完遂される
広大な要塞都市の全域にまで轟音が響き渡り、震度の弱い地震が起きたかのように地面が揺れた。
その時、ロクローンは空を見上げていた。
特に何かしらの思惑があったわけではなく、ただ本当になんとなく。暗い、星一つ見えはしない夜空を何も考えずにただ眺めていた。
「ありがとう……」
轟音の直後、誰がそこにいるわけでもないにも関わらず、彼はそう呟いた。
「これで僕の計画は終わりだよ」
渇望していた何かをようやく手に入れることができた小さな少年のように、彼は目の端に喜びの涙まで浮かべていたのだ。
「協力してくれた君に、最後に事情くらい説明しておかないとね」
ロクローンは音のした方向に向けて歩き始めた。
✚✚✚
「ロクローンはどうやら俺をここへ誘き出すことで、俺が生きていることをトランプに知れ渡らせるつもりだったのだろう」
解放印が消えたことを確認したレヴィアは、そう口にした。
蹴破った扉から躊躇う様子を見せずに敷地内に入ったレヴィアは、自身の推論を言葉に表した。その推論は間違っていないだろうとガザリアも思う。目的は不明だが、むしろそれ以外に考えられないからだ。
そう思った一瞬後、おや、と首を傾げる。
気になったのはレヴィアのさりげない一言。
――俺が生きていることを――
この〝俺〟とは一体誰だ? いや、その疑問は適切ではない。もっと正確に言うならば――この〝俺〟とは一体どういう意味だ?
レヴィアに言わせれば七年前に「クライアスはもう死んだ」はずだ。だが今のかれの口ぶりからすると〝俺〟というのはまるで――。
ガザリアのその疑問に答えるように、レヴィアは続けた。
「だが、どうもそれに乗ってやるのは気に喰わん。俺が七年も死に続けたその意味を、他人によって暴かれるのは気分が悪い」
また同じ意味の〝俺〟だ。
ガザリアがそう思っている間にもレヴィアは行動した。
扉をくぐってすぐの位置にある通信機の受話器を取り、それに口を近づける。言葉を発する前にガザリアに向けた視線には、済まない、と謝罪の意思が宿っていた。きっと七年間の彼の努力を無駄にしてしまうことを謝っているのだろう。
「構わん。どの道もう隠し通せんのだから、お前さんの好きなようにやってしまえ」
その瞳から彼の覚悟を知ったガザリアは、もう止めなかった。
その言葉に後押しされて、レヴィアは強く頷いた。
外壁に設置されてある通信機は通常のものと違って、特定の個人に連絡を取ることはできない。これは緊急時のための、都市内に設置されたスピーカーから声を放送することができるものだ。つまり、この受話器に向かって話すことは全て都市全域に伝わることになる。
それを知ってなお、レヴィアは紡ぐ。
「……東トランプ支部はたった今、外壁を破られ反逆者の侵入を受けている。侵入者は二名。一名はガザリア・シングレン。そして、もう一名は――」
一瞬だけ、レヴィアは言葉を詰まらせた。本当にこの先を言ってしまっていいのかどうか、逡巡するような表情を浮かべ顔を俯かせる。
ただし、それは一瞬のことだ。
次の瞬間には、レヴィアは既に顔を上げて大きく息を吸い込んでいた。
そして、普段の彼が決して出さないような大きな声で一気に言い放つ。
「もう一名は、クライアス・ラーネル! 七年前に死んだと思われていた少年だ!」
そうしてこの日。
七年間の時を経て、クライアス・ラーネルはかつて命を落としたその場所で蘇った。
✚✚✚
ちなみに。
「ワシのことまで放送するなよ。道連れじゃねーか、これじゃ」
ガザリアがぼそりと呟いたその台詞は、誰にも聞こえはしなかった。
✚✚✚
クライアス自身によって流された放送が原因で、都市内には軽い混乱が広がっていた。
当然だ。ずっと昔に死んだはずの少年が今になって生きていると分かり、しかも今まさにここにいると言われたのだから。落ち着いている方がどうかしている。
ただ、どんな場所にでもどうかしている奴は一人くらいいるものだ。
今回の場合、そいつは混乱している都市の中を冷静に歩き抜けてまっすぐにそこに辿り着いた。
まっすぐに、破壊された扉のあるその場所まで。
「やあ、こんばんは」
そんなごくありふれた挨拶が第一声だった。
「まさかあんな放送を君がするなんて驚いたよ」
中途半端な長さの灰髪に気怠そうな瞳。紺色のジャケットからはトランプの構成員であることを示すプレートがなくなっていた。
「僕にとっては手間が省けて助かった、かな。もちろん君にとっても意味はあったんだろうけどさ」
覇気のない言葉は今まで通りだが、さらに今は感謝の念が込められているように感じられる。それが何に対しての感謝なのかも、きっとこれから明かされるのだろう。
何はともあれ、というようにそのどうかしている奴は猫背気味の背筋を伸ばして姿勢を正した。
「初めまして。……クライアス」
わずかに頭を下げたそいつに、クライアスもまた同じように返す。
「昨晩ぶりだな。……ロクローン」
「イリーナ・ミチェリカはこっちだよ。行こう」
クライアスがついて来ることを確信しているように、ロクローンは返事を待たずに彼に背を向けて歩き始めた。背中を見せた所で斬りかかられることもないと、クライアスのことを信頼すらしているような行動だ。
その信頼に応えるわけではないが、クライアスは刀を抜くようなことをせずに彼の後に続いた。
当たり前のようにガザリアも供に行こうと一歩を踏み出し、
「あ、あれー……? なんか、メンバーどもがめちゃくちゃ集まってきた気がするんじゃが……?」
「あ、ごめん。ぶっちゃけガザリアの方は招かれざる客みたいなもんだからさ。うん、適当に戦っといてくれる?」
「マジかお前!? ワシだけそんな扱いとかひどすぎるだろ!」
「黙れ。嫌なら帰れ」
「お前もか! お前もその扱いなのか!」
どこか厳粛で張りつめていた直前までの空気はどうしたのか、あまりにも理不尽な言い草にだんだんと地団太を踏むガザリア。どうやら幼児姿の時の動作の癖が残っているようだ。理不尽なことを言った本人たちは見苦しいものを見るような蔑みの視線を彼に送っていた。
「……むしろ貴様、なぜ来た?」
「お前が紛らわしい言い方をしたからだっ!」
絶叫するガザリアを鬱陶しそうにはいはいとあしらい、ロクローンは踵を返した。クライアスも呆れたように頭を押さえながらそれに続く。
その二人の態度が、あまりにもわがままな子供に接している時のそれとまったく変わらないように見えたので抗議の声を上げようとしたガザリアだが、
「って、うわ、何だお前ら急にわらわらと集まりやがって! こっちばっか来るなよ、ほら向こうにクライアスがいるぞ! ちょっと待て何で向こうには誰も行かないんだ!? 誰の陰謀だよこれ、おい!」
途端に敵兵たちに囲まれ、押し寄せてくる理不尽の数々に見事に押し流されていった。
✚✚✚
クライアス・ラーネルの名前はトランプにとって少なからず重要な意味を持っているはずだが、当たり前のように都市を徘徊する彼を追ってくる人間は一人もいなかった。
「ミーヤに頼んどいたんだ。君からはうまく意識を逸らしといてくれって」
怪訝に思うクライアスの様子を察したのか、前を歩くロクローンが気怠そうに説明した。ただの幼女かと思っていたら意外とやるものだ、と思わず感心してしまう。クライアスから組織の意識を逸らす作業はそう簡単なものではないだろう。
ロクローンはそれ以上の説明などする気はないようだし、それ以上の説明があるとも思えない。クライアスは七年ぶりの街並みを眺めながら沈黙の中を歩き続けた。辺りに他の構成員がいる様子もない所を見ると、本当に見事な手際を持っているらしい。
どれだけの時間が経った頃だろうか。
「僕は、ここが嫌いなんだ」
ぽつりと、ロクローンが言った。
「僕とミーヤ、それから彼女の姉は孤児だった。孤児院で姉妹と知り合って、他人だけど気が合って仲良くしてたんだよ。その時のミーヤはまだ生まれたばかりの赤ん坊だったな」
相槌を打つべきかとも思ったが、クライアスは黙ってそれを聞いていることにする。
「僕とミーヤの姉は出会ってから一年くらい経った頃、恋人になった。子供が大人の真似事をしてるままごとみたいなものだったけど、僕は本気で彼女が好きだったし、彼女もそうだったと信じてる」
――人は人を想った分だけその人から想われる。
この信条にしても、子供にしてはずいぶんませていたものだ、と今さらながらにロクローンはおかしくなった。今この場で笑うわけにはいかないが、もし一人でいたら笑みが浮かんでいたかもしれない。
「それからさらに一年後、彼女は業の発現実験の被験者に選ばれた。ああいうのって、孤児とかから率先して使われるんだってね。二年前に実験が初めて成功して、組織も勢いづいてたっぽいけど」
二年前の実験の成功――これはもちろん、クライアスのことだろう。
「子供の僕らには拒否権なんかなくて、実験は着々と進められた。みんな心から成功を望んでたけど、それは無理だって分かってたよ。例え成功したとしても被験者には高確率で後遺症が残る。子供でもそれくらいは知ってたさ」
だから、とロクローンは続ける。
「彼女は僕に言ったんだ。もし自分が死んでもミーヤをよろしくって」
彼は決して忘れない。
ミーヤの姉である少女が死んでしまった悲しみを。
子供ながらに本気で恋をした少女が奪われた憎しみを。
そして、彼女との約束を。
「そしてまた一年が経ち、今度は僕とミーヤが被験者に選ばれた。て言っても、僕は業を解放すること自体は自然にできるようになってたから、業を操るためにちょっとした実験とも呼べない実験を受けただけだ。でもミーヤは違った。僕は死んだ彼女との約束を守ることができなかったんだ」
過去のことを思い出しているのだろうか。悔しそうにロクローンが拳を強く握りしめているのが、後ろを歩くクライアスにもはっきりと見えた。
「祈りに祈って奇跡は起きたよ。ミーヤは実験に成功し、生き残ることができた。でもやっぱり後遺症は残ってね。ミーヤは業を得る代償に人格を歪められた。でも、それは構わないんだ。僕はそんなこと気にしないし、それだけなら生きていくことはできる」
でも、と呟く声は掠れていた。
「歪んだ人格は時間が経つとともに崩壊していった。今はまだ大丈夫だけど、それでも僕にしか分からないレベルでミーヤの人格は崩れていってる。このままじゃそう遠くない未来、ミーヤは自我も理性も失って絶命してしまう」
言葉を区切り、ロクローンは立ち止った。クライアスも同じように立ち止まるが、それ以上の動きはない。
「僕はどんなことをしてでもミーヤを救う。そのためにはトランプにいちゃダメだ。ここはミーヤを実験動物としてしか扱わない。僕は彼女と一緒に組織から逃げ出して、彼女の人格崩壊を食い止める治療を行えるような人間を探し出すことに決めた」
それは妥当な判断だろう。トランプという組織は例え実験の後遺症でミーヤの命が奪われたとしても、それすら一つの研究材料にするだけだ。少なくとも彼女が助かる可能性などまずない。
だが、組織から抜け出したとして外の世界にそんな治療を行える人間がいる可能性も限りなく低い。そもそも医療に限らずありとあらゆる分野で最先端を行くのがトランプだ。
それでもその方法を選んだというのなら、ミーヤの容体は本当に危険なところまで来ているのだろう。
「けど、ただ逃げ出しても追っ手が半端じゃないじゃん。ほら、僕もミーヤも仮にも実験を受けた被験者だからさ。で、どうしようか悩んでたんだけど……よく考えたら、身近にいるんだよね。トランプから逃げ出したのに七年間も平穏を保ってる被験者が」
ここまで聞けば、いくらなんでもクライアスにも分かる。
「つまり、俺を使って貴様らに向くトランプの兵力を分散しようと考えたわけか」
「そういうこと。組織からすれば追うべきは僕じゃなく君だ。なにせ初の実験成功者だし、こうなれば七年間の反逆罪も加わって大犯罪者だ。もちろん僕らも追われるだろうけど、大分マシにはなる」
そのために餌を用意してまでクライアスを呼び寄せたわけだ。
「ふざけるなよ。……それでは、俺は貴様を憎めない」
本当はロクローンの目的を聞き出した時点で斬り殺してやろうとまで思っていたクライアスだが、忌々しそうにそう吐き捨てるだけで行動は起こさなかった。
もちろん、彼にとって隠し続けてきた正体を暴かれた上に組織にまでそれを暴露する羽目になったことは、これ以上はないくらいに最悪な出来事だ。もしロクローンが私利私益のためにそうなるように仕向けたのだとしたら、迷わずに斬り捨てていただろう。
しかし、それが友達のためなら話は別だ。
元々の性格や過去の体験などのせいだろう、クライアスは友達と呼べる存在を何よりも大切にする。だから今回も友達であるイリーナのために因縁のある場所まで戻ってきたのだ。
敵にしてもそれ同じ。ロクローンが友達の少女のために動いていたのなら、それが原因でどんな結果を生じても彼に敵意を向けることはできなかった。
「ごめんね。でも、僕にはもう躊躇ってる時間だってなかった」
きっとロクローンの方もそこまで分かった上で計画を実行したに違いない。そうでなければいつまでもクライアスに背中を向けていないだろう。
「後、悪いんだけどミチェリカのこともよろしくね」
「イリーナを? どういうことだ?」
「……微妙に鈍いんだね、君」
表情は窺うことはできないが、呆れているのがはっきり分かるようにロクローンは肩をすくめてみせた。
「別にミチェリカを使わないでも目的を達することくらいできたさ。ただ、彼女は次の被験者候補だったからついでに使うことにしたんだ」
素直ではない言い回しだが、クライアスはそれでも十分に彼の意思を察することができた。
「僕は何よりもミーヤを救うことを優先する。けど、その次に実験の凍結を望んでる。だからミチェリカを君と親しくさせて、君にさらって行ってもらおうと思ってね」
そうすればイリーナを助けられるし実験をわずかにでも遅らせることができる、というわけか。ガザリアから聞いていた通り、実験を嫌っている彼らしい。
結果的にクライアスもイリーナも、見事なまでに彼の計画の上で動いていたわけだ。
そして彼はミーヤを救うことができれば、また実験の凍結のために行動するに違いないのだ。
「天晴な男だな、貴様は」
クライアスは彼のことを、そう評した。




