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クーグレス  作者: ラギ
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さあ、打ち壊せ

 レヴィアとイリーナが出会ってから三日目の朝。

 その日も、彼はいつものように日課となっている早朝の散歩を行っていた。

 今の彼は春夏秋冬季節を問わず常に羽織っている黒い袖のないコートを脱いで腰に巻いているせいか、いつもと雰囲気が違って見える。服装の全体的な色彩が普段と真逆でシャツの白色が中心となっているのが大きな要因だろう。

 他にも普段と違うことがもう一つ。彼はいつもなら朝の静かな空気の中を歩くことを好み、決まった時間になるとちょうど帰りつけるように習慣づけている。しかし、今は既にいつもの散歩時間を三十分ほど超えている上に彼は歩いていなかった。

 両腰に吊るしている刀を脇に置いたレヴィアはまだ人気のない通りの中央に立つと、体に余計な力が入らないよう自然に構える。それから細く長く息を吐くと、両足を肩幅まで開いた。

 ふっ――

 余分な力の込もっていない、滑るような上段蹴りを、レヴィアは虚空に放つ。それは一見スローモーションのように遅いものに思えるが、そうではない。もしも今の彼の蹴りを見ていた者がいたならば、間違いなく気がついた時には蹴りが放たれていたとでも表現するだろう。

 それほどの鋭さを、レヴィアの蹴りは持っていた。

 まるで邪念を振り払うかのように、架空の敵を薙ぎ払うかのように、彼は次々と何もない空間へ蹴りを放ち続ける。

 そうして一時間ほどの時間が経った頃だろうか。

 レヴィアは満足したように頷くと、刀を拾い上げ帰路についた。


                    ✚✚✚


 同時刻、ガザリアはミルトにいなかった。

 いつもの十歳前後のように見える子供の姿ではなく、レヴィアたちと同じ十七歳程度に見える少年の姿で彼は村の外にいた。いつもなら左腕に巻かれている包帯も今はなく、露わになっているそこには黒い輪が等間隔で刻まれていた。

 それがガザリアの解放印。

 ――〝敵殴進化〟

 彼自身がそう名付けた彼の業は、文字通り敵を殴るために進化する能力を持っている。正確には進化というより成長、そして退化も可能なのだが、ガザリアはそこまで細かいことを気にするような性格でもない。

「くあっ……」

 適当に体を伸ばし、欠伸交じりの声を漏らす。真っ赤な髪を掻くとがりがりと指が引っかかった。レヴィアは足首の辺りに届くほど長い髪でも手入れが行き届いていてさらさらなのに、ガザリアは背中までしかない髪でも広がり放題でぼさぼさだ。そのせいで彼は後ろからは袴と相まってただの赤い物体にしか見えない。

「髪だけ進化を別にできんものかのう……」

 どうでもいいことをいかにも重要なことのように呟きながらも、ガザリアはストレッチを続ける。しかし実際、これはそう下らないことでもないのだ。

 彼の〝敵殴進化〟は基本的に身体の成長・退行を操る能力である。それを応用して時に筋力や身体能力の成長を促し人間離れした力を発揮することもできる。しかしこの能力には若干不便な点があり、それは「能力を一部分のみに働かせることはできない」という一つの制約だった。

 これは大して問題のない制約のように思えるが、そうではない。これは普段幼児姿の彼が少年程度の姿まで成長すれば髪もそれだけ伸びてしまうということで、逆に鬱陶しいからといって短くしてしまうと幼児姿に戻った時に坊主状態になってしまうということだ。それだけではなく、腕の筋力を増強し太くすればそれだけ銅や足も太くなるということで、幼児姿でちょうどいいサイズの洋服はそうなると破れてしまうのだ。

 実は彼が上半身に何も身につけず、袴や下駄などのゆったりした服装をしているのはこれが原因だったりする。下腹の辺りで結んでいる袴の紐も、ここだけ伸縮性の高い素材になっているのだ。

 ずっと今の姿のままでいられたらいいのだが、業を解放し続けると命に関わる。

「ほ、は、よっ」

 しかし今のガザリアは三桁に達する実年齢を感じさせない若々しい動きで体を解していっていた。

 引き締まって細く見えるが、華奢なレヴィアと違って彼の体格はがっしりとしている。実は老人だと知っていても、彼の動きは力強い躍動感を感じさせた。

 彼がこんなことをしているのには理由がある。

 昨夜、レヴィアは「ロクローンの言いなりになるのは気に喰わない」とはっきり言っていた。それはつまり、イリーナのことを助けに向かう気はないということだろう。

「なんかもう、こうなるとワシが助けとくしかないじゃろうが……」

 イリーナはいかにも利用されただけで、罪はないようだし。見捨てるという選択肢はとても取れたものではない。基本的に自分が一番部外者だと思うのだが、仕方がないだろう。そうでなければ準備体操などするものか。

「……仲良くなってると思ったんじゃけどな」

 寂しそうに、ガザリアは呟いた。


                    ✚✚✚


 誰にとってもその日の朝は異常なくらい短く、その日の夜は過剰に早く訪れた。


                    ✚✚✚


 ロクローンが目を覚ました時、窓の外は墨で塗り潰したのかと錯覚するくらいに暗かった。都市の明かりは煌々と灯っているものの、寝転がっている体勢の彼には窓から月しかない空の方しか見えなかったのだ。

 通信機でミーヤに確認を取ると、別に時間が経っていないわけではなく、自分が昨日の夜からほとんど丸一日寝ていただけらしい。よくそれだけ寝続けたものだと、自分のことながら感心してしまう。

「多分、そろそろなんじゃないかな」

 寝起きの割にはっきりとした声で、ロクローンは告げた。その言葉の意味を、通信機の向こうの少女はしっかり汲み取ってくれたようだ。

『昨日の夜に連行してきたばっかりだったりするんだよ? たった一日で来たりするのかな?』

「勘だけどね。それに彼に時間は関係ないよ」

 よろしく、と半ば一方的に伝えて彼は通信を切る。半信半疑の様子だったが、ミーヤならこれでも動いてくれるだろう。

 もう一度窓から外を眺めてみると、どうやら空には暗い雲がかかっているようだ。せっかくの満月もまったく見えない。いつもより暗く感じたのもそのせいだろうと結論付け、ロクローンは外の風景から視線を外した。

 軽いストレッチを行い、体の調子を確認する。前日に業を酷使しすぎたせいでつい寝込んでしまっていたが、さすがに丸一日寝ていたらかなり回復したようだ。

 これならいつ来ても問題はない。

 瞳に気怠そうな色を携え、ロクローンは部屋を後にした。


                    ✚✚✚


「なんかそういうことらしいから、残念だけどここまでだったりするんだよ」

「は、はあ……」

 通信を切ってぴしっと敬礼をしてみせるミーヤに、イリーナは釈然としないものを感じつつも曖昧に頷いた。実は彼女は今日の朝早くから「ミーヤはイリーナちゃんと親睦を深めようと思ったりしてるんだよ」といういかにも思い付きの提案に付き合わされていたのだ。同性だしロクローンよりもさらに年齢が近いことで親近感を持たれているようだが、本当に自分の立場がよく分からない。

「イリーナちゃんは他の人に見つかっちゃうかもだから、ここにいないとダメだったりするんだよ」

 こういった制限はあるのだが、これといった不便を感じることもない。逆にイリーナの方がこれで大丈夫なのかと不安になるくらいだった。気持ち的にはちょっとしたお客さんのようなものである。

「またね、だったりするんだよ」

 小さく手を振りながら本気で名残惜しそうにしてミーヤは部屋から出ていく。なぜだか分からないがイリーナは彼女に好かれたらしかった。

 本当にこの上ないくらい特殊な状況の中で、イリーナは微妙に頬を引き攣らせながら手を振り返した。


                    ✚✚✚


 高く分厚い外壁の外側で、ガザリアは少しだけ途方に暮れていた。

 わざわざ村から歩いて離れている東トランプ支部を訪れたのはいいが、眼前にそびえ立つ外壁をどう通り抜けるべきか困惑していたのだ。

 もちろん外壁にはちゃんと人が通れるように扉があるし、彼も扉の前にいる。しかしこの扉は堅く施錠されている上に巨大で分厚く、そう簡単に破れるものではない。筋力を進化させて全力で殴れば壊せないこともないのだが、できる限り余力は残しておきたかった。

「ていうか見張りがおるじゃろ、普通……」

 挙句の果てにはいない方が困らないで済む敵兵の姿を探し始めるガザリア。彼の予定では扉の前にいるはずの見張りを殴り飛ばして開けさせるつもりだったのだ。

 しかし休憩の時間なのか用事があって留守にしているのか、そのような人影はどこにも見えない。完璧にタイミングを外してしまったようだ。出鼻を挫かれたような気分でどうにも面白くない。

 イリーナもまだ当分は安全とは言えないまでも大丈夫だろうし、こうなったら見張りが戻ってくるまで待っているか、とガザリアが渋々ながらも決めかけたその時、

「おい、そこの赤い物体」

 背後から、ガザリア自身がかなり気にしている単語を躊躇なく投げかけてくる奴がいた。

「っんだとこらぁ!」

 反射的に振り返りつつ声を荒げて、気の弱い人間なら卒倒しそうな、本気で激昂したレヴィアの極悪面にも劣らない表情でガザリアは相手を睨みつける。なんならこのまま殴り飛ばしてやろうとさえ思っていたのだが、

「って、レヴィアか?」

 声をかけてきた人物の顔に目をやり、思わず振り抜きかけた拳を止める。

 暗くて顔は見えにくいものの、そこにいたのは間違いなくレヴィアだったのだ。七年間も付き合いのある彼を、まさか今さら見間違えたりはしない。

 もっともレヴィアの方は幼児姿のガザリアしか見たことがないので、

「ん? 貴様、なぜ俺の名前を知っている? そういえば知り合いの糞生意気なガキに似ている気がするが……」

 最高に失礼なことを本人の目の前でぶつぶつ言っていた。

 平手打ちの小気味いい音が、夜の闇に吸い込まれていった。



 ひりひりと痛む頬を手で押さえ、レヴィアは呪うような舌打ちを鳴らした。

「なぜよりにもよって平手だ……」

「殴って昏倒されても困るからのう」

 微妙に棘のある口調で言いつつ、ガザリアは腰に手を当てた。平手打ちの後で業のことを説明して事情は通じたが、レヴィアのせいで機嫌は損ねられたようだ。

「というか、なんでお前さんがここにいるんじゃ」

 今度は腕を組みながらここにあるはずのない不思議なものを眺めるような視線をレヴィアに送るガザリア。彼は東トランプ支部には来ない旨のことを口走っていたし、どう考えても今この場にいるわけがないのだが。

 するとレヴィアは、

「何のことだ? 俺にはそのようなことを口にした記憶はない」

「はあ? だってお前さん、ロクローンの言いなりは気に喰わんとか言っとったじゃろ?」

「それは貴様の解釈の問題だ」

 素っ気なく言うとレヴィアは一歩前に出て、巨大な扉の前に立った。七年ぶりか、と小さく呟いて表面に軽く触れる。

 すぐ近くに立つと、扉が優にレビアの三倍近くの巨体を誇っていることがよく分かる。七年前のまま変わっていないのなら、厚さも十メートル近くあるはずだ。

「ガザリア、少し力を貸せ。俺の業と合わせればそう無理をする必要もない」

 頼んでいるようだが、ガザリアの返答を聞くつもりはないようだ。レヴィアは扉の前で左目の辺りを覆うように顔に手を当てた。

 その動作を見て、ガザリアは思い出す。

 トランプによる業の発現実験を受けた者は、ある特殊な合言葉によって業の発現と抑制をコントロールする。実験を受けなければ発現するはずのなかった業を無理に解放するのだから、そうしないと暴走してしまう恐れがあるからだ。

 その合言葉は、

「リベレイション――〝クーグレス〟」

 途端に、周囲の気温が一気に下がったように感じられた。

 背中から伝わってくるレヴィアの雰囲気にも肌を刺すような冷たさが加わり、近寄りがたいものへと変わる。

 七年ぶりだな、とガザリアは思った。

 レヴィアは事あるごとに遠出をしては人助けのために業を解放していたらしいが、ガザリアが解放された彼の業をこうして間近で感じるのは七年ぶりのことだ。

 扉の前に立ったまま、レヴィアは指示を出したりしなかった。言わなくても分かるだろう、とその背中が暗に語っている。

「……いや、下手したらワシいらんじゃろ」

 拗ねたように口を尖らせて、しかしガザリアは素直に扉の前に立った。こっそり助け出して帰るつもりだったガザリアとしてはこの方法はとりたくなかったが、この際そんなことはどうでもいい。

 なぜなら、レヴィアがここに来たからだ。

 あれだけトランプを嫌い、避け続けたこの少年がたった一人の少女のためにここまで自らの意思でやって来た。それは彼がお人好しだから、などという陳腐な理由が原因ではない。もしも他の誰かがイリーナと同じ目にあっても、彼は素知らぬ顔でいつも通りの生活を続けるだろう。組織が憎い彼はわざわざたった一人を助けに来ようとは思わない。思ったとしても実行しない。絶対に。

 では、なぜイリーナのためにここまで来たのか。

 それは彼女がレヴィアの友達だからだ。

 七年前からずっと心を閉ざし続け、誰にも気を許さなかったレヴィア。きっと、友達という言葉に誰よりも抵抗を持ち続けただろう。本当は誰かといたいのに、自分と一緒にいると危険だからと言って孤独であり続ける少年は、正直見ていて痛々しかった。

 そんなレヴィアに正面からぶつかり、そして友達だと認めさせたのがイリーナという少女だ。自らの危険など構わずにレヴィアの隣にいようと彼を諭し、結果として友達という立ち位置を獲得したのだ。

 レヴィア自身が心を許し、共にいたいと本気で願った。そういうイリーナのためだから、彼はこの場所に戻ってきた。

 七年もの間彼を見続けてきたガザリアにとって、これほど嬉しいことはない。

 だから。

 クライアス・ラーネルを守ることはできなくなってしまうかもしれないけど。

 一体どんな結末が待っているのかも分からないけれど。

 レヴィアが現れたその時点で。

 ガザリアは全力で彼に協力しようと心に決めた。

「まさか弱くなっとらんじゃろうな?」

「俺より自分の心配をしていろ」

 二人が短く言い合った直後。

 ガザリアの拳が。

 レヴィアの脚が。

 巨大な鉄製の扉を迷わず打ち砕いた。



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