トゥーロン都市要塞外キャンプ野営地
トゥーロン都市要塞。それは都市であるとともに、安全保障軍の最大にして唯一の基地でもあった。さしずめ、中世の要塞都市を連想させるに充分なものであった。はたして都市要塞ということばが適切であるかどうか不明であるが、少なくとも極端に間違っているようにも思えないので都市要塞ということで間違いないだろう。
フランス共和国の地中海艦隊の基地にしかすぎないトゥーロン海軍基地が、国際連合安全理事会の長期的な視野から導かれた計画にもとづき、隣接するトゥーロン市内とともに要塞化の工事が進められた。それはドラゴン包囲戦に破れる以前から非公開に実施されており、単なる要塞ではなく、持続可能とするために、軍基地だけでは不足する機能を補うためのビッグプロジェクトであった。軍基地と共存していくための人材的な資源や兵器を生産するための工業力を有し、さらに、世界に平静を取り戻した時の再出発するための民間人の拠点になるというものだった。
そのトゥーロン都市要塞は、オランピア行政地区を中心に、防空管区によって再整理された旧市街地区を除けば避難民が収容されている臨時のキャンプ野営地が連なっているだけである。キャンプ野営地は通称タルタロスと呼ばれる行政外地区である。そこは大異変とその後の戦火によって、家と職を失った人たちの避難民の収容施設である。
施設と言えば聞こえはいいが、その実体は無秩序な混沌とした小屋の集まりでしかなかった。ここでは子供が腹を空かして泣き叫ぶ声が一日中絶えることはない。十分な栄養を取れない子供を中心にジフテリアの感染が広がっていた。さらに、身寄りのない死体が放置されたままで、蠅と死臭がまんえんしていた。満足な医療施設もないため栄養失調のため死んでいく人は後を断たなかった。
キャンプに住む人たちは、軍関係者でなければ定職に就く機会も与えられず、当局の配給によってかろうじて生きながらえている状態だった。誰しもが生きていくことだけで精一杯であり、他人のことなどキャンプでは無関心なのが常識になっていた。
軍中心の社会において、経済の流れが破綻するのは避けられないことであった。貴重な生活物資は、軍関係者や支配階級にのみ独占され、社会全体に経済が正しく循環することはなかった。そのため、キャンプは犯罪と暴力によって支配されるスラムと化してしていた。
慢性的な食糧不足と窮屈で不衛生な住居に、爆発寸前の不満が避難民の中に満ちているのは明白な事実だった。それは次第に、トゥーロン都市要塞の中央で保証された生活を悠々と送る軍関係者たちとキャンプの中で地獄のような生活を強いられている人たちとの対立関係を生み出しはじめていた。
運よく、なにかしらの特技があるものは、キャンプから出て軍のスペシャリストとして保証された生活を手に入れることができたのであるが、それは本当に限られた人だけだった。
もちろんキャンプの誕生初期の頃から、このような状態になっていたわけではなかった。最初は、トゥーロン都市要塞全体が難民に対して同情的であった。しかし、避難民問題が長期化するにつれて、貴重になりつつあった生活物資の割り当ての分配や、次第に多発するようになった犯罪に、嫌気がさすようになったのである。さらに、このころに安全保障軍として権力を増大しつつあったルドルフ・フォン・シュバイツァー参謀本部長官によって弱者排除という方針が決定されてからというもの明暗は確定した。
一年を通して空を覆い続ける雲により穀物の慢性的な不足が続くトゥーロン都市要塞では、シュバイツァー参謀本部長官が推し進める徹底的な配給制度が、彼の体制をさらに強化する結果となっていた。政敵には理由をつけて配給の停止をちらつかせることで権力を牛耳っているのである。心の中では良識を持つ人間もいたが、誰も安全保障軍には逆らえなかった。
現在ではシュバイツァー参謀本部長官を支持する声だけが聞かれるようになり、それはそのまま避難民を疎んずる風潮を生み、避難民らを収容キャンプに閉じ込めて境界線を引いてしまった。このような経緯により、キャンプは野営地のままであり、行政のおよばない地区のまま取り残され、通称タルタロスと呼ばれるようになった。行政のオランピア地区やプラントのあるデメテール地区に合わせるかのように、古代ギリシア神話からゼウスがティターン一族を忌み嫌って追放した場所の名前が別名として定着してしまったのである。
それでもキャンプには自治組織があった。まだ知性と良心を備えた人間が、キャンプにもわずかに残っていた。トゥーロン都市要塞の当局との唯一の窓口である。だが、あまりにも多くの問題が山積にされ過ぎていた。キャンプのバランスを戻すことは、もはや不可能なことは誰の眼にも明白なことであった。
キャンプの組織の代表者であるビンセント・マクネアーは、トゥーロン都市要塞の安全保障理事会から戻ってきたばかりのところだった。
避難民のグループのいくつかがデモをおこし、警官と衝突を起こしたのである。騒ぎは次々とキャンプ中に広がり、ついにはトゥーロン都市要塞の行政機関直属の組織である安全保障理事会の持つ安全保障軍憲兵隊の介入まで引き起こしてしまう大事件にまで発展してしまった。その後処理に関する問題のために、彼は理事会に出頭していたのだ。
デモの原因となった事件は、とても些細なことに過ぎなかった。正確には些細なことというよりは、日常絶えなくなっていることである。キャンプの子供の一人がトゥーロン都市要塞で仕事をしたにもかかわらず、身分が証明するものがないということで賃金をもらえなかったのである。立場が弱いことを理由に、虐待されることが決して珍しいことではなくなっていた。
マクネアーは安全保障理事会から物資の割り当ての保留を警告されていた。もしも、それが実現されたら、さらに多くの衝突が発生することは避けられないことになるだろう。今回のような安全保障軍憲兵隊を介入させるような騒動は、トゥーロン都市要塞との対立の激化につながってしまうために、彼は絶対に避けなければならないことを十分に理解していたが、手のつけられる状態ではなかった。




