はラインレッドに塗装された缶を取り出した。焼夷手榴弾の燃焼温度は約二千度にもなり、鉄骨でさえも溶かすことができる。もともとの用途は鉄条網やバリケードなどの構築物の破壊であるが、射撃のダメージに効果がないルシファーにさえも有効な武器に思えた。実はルシファーに対してネットが推奨されていたのには理由があった。焼夷手榴弾は、見た目も派手があり、効果がもっともありそうであったが、効果時間が短いという欠点があるのである。

 全員を下がらせると軍曹自身も物陰に入り、そこから命令した。焼夷手榴弾は、溶鉱炉に溶ける金属を思わせるような火柱を上げ、ルシファーを襲った。しかし、火柱はすぐに収まってしまう。結果的にルシファーの身体の一部を焼いただけであったが、死体からもぎとっていた手足は修復不能まで使えなくなったようである。アメーバに近い状態にまで退化している。

 親衛隊は時間を無駄にするようなことはしなかった。弱っていると判断し、直ちに接近して火炎放射機から発射された燃え上がるナパーム液の帯がルシファーを捕らえた。

 しかし、それでも終わらなかった。炎に包まれたルシファーは自分の身体を次々と引きちぎってなんとかして炎から逃れようとしていた。そのうち、真二つに裂けたかと思うと中から緑色のゼリー状の物質を飛散らし始めた。火によって内部圧力が高まった細胞が破裂しているのである。

 怒り狂った怪物は下水溝に沿って炎から逃れた。親衛隊からは煙がひどくてどこに逃げたのか見失う結果となってしまった。ルシファーは水の中を泳げない。アメーバ状態まで追い込まれた状態では、遠くまで移動することも不可能である。確実にルシファーを追い込んでいた。

 ルシファーの移動先は、すぐに判明した。後方に自分たちが乗ってきたAravis兵員輸送車が傾いたからである。誰もがタイヤがパンクしたものだと思った。しかし、使用しているタイヤはエアレスタイプであるためパンクは起きるわけがない。

 続いて装甲が紙のように曲げられた。誰が合図したわけでもないのに、全員がAravis兵員輸送車から離れた。そして、次の動きを見守った。そう、見守るのが唯一できることだったが、正解であった。車内が粘液のようなもので濡れている。Aravis兵員輸送車内の隙間に潜んでいるに違いない。武器を搭載した車内であれば隙間が多くて隠れやすいとでも思ったのだろう。しかし、武器は武器である。潜んでいた場所は、人間にとって有利である。

「もう一回、焼夷手榴弾を試す。Aravis兵員輸送車ごと焼き払う」

 再びラインレッドに塗装された焼夷手榴弾を取り出し、Aravis兵員輸送車の隙間から中に投げ込んだ。積んであった弾薬が誘爆し、車体の装甲が内部からむくれあがった。ガソリンにも引火し、Aravis兵員輸送車は火だるまになった。弾薬の誘爆が収まることなく、車内でパンパンと誘爆しているのが聞こえた。炎は次第に強さを増し、車体は黒焦げとなり、車内の備品が溶け出していた。装甲の隙間から内部の炎が噴き出すまでに燃え上がっていた。

「やったのか?」

 親衛隊は、これでルシファーを焼き殺したと考えた。しかしながら、ルシファーは芽胞という極めて耐久性の高い細胞構造に変化することで死を免れていた。自分に対して極めて危険な環境に置かれた場合に芽胞を形成し、遺伝子の複製した片方を分配することで生き残ることができる。しかし、芽胞の状態ではルシファーは新たに分裂することはできず、その代謝も限られているため、人間にとっては安全となる。しかし生き残った芽胞が増殖に適した環境に置かれると、芽胞は発芽して再び通常の増殖・代謝を行い始める。もちろん、芽胞の状態になった時点で、今まで獲得してきた宿主の身体の組織は失われるため、菌糸の状態からの活動の再開となる。

 ルシファーを芽胞まで追い詰めたにもかかわらず、親衛隊は最後のとどめを見逃してしまった。それは致命的なミスであった。トゥーロン都市要塞では、行政機能の不振により、市内いたるところが不衛生な状態であり、鼠が徘徊するありさまであった。この現場にも、焼け焦げた肉片の匂いに引き付けられた鼠がまさに姿を見せていた。そう、ルシファーは鼠にも寄生することができるのだ。


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