トゥーロン基地内ポートブリッジ統合軍参謀本部
デュランダル作戦の進軍ルートは、マルセイユ、リヨン、ボーヌ、ラングル、ルクセンブルク、アムステルダムを経由し、戦場となるネーデルランドへ直接に向かう計画となっていた。このため、フランス共和国の首都であるルテチアを経由しない作戦計画であった。
このため、フランス共和国軍に所属していた兵たちを中心に、祖国の首都ルテチアにも派兵するように何度も統合軍参謀本部に要請が出されていた。統合軍参謀本部は坂井美春伍長からもたらされた情報から、首都ルテチアの状況を詳細に把握していたが、デュランダル作戦に影響が出ることをもっとも恐れた。その結果、坂井美春伍長に関する一切の情報は隠匿されることとなり、ルテチアは廃墟と化して無人の可能性があること、たとえ生存者が残っていたとしてもルテチアを給養する物資が膨大なものになること、さらに、ネーデルランドにおけるデュランダル作戦は夏至の前までに実行されなければならないため時間がないことなど、さまざまな理由を持ち出しては否認し続け、ルテチアに対しては補給物質を空から投下するにとどめる計画を約束するだけであった。
それでも納得のいかない兵たちは、フランス共和国の政界から引退していたフランソワ・オードラン元副大統領を担ぎ出した。オードラン元副大統領は、6月10日に統合軍参謀本部に対して、各旅団は旧国際連合の要請によって統合軍参謀本部の命令を受けて動いているが、フランス共和国の指揮下にあることを宣言するとともに、第2機甲旅団をルテチアに進軍させるように要請した。
ルテチアを解放するのであれば、第2機甲旅団が務めるのが当然であるとオードラン元副大統領は考えていた。第2機甲旅団は、第二次世界大戦時にパリを解放した第2機甲師団の組織を引き継いでいる旅団であるからである。
統合軍参謀本部は要請を受け入れたものの、ロイド・フランク・モンゴメリー統合軍参謀本部総長は、時期については明言することをしなかった。
6月11日にオードラン元副大統領は統合軍統合軍参謀本部に書簡を送り、統合軍陸上部隊のルテチア派兵がなければフランス共和国政府の権限で第2機甲旅団をルテチアに向かわせると声明を出した。その声明を受けて、第2機甲旅団の指揮官であるエデュアール・ガンベタ中将は独断でルテチア派兵を決断し、出発を一日遅らせて、統合軍参謀本部には秘密でルテチアに向かう準備を開始してしまった。




