トゥーロン都市要塞内サン・アン・トゥーロン軍病院
坂井美春伍長は病室のベッドで目を覚ましていた。身体は鉛のように重く感じられ、弱々しかった。頭はなにかで殴られたように痛み、喉は渇ききっていた。ショックが大きく、自分が誰であり、どうして此処にいるのか記憶を探るのにかなりの時間を費やさなければならなかった。そして、自分があの混乱の中で生き残ったことを思い出して、やっと正気に戻った。
「喉が渇いたわ」
弱々しくしゃがれ声であったが、一つの意味を持った言葉として現すことはなんとかできた。若い看護師がモニターを通して心配そうに見下ろしている。当直の看護師である。
「気がついたのね」
身体のいたるところに貼り付けられたセンサーが坂井伍長の身体に起きているすべての変化をくまなく調べあげ、ベッドの横に置かれたモニターに波形として映し出していた。彼女は、無表情な思いでそれに目をやった。
「あの、なにか飲み物が欲しいのだけれど……」
坂井伍長の声は相変わらずかすれていて聞き取りにくい。
「まだ、口になにか入れる程、回復していないわ。今のあなたの身体はひどい虚弱になっていて、激しいおう吐を引き起こす可能性があるわ」
「ああ、それなら鎮静剤をいただけないかしら。頭が痛いの」
「あなたには、その必要もないでしょう」
看護婦の声は快く、飽きのない母性的な響きがあった。
「それよりも、軍の関係者の人が会いたがっているの。とても急いでいるみたいだったわ。それから、叔母心から忠告しておくけれども、軍の人と会うときはできるだけ気にいられるようにしておいた方がいいわよ」
「どうして?」
「それは、あなたが英雄としてテストされるのですもの。もし、英雄として失格ということにでもなれば、すぐにでも収容所に送られて強制労働につかなければならなくなるわ。そこは、とてもひどいところだそうよ。まず、生きて出ることは不可能だわ」
坂井伍長はしばらく考えたが、彼女の方にもここの軍関係者に急ぎの用がある。ルテチアに援軍を連れていくという任務があるのだ。疲れているから休ませて欲しいというのは、同胞の命が助けられることが決まった後にしなければならない。
「わかったわ」
しばらくして、少尉の階級をつけ威圧的な軍服に身を固めた女性が入ってきた。
「どう、気分は?」
相手は無関心な表情を顔色一つ変えない。
「ひどいわ」
事実そうだった。こんな自分はあんまり人に見られたくない。
「私はアマンダ・キャンベル少尉。トゥーロン安全保障軍の憲兵隊広報部の者です。と、言っても、あなたにはわからないでしょうが、回復されて心から喜んでいます」
どことなく刺々しさがあったが、少なくても最後の言葉は彼女の気持ちではないかと感じられた。
「ありがとう。でも、広報部がわたしになにか?」
「心配する必要はありません。本当に、なにもその必要はありません。むしろ、英雄を迎えることができて我々は喜んでいるのです。我が身を犠牲にして仲間のために最期まで戦う、何という立派な英雄でしょう。我々は、そんな英雄を捜していたのです。あなたの武勇伝をニュースで絶賛することによって、兵士の指揮がより高められることになるでしょう」
それは、あまりにも意表をつくことだったので坂井伍長をひどく驚かせた。彼女は自分がなにかの宣伝に利用されようとしていることを直感し警戒心を持った。キャンベル少尉の機械的な笑顔の中に計算された計画を持っているのは確かなようだ。
「私の所属したデリンジャー分遣隊は、ルテチア防衛省から委託された軍司令部により派遣されました。任務は強力な戦力を有する部隊と接触し援軍を要請することでした。しかし、部隊は私を残して全滅し、救助されるまでさ迷っていたのです」
「ルテチアでのあなたの任務は終わりました。そして、その輝かしい戦績によってトゥーロン安全保障軍によって英雄として迎えられるのです。全兵士の見守る中で参謀本部長官閣下から勲章を授与されるのです」
キャンベル少尉は、その場を想像して陶酔しているようだった。
「何を言っているのか解らないわ。私は援軍を求めているだけよ。勲章なんて、どうでもいいわ」
「そうでしょうとも」
「事態は急を有します。すぐに援軍を派遣するように検討して下さい」
「援軍の派遣はありません」キャンベル少尉は少しばかり自分の権限を越えてしまっていることに気づき、自分を制した。今回の訪問は病人の健康状態を確かめるだけでいいはずであった。キャンベル少尉の計画では大々的に目立つようにしなければならないため、綿密なスケジュールが必要だったからである。「何が気に入らないのかわかりませんが、気持ちを害したのでしたら謝ります。ですが、今までの話は素直に喜んでいいのです。気分を落ち着かせるためにも、もう一回ぐっすりと眠られた方がよいでしょう。必要なら、睡眠薬を持ってこさせましょう」
「薬はいいわ。それよりも、援軍の話は?」
「その話は、今度、あなたが目を覚ました時に新ためて相談しましょう。私にはその権限がありませんので……。しかし、二度とそんな話をしない方が、あなたのためでしょう。これは忠告です。今は何もかも忘れて休養することが大切でしょう」
そう言うと、キャンベル少尉は部屋から出ていった。その後ろ姿を見とどけながら、坂井伍長はキャンベル少尉が言っていた言葉の意味を読み取ろうと考えていた。これから自分の身に起こることに大きな不安を感じずにはいられなかった。




