トゥーロン都市要塞軍港〈リッシュモン〉艦内
トゥーロン都市要塞内の市街地では、キャンプの騒乱など全く関係などないかのようにいつもの平静さが保たれていた。目に見えない境界は見事に機能していて、一見平和そのものの街に見えていた。
街のいたるところにシュバイツァー参謀本部長官の肖像画があり、市民のほとんどが安全保障軍の腕章をつけていた。腕章は安全保障軍の下部組織である市民防衛隊に入っている証なのだ。市民防衛隊とは名前だけのもので、実態は市民ひとりひとりを監視し、シュバイツァー参謀本部長官に従わない人間を親衛隊に密告するための組織にほかならない。子供たちでさえ軍の制服に憧れ、自分の手柄のためには親であっても密告することもあった。
坂井美春伍長は精神安定剤の投与を行っていた。彼女は安全保障軍の地中海艦隊所属の駆逐艦〈リッシュモン〉に編入されていた。地中海艦隊は反体制派の島流し場所として利用されているようだったが、処罰を、免れただけ幸運だったといえる。たとえ、飾り者の英雄でも一度持ち上げてしまったからには簡単に切り捨てるわけにもいかないようだった。
だが坂井伍長の勤務する駆逐艦〈リッシュモン〉の狭い艦内では嫌が上でも考える時間が多くなり、ルテチア脱出の記憶がよみがえるため、非常につらく落ち込むばかりであった。だから、できるだけ艦内にいる時間が多くなることを避けていた。
軍には残っているものの仲間は全員死んでしまったのだ。もはや守るべきものは何も存在しなかった。坂井伍長は感情が欠落していた。それは無理もなかった。彼女は男物のジャンパーと疲れたジーンズをはき、両手をポケットにつっこんだまま、街頭の壁面スクリーンがわめき立てているさまをぼんやりと眺めていた。写し出される宣伝に興味があるというわけではなく、ただ頭の中を空っぽにできるからだった。
スクリーンは華やかなドレスを身にまとった女性を写し出していた。この女性は、きっと、この街から一歩も外に出たことがないのよ。彼女は皮肉を込めてそんなことを考えたりしていた。
それにしても、大異変後の十年で世界はすっかりかわってしまった。
「いったい、この世界はどこへいこうとしているのだろう? この世界は一見混乱の局地に立たされているようだけれども、そうではないはず……。フェアリーリングとその侵入者であるドラゴン、そして北大西洋条約機構軍を壊滅させた大異変には何かつながりがあるはずだわ」
それは、まさしく坂井伍長が考え続けていたことだった。しかし、以前にもましてジグソーパズルはめやくちゃに散らばり、彼女に整理することなど到底不可能だった。ただの一兵卒の自分にわからなくても、指導者たちは何か知っているのかもしれない。だが、ここの安全保障軍の幹部は狂人の集団としか思えなかった。彼らに世界の未来を期待するというのは無謀以外のなにものでもない。
トゥーロン都市要塞の市民はシュバイツァー参謀本部長官に酔っている、あるいは、怯えているかのどちらかである。酔っている者は盲目だし、怯えている者は外の地獄よりも内の狂気から身を守る方に専念してしまっている。外の本当の危険を見落としてしまっているのだ。だが、時がくれば本当の危険は狂人たちを簡単に一掃してしまうことだろう。坂井伍長にはそれがよくわかっていた。でも、その時がくるまで知らないでいたほうが幸せというものである。




