フランス南東部マルセイユ郊外
出発時には、デリンジャー分遣隊はランドクルーザー二両以外にも戦車一両、装甲車二両を含む五両で構成されていたが、もはやランドクルーザー二両のみが残されていた。最初の目的地であるフランス南東部の地中海沿岸都市であるマルセイユの郊外まで近づいていた。ルテチアを出てから、七百五十キロほどの道のりを進んでいることになる。マルセイユはかつてフランスの第二の都市であったため、ルテチアで生存者がいたように、マルセイユでも生存者がいる可能性は考えられる。その答えはすぐにわかるであろう。しかし、マルセイユに入城する前に、小型のドラゴンと遭遇してしまったため、今は全力で逃げなければならなかった。
「地上レーダーの反応に、かわりはありません。追跡されています。しつこいですね」
機関士席についていたスーザン・ガルシ伍長が報告した。機関士席には、普段はレイモンド・コリンズ軍曹が座っているが、ドラゴンとの出会いがしらの接触による損害を確認するために後部カーゴへ移動していたため、交代していたのである。「先程の衝撃で通信アンテナが飛ばされていたようです。現在通信できません。〈ライオット〉には発光信号でなければ通信はできません」
コリンズ軍曹が戻ってくるとローレンス・カーン准尉に報告した。
「復旧のめどは? 発光信号では、銃座からでないと相手から見えない。とても手間がかかりすぎる」
カーン准尉が言った。
「新しいアンテナと取り換えなければ無理です。しかし、そんな作業はドラゴンと追いかけっこ中にできるわけがありません」
コリンズ軍曹は言い訳でもするように言った。そのままスーザン・ガルシア伍長と機関士席を交代する。ガルシア伍長は副操縦席に戻った。
「しかたない、第二銃座に発光信号用ライトを設置してくれ。坂井伍長、頼む」
坂井美春伍長はライトを捜すために、通信席を離れ後部カーゴに向かった。その姿を見届けながらも、カーン准尉は他のものに失望を悟られないように努めていた。なんとか、今のピンチを切り抜けなければならない。乗員の疲労と緊張は限界に達している。特に〈ライオット〉の乗員がそうである。今は戦う時ではなく、逃げるしか方法はない。
「警告、距離を縮めてきます。奴さんはやる気が満々だな」
コリンズ軍曹が報告する。
「そんなはずないわ。まだ、こちらは敵対行動をなにもしていないのよ」
戻ってきたばかりの坂井美春伍長がレーダー・スクリーンを割り込むようにしてのぞきこんだ。坂井伍長はドラゴンが好戦的でないと思いたい気持ちがあったからである。
「答えは簡単だ。ドラゴンは、我々と仲良くする気はないということだ」
カーン准尉は冷淡に言った。
「さらに、接近。射程内に入ります」
「発砲はするな。NOS(Nitrous Oxide Systems)で逃げ切れるかやってみる。〈ライオット〉にも伝えろ。各員、座席についてシートベルトをしろ。急げ」
NOSとは亜酸化窒素をエンジン内部に噴射するシステムのことである。エンジン内部の酸素を過給状態にすることで、一時的に馬力をあげることができる。全員がすぐさま反応した。カーン准尉は、まだ信頼されていることを確信した。自分の今までの行動は間違ってはいなかった。それは、生き残れるために心強い支えとなってくれるだろう。
「一番銃座、二番銃座、ともに準備よし」
車内通話機が告げた。
「機関士、通信士ともに準備よし」
さらに坂井伍長が告げた。
「前方コース上に障害物なし、準備できました」
副操縦士のガルシア伍長が最終確認および準備が整ったことを報告する。
「ドラゴン、さらに接近」
コリンズ軍曹が一同に告げた。バックミラーに無気味な鱗が黒く光って見えていた。もう、すぐそこである。後方の〈ライオット〉に危険なくらい接近されている。
「NOSを開放しろ」
カーン准尉が命令を下した。
〈デリンジャー〉の後部排気口から強烈な炎が噴き出した。その瞬間にコクピットががくんと揺れ、すさまじい力によって乗員は座席に押し付けられた。酸素過給状態のエンジンが車体を急激に加速させている。それは、かなり荒っぽく、車内で固定されていないものが次々と頭の上に落ちてきた。
「加速成功、問題なし」コリンズ軍曹が速度計の針の動きを満足そうに見ている。「いいぞ、引き離している」
なにもかもうまくいっているようにみえたが、突然に〈デリンジャー〉の下で大きな音がした。
「タイヤがパンクした音だ」
カーン准尉が口の中で悪態をついた。
「あと三十秒で加速が終わります」
しかし、再び大きな音が続けて二回聞こえてきた。老朽化したタイヤをだましだまし使っていたため、加速に持ちこたえられずに悲鳴を上げているのである。物資が不足しているルテチアでは、だましだまし使うしか仕方がなかった。〈デリンジャー〉の車体は、長年の戦闘による疲労が大きく、本来の持久力を失っていた。このままでは最悪の場合には転倒することだってありえる。
さらに、もうひとつパンクが起こり〈デリンジャー〉はスピンを起こし始めた。最悪の状態が始まった。
「加速中止、NOSを止めろ」
しかし横滑りの力が邪魔して、コリンズ軍曹はスイッチに手が届かない。〈デリンジャー〉は暴走し始めていた。このまま何かに激突すれば、間違いなく全員が死ぬ。
坂井伍長は携帯ナイフでベルトを切って自由になると、スピンによって身体が前に飛ばされそうになるタイミングを上手に狙って機関士席に飛び込んだ。鈍い音が響き、苦痛に気が遠くなりかけたものの、すかさずバルブのスイッチを叩いた。
加速が停止し、全員が前に放り出されそうになるが、シートベルトによってかろうじて守られた。だが、坂井伍長だけは、シートベルトを自分で切っていたために、床に転がってしまった。
〈デリンジャー〉は危機を脱し、次第にスピードが落ちていった。やっとのことで停車すると、加速したままの〈ライオット〉が〈デリンジャー〉の横を追い越して走り去っていくのが見えた。
「ドラゴンを引き離すのに失敗した。来るぞ。銃座、上空警戒を怠るな。手の空いている者は、武器を持って所定の銃窓位置につけ。軍曹は、〈デリンジャー〉の損害をただちに調査。急げ」
ふらつく坂井伍長を、ガルシア伍長が近づいて支えてやった。コリンズ軍曹は、〈デリンジャー〉のエンジンを再び始動しけようとしている。
「大丈夫、〈デリンジャー〉はまだ走れる」
コリンズ軍曹が言った。あまりに突拍子のない言葉に、その場にいた全員が唖然とした。誰しもが、もう〈デリンジャー〉は壊れて動けなくなったと思いこんでいたのである。
「大丈夫。パンクしたタイヤは全部、後部車輪の一部だ。音を聞いていたから、絶対間違いなくそうだ。それくらいなら充分に走れる」
コリンズ軍曹は、念を押すように断言した。
「それは、確かか?」
カーン准尉が疑わしそうに聞いた。
「誓ってもいい」
「わかった。命令を変更する。一番、二番銃座のみそのまま上空監視を続け、コクピット要員は〈ライオット〉を追うために配置に戻れ」
まだ、全員に〈デリンジャー〉が動くという実感が湧いてこない。しかし、コリンズ軍曹が〈デリンジャー〉を急発進してみせると全員の顔に笑顔が戻った。
「ずいぶんタフに造ってくれたものだな。もし、生きて帰ることができたら〈デリンジャー〉の設計者に一杯おごってもいいぜ」
カーン准尉が感心した。彼がそんなことを言うのはめったにあることではない。
「ドラゴンを目視にて確認、目の前です」
銃座から、車内通話機を通じて連絡があった。
「まだ、神様は俺たちを見捨ててはいないぞ。回避運動をしつつ、対空攻撃準備だ」
攻撃準備が整い、緊張が極限まで高まったころ、コリンズ軍曹が前方になにかを見つけた。
「前方に〈ライオット〉が見えました。停止しているようです」
遥か前方に〈ライオット〉の車体が見えていた。味方の車両は、いまさらながら〈デリンジャー〉の乗員を元気づけた。
「我々は大丈夫だと、言ってやれ」
カーン准尉の声にも、明るさがみえた。
銃座からライト発光信号を送るが、いつまでたっても〈ライオット〉から返信がなかった。発光信号しか使えないといえども、今は〈デリンジャー〉が後方になるため、〈ライオット〉がなんらかの発光信号を行えばコクピットでも見えるはずである。
「もう、一回、信号をおくれ」
しかし、応答は依然としてなかった。が、そんなことにかまっていられない事態になった。大きなものが風を切って飛んできたのが真横に見えたのである。
「軍曹、ドラゴンからできるだけ離れろ」
〈デリンジャー〉が大きく傾き、ドラゴンとは反対側の左に曲がり始める。
「ドラゴン、右舷に接近、ミラン・ミサイルを発射します」
次々と、発射音が聞こえてくる。リズムを持ち、それは死のメロディでもある。だが、そのメロディは、異変以後、ドラゴンから身を守る目的にのみ使用されていた。ドラゴンはミサイルを急旋回してなんなくかわし、巨大な身体がまさに横を通り過ぎようとしていた。〈デリンジャー〉の車体とほとんど同じくらいの大きさである。通り過ぎる際に、ドラゴンの瞳が、ちらりとコクピットをにらむと、ガルシア伍長が思わず身をすくめてしまった。
ドラゴンは〈デリンジャー〉を無視するかのように、追い抜きそのまま前方へ飛び去ってしまった。あわてて銃座から二門の12.7ミリ重機関銃が追い打ちをかけるが、ドラゴンの鱗に跳ね返されていくのが見られただけである。
「〈ライオット〉を狙っているぞ」
銃座にいる誰かが叫んだのが、車内通話機を経由しないで直接に聞こえてきた。
「〈ライオット〉は気づいているのか?」
カーン准尉が、車内通話機に向かって怒鳴った。
「〈ライオット〉になんの動きもみられません。無防備です」
「ドラゴンは、無防備なほうを狙っていやがるのか。大した奴だな」
コリンズ軍曹が悪態をついた。
「〈ライオット〉をフォローする。速度をもっと上げろ」
「私が、今なにをしていると思っているのです。これが、限界ですよ」
カーン准尉とコリンズ軍曹が、半ばけんか状態で言い合っている。〈ライオット〉は、まだ遠すぎるのだ。下手に発砲したら〈ライオット〉に当たってしまうために、今は何もできなかった。
「見て!」
坂井伍長が指差しながら叫んだ。ドラゴンが〈ライオット〉に取り付こうとしていた。まず、鋭い爪で車体を鷲掴みにし、次に装甲を強引に破り取ろうとしている。中の人間を狙っている。〈デリンジャー〉からは、そのように見えた。ランドクルーザーの簡易装甲では、ドラゴンから見れば紙程度にしかすぎない。簡易装甲に穴が開くと、ドラゴンは頭を中に突っ込んだ。
「〈ライオット〉は、なぜ反撃しない」
カーン中尉が、じれったそうに言う。しかし、その間にも〈デリンジャー〉は近づきつつある。だが、まだ遠い。
「誰か、外に出たわ」
今度はガルシア伍長が叫んだ。〈ライオット〉から誰かが飛び出したのが見えた。正確にはドラゴンに押し出されて反対側へ落ちたという感じである。
「援護射撃で、追い払え」
カーン准尉が車内通話機に向かって叫んだ。我慢の限界に達したのである。二門の12.7ミリ重機関銃の銃撃は見事にドラゴンだけに命中させることができた。さすがに、こちらの動きにはあまり注意をはらっていなかったと見える。銃撃で相手にダメージがあったようには見えなかったが、ドラゴンは新たな攻撃にひるんだ。その隙に、〈デリンジャー〉は〈ライオット〉の隣に並ぶように急停車した。近距離からの集中的な銃撃には、さすがのドラゴンといえども痛みを感じるらしく、距離を取ろうと離れていった。
「救出を急げ」
〈デリンジャー〉の扉が大きく開かれ、〈ライオット〉から投げ出されていた先ほどの乗員を保護する。
「〈ライオット〉に火災発生を確認。弾薬誘爆の可能性が大。非常に危険です。至急の退避を願います」
銃座から車内通話機を通して、非常に緊迫した声が入った。
「他にはいませんか?」
〈ライオット〉に大声で呼び掛けを行った。しかし、応答はなかった。いや、かすかに声が聞こえたが、〈デリンジャー〉の乗員には届かなかった。「ワイマン伍長を助けてはだめ」その声はそう言っていった。
「限界だ。離脱しろ」
カーン准尉が言い終わる間もなく〈ライオット〉の弾薬が誘爆した。その衝撃は強く〈デリンジャー〉のモニターというモニターを巻き込んでしまった。
「爆発に巻き込まれました。すべての電子装置が使用不能です」
状況から〈ライオット〉は大破し、他の乗員はあきらめるしかなかった。
「確認は後だ、離脱を急げ」
カーン准尉とコリンズ軍曹のやりとりが続くと、銃座からも報告が続いた。「ドラゴンがこちらを指向しています」
「銃座、弾幕を張れ」
カーン准尉は車内通話機を通して確かに命令を伝えた。全員が混乱し勝手にわめき叫び続けていたために、最初は銃座からなんの反応も無くなっていたにも関わらず、コクピットにいた人間は誰も気がつかなかった。
「おい、弾幕はどうした」
カーン准尉が車内通話機に向かって今までにないほど大きな声で叫んだが、依然として応答はなかった。
「〈ライオット〉の爆発に巻き込まれたのか? 坂井伍長、銃座を頼む」
「了解」
取り付かれないように〈デリンジャー〉が回避運動しているため、大きく揺れる中を坂井伍長は壁を伝わりながら後部に向かった。どうやら、第一、第二銃座ともに、連絡が途絶えている。おそらく死傷者が出ているに違いない。
坂井伍長が後部カーゴの中にたどり着いて見たものは、血の海と化した床であった。血の海は床を汚しただけではなく、あらゆる壁という壁にも滴り落ちるように付着している。およそ考えられない光景だった。足が自然とすくみ、生理的嫌悪感から吐き気がもよおすのをなんとかこらえて生存者を捜した。
バラバラになった身体が散らばっていた。中には壁に押し潰されたものもいる。この中の死体の全員を彼女は知っているはずなのだ。それだけに完全に気が動転してしまった。それにしても、単なる爆発の巻き添えでこれ程の悲惨な状況に陥るとも思えなかったが、今はそんなことを考えている場合ではなかった。
しかし、血の海の中に動くものを見つけて彼女は我に返ることができた。生存者がいたと思ったからである。
坂井伍長は近づこうとしたが、突然、足が凍ったように止まった。その生存者は、アルバート・ワイマン伍長のはずだったが、アルバート・ワイマン伍長ではなかった。そうとしか考えられなかった。人間の骨格とは違うなにか別の生き物のように不自然な動作をするのだ。頭を真後ろに向けたまま、蜘蛛のように手足で周囲を確認するかのように四つん這いで動いていた。
「ちょっと、ワイマン伍長、冗談はやめてよ。〈ライオット〉から救助されたのは、あなたなのね?」
坂井伍長は力なく呼びかけてみたが、ワイマン伍長には聞こえないらしい。そもそも冗談でできる動作でもない。その間にも〈デリンジャー〉はドラゴンと戦っており、再び大きく揺れた。エンジンのうなりが大きく響き、タイヤがきしむ音が聞こえてきた。ドラゴンを振り切ろうと、死に物狂いなのだ。
「誰か!」
坂井伍長が大声で叫んだ。しかし、コクピットはパニックのような状態で聞こえないらしい。たとえ聞こえたとしても来るに来られないのだ。
「ワイマン伍長、止まりなさい」
坂井伍長はベレッタ92拳銃を抜いた。しかし撃つ気はない。何がおこったかわからないが、彼女はなんとか冷静になるように努めた。ワイマン伍長は既に人間ではなくなっているという自分でも信じがたい考えに達していた。それとも自分の方の気が触れてしまって幻覚を見ているかのどちらかに違いない。
ワイマン伍長は、あいかわらず手足を触覚のように使って周囲を探りながら近付いてきた。坂井伍長は、ベレッタ92拳銃の狙いを胴体からすばやく足に変えて撃った。自動拳銃の乾いた音ともに薬莢が排出された。この近距離で外れるわけがない。ワイマン伍長は足がねじれ、手足を折り曲げて丸まるようにしてひっくり返った。
「ごめんなさい」
坂井伍長は撃ったことを後悔した。が、ワイマン伍長は不器用に手足を使って、ひっくり返っていた身体を元に戻そうともがいている。その動作はひっくり返ってもがいている昆虫の動きそのものである。そして、体制をもどすと、再び手足を広げて四つん這いで歩き始めた。撃たれても、まったく応えていないのだ。
その時、格納庫の天井が破れ、ドラゴンの頭が飛び込んできた。それと同時に車体が大きく傾き始めた。ドラゴンに取り付かれ、押さえつけられている〈デリンジャー〉が押し倒されようとしている。浮き上がったタイヤが砂の上で空転をしていた。
「倒れるぞ、なにかにつかまれ」
コクピットから大声が聞こえてきた。スローモーションのようにゆっくりと〈デリンジャー〉は傾斜を大きくさせている。もうここまで傾けば誰だってそんなことはわかる。坂井伍長は壁につかまった。しかし、ワイマン伍長はとっさの状況には対応ができないようだった。まるで意表を突かれたかのうように、あっさりと反対側まで滑ってひっくり返った。
さらに車体が大きく傾くと、〈デリンジャー〉はついに横倒しになった。ロッカーに入れられていたものが、坂井伍長の上に落下してくる。同時に車内のどこかで火災が発生したようである。煙が車内に広がり始めていた。火災探知機の警報が鳴りだしたが、今は消火より脱出が先である。坂井伍長は、レスキューレバーを使用し扉を強制的に開けて、外に脱出した。ドラゴンは〈デリンジャー〉の中に頭を突っ込んだままで、幸いにも外に出て無防備の坂井伍長には気がついていない。
呼吸が落ち着くまで、他の乗員が外に出てくるのを待った。しかし誰も出て来ない。さらに待ったがやはり同じであった。もはや誰も出て来ることはないことを悟ると、彼女はついに決心をしてコクピットに駆け寄った。フロントガラスを通して、中をのぞきこむ。
「早く外に出て!」
坂井伍長は何度も呼び掛けたが返答はない。あきらめ切れずに割れていたフロントガラスを潜ってなんとか中にはいってみる。すると、ガルシア伍長が通信装置の下敷きになっていたのが見えた。なんとか引っ張りだそうとしてみたが、ひとりの力ではどうにもならなかった。
「ガルシア伍長、大丈夫?」
最初はかすれ声で、しかし最後には持てる限りの大声で呼んでみた。が、結果は同じだった。坂井伍長はガルシア伍長に脈がないことを確認すると、カーン准尉やコリンズ軍曹が座っていた座席を見てみたが、全く動く気配がなかった。坂井伍長はコクピットの座席に格納してあったサバイバルキットを引っ張り出して〈デリンジャー〉の外に出た。
「さようなら、みんな!」
〈デリンジャー〉の車体は火災が発生し、あっという間に広がっていった。そのすべてをあきらめるしかなかった。坂井伍長は、この見知らぬ地で、危険生物が住む世界に独りになったことを自覚したのだ。
そして、彼女は力の限り走り出した。逃げることに精いっぱいで、頭の中には何も浮かばなかった。なにも考えたくなかった。自分に起きていることを受け入れたくなかった。明日になれば、いつもの毎日が始まるに違いないと信じたかった。だが、徐々に増す疲労によって、いやがうえにも現実に戻されてしまった。もう、走る力さえも残っていない。動く気力も失せた。動けたとして、ルテチアまでの危険な場所を徒歩で戻るのは到底不可能である。今となっては、どうすればいいのか全くわからなかった。




