同族嫌悪
ロクローンの計画は現時点で余す所なく完遂された。
「長かった……本当に……」
雲のかかった空を仰いで、彼はこれまでの道のりを噛みしめるように声を漏らす。後はガザリアやクライアスの不法侵入の騒ぎに乗じて、都市から逃げ出せばいいだけだ。
「おかげで俺は追われる身だ。さっさとイリーナの居場所を教えろ。こうなったら早々に退散させてもらう」
「うん、そうだね」
素直な返事が返ってくるが、それ以上の反応がない。どうした、とクライアスが問いかけようとしたところで、
「クライアス、ちょっと僕のわがままを言ってもいいかな?」
「……何だ?」
「戦おう」
これだけ短い文章を聞き間違えようもない。きっぱりと、ロクローンはそう言ったのだ。
「そう思い立った理由は?」
「僕の個人的興味、かな。一度見たから分かると思うけど、業を解放してる時の僕は感情が極めて薄い。ちょっとした実験とは言っても副作用はあるものでね。これもミーヤの人格崩壊同様、僕の感情は時間とともに無くなっていっている」
業の人為的発現実験を受けた三人の人物。
その内の二人は甚大な後遺症を負い、しかもそれは現在も悪化していっている。クライアスのようにわずかな記憶障害で済んだのなら、これはかなりの幸運だったということか。
あるいは、彼は本当に限りなく完全な成功者に近かったのか。
「だから、僕はまだ残ってる僕の感情をできるだけ大切にしたい。可能な限りで感情のままに行動したいと思ってる」
その気持ちはクライアスにしても理解できないものではなかった。自分の感情が時間の経過につれて無くなってしまうというのは、想像するだけでもかなりの恐怖がある。せめて感情のある間に、というのは自然なことだろう。
「僕は君と戦うことに興味がある。昔の資料とかを調べてみたら、君って相当強いらしいね。それを知ったら戦いたいって思っちゃってさ。君さえ良ければ、僕はこの感情を大切にしたい」
おそらくはクライアスの性格まで調べているのだろう。お人好しな彼が断わることのできないような言い回しばかりをロクローンは使う。言っていることは本心なのだろうが、どうも素直に受け取りづらい。
もっとも、どうせクライアスの返事は決まっているのだが。
「構わん。俺も貴様の計画でいいように操られた借りがある。戦ってストレス解消とさせてもらおう」
そう答え、クライアスは腰の刀を鞘から抜いた。頭上に広がる夜空をそのまま刀に変えたような二本の黒刀を逆手で握り、刃先が地面を向くように構える。通常とは異なる非常に珍しい構え方だ。
それを受けて、ロクローンは振り返った。
「……ありがとう」
その右目の周辺には見慣れた六角形が浮かんでいて、両手にはいつの間にか細身の剣が握られていた。
黒い雲から一粒の雨が、二人の間にぽつりと落ちた。
✚✚✚
振るわれた拳は至近距離に迫っていた敵兵を殴り飛ばし、さらにすぐ後ろにいた何人かを巻き込んで吹き飛ばした。
「……いい加減、本当にやめんか。お前さんらじゃワシには勝てやせんわい」
脅すような低い声音で苛立ちを隠さずに、大量のトランプの前に頑と立ちはだかっているのはガザリアだ。本当は彼の方が道を塞がれているのだが、互いの戦闘力に差がありすぎてとてもそうは見えない。
ロクローンがミーヤに出した指示のせいで支部中の構成員と向かい合っているにも等しい状況の彼だが、怯む様子は微塵もない。それ所かそこかしこで傷付き気を失い倒れている数十人の構成員たちに対し、彼はまったくの無傷だった。
だからこそ、無駄に時間を費やすだけの戦いはガザリアを苛立たせていた。
元より相手は潰したくてたまらない組織、トランプだ。手加減なんか必要ない。
「道を……開けろおっ!」
適当に手を伸ばして触れた構成員の服を掴んで振り回し、砲丸のような勢いで前方に投げつける。それだけで、また数人が大きく後方に突き飛ばされた。
それでも、数人。
数百数千という兵力を前にしては、たった数人を討ち倒したところで大勢に影響などない。敵だって数では圧倒的に有利なのだから退くことはあり得ない。
ガザリアが内心で毒づいていると、
「はいはい、ミーヤならシングレンくんにも勝てたりするんだよ」
無数とも思えるトランプの群れの奥の方で、恐らくはぴょんぴょんと飛び跳ねながら手を挙げているのだろう舌足らずな声。
ガザリアは、群衆の奥で飛び跳ねないといけないくらいに背が低くて自分のことをシングレンくんと呼ぶトランプのメンバーを一人しか知らない。
その一人とは、
「ミーヤ・レラテッシャ……」
人と人の隙間を縫うようにふう、と顔を出した少女の名前を、ガザリアは呻くように呼んだ。
業の人為的発現実験第二の被験者にして成功者。
その能力はガザリアもよく知っている。そして、それが自分の能力ととても似通っていることも。
彼からミーヤに向けられる感情は至って単純だ。
すなわち、同族嫌悪。
いつもは子供の皮を被っているくせに、いざとなったらこの上なく凶暴な姿は、第三者として見ると吐き気すら催す。
「確かに、今この場でワシに勝てるのはお前さんくらいじゃけどな……」
盛大に舌打ちすらしそうなほど憎々しげにガザリアがそう言った直後、
「リベレイション――〝ラグ・カスタム〟」
ミーヤが飛んだ。
跳躍ではなく飛翔。拳銃から射出された弾丸のように凄まじい速度で彼女の体は空に向かって突き進む。
「ひやっ、は、は、は、は、はああああぁぁぁ――――――――――!」
空中に飛び上がった彼女が、普段の無表情からは想像できないような無意味な絶叫を辺りに響かせていたが、ガザリアは耳を塞いで無視。まるで聞いたら耳が腐ると本気で信じ込んでいる様子ですらある。
やがてミーヤは空中の一点で停止し、次の瞬間には隕石のように落下を始めた。死なねーかな、とガザリアが小声で呟いたが、そんなことになるほど彼女は馬鹿ではない。
とん、と着地する直前で落下の速度を殺した彼女の体は静かに地面に降りる。
その姿は明らかに今までと異なっている。
「おいおいおいおい、どうするよ! 久しぶりの解放でありえねェくらいテンション上がってんだけど!」
気分が高揚しすぎて気が狂ったかのように叫びまくる少女は十歳前後の幼い容姿ではなく、すらりと手足が長く背も高い二十歳前後に見える容貌をしていた。急に身長が変わったせいでワンピースの丈もかなり短くなり、露出が多すぎる格好になっているが気にしている様子はまったくない。
「はっはは! 最高最高! 今すぐテメーをぶち殺したいくらいだわ!」
ショートヘアは変化しておらず顔立ちも幼いために大人びているというより非常に可愛らしい雰囲気を保っているが、口から飛び出す乱暴な言葉の数々がそれを台無しにしていた。口調そのものも、口癖がなくなるなどの大きな変化が見られる。
そして何より特筆すべきは背中。
そこには人間なら本来持ちえない特殊な器官――翼が生えていた。
黒く雄大で、目一杯広げれば五メートルは超えるだろう烏のような翼。
「おーい、誰かこれ持っといてくれよ!」
うるさいくらい快活に言って、変貌したミーヤは近くにいたトランプに両手の中のものを差し出した。受け渡される時にわずかに見えたそれは、ガザリアの目がおかしくなければ間違いなく生きた黒い鳥だ。
これが人為的に発現されたミーヤの業――〝ラグ・カスタム〟
自分にはない他者の『強さ』を奪い、それを自己のものとしてさらに強化、使役する。その際には奪った『強さ』を最大限に発揮できるよう彼女の体は大人へと変化するのだ。『強さ』を奪われた対象はそれを失い、例えば翼で空を飛ぶことができる『強さ』を持っている鳥がそれを奪われたなら飛行が不可能になる。
「さてさてさって! 存分に楽しもうっかな!」
飛行能力を失った鳥を彼女がわざわざ拾いに飛んだのは、その能力の欠点を自分でも十分に自覚しているからだろう。
ミーヤは自らが定めた対象から『強さ』を奪うが、奪えるのはあくまでも生きている相手からだけだ。それこそ飛行能力を失った鳥が墜落して死んでしまったら、彼女の翼も消えてしまう。
「この戦闘狂が。しかも確かロクローンに解放を禁止されとったじゃろ、お前」
「はっはは! そのロクローンくんのために戦うんだっつの! ていうかミーヤが彼以外の理由で業を解放とかありえねェし!」
どうやら人格が豹変しても彼女のロクローンに対する好意は一切変わっていないらしい。業の解放によって実験の後遺症である人格崩壊が顕著に現れるミーヤの、それが根本的な心で行動理由なのだろう。
普段の感情を表さない彼女も、今の騒々しすぎるくらいに気持ちが高まっている彼女も、どちらも同じミーヤ・レラテッシャだ。彼女は実験の被害者であって、本当なら人格が歪むようなこともなく生きていけたはずだ。
頭の中ではそう理解できているが、それでもガザリアは彼女のことを好意的に見ることができない。同族嫌悪だけでなく、元々ミーヤのような性格が苦手だということも大きいのだろうな、と投げやりに自己完結しておいた。
ぽつり、と二人の間に雨粒が落ち、
「――〝ラグ・カスタム〟!」
「――〝敵殴進化〟!」
二人が正面から激突した。




