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ドラゴンリング  作者: 半纏ボク
第十章 ブロセリアンドの森
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フランス北西部ル・アーヴル

 フランス北西部にあるル・アーヴルは、タイム・ウェポン〈トレッキーダイス〉が使用されたことにより発生した異変の震源地(grand epicenter)と呼ばれ、ルテチア防衛軍により立ち入り禁止地区とされていた。その異変の震源地は、十年前に実施される予定であったドラゴン包囲殲滅戦に参加する北大西洋条約機構軍の各国の軍が集結していた地点でもあった。

 坂井美春伍長は、セリア・ケイ少佐に託されたものを取り出した。何度見ても、どこにでもあるミネラルウォータのペットボトルである。しかし、製造年月日は十年前であった。こんな古い水をどうして欲しいのか坂井伍長には、分からなかった。ただ、そこへ行けば分かるだろうと言われていた。

「そもそも、異変については未だに謎が多すぎるわ。異変は、たまたま北大西洋条約機構軍を直撃した不運な出来事とされているけれども、ドラゴンとの初期の戦争における最大の作戦を直撃し、人類の歴史の転換期となっているのである。もしも異変があと少しでも場所や時間がずれていたら、歴史は他の道を歩んでいたはずである。それを考えれば、たまたま北大西洋条約機構軍を直撃したと言われても納得がいくわけもない。場所と時間を正確に狙われたとしか思えない。だからこそ異変というのは人為的な要素で発生しているはずなのである。そうでなければ作戦開始前の北大西洋条約機構軍を直撃するという絶妙な瞬間に発生するわけがない。単なる偶然の悪戯で片づけられるわけがないのである」

 その時、坂井伍長はとんでもないことを思いついてしまった。最近の世界情勢が、ある意味において十年前とそっくりではないか? あまりの恐ろしい考えに、背筋に冷たいものが走った。

「もしも異変の発生する場所と時間に意味があるとすれば、何ものかがドラゴンを助けるために異変を起こしたということになる。もしも、そうであるのなら、ま、まさか、ドラゴンを殲滅するために派兵した統合軍陸上部隊の場所と時間が、次に狙われてもおかしくはない。その何かとは、今回のドラゴンの大移動となにか関係があるのかもしれない。とすれば、とんでもないことが再び起こることになる。もし、この仮説が正しいのなら、ドラゴンの大移動の目的は、産卵などではなく、人類に対する攻撃なのかもしれないのである」

 しかし、この仮説はおかしい。人類はとっくに大きく数を減らしているのであるから、異変などを起こさなくても、人類の生き残りに直接攻撃したほうがてっとりばやいはずである。そもそも異変のような大規模な破壊行為を知性のある生命が考えつくことではない。自分を守るために、敵の疑いのあるものすべてを核兵器で焼き払うようなものであるからである。

「やはり、分からないわ。そもそも異変はドラゴンさえも巻き込むほどの大災害であったはずよ。自分たちの首を絞めるようなことをするわけないわ」

 しかし坂井伍長がル・アーヴルで目にした光景は、巨大なクレーターと高温の熱に焼かれた街の廃墟であった。爆発の閃光と衝撃波によって死の洗礼を受けた街は、壁にめり込んでいる車、溶けながら砕け散ったガラス、それらの瓦礫が幾重にも積み重なっていた。行軍中の北大西洋条約機構軍の戦車は、隊列を組んだまま乗員が即死して放置されていた。

 自然災害ではないことは明らかであった。これは、まさしく核兵器による破壊の跡である。そう、ここは核兵器の爆心地であり、異変とは核兵器による惨劇の結果なのである。彼女は絶対に違うと候補にもあげなかった事が現実に行われていたことを初めて知った。

 異変の真実は、タイム・ウェポン〈トレッキーダイス〉による後遺症ではなく、ましてやドラゴンによって引き起こされたものでもなく、人類が人類の手で引き起こした大規模な破壊であったのである。

 道沿いには、慰霊のためであろうか、千羽鶴や蝋燭などが供えられていた痕跡が残っていた。真実を知るものが、誰にも知られることなく、長い間、この地を供養し続けていたに違いない。それえらの供え物は、道沿いにどこまでも続いているが、どれも既に朽ち果ててしまっていた。今では人類そのものが激減してしまったため、供養する者すらいなくなってしまったのであろう。

 干上がった川には、白骨化した亡骸が重なり合うように朽ち果てていた。核兵器の閃光に晒されながらも幸運に生き残った人間は、そこから地獄を体験したに違いない。全身が重度のやけどに覆われ、喉が渇き、水を求めてさまよい、川にたどり着いたものの、川も干上がっていて、渇きの中で命が消えていったのであろう。

 核兵器を使用しなければならない理由はひとつしかない。情報不足からルシファー対策が後手になっていたため、北大西洋条約機構軍の兵たちに感染被害が広がってしまったに違いない。人類が次なる一手を打つための時間を稼ぐため、北大西洋条約機構軍に対して生存者の有無にかかわらず核兵器による滅菌を試みたに違いない。その事実を隠すために、異変などと嘘で繕っていたのである。坂井伍長がこの時に知ったのはここまでであるが、その犠牲により生まれた貴重な時間で、人類は次の一手として、トゥーロン・イエールのような閉鎖政策を徹底した拠点を世界各所に構築することができたのである。それが過去に起きた現実であった。

「ここなのね」

 坂井伍長は干上がった川に重なっている白骨と化した亡骸を見て直観した。

 ケイ少佐は核兵器が使用された瞬間を目撃したに違いない。当時のケイ少佐は十代の少女である。混乱した世界の大きな動きに対して少女に何ができたであろう。ケイ少佐はル・アーヴルで起きた惨劇に心を痛めていたに違いない。きっと広島や長崎の生存者が残した話も読んだに違いない。せめて水だけでも飲ませてあげたい。そんなケイ少佐の思いやりすらも、当時は叶えられる状況ではなかったことは容易に想像できた。ケイ少佐はその時に何もできなかったことを悔やみ続け、せめて水だけでも届けてあげたかった切ない思いが、十年前のミネラルウォータを持ち続けていた理由に違いない。

 坂井伍長はペットボトルの口を開けると、十年前に届けられることがなかった水を亡骸に捧げた。


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