トゥーロン都市要塞内和風居酒屋《和気藹々》
坂井美春伍長は自分が置かれた現実を冷静に受け止めるようになっていた。ルテチア防衛軍から受けた命令は忘れざるを得なかった。しかし、彼女にそんなことが納得のいくはずもなかった。機会があればいつでもルテチアに戻るつもりでいたが、今はその準備もなく機会を待つしかなかった。
幸か不幸か、配属された地中海艦隊には少なからず自由があった。ここは安全保障軍の中でも反体制派の将兵の集まりというだけあって、市内に満ちている相互監視というような暗い印象はなかった。特に坂井伍長の乗船する駆逐艦〈リッシュモン〉で知り合った和田継矢伍長は、同じ日本人ということで意気投合することができた。そこでルテチアのことで相談することを思いつき、市内のラビラント地区にある和風居酒屋〈和気藹々〉で話をしていた。
もっとも二人に名案など出るわけもない。「トゥーロン都市要塞の外に未だに生き残っている街があるとは驚きだよ」和田伍長はただ感心しただけであった。ところが、話はルテチアを脱出したデリンジャー分遣隊の末路になると、突然に彼は椅子を跳ね飛ばして立ち上がり、明らかに動揺したようだった。
「話してください。デリンジャー分遣隊にいったい何が起こったのですか?」坂井伍長の肩を力の限り揺すった。何か心当たりがあるのだろう。「話してください。あなたが考えている以上に大変なことなのかもしれないのです」
坂井伍長にとっては非常に辛い思い出である。誇らしげな活躍でなく、仲間を失っていく逃避行である。気がすすまなかったが相談にのってくれた感謝もあり、彼女はトゥーロン都市要塞に来て始めてその話をする気になった。
「私の考えでは、たちの悪い生き物に襲われたとしか考えようがないわ。結局正体はわからなかったけれども、何人もの仲間がその生き物の毒にやられたのだと思うわ。原因不明の昏睡状態に陥って、その毒が次々と感染していったわ。口にできないような悲惨な最期を迎えた人もいたわ……」彼女はしばらく想いにふけり、それをどう表現したものかと考えているようだった。結局自分なりの感想をつけることで、少しでも雰囲気を理解してもらおうと考えた。「今考えても身震いするわ」
話を聞き終えた和田伍長の顔が見たことのないほどに硬張っていた。彼は体を震わせ、ひとりでなにかについて考えているようだった。本来であれば辛い話をしている坂井伍長の方が体を震わせるのであるが、和田伍長のあまりの変化に呆然とするばかりで、いつしか見守る側になっていた。
「ルテチアのことは忘れたほうがいいようだ」
今までの彼の親切な態度が、急にぶっきらぼうになっている。無責任に問題を投げ出してしまったようにも見えた。
「和田伍長まで、そんなことを言うとは思ってもいなかったわ。はっきり言って失望したわね」
坂井伍長はむっとしたようだった。
「頼むから、落ち着いて欲しい。これから言うことに、きっと心あたりがあるのではないかと思う。一度しか言わないからよく聞いて欲しい」彼が緊張のあまりにつばをのみこんでいる。そして、ゆっくりと口が開いた。「化けるのだ。人間が人間でなくなることに心当たりがあるはずだ」
一見謎かけのようにも思える説明だが、坂井伍長にはずばり思い当たることがあった。嫌が上にもワイマン伍長のことが頭に浮かんだ。
「どうして、それを? でも、……。でも、きっとこの話は信じてもらえないわ」
「話があまりにも現実離れしているから他人には信じてもらえないと思った? 本当は自分自身が信じていなかったのではないかな? しかし、その話を俺は信じことができる」
それはずばり的をついていた。
「わかったわ。話すわ」坂井伍長はワイマン伍長に向かって発砲したことを思い出した。はっきりと覚えている。「デリンジャー分遣隊にはアルバート・ワイマン伍長という人がいたわ。でも、彼は人間ではなくなったのよ。そう、なにかに憑かれてしまったみたいに化け物になってしまったのよ。まるで映画に出てくるゾンビみたいになってしまったのよ」
あの時は、とっさのことで何が起きたのかわからなかった。常識的に信じられないことだけに、今まで考えようとしなかっただけである。しかし、今落ち着いて思い出してみると、とても考えられない行動をワイマン伍長がとっていたことを思い出した。その時、彼女の本能はただならぬ気配を感じとり、彼がワイマン伍長でなくなっていることに気づいていたのかもしれない。だからこそ発砲できたのである。
「実は敵性生物はドラゴン系の生物だけではないらしいのだ。もっと厄介な敵がいるのだ。十年前のある任務で少し聞いただけで詳しいことは知らないが、国際連合の安全保障理事会が対抗策を必死に探していたようだ。安全保障軍の上層部は、ひたすら隠し続けているが、確かにそれは存在する。それがワイマン伍長と関係があるのだと思う。生き残れたのは、よっぽど運がよかったと思う。せっかく助かった命をなにも粗末にすることはないだろう。少なくとも、その時が来る知らない方がいい」
その後は、坂井伍長が質問責めにするにもかかわらず、彼はそれ以上に決して何も語ろうとしなかった。




