フランス南東部トゥーロン郊外
マルセイユに着けば生存者がいるかもしれない。マルセイユには八十五万人の人間がいたのであれば、ルテチアに生存者がいたように、マルセイユにも生存者がいるかもしれない。坂井美春伍長は力を振り絞って砂漠を歩き出した。マルセイユを見渡すことができるノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院のある丘が見えれば、それを目指せばいいはずである。ほとんど錯乱していたが、なにも考えず、なにも躊躇せずに、唯一の助かる道を模索していた。
ときどき砂漠化した大地の砂に足をとられてはつまずいた。その度に体力が奪われ、彼女の意識が弱まった。夢遊病者のように立ち上がっては、再び歩き続けた。だが、死の淵は着々と彼女に忍び寄ろうとしていた。彼女は息切れし肺が痛くなっても、ひたすら歩き続けていた。
そうすることによって、〈デリンジャー〉から少しでも離れることができるとともに、生き残りがいるマルセイユにも近づく。そうすることで死の恐怖からできるだけ遠ざかることができるような気がした。だが、ついに疲労の限界をこえると、あえぎながら倒れ込み、立ち上がることができなくなった。もう、動くことはとてもできそうにもなかった。
夜が明けて周囲が白み始めると、自分は南に向かっているのではなく、東に向かっていたことに気が付いた。明るくなって目の前に見えた丘は、ノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院のある丘ではなく、モン・ファロンであることに気付いたからである。いつまでたっても、地中海が見えてこないわけである。こんな最悪の時に方角を間違えていたことに気付き、ついに心も折れてしまった。
「私の最期を見とどけてくれるのは、砂漠と厚い雲におおわれた空のようね」
いよいよもうだめだと覚悟を決めた彼女の独り言だった。流れる雲をぼんやりと眺めながら、〈デリンジャー〉の乗員の顔をひとりひとり思い出していた。そして、〈ライオット〉の乗員も……。
そういえば、アルバート・ワイマン伍長にいったい何が起こったというの?
それからどれだけの時間がたったのだろうか、遠くからディーゼルエンジンの特徴的な音が聞こえてきた。その音はあまりにも微かだったので、最初は耳鳴りだろうと決めつけていた。いったい、こんな砂漠同然のところに誰がいるというのだ。
しかし、その音は意識が遠くなろうとする彼女に、次第に無理やり割り込んできた。それは現実だったのだ。なにかが動いていた。彼女は視野の中に音の源をとらえようとしたが、身体は消耗しきっていた。彼女は残っていた最後の力を振り絞って、サバイバルキットから信号弾を打ち上げることが精一杯だった。それは意識が遠のくまでのわずかな時間に、まばゆいばかりの閃光を空に点灯することに成功した。その閃光を見守る彼女にとっては、まぶたの奥に焼き付いてしまう程に強く、そして、希望の灯火のように思えた。
エンジンの音は彼女の期待を承知してでもいるかのように、ゆっくりと進路をかえたようだった。遠くからでも白く塗られた車体に国際連合の作戦に所属する部隊であることを示すマークが見えていた。ルテチア防衛軍ではないことが、彼女にもすぐにわかった。心の中で助かったという安堵感に、彼女の張り詰めていた緊張がほぐれた。友軍を見つけたという高揚感に満たされると、安堵のためそのまま意識を失ってしまった。
(第弐章へ続く)




